魔紋
舞維さんの周囲に、色とりどりの魔法陣が広がった。
火とか水とか、俺たちが知っているものだけじゃなくて、見たことのない術式まで混じっている。
一人では絶対に勝てない。
二人でも実際に無理だった。
でも、今は五人もいる。
「それで、最初、どうする?」
「今から考える!」
「こんな時くらい考えておきなさいよ!」
「相談は終わった?」
あ、舞維さんがせせら笑っている。彼女は両手を広げて、狐面の下に怪しい目を光らせた。
「なら、こっちから行くよ」
最初に光ったのは雷。雷の魔法陣が、光と音を強く放った。
「散れ!」
そう指示したのはレイナの声。
俺たち全員が左右へ飛んで、雷が俺たちの間を駆け抜けていく。
続くのは風。それを避けた先には水。そのさらに先には炎。
「やっぱり!」
「何がだ!」
転がりながらルカが叫ぶ。
「舞維さん、俺たちが避ける場所まで先に狙ってる!」
「見れば分かる!」
「じゃあ何とかして!」
「無茶言うな!」
俺たちが言い合っている間にも、舞維さんは次の魔法陣へ魔力を流す。さっき見た通り、一つの魔力を複数の魔法陣へ高速で振り分けている。
人間の町では、一か所から来た電気を、照明や機械や色々な場所へ分けていた。舞維さんがやっているのも、人間の電気と同じだ。
だったら。
「一か所にいっぱい流してる時は、他が弱くなる! レイナ! 一番強いの撃って!」
銀色のお嬢様は、俺に何かを訴えるような目をしたけど、すぐに全身に白い雷を走らせる。
「《紫電》!」
室内に雷鳴が轟いて、正面から巨大な雷撃が放たれる。
「真正面から来るんだ?」
舞維さんの前に三枚の魔法陣が重なる。
魔法陣はそのまま障壁となり、巨大な雷と衝突、室内が白く染まっていく。
「ぐっ……」
やっぱり、舞維さんは完全に防いでいる。
でもさっきとは違い、レイナはずっと雷魔法を放ち続けている。そうなれば、ずっと魔法を防御に回す他ない。
「ミカ!」
「はいはい! 《暴風》!」
今度は横から風魔法。当然、雷だって消えていない。
舞維さんはレイナに片腕を向けたまま、そっちにも魔法陣を展開して風を防ぐ。その黒髪が大きくなびいて、一歩足がずれた。
「まだだッ!」
レイナがさらに魔力を注ぎ込む。すると、雷魔法がより太くなり、雷が大きな叫び声を上げて、空気が震えた。
「す、すごっ……!」
「感心している場合か!」
そうだ。こうなっている間は、舞維さんも他へ目を向けることができない。あれだけ多く広がっていた魔法陣たちも、時間を経るごとに減っていく。
「マナト!」
「何だ!」
「舞維さんの靴! 右足の補助、今止まってる! 電力か魔力か知らんけど、防御に回してる間は出力落ちてるぞ!」
ルカ、よく気付いた! 腰の機械だけじゃなくて、靴も舞維さんの魔法と連動しているんだ。
人間の機械だって、何でも無限に動くわけじゃない。
電池や電源、モーター。とにかく何かしらの動力源を使っているし、それを連結させていれば、一つのところへ大量に使えば、他へ回せる分は減る。
つまるところ、魔法も魔道具も舞維さんの機械も。全部違うようで、ちゃんと繋がっているんだ。
「ミカ! もう一回!」
「《暴風》!」
さらに、風が暴れまわり、舞維さんの身体が左へ引っ張られている
だけど、さっきからミカの風魔法に対しては余裕だ。
「同じ攻撃?」
「同じでいい!」
人間の道具だってそうだ。釘を一本打つのに、毎回違う道具なんて使わない。
効くなら、同じことを繰り返せばいいんだ。
「《水球》!」
これも、さっきと同じだ。
舞維さんの足元に水が弾けて水たまりが広がっていく。
「またそれ?」
「一回効いたから!」
「そういうところだけ妙に合理的だね!」
「沙耶香!」
「分かってる!」
舞維さんの挑発は聞かない。
沙耶香の火魔法、火矢が放たれる。
「それは効かないよ」
火が舞維さんに接触するほんの一瞬、彼女は魔法陣を手放した。目にもとまらぬ早業で黒い短剣が、炎を真っ二つにして、もう一度障壁を張りなおす。
「もう一発!」
「《火矢》!」
「何回やっても――」
二発目も両断して、散っていく。
「《紫電》!」
そこへ、レイナの雷が再び閃いた。
舞維さんは短剣を雷へ向けて防御するけど、まだ沙耶香だって火魔法が使える。
炎、雷、風。三つの魔法を、全部一人で処理している。
「ルカ! 何か投げて!」
「雑すぎるだろ! ……ほらよ!」
くるくると回転しながら、何かが舞維さんへ飛ぶ。
「……ドライバー?」
舞維さんが、わずかに顔を向けて、そのまま避ける。
でも、完全に舞維さんの視線が一瞬だけそっちに向いた。
それでいい。
人間の道具は、別に直接相手を殴るものだけじゃない。スイッチを押したり、歯車を回したり、レバーを倒したり、一つ別の場所を動かせば、結果が変わる。
だったら魔法だって。
「沙耶香! 次、舞維さんじゃなくて……!」
「……分かった!」
