必要なものを一つ
「この五つを、今夜だけ使用人用の客室へ置きたい?」
本館の受付で、管理部の職員が確認する。
結局アリサの荷物は、学院の管理部からも荷物として扱われた。だけど、生徒でもないアリサの私物をどうするか判断するのは難しいところで、アリサは自分で保管場所をさがすことになったんだ。
「はい!」
アリサが元気よく答えた。
「明日には持ち帰るのです!」
そこで一度、笑顔が曇った。
帰りたいわけではないけど、レイナに帰れと言われたから帰る。そういうことだろう。
沙耶香は何か言いかけたみたいだけど、無言を選んだ。
「客室までは運搬術式を使う。必要な鞄を一つ選んでくれ」
「一つ、なのです?」
「部屋が狭い。残りは倉庫で預かる」
アリサが振り返った。
石造りの床には、五つの鞄が一列に並んでいる。
「全部必要なのです!」
「封筒一枚しか入っていない鞄はいらねえだろ」
ルカが五つ目を指さす。
「封筒を紛失しないために必要なのです!」
「もうレイナが持ってるだろ」
「では、これから何を入れればよろしいでしょうか」
「空にしておけばいいんじゃねえか?」
「空の鞄にも役割が必要なのでは?」
「鞄にまで仕事を与えるなよ」
ルカが早くも疲れている。
俺は五つ目の鞄を持ち上げた。
普通の革製みたいなのに、封筒一枚だけを入れて運ぶには重すぎる。底を叩くと、硬い音が返ってきた。
「これ、中に何か仕掛けがある?」
「マナト」
沙耶香に名前だけ呼ばれた。
「まだ開けてない」
「底を剥がそうとしてたでしょ」
「縫い目を見てただけ」
「そのドライバーをしまって」
おおっと、いつの間にか手にしていたらしい。仕方なくポケットへ戻した。
「これ、多分、収納拡張の術式が――」
「倉庫へ送るぞ」
あ、俺たちのこのやり取り迷惑でしたね。もう待っていられないとばかりに、管理部の職員が杖を上げた。
「待ってください!」
魔法が発動する前にアリサが五つの鞄を庇うように両腕を広げた。
「選びます! 必ず選びますので!」
「なら早くしてくれ」
「はい!」
アリサは意気込みとともに、鞄たちを見据えた。そしてレイナへ、その内容を紹介していく。
「こちらには、お嬢様のお体を拭くためのタオルが入っているのです」
「自分のタオルはある」
「では茶器を……」
「食堂にも寮にもある」
「ツワブキ家の物とは形が異なります!」
「茶が飲めれば同じだ」
「違います!」
アリサが初めてレイナの言葉を強く否定した。自分でも驚いたらしく、アリサは慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません!」
「何がだ?」
レイナは咎めなかった。
「何が違うというのだ?」
「は、はい……。こちらは、お嬢様がお生まれになった年に作られた茶器でございます。ツワブキ本家では、お祝いの日に必ず使用するのです」
「ほう……よく知っているな」
「付き人になるために覚えました!」
さっき、そんな大事なものが壊れる危機だったのかよ。
「茶を淹れる練習は?」
「二百十七回行いました!」
「成功した回数は」
「……十二回なのです」
「少ないな」
「ですので、こちらで練習を重ねるのです!」
レイナが何も言わないのは、現実逃避が混じっているに違いない。
そして、例の羊毛だ。
「こちらは羊毛です!」
「見れば分かる」
「冬の防寒、お布団の補修、衣服の詰め物、鍋を運ぶ際の手袋、音を立てたくない物の保護などに使用できます! 万能なのです!」
「意外と用途あるじゃん」
ミカが感心している。
「ですので必要なのです!」
「ねえ、今夜の着替えは?」
沙耶香の一言で、アリサは固まった。
「……あれ? 寝る服とか、明日の服とか、なかった気がするけど」
「え、エプロンは十二着ございます!」
「制服の下もエプロンだけで過ごすつもり?」
「……」
さっきまで赤みがかったアリサの顔が青くなった。
「忘れたのです!」
「何でエプロン十二着も持ってきて、着替えを忘れるのよ!」
「お嬢様のお世話に必要な物から詰めましたので!」
「アリサ自身に必要な物は?」
「わたしに?」
沙耶香に聞かれて、アリサは首を傾げる。
「だって、あなたもここで寝るつもりで来たんでしょ? 自分が使う物も必要じゃない」
「ですが、わたしは付き人なのです」
「付き人って着替えないの?」
「……着替えるのです」
「寝ないの?」
「必要に応じて眠るのです!」
