命令されていない仕事
「人間の機械は、叩けば直るらしい」
「そんなこと、一言も言ってないけど」
「昔のテレビは叩いたら映ることもあったって話もあるけど、大体は故障の原因によるからね」
「え? ラジオも似たようなものじゃないの?」
「似てない。あとそれ以上壊したら許さないから」
「これ俺のなのに?」
「人間の機械を雑に扱うのが許せないの」
放課後、授業を終えた俺たちは、寮の談話室へ集まっていた。
机の上に置かれているのは、先日の事件から音が出なくなった携帯ラジオだ。外側には、昨日アリサと衝突したときにできた新しいひびがある。
スイッチを入れても、何の音もしない。
「だから開ける」
「結局その結論にしかならないの?」
「だって、中を見ないと、壊れた場所が分からないだろ」
「あんた見て分かるの?」
「多分」
「信用できないっつーの」
ああ、ラジオを取り上げようとするな。両手で抱え込み、守り切った。
「これは俺のだッ!」
「これ以上壊したら、人間界で買い直すこともできないでしょ」
「だから直すんだよ」
「お前ら、始める前から壊す話しかしてねえな」
ルカは工具袋を机へ置き、中から大きさの違うドライバーを取り出した。
「どれどれ……外側は欠けてるが、蓋は開きそうだ。無理やりこじるなよ」
「分かってる」
「その手に持ってる金属棒は何だ」
「蓋が開かなかったとき用」
「いらねえ! しまえ! 面見せんな!」
俺が金属棒をポケットへ戻したところで、談話室の扉が開いた。
「失礼いたします!」
アリサだ。朝ほどじゃないけど、顔色にはまだ疲れが残っている。髪の編み込みも自分で直したらしく、左右で形が違っている。
部屋に入るなり、アリサの目が沙耶香で止まった。
「サヤカ様!」
「あ、アリサちゃん。起きたの?」
「はい! お嬢様から、昼まで眠るよう命じられましたので、正午まで眠りました!」
「よかった、しっかり寝れたんだ。そのあとは?」
「正午から、次のご命令をお待ちしておりました!」
「え? 今までずっと?」
「はい!」
もう夕方だ。ぶっ通しで五時間くらいも待っていたということか。
「待たなくていいって言われてなかった?」
「私の身の回りのことをする必要はない、とのご命令でしたのです!」
「だからって、何時間も立ってなくていいでしょ」
「では、座って待つべきでしたでしょうか」
「いや待つのをやめなよ」
アリサが本気で首を傾げると、沙耶香は説明を諦めたように息を吐いた。
「それ、何?」
「お借りしたハンカチでございます!」
綺麗に畳まれたハンカチが、その手に握られていた。洗っただけでなく、丁寧に皺まで伸ばされている。
「ありがとうございました」
「別に、そんな丁寧にしなくてもよかったのに」
「お借りしたときより、綺麗な状態でお返しするよう教わっているのです!」
「そ、そう。こっちこそありがとうね」
沙耶香が受け取ると、アリサは満足そうに笑った。
「それでは、失礼いたします!」
「え? どこへ行くの?」
「次のご命令をいただくまで、廊下で待機いたします!」
「ここにいればいいでしょ」
沙耶香が反射的に言った。すると、アリサが止まる。
「こちらにいても、よろしいのでしょうか」
「だって、廊下で立たれてる方が気になるから」
「おー、だったらここ空いてるじゃん」
ミカが長椅子の上に抱えていた魔獣図鑑を退けて、隣を叩いた。
「ありがとうございます!」
アリサは礼を言いながら、ミカの隣に腰かける。背筋を伸ばし、膝へ両手を置いた行儀のよさに、ミカがほほ笑んでいる。
「談話室でそんな固くならなくてもいいじゃん」
「では、どの程度の固さが適切なのです?」
「やばい、さーや。この子座ってても固いじゃん」
「私に言わないでよ」
一方、アリサはさっきから俺とルカの手元をじっと追っていた。
「これ、気になる?」
俺がラジオを持ち上げた。
「はい……それは、昨日わたしが壊した物でしょうか?」
「前から壊れてた。ひびは昨日増えたけど」
「申し訳ございません!」
「外側だけだから大丈夫だって。これから中を調べるんだけど、手伝う?」
アリサの顔が一瞬明るくなるけど、すぐにレイナを窺った。
