魔獣実習
「おい、誰だ。授業にメイドを持ち込んだ奴は」
どんな時でも際どい服装のセレナ先生が、飼育場へ怒鳴った。
全員の視線が、先生の肌色からレイナの後ろに立っているアリサへ集まっていく。アリサはやっぱりメイド服なので、黒が基調の制服に囲まれればかなり目立つ。ただし、エプロンの上から学院の来訪者証を首にかけている。
「家から勝手に送られてきました」
レイナは返答の中に不機嫌さを隠しもしない。
付き人が寮で生活することは認められているが、授業中の教室までついてくることはできない。しかし、ツワブキ家の当主から命じられたのは、『レイナの側を離れるな』だ。
レイナが授業へ行く。そして、アリサは側を離れられない。
そこで学院側と話し合った結果、屋外実習に限り、危険のない場所から見学することになったんだ。肝心のセレナ先生は聞いていないみたいだけど。
「ね、ねえ。あれ大丈夫なの?」
ん、なんだ沙耶香。そんなに柵から距離を取って。
俺たちの前には、腰ほどの高さの木柵がある。
そしてその向こうには、翼の生えた馬が三頭と、鷲の上半身に獅子の下半身を持つ生き物が二頭、それぞれ落ち着きなく動き回っていた。
「大丈夫じゃん!」
普段の授業に比べてやけに元気なミカが、俺たちの間から顔を出した。
「今日の子たち、みんなまだ子供じゃん。グリフォンなんて、くちばしも小さいし。ほら、あそこの奴なんてユーリちよりも小さいじゃん?」
確かに、うちのクラスでも結構小柄な男子よりも小さいグリフォンが柵の向こうにいる。
チビグリフォンは元気に叫んで、自由を奪う木の棒をくちばしで噛み砕いた。
「今、柵が折れたけど!?」
「元々折れかけてたんじゃん? 多分」
「ミカの多分も信用できないなあ」
学院の北側には、魔法生物を飼育するための広い区画がある。
石造りの校舎から離れた草原には、いくつもの飼育小屋と柵が並んでいる。外側には結界が囲み、飛行する魔法生物に備えて、空にも薄い膜のような結界が張られている。
今日の授業は、魔法生物との接触訓練。いきなり契約したり、背中に乗ったりするのではなく、まずは近づき方を覚え、綱を引いて歩かせるだけだ。
「はあ……ったく。何でよりにもよってこういう時に限って魔獣担当のシノハラ教諭が出張なんだか。全部私が面倒見ることになるだろうが……あの教諭今度呪ってやろうか」
なんかセレナ先生はぶつぶつと物騒なことを口にしている。やがて開き直ったのか、「あー」と咳払いをした。
「いいかお前ら。相手は人間の言葉を理解しているように見えることもあるが、基本は獣だ。急に背後へ回るな。大声を出すな。許可なく餌を与えるな。下手な魔法も使うなよ。驚かせれば、お前たちより先に周りが被害を受ける」
「先生」
沙耶香が手を挙げた。
「グリフォンの子供って、普通に人間より大きくないですか?」
「ああ、大きいな」
「子供って説明、安心材料になってませんよね?」
「成体よりは小さいから安心しろ」
「比較対象がおかしいと思います」
「噛まれてから文句を言え」
「噛まれる前に言ってるんです!」
沙耶香の悲鳴を他所に、今日の担当分けが始まった。
ミカとルカ、そしてレイナそれぞれペガサスを選ぶ。レイナが選んだペガサスだけ、すごく大きくて立派だ。
キサラギは、グリフォンを担当だ。本人は「僕に獣の世話をさせるつもりかい」と不服そうだけど、セレナ先生に一蹴されていた。
俺と沙耶香は、灰色の小さな羊が何頭か入っている区画を任された。
「なんで羊?」
「初心者だからだろ」
「マナトと同じ扱いにしないで」
「人間界にも羊はいるんだろ?」
「見たことがあるのと、飼ったことがあるのは違うからね」
ふーん。目の前にいるのは、人間界の羊とは別物らしい。
詳しくこの生物の名前を言えば、雲羊。綿のように膨らんだ体毛へ風の魔力を溜め込み、驚くと一メートルほど浮き上がる。攻撃性は低いけど、浮いたまま柵を越えることがある。