「必要だから毎日寝るの」
「そうなのです?」
「そこから?」
沙耶香が頭を抱えた。
「五つとも倉庫へ送るぞ」
完全に痺れを切らしている。管理部の職員がもう有無を言わせずに魔法を発動させて、鞄が浮かび上がっている。
「最低限の寝具と着替えは、学院の備品を貸し出す。選べないなら、今夜は何も持ち込むな」
「お、お待ちください! 選びます!」
「どれにする」
「……」
一つ目のタオルを見る。
二つ目のエプロン。
三つ目の茶器。
四つ目の羊毛。
最後に、空になった鞄。
視線だけが、何度も行き来している。
「全部必要と言われて、持ってきたの?」
アリサは頷いた。
「じゃあ、アリサが持っていきたいのは?」
「同じなのです」
「うーん……じゃあ、一番なくしたくない物にしたら?」
「なくしたくない物……」
「今夜だけなんだから、正しい答えを選ばなくても死なないでしょ」
「ですが、間違えればお役に立てないのです」
「全部持っていこうとして部屋に入らなくても、役に立たないと思うけど」
沙耶香の言い方は優しくない。それでも、アリサは怒らなかった。
五つの鞄を一つずつ見直したアリサは、やがて羊毛の詰まった四つ目を選んだ。
彼女の両手に、羊毛の鞄が着地する。
「これにします」
「防寒用?」
「いいえ」
アリサは羊毛へ鼻先を近づけ、そっと息を吸った。
「実家の匂いがしますので」
さっきまでの勢いが、語気だけしぼんでいった。
「初めてのお仕事で失敗しそうになったときは、羊たちのことを思い出しなさいと、母が持たせてくれました」
「じゃあ、それでいいじゃん」
ミカが言う。
「役に立たないかもしれません」
「アリサちゃんが安心するなら、役に立ってるじゃん」
「わたしが安心することも、役に立つのでしょうか」
「少なくとも、廊下でまた寝られるよりはな」
レイナが答えた。
「お嬢様……」
「一つ選べと言われて選んだのだろう。それなら早く運べ」
「はい!」
アリサは羊毛の鞄へ抱きついた。結局重くて持ち上がらないみたいだけど。
「これ、俺たちが魔法で運べばいい?」
俺が杖を出す。えっと、軽くする魔法は……
「お前がやると天井にぶつけそうだな。俺が固定する。お前は浮かせろ」
とルカ。
「大丈夫だよ。多分」
「だから俺が固定するって言ってるんだよ!」
俺とルカで鞄へ運搬魔法をかけることにした。全身に魔紋が浮かび上がり、鞄が一気に軽くなる。
「じゃあ、客室まで行こう」
「サヤカ様も来てくださるのですか?」
「鞄を選ぶだけでこれだけかかったから。部屋に入れるところまで見ないと不安で寝れないの」
「わたしは大丈夫です!」
「今それを信用できる要素あった?」
「なあ、沙耶香。その言い方、俺の多分と同じ扱い?」
「マナトより少し上」
「少しなんだ……」
◇
使用人用の客室は、女子寮の一階にあった。
貴族や大商家の生徒が付き人を連れてくること自体は珍しくない。部屋は狭いが、寝台と机、衣装棚が一つずつ備えられている。
男子である俺とルカは入口までしか入れなかった。
ミカは羊毛を抱きしめたまま、部屋の中を歩き回っている。
「柔らかいじゃん。これ、少しもらっていい?」
「用途をお聞かせください!」
「枕にする」
「では、頭部の大きさを測らせてほしいのです!」
「そこまで本格的じゃなくていいじゃん!」
「今夜はこれを使え」
レイナは、学院から借りてきた寝間着を寝台へ置いた。
「はい!」
「食事は食堂で取れ。自分の分も食べろ」
「はい!」
「私の部屋へ来る必要はない」
「はい……」
それまでの威勢のいい返事が、ここだけ萎んだ。
レイナも一瞬黙ったけど、言葉を変えなかった。
「明日の朝、荷物をまとめろ。本家に迎えを寄越させる」
「承知しました」
アリサが深く頭を下げる。
「それから、自分で選んだ物を、また忘れるな」
「はい!」
今度は迷いがない。
レイナは部屋を出ていって、ミカも夕食前に自分の部屋へ戻り、俺とルカは寮の談話室でラジオを調べることにした。
最後に残った沙耶香が、入口で振り返る。
「ハンカチ、今すぐ洗わなくてもいいからね」
「ですが、お借りした物ですので!」
「寝てからでいいでしょ」
「洗ってから眠るのです!」
「寝るのが先。明日、眠ったまま絨毯に載せられたいの?」
アリサが黙った。
「だったら寝なよ」
「……はい」
沙耶香が扉を閉める。
閉じまりかけた扉の向こうで、アリサが羊毛の匂いに飛び込む姿が見えた。




