グリフォン暴走
羊に慣れているからといって、すべての動物に慣れているとは限らない。
そのことを、俺たちは十分後に思い知った。
「次は、あちらを手伝え」
逃げた雲羊を群れへ戻したアリサに、セレナ先生が指示を出した。
先生が示したのは、ミカの担当しているペガサスだ。
「ペガサスさんも、わたしが?」
「雲羊を扱えたからといって、そこで満足するな。補助に入るなら、ほかの魔法生物との違いも覚えておけ」
「承知しました!」
アリサが元気よく返事をする。
レイナの許可を確かめてから、ミカの待つ区画へ駆けていった。
アリサの行く先には、若いペガサスが、銀色の翼を畳んで立っていた。
若い個体が地面から飛び立つには、ある程度の助走が必要だと聞いたことがある。今日の訓練も、まずは地上で大人しく歩かせるところから始める。
さっきまでミカが引いていたからか、暴れる様子はなかった。
「アリサちゃん、引き綱は強く引かなくていいから。自分が進みたい方向を見て、少しだけ引き綱を動かせばいいじゃん」
ミカがペガサスの首元を撫でている。さっきまでの訓練で、完全にミカに慣れたらしい。
「少しとは、どの程度でしょうか?」
「うーん、これくらい?」
ミカが指を二本使って長さを示している。それをアリサが「なるほどなるほど」と頷き、
「一・五センチほどですね!」
「わお、見て分かるとかすごい。でも別にそこまで細かくなくていいじゃん」
アリサは背筋を伸ばし、両手で
引き綱を受け取った。
ペガサスの左側へ立ち、正面を見る。引き綱を持つ手が、きっちり一・五センチだけ動いた。
「では、お願いいたします!」
誰にお願いしたのか分からないけど、とにかくペガサスは素直に歩き出した。
アリサとペガサスは、ほとんど同じ歩調で歩いていく。
「上手じゃん!」
「羊よりも背が高いですが、とても大人しい子なのです!」
安心したアリサが、ペガサスの首を撫でる。
ペガサスは気持ちよさそうに目を細めた。
「ペガサスさんも、耳の向きで気持ちが分かるのですね」
「羊と似てる?」
「はい。歩く速さも、先頭の子へ合わせようとするところも似ております」
アリサの肩から力が抜けていく。
ペガサスもアリサへ慣れたらしく、鼻先をエプロンへ寄せた。
「どうしました?」
ふんふんと鼻を鳴らし、ポケットを嗅いでいる。
ポケットには雲羊用の餌と、ラジオの修理で余った羊毛が入っているらしい。
「アリサちゃん。もしかして、餌を持ったままじゃん?」
「はい。雲羊さんがまた逃げたときのために――」
ペガサスの鼻先が飼料の荷車へ向けられた。
「アリサちゃん、引き綱――」
ミカが声をかけるけど遅かった。すでにペガサスが飼料目がけて走り出していたんだから。
「ひゃああああああ!」
引き綱を握ったアリサの身体が勢いよく引っ張られる。小柄なメイドは、何度も足をもつれさせながらも、ペガサスに付いていく。
「引き綱を離して!」
沙耶香に言われて、アリサはすぐに引き綱を離した。けど、走り出した勢いまでは消えない。
「止まれないのですうううう!」
勢いを殺せないまま、アリサは藁の山へぼふっと頭から突っ込んだ。その隣では、ペガサスが飼料に到着し、喜びの宴を開いていた。
衝撃で、藁と一緒にアリサのポケットへ入っていた物が空へ舞い上がった。
雲羊用の餌や、灰色の羊毛、替えのホワイトブリム等々。
あのメイド服、拡張収納の魔法でも使われていたのかな。あんなに色々入っていたのか。
「だ、大丈夫か?」
俺と沙耶香が駆け寄る。頭から突っ込んで、両足を天に伸ばしてぴくぴくとしている。
「アリサちゃん、生きてるじゃん!?」
「多分」
「その多分、今は止めて!」
沙耶香とミカが左右の脚を掴み、藁の山からアリサを引き抜いた。
「面目ないです……羊と同じようにはいきません……」
藁だらけになったアリサが、肩を落とした。そんな彼女の体に付いた藁を、ミカが払い落としていく。
「ペガサスを羊と同じように扱おうとしてたの?」
沙耶香が髪に絡んだ藁を取り除く。
「足が四本ございますので、ある程度は同じかと」
「その分類、大雑把すぎるでしょ」
「耳の動きと、群れへ合わせる性質までは似ていたのです!」
「でも、餌へ突進するところは分からなかったじゃん。この藁取れない……」
ミカに指摘され、アリサがしゅんと肩を落としている。
「わたしは、あなたのことを分かったつもりになっていたのですね」
当のペガサスは、もう飼料の中に夢中だ。多分、何も気にしていない。
「反省はあとにしろ」
レイナが、アリサの頭から替えのホワイトブリムを取り上げた。
「なぜ、動物を扱う実習へ餌を持ち込んだ?」
「雲羊さんが、もう一度逃げた場合に備えました」