談話室の隅では、レイナが本を読んでいる。
「しかし、お嬢様から、マナト様のお手伝いをするよう命じられていないのです」
「なら、レイナに頼めば――」
「待って」
沙耶香が俺を止めた。
「アリサは、手伝いたいの?」
「ですが……ご命令がないのです」
「命令じゃなくて、アリサがどうしたいか」
昨日から何度も問われているのに、アリサはすぐには答えられなかった。
机の上のラジオと、俺とルカの工具に目をやり、次に自分の両手へ視線を落とす。
「……皆様のお手伝いをしたいです」
「だったら、マナトに言えばいいでしょ」
「わたしから、お願いしてもよろしいのでしょうか」
「いいよいいよ。駄目だったら断られるだけだから」
アリサは両手を前に揃え、背筋を伸ばした。
「マナト様……わたしにも、お手伝いさせていただけませんか?」
「もちろん」
アリサが勢いよく顔を上げた。
「ありがとうございます!」
「よし。じゃあ、この螺子を持ってて」
外した四本の螺子を、アリサの手のひらへ載せる。
「絶対になくさないでね。いい? 絶対だよ?」
「承知いたしました!」
アリサは両手で螺子を包み込んだ。
指の隙間さえなくなるほど、きつく握っている。
「そ、そこまで力を入れなくてもいいよ」
「ですが、絶対になくさないようお願いされました!」
「……まあ、いっか。潰さないでね」
「はい!」
力を緩めてほしいが、手を開かれると落ちそうで怖い。頼み方って結構難しいんだな。
俺はそのまま、ラジオの裏蓋を外した。
細い線や金属の板、見慣れない部品が俺を迎えた。当然、魔法陣も魔石もない。
それなのに、これほど小さな箱からでも遠くの人間の声が聞こえる。
「すごい……」
「何が?」
人間なのに、沙耶香には分からないらしい。
「何がってそりゃあ、全部だよ」
「それじゃ何も分かってないのと同じでしょ」
「この丸いのが声を出すんだよな」
「スピーカーね」
「すぴーかー」
「マナト、話が進んでねえぞ」
ルカがラジオの中を指さす。
「ここ。電池と触れる板が内側に曲がってる。落とした衝撃じゃねえか?」
「俺は落としてない」
「昨日は、お前ごと地面へ落ちてただろ」
「あれはアリサが降ってきたから」
「申し訳ございません!」
「謝らなくていいから、螺子だけ持ってて怖い!」
金属板を持ち上げようと、細いドライバーを差し込むけど、なかなか入らない。
無理矢理にでも押し込むべきか。そう考えた時。
「お待ちください」
後ろから落ち着いた男の声がした。
「力任せに曲げれば、金具が根元から折れますよ」
振り返ると、食堂でキサラギの後ろに控えていた男が立っていた。
ナギさんはそのまま、談話室内部に入ってきた。
「おそらくは。電池の接点が二ミリほど内側へ入っています」
「え? 見ただけで分かるんですか?」
「はい。その型では、よくある故障ですから」
ナギさんは上着の内側から、細長い革の入れ物を取り出した。
留め具を外すと、太さの違う小さなドライバーや、先端の曲がった工具が並んでいる。
「そ、それって! 人間の工具ですよね!」
「マナト、近い」
沙耶香に制服を引っ張られる。
気づけば、ナギさんの顔のすぐ前まで迫っていた。
「ああ、すみません。キサラギ家では、人間の機械も使うんですか?」
「まさか。ですが、主人が何を必要とされても対応できるようにするのが、付き人の務めですので。アリサ様も、修理のお手伝いを?」
「はい!」
「それはそれは。レイナ様からのご命令ですか?」
アリサが一瞬、沙耶香を見る。
「いいえ。わたしから、お願いしました!」
「ほう。それは結構なことです」
ナギさんが穏やかに頷いた。
「では、こちらの金具を押さえていただけますか」
「はい!」
「強すぎず、弱すぎず。私が手を離しても、同じ位置を保ってください」
アリサは螺子を俺へ返し、ラジオの中へ指を伸ばした。
細い接点を、親指と人差し指で挟む。
「もう少し右へ……そこで止めてください」
ぴたりと止まった。震えさえしない。
ナギさんが工具を差し込み、沈んだ金属板を少しずつ持ち上げる。
「上手ですね。指示した位置から、全く動いておりません」
