人間に話しかけてみた
ついに本物の人間と話せる機会を得たマナト。
果たして、普通に会話できるのでしょうか。
学院規則の説明に、教材の配布、施設案内、寮の説明。あれやこれやと学校についての話が続いて、ようやく解散の号令があったときには、窓の光はすっかり橙色になっていた。
「つ、疲れた……」
俺がその一言を言っている間に、セレナ先生がそそくさと教室を立ち去っていった。あの人、絶対に早く帰りたいとか思ってたよな……。
生徒たちは我先にと解禁された私語を口にして、教室が一気に騒がしくなる。
だけど、自由ってことは当然、俺が誰に話しかけてもいいってことだ。
「行くのか?」
……なんで今日一日の付き合いなのに、こいつには俺の行動全部先読みされるんだろうか。
ルカに対して、俺は頷いた。
「もちろん! この時をどれほど待ったことか……!」
「たった今疲れたって言ってたような気がするが気のせいだったか?」
「気のせいだ! 人間と関われるチャンス! コイツを逃すわけにはいかないぜ!」
これからのことを考えると、体にみちみちと元気が蘇ってくる。
それなのに、こいつは少し難しい顔をして言ってきた。
「今行くのは……やめといた方がいいぞ」
「大丈夫だよ。まず謝って、その後質問するから」
「……そのテンションで行ったら絶対嫌われるぞ」
「何で分かんの?」
「逆に何で分かんねえんだよ」
意味が分からない。一回ちゃんと謝った上で話すんだし、知らない相手とはそもそも話してみないと分からないだろう。
しかも相手は人間だ。
同年代の人間とまともに話せる機会なんて、今まで一度もなかった。
「大丈夫。普通に話すから。んじゃ」
「お前の『普通』がこの世で一番信用できないんだがな……」
頭痛みたいにこめかみを押さえるルカを置いて、俺は待ちに待った窓際の席に向かった。
長い黒髪の人間、沙耶香は、丁度配られた書類を鞄へしまったところだった。
「ねえねえ! えっと……柊沙耶香!」
名前を呼ぶと、彼女の動きが止まった。
ゆっくりと首を動かして、彼女の目がこっちに向けられる。
髪と同じ、どこまでも真っ黒な目だ。目と髪、両方が黒曜石みたいに輝いていて、美しい、とさえ思ってしまった。
「……何?」
ああ、その怪訝な表情でさえ彫刻みたいな美しさだ。しっかりと動くんだから、彫刻としても満点だ。
でも今は、見とれている場合じゃない。ちゃんと、さっき作った手順通りにやらないと。
「さっきはごめん」
まずは謝る。えっと、人間の謝り方は確か……
そう! これだ!
「……何、それ?」
「え? 人間ってこうやって謝るんじゃないの?」
今の俺は、両手と額を地面に付けて、謝罪の意を示していた。
「ごめんなさいをするときは、相手にも分かるようにしなくちゃいけないから、人間式の謝罪を試みたわけですが……」
「土下座で? それ本当に使っている人いないから。一周回ってふざけているみたい」
「えッ!? そうなの!?」
それは知らなかった。
早速新しい人間の常識を知れた。最高!
「それでさ、それでさ! 君、人間なんだよな?」
「……」
あれ? 返事がない。まだ怒っているのかな?
「もしかして、紋無しって言った方がいい?」
「どっちでもいい……」
「じゃあ人間で」
「何で嬉しそうなの?」
ものすごく怪訝そうな顔をされた。
間違えた。普通に話すんだったな。よし、普通に話そう! 相手が魔法使いだというつもりで!
「俺、マナト・アズマ。よろしく! 柊沙耶香、でいいんだよね! ……沙耶香が名前で合ってるよね?」
「だったら何?」
「いや、人間の名前だなって」
「魔法使いにも似た名前いるでしょ」
「まあ、いるよ」
「じゃあ何なの」
あ、あれ? 完全にそっぽ向かれちゃった。会話って難しいなあ。こんなはずじゃなかったのに。
昔会ったあの人とはもっと簡単に話せた気がするんだけど。……いや、あのとき俺は子供だったから、向こうが合わせてくれていただけかもしれない。
「えっと」
「まだ何かあるの?」
「あれ持ってる? スマートフォン」
「は?」
「スマートフォンだよ。えっと確か……スマホ」
「……持ってるけど」
おお、これが人間のスマホ! あっという間に彼女の手には小さな長方形の黒い物体が出現していた。何て速度で出てくるんだ!
そして、これが世に聞くスマートフォン! 今の人間の必需アイテム!
「ちょ、ちょっと!」
「あっ!」
思わず手が伸びていた。沙耶香の手が俺の顔を押しとどめていなかったら、画面に鼻先が触れるくらい近づいていたかもしれない。
「ごめんごめん。初めて見たからさ。ちょっと見せてもらっていい?」
「嫌」
即答! じゃあ……
「なら充電器を見せて!」
「もっと嫌なんだけど」
「何で!? 充電器ならそこまで貴重でもないんでしょ!」
「何で充電器ならいいと思ったの!?」
一歩下がって距離を取られた。
「いや、こっちだと通信できるか気になってて」
「できないけど」
「やっぱり!?」
思わず体が前に出て、開いた彼女との距離が元通り。
すると、沙耶香の眉が困ったように曲がって、大きなため息が出てきた。
「学院に来てから圏外だし最悪。持ってきた意味なかった」
「へえ、学校じゃ使えないのか……電波が結界を抜けられないのかな。それとも魔力場が干渉して――」
「知らない」
「ちょっと調べてもいい?」
「嫌」
「電源切るから」
「嫌」
「分解しないから」
「絶対嫌!」
おかしい。
何も悪いことを言ってないはずなのに、どんどん警戒されている。
「じゃあ人間の学校って――」
「ちょっと待って」
「何?」
「さっきから人間人間って何なの?」
沙耶香の声が低くなった。
「私、人間代表のつもりで来たわけじゃないんだけど」
あれ? なんか、途中から目線が俺から周囲に移動しているけど。おーい、俺はこっちだよー。
だけど、彼女は決して俺を見てくれない。
そこでようやく、俺は気付いた。俺のほかにも、何人もの生徒がこちら___正確には、沙耶香に注目している。
「あれが二人目?」
「本当に魔紋ないのかな」
「魔法使えるの?」
そんな声も聞こえてきた。
「私は見世物になるために来たんじゃない」
そこで初めて気づいた。
俺も、あいつらと大して変わらなかったのかもしれない。
沙耶香本人じゃなくて、「人間」という部分ばかり見ていたんだ。
「ご、ごめん……」
思わず頭を下げた。
土下座、という複雑な手順なんて考えなかった。いつも家でやっているのと同じ、頭を下げて謝意を示す。
どうやら沙耶香が少し驚いたみたいだ。彼女からしてもこのジェスチャーの意図は伝わるらしい。すぐに「……分かればいい」って言ってくれた。
よかった。なら、一個だけ。
「人間って本当に毎日電車乗るの?」
「もう話しかけないで!」
失敗した。
お読みいただきありがとうございます。
ちゃんと反省はしたマナト。
反省はしたはずです。
次回は、沙耶香から見た魔法学校のお話です。