「よし。お前ら、まずは一頭ずつ小屋から出せ」
「はーい」
セレナ先生の指示を受けて、俺たちは柵の中へ入った。
柵へ入った途端、もこもこだかふわふわだかが俺たちの周りに溢れてきた。
「これ、動きづらいな……」
「い、一匹ずつ出すのよね? えっと……ちょっとごめんね……あれ?」
沙耶香が手頃な雲羊へ両手を伸ばす。腹の辺りを掴んで持ち上げようとしたけど、指は柔らかな羊毛の中へ沈むだけだ。
「あ、あれ? あれれ?」
「何してんだ?」
「何って、掴めないんだけど……」
「そりゃあ当たり前だろ。そいつ、見た目どおりの大きさじゃないぞ」
「どういうこと?」
「こういう生物って、大体は中身は頭と細い胴体だけで、残りはほとんど魔力を含んだ毛だ。外から毛玉を掴んでも、毛だけ抜けるぞ」
「何その生態! 急に触るの怖くなってきたんだけど!」
そんなにか? あれだけ喜んでいたのに、今度は触ろうとするたびに引きつっている。
「というか、そんな体じゃほとんどスカスカってことじゃない。どこを掴めばいいのよ?」
「毛の奥にある首元だよ。そこへ手を入れれば捕まえられる___多分」
「また多分じゃない!」
「いいから、捕まえようぜ」
延々と悲鳴を上げる沙耶香を放っておいて、俺は雲羊へ近づく。
「さ、さっき説明された姿がちらついてあんまり触りたくないんだけど」
お、どういう心境の変化だろう。沙耶香は檻の端に身を寄せて、できるだけ雲羊から離れようとしている。
「気にすることないよ。ほら、こんな感じに……」
首元を掴めば簡単に捕まえられる。そう思って手を伸ばしたけど、灰色の毛が、ごっそりと手に残った。
「あれ?」
「アンタだって出来てないじゃない!」
「み、見たことはあるけど、やるのは初めてなんだって!」
「魔法使いのくせに!」
「お前がそれ言うのかよ!」
いつも言っていることを逆に返された。なんか悔しい。
俺はむすっとしながら、足元へ転がってきた雲羊と目を合わせる。
「今度こそ……うりゃっ!」
勢いよく毛の中へ手を突っ込む。
首元へ届くより先に、雲羊の身体が驚いたように大きく膨らみ、体毛へ溜め込まれていた風が弾けた。
「え?」
雲羊が一メートルほど浮き上がり、ふわりと柵の向こうへ飛び越えた。
外側の草原へ着地すると、こちらを一度だけ振り返る。
俺の手には、また大量の羊毛だけが残っていた。
「……あれ?」
「ちょっと! 早速逃がしてるじゃん!」
「待てって言ったのになあ……」
「動物が待てで止まるなら、牧場に柵はいらないでしょ!」
俺たちが言い合っている間にも、逃げた雲羊は学院の敷地を駆けていく。
後を追って柵の外へ出た時には、もうまともに走っても追いつけないほど距離が開いていた。
仕方ない。弱い雷魔法で麻痺させよう。俺が杖へ手を伸ばすと、セレナ先生の怒鳴った。
「魔法を使うな!」
「え、でも逃げますよ!」
「だから追うな! 余計に逃げる!」
追うなって、だったらどうやって捕まえろっていうんだ。
俺たちが言い合っている間にも、雲羊はグリフォンの区画に近づいていく。
グリフォンの目が細くなる。もちろんターゲットは、雲羊。
「まずいじゃん!」
ミカが叫ぶのと、グリフォンの翼が大きく開くのは同時だった。
その瞬間。
「追わないでください!」
アリサが、草原の向こう側から叫んだ。見学用の柵から飛び出し、驚くほどの速さで雲羊とグリフォンの間に割り込んでいく。
「アリサ!」
レイナに呼ばれても、アリサは止まらない。
雲羊の正面には立たず、グリフォンへ向かう道だけを塞ぐように、斜め前へ回り込む。
エプロンのポケットから粒餌を一つかみ取り出し、手のひらで転がした。彼女の手から、しゃら、と小さな音が鳴った。
「ほら、ほら。大丈夫ですよ」
人を呼ぶときより低く、歌うような声だった。
アリサが雲羊の頭を撫でる。すると、あれだけ動き回っていた雲羊がすんなりと大人しくなった。
「そうです。いい子なのです」