「先生の許可は?」
「……いただいておりません」
「なら、今すぐ返してこい」
「はい!」
アリサは地面へ散らばった餌を拾い始めた。
俺たちも手伝おうと屈んだとき、ペガサスが銀色の翼を動かした。
弱い風が、草の上を通り抜ける。
アリサが拾おうとしていた灰色の羊毛が、一つだけ宙へ浮かんだ。
「あ」
羊毛は俺の手をすり抜け、隣の区画を囲む柵の向こうへ飛んでいく。
その先には、若いグリフォンがいた。
地面へ落ちる直前、グリフォンがくちばしで羊毛を捕まえた。
「食べちゃだめです!」
「待て、アリサ!」
セレナ先生が止めるより先に、アリサは走り出していた。
柵の出入口を抜け、グリフォンへ向かっていく。
俺たちも、すぐにアリサの後を追った。
「アリサ!」
レイナに呼ばれても、アリサは足を止めない。
グリフォンが、くちばしを上へ向けた。このまま行けば、間違いなく羊毛を飲み込むだろう。
「駄目です! 羊毛はお腹の中で膨らんでしまうのです!」
アリサはグリフォンの正面へ飛び込み、くちばしから垂れている羊毛を掴んだ。
グリフォンも、取られまいとばかりに頭を後ろへ引く。
それでもアリサも、両手で羊毛を握って踏ん張った。
「これは食べ物ではないのです!」
「先にお前が離せ!」
追いついたセレナ先生が怒鳴る。
「こちらで吐き出させる! 今すぐ下がれ!」
「ですが、今離したら飲み込んでしまいます!」
「その前に、お前が食われるぞ!」
グリフォンが苛立ったように翼を広げた。激しい羽ばたきが風を巻き起こし、周囲の魔獣たちまで騒ぎ始めた。
「きゃっ!」
そんな強風にあおられて、アリサの小さな身体が浮き上がる。
羊毛から手を離したのに、アリサの身体は地面に落ちず、宙に浮いたままだった。
「何か絡まってる!」
沙耶香が叫ぶ。
グリフォンの足から伸びた飛行訓練用の長綱が、地面に大きな輪を作っていた。羊毛を取り返そうと踏み込んだアリサは、その輪へ左腕を通してしまったらしい。
「アリサ、綱を外せ!」
「外れません!」
グリフォンが地面を蹴り、その身体が一気に舞い上がる。
「アリサ!」
俺たちの目の前で、十三歳のメイドが空へ連れ去られた。
「おねえちゃあああああああああああん!」
アリサの悲鳴が、みるみる遠ざかっていく。
五メートル。十メートル。
グリフォンは旋回しながらぐんぐんと高度を上げ、飼育場の上空を覆う結界へ向かっていく。
アリサは綱へぶら下がったまま、空いた右手で腕に絡んだ部分を外そうとしていた。
「だからメイドは面倒なんだ!」
セレナ先生が杖を抜く。俺たちも一斉に杖を構えた。
この状況、一体何を使えばいい?
炎なら綱を切れるけど、アリサまで地上に落ちる。
雷でグリフォンを止めれば、綱を通してアリサまで感電するかもしれない。
水をぶつければ、空中で姿勢を崩す。
えっと、他に使える魔法は……
「下手に撃つな! グリフォンじゃなく、アリサに当たるぞ!」
分かっているけど、どうすればいいんだ。
グリフォンが、さらに高度を上げる。
アリサのエプロンから、一本の短い杖が落ちかけた。
アリサは空いた手で、慌ててそれを掴む。
「杖? アリサ、もしかして魔法を使えるのか!?」
「はい!」
上空から、震えた返事が届いた。
「何が使える!」
「見たことのある魔法でしたら!」
「見たことのあるって――」
「ミカ!」
セレナ先生が俺の言葉を遮った。
「アリサの真下へ風魔法でクッションを作れ! 落ちても地面へ叩きつけられないようにしろ!」
「分かったじゃん!」
ミカが杖を振り上げた。
「《軟風》!」
ミカの体に魔紋が浮かび、緑色の魔法陣が開く。
草を撫でるような柔らかい風が生まれ、アリサの真下へ集まっていく。
「アリサ! 風の魔法は使えるか!」
「今、見ました!」
「見たって、今まで___」
俺の言葉の途中で、アリサが短い杖を下へ向けた。
遠くて表情までは分からない。ただその視線は、じっとミカの作った魔法陣を追っていた。
そして彼女の体にも、俺たちと同じように魔紋が浮かび上がる。杖の先には、ミカのもと同じ魔法陣が浮かび上がった。
「嘘だろ……」
一度見ただけで、説明もない。
アリサは、それだけで術式を完成させていた。
次の瞬間、離れた地上からでも分かるほど強い光が、アリサの腕を覆った。
空気が重くなる。
草が伏せ、柵が軋み、浮いていた雲羊たちが一斉にアリサの方を向く。
「何だ、この魔力量……!」
俺たちよりも小さな身体から、誰よりも多い魔力が溢れ出している。
アリサが杖を握り締めた。
「《軟風》!」
十三歳のメイドが放った魔法によって、飼育場全体の空気が爆発した。