「わたし、お役に立てていますか?」
アリサの目が輝く。そんな彼女に、ナギさんはにこやかに微笑んだ。
「ええ。とても」
アリサが口元を押さえた。褒められていいのか分からず、笑うのを我慢しているらしい。
ナギさんは接点を元の位置へ戻し、工具を抜いた。
「これで通電するはずです。ただ、外装にひびがあるため、電池が再びずれる可能性がございます」
「だったら、何か挟めばいい?」
「薄く、柔らかく、熱を持ちにくいものがあれば」
「それならあるのです!」
アリサのポケットが火を吹いた。灰色の羊毛が、まさにこの時とばかりに姿を見せる。誰の指示も待たず、彼女は羊毛を指先で丸め始めた。
繊維の向きを揃え、何度も押し潰して、薄く平らな形へ整えていく。
「羊の鞍や鈴がずれないよう、これを挟むことがあるのです。こちらでは、いかがでしょうか」
完成したのは、糸でできたとは思えない灰色の板。礼を言った俺は、それを電池の横へ差し込む。もうラジオを軽く振っても、中の電池は動かない。すごい、ぴったりだ。
アリサが持っていた螺子を一本ずつ受け取って、ちゃんと四本全部、付けなおす。
い、スイッチオン。……何も聞こえない。
「失敗?」
「まだ分からない」
音量のつまみを回して調整。しばらくは無音だったけど、やがてざっ、と小さな雑音が飛び出てきた。
「鳴った!」
さらに回すと、雑音が大きくなる。人間の声は聞こえないけど、少なくとも通電はしているな。
「アリサ、直った!」
「本当ですか!?」
「ああ! 羊毛がなかったら、またすぐ電池がずれてたかもしれない」
「羊毛で、直せたのです……!」
アリサは羊毛を丸めた指先を見下ろす。
胸を張った頭から、羊の耳が生えたように見えた。多分、ポケットから飛び出した羊毛だ。
「お役に立てましたか?」
「ああ! 今度は多分じゃなく、間違いなく」
アリサの顔がより一層明るくなる。
そのとき。
『ザッ――ピ、ピ、ピ……ピー、ピー……』
ラジオから奇妙な音が流れてきた。
短い音が三回と、長い音が二回。声でも、音楽でもない。
「何、これ? 人間界の放送?」
「こんな番組はないと思うけど」
『ピ、ピ、ピ……ピー、ピー……』
「魔獣の鳴き声じゃないの?」
俺が尋ねると、ミカがラジオへ耳を近づけた。
「うーん、どうだろ。生き物なら、ここまで同じ長さと間隔で繰り返さないじゃん」
その直後、ふっと音が消えた。
「おそらく、学院の結界と、受信機が干渉したのでしょう」
ナギさんが胸元へ手を添えながら言った。ん、何かを胸ポケットにしまったような。
「結界が、こんな音を出すんですか?」
「さあ。私も専門家ではございませんので」
人間のラジオを見ただけで故障箇所を当てた人が、今さら専門家ではないと言い張るか。
「ナギ!」
突然談話室の入口から、キサラギの怒鳴り声が聞こえた。
「教本を取りに行くだけで、いつまでかかっているんだい?」
「申し訳ございません、ハクア様。ただいま参ります」
ナギさんは工具をしまい、俺たちへ一礼した。
「それでは、失礼いたします」
「ありがとうございました!」
アリサが深く頭を下げる。
そこへ、キサラギがどたどたと足音を立てて降りてきた。直ったラジオを一瞥して鼻を鳴らす。
「まったく。くだらない機械で、僕の付き人を引き留めないでくれたまえ」
「くだらなくない。今、直ったところだから」
「そんなものより、魔法の練習でもしたらどうだい?」
「お前が人間の機械を知らないだけだろ」
「知る必要がないんだよ」
キサラギは鼻を鳴らし、ナギさんを連れて去っていった。
俺はラジオを持ち上げて、ナギさんが消えた扉へ向けてみる。
『……ピ』
一度だけ、小さな音がしたけど、それきり、何も聞こえない。
「今の音、どこから来たんだろう」
「外の電波を拾ったんじゃない?」
「学院の結界があるのに?」
「あ、そっか。……弱いものなら、たまに入るのかも」
「じゃあ、多分ただの雑音だな」
「その多分、信用できない」
今回ばかりは、俺も同感だった。
沙耶香は俺を放って、アリサの前でしゃがみ込む。
「アリサちゃん」
「はい!」
「さっき、羊毛を出したのは誰かに言われたから?」