俺と沙耶香が撫でても全然だったのに、アリサだけには、あの雲羊が完全に安心し切っているみたいだ。
アリサが一歩だけ横へ動く。
「そうです。こちらですよ」
そのまま後ろへ下がると、雲羊もあっさりと向きを変えた。餌の匂いを確かめるように鼻を動かし、アリサの後ろについて歩き始める。
「……なんで?」
沙耶香が呟いた。
「群れから離れて、不安になっていただけなのです」
アリサは雲羊の首元へ手を入れ、毛を軽く撫でる。
「追われたので、逃げなければいけないと思ってしまったのです。戻る道を見せてあげれば、自分から帰ってくるのです」
「触っても逃げないんだ」
「後ろから触ってはいけないのです。この子は、右耳が左より少し垂れ下がっているので、こちら側から近づけば驚きません」
アリサの声が、昨日までとは違う。
命令を待っていないし、誰かの顔色も見ていない。何をすればいいのか、最初からきちんと分かっている。
「アリサちゃん、すごいじゃん!」
ミカが駆け寄ってくる。
「そういえば、羊、飼ってるって言ってたっけ?」
「はい。実家には、百二十七頭いるのです」
「そんなに? もしかして、全部見分けられる?」
「もちろんなのです」
「同じ顔じゃないの?」
俺が聞くと、アリサは目を丸くした。
「全員、違うのです! 目の形も、耳の角度も、鳴き声も、歩き方も違います!」
今日一番の勢いだ。
「マナト様は、ルカ様とハクア様を同じ顔だと思われますか?」
「さすがに違うよ」
「同じくらい違うのです!」
「羊って、そんなに違うんだ……」
「今の例えで納得するんだ」
アリサは雲羊を柵の中へ戻した。残っていた雲羊たちも、彼女が口笛を吹くだけで一列に並ぶ。
雲羊たちを満足そうに眺めていたアリサが、突然固まった。
「……あ」
「どうしたの?」
「わたし、お嬢様のお側を離れてしまいましたのです」
さっきまで羊を導いていたのに、恐る恐る、レイナを振り返る。
ペガサスの区画から駆けつけてきた彼女は、さっきまでの心配そうな顔を消し、いつのもの凛とした表情に戻っている。
「申し訳ございません! 雲羊が危険だと思い、勝手に見学場所を離れてしまいました!」
「……ふん」
レイナはすぐには答えなかった。
何度も頭を下げるメイドと、その後ろへ整列した雲羊たちを交互に見比べている。
セレナ先生は腕を組んだまま、その二人をじっと見守っていた。
「メイド。勝手に見学場所を離れたことは、あとで叱らせてもらう」
「も、申し訳ございません!」
「だが、今の対応は正しい。あのままグリフォンの区画へ入られていた方が危険だったからな」
先生の言葉に、アリサが「えっ」と唖然とする。
「羊飼いの家から来たと言っていたな。雲羊も扱ったことがあるのか?」
「あっ、はい。実家とは種類が異なりますが、群れの動きは似ております」
「……見学だけではもったいないな。ツワブキと学院側の許可が取れれば、今日だけ雲羊の補助へ入れ。少なくとも、そこにいる初心者二人よりは役に立つ」
「俺も初心者扱いですか?」
「羊を逃がしただろ」
「沙耶香が先に」
「人のせいにしないで!」
アリサが、レイナへ向きなおった。
「お嬢様。授業のお手伝いをしてもよろしいでしょうか」
「先生から頼まれたのだろう?」
「ですが、お嬢様のお側を離れることになります。それに、先ほどは勝手に見学場所から飛び出してしまいました」
「それで雲羊を助けたのだろう」
アリサが目を瞬く。
「飼育場の中にいるなら、側を離れたことにはしない。先生の指示に従え」
「ありがとうございます!」
アリサは満面の笑みで答えた。
レイナはペガサスの区画へ戻ろうとして、途中で足を止めた。
アリサを振り返らないまま、ぼそりと付け加える。
「それから――よくやった」
アリサの動きが止まった。
「……はい」
返事は、これまでで一番小さかった。
けれどその顔は、元気よく命令へ返事をしていた時よりも、ずっと嬉しそうだった。