アリサが目を瞬く。
「いいえ。柔らかい物が必要と伺いましたので、使えるかもしれないと思ったのです!」
「そうだね。それ、自分で考えたんでしょ? 命令されなくても、できたじゃない」
アリサは手のひらを開いた。朝、どちらの命令へ従えばいいのか分からず、動けなくなっていた手だ。
今、その手で羊毛を選び、人間の機械を直した。
「わたしが、自分で……」
「ちゃんと役に立ったでしょ」
「はい!」
アリサがにっこりと笑った。ひとしきり笑った後、アリサが首を傾げた。
「サヤカ様は、なぜわたしに教えてくださるのですか?」
「教えてるつもりはないけど」
「昨日は、ハンカチを貸してくださいました。鞄を選ぶときも助けてくださいました。今朝は、お嬢様へ聞き直すことを教えてくださいました」
そこまで言ってから、アリサが一度口を閉じた。
「あの……つかぬ事をお伺いするのですが……サヤカ様は、紋無しでいらっしゃるのですよね」
沙耶香の表情が、わずかに硬くなった。
「……そうだけど」
「わたしの家では、紋無しの方は魔法社会と関わらず、人間の世界で暮らすものだと教わりました。ですから、なぜサヤカ様が学院にいらっしゃるのか、不思議だったのです」
その声に、沙耶香を侮るような響きはない。
ただ、教わってきた常識と、目の前にいる沙耶香が結びつかず、戸惑っているようだ。
沙耶香は少し警戒していたが、アリサに悪意がないと分かると、「入りたかったから」と答えた。
「私が魔法を勉強したかったから、ここに来たの。反対されたし、入学試験でも散々言われたけど、それでも来たかったから」
「それはご自分で、決めたのですか?」
「そう……だけど」
アリサは、沙耶香を見つめた。
魔法を使えないはずの紋無し。
けれど、アリサができずにいることを、この人は当たり前のようにやっている。それがアリサにとって、どう映っているのだろう。
「だから、わたしにも、自分で決めるよう教えてくださったのですか?」
「いや。そんな立派なことまで考えてないよ。見てると危なっかしいから、放っておけないだけ。年下の子が困ってたら、気になるでしょ。それに……」
沙耶香は少し考えてから、肩をすくめた。
「私には姉しかいないから。妹がいたら、こんな感じなのかなって思っただけ」
「お姉様がいらっしゃるのですか?」
「……うん。いるよ」
「そうなのですね! では、わたしはサヤカ様の妹でございますか?」
「え、いやそこまでは言ってない!」
「違うのでしょうか……」
アリサの肩が露骨に落ちた。すると、沙耶香が困った顔になった。
「違うとも……言ってないけど」
「どちらでしょうか!」
「そういうところ、本当に命令待ちだよね……」
「違うのです?」
おお、すかさずアリサがうるうる攻撃を仕掛けている。これはもう逃げられないなあ。
「……ま、まあ、学院にいる間だけなら、妹みたいなものでもいいんじゃない」
アリサが勢いよく身を乗り出した。
「では、お姉ちゃんとお呼びしてもよろしいでしょうか!」
「何でそうなるの?」
「妹は、年上の姉をお姉ちゃんと呼ぶものだと教わりました!」
「誰に?」
「母です!」
「うっ……この上お母さんまで引き合いにだされたら、そこは間違ってないけど……」
沙耶香はしばらく答えあぐねていた。
アリサが、期待に満ちた目でじっと返事を待っている。
「学院にいる間だけね」
「はい、お姉ちゃん!」
アリサの大声に沙耶香の顔が赤くなる。
よし、だったらついでに。
「俺のことは、お兄ちゃんでもいいよ」
「マナト様は、レイナお嬢様のご友人です!」
「あ、あれ? 分類が急に雑になったな」
「妥当だろ」
ルカにまで言われた。
「私は?」
隣に座っているミカも身を乗り出す。
「私もミカおねーちゃんがいいなあ!」
「ミカ様はミカ様です!」
「ええ? 私はお姉ちゃんじゃないの?」
「お呼びした方がよろしいでしょうか!」
「うーん、でもさーやだけなのも面白いから、そのままでいいじゃん」
「遊ばないで!」
「お姉ちゃん!」
「一回で聞こえてる!」
沙耶香は何とかアリサを落ち着かせようとしている。けど、やめろと言うことはなかった。