ありがとう。俺の指さしで、素直に意図を察してくれた。
「マナト君」
舞維さんの視線が戻った。
「君、本当に色々考えるようになったね」
「舞維さんのおかげ!」
「それ、今はあんまり嬉しくないな!」
最後の言葉とともに、舞維さんの魔力が跳ね上がる。
すると、魔法陣がそれぞれの属性の力を爆発させて、水風雷を消し飛ばした。
「うわっ!」
「ぐっ!」
一時的に魔法を止めて、たじろくミカとレイナ。
その隙に、短剣がすさまじいスピードで迫ってきた。短剣に対して、俺は杖で応戦する。
彼女の剣が、俺の杖とぶつかった。
「重い!」
「そりゃあ杖で受け止めるならね……!」
「《火矢》!」
沙耶香の魔法が火を噴いた。すぐに舞維さんは、防御のためにそちらに動く。
だけど、今だけは完全に俺には無防備だ。
「《水流》!」
今度は、少し強めの水魔法だ。水球よりも遥かに大量の水が、舞維さんの体を押し流していく。
だけど、それも長くはない。すぐに黒曜の軌跡とともに、魔力を込めた水が霧散していった。
「《暴風》!」
「《紫電》!」
すかさず、二方向からの魔法が舞維さんを挟み撃ちにする。
すぐに舞維さんの周囲に新しい障壁が現れて、風と雷を同時に受け止めた。
この人……本当に強い。
でも、その際彼女は右足で踏ん張った。すでに濡れているタイルの、さらに滑りやすくなっているドライバーの上で。
「!」
また、滑った。僅か。本当に僅かだけど、姿勢が崩れた。
今しかない。
全速力で舞維さんに接近した俺は、全力で杖を振った。もう、魔法なんて使っている暇はない。
俺の杖が、舞維さんの手から黒い光を放つ短剣を弾き飛ばした。
「しまっ……!」
「お姉ちゃん!」
もう、沙耶香が舞維さんの目の前に迫っていた。
舞維さんが短剣を戻そうとするけど、もう遅い。
俺たちが少しずつ、舞維さんの選択肢を潰している。両腕はミカとレイナが。足場はルカが。そして得物である剣は、俺が。
もう、彼女に沙耶香の攻撃を避ける手段はない。
「九年も……」
固めた沙耶香の拳が、力を込めて___
「どこ行ってたのおおおおおおおおおおッ!」
白い狐面に真正面から入った。
ゴッと、鈍い音が響いて舞維さんの顔が大きく横へ弾かれて、白い狐面に大きな亀裂が走った。そのまま舞維さんの体は、石畳の床に突き落とされた。
俺たち全員の動きが止まった。
「……お姉ちゃん」
沙耶香の声に応じて、舞維さんが起き上がった。
長い真っ黒な髪の下にあった顔は、写真の中の少女でも俺が昔会った学生でもない。
「!」
俺は思わず、息を呑んだ。
「魔紋……?」
彼女の顔___その右半分に、黒い魔紋みたいなものが浮かび上がって……いや、刻み込まれていたんだ。
黒く、表皮に張り付いている紋様。まさに、魔紋としか思えない。人間にはないはずなのに___しかもそれは、魔法を発動した瞬間だけ浮かぶものではなく、黒い印そのものが皮膚へ刻み込まれているように見えた。
同じく右目の色もおかしい。壁で出来ている影で、少し暗いのに、彼女のその目は赤く輝いていた。ただの赤い目じゃない。奇妙な魔力が内包されている瞳が、俺たちを捉えて離さない。
だけど、どれだけ変わっていても間違いない。俺の記憶にあるあの人と。そして何より、沙耶香ととても似ている。
「お姉ちゃん」
沙耶香が、小さな声で呼んだ。
すると、舞維さんはほほ笑みながら頬に触れた。
「結構痛いね。本気で殴ったでしょ?」
狐面がなくなったから、今度こそ優しそうな笑顔が見える。
でも、それはほんの一瞬。短剣を拾い直した彼女の表情は、冷たく暗くなっていた。
「それじゃあ、今度は本気で行こうかな」
黒と赤の目から、優しさが完全に消えた。光が失せて、その目は明らかに沙耶香の姉としての目じゃない。
「嘘だろ……まだやれるのか?」
「五人でやっと一発入れたのに!」
「ならもう一発入れるだけだ!」
レイナが鼓舞するけど、俺たちはもうボロボロだ。
そうしている間にも、また新しい魔法陣が次々に展開していく。
「さあ、行くよ。今度は___」
「止めましょう」
突然、別の声が聞こえてきた。
もう、嫌と言うほど耳に残っている声。見れば、廊下の窓に飛び乗っている大きな影がいた。
「舞維さん。名残惜しいですが、本日の演目はここまでです」
「……どうしたの?」
「いえ。何やら魔法が復活したようじゃないですか。こちらにも先生方が随分と大勢やってきましてねえ。もうマナーも何もないどんちゃん騒ぎでしたよ……この状況で妹さんを確保するのは難しいかと。きっと、この場にもすぐに雪崩れ込んできますよ?」
舞維さんは白い面を細目で睨んでから、俺たちを……沙耶香を見つめた。
やがて黒曜の剣が、腰の鞘にしまわれる。
「……分かった」
「賢明な判断、感謝しますよ」
白塗りの大男は満足そうに頷いて、廊下に降りてきた。
「それでは、柊沙耶香さん。それとご学友の方々。またお会いすることになるでしょう」
「待て!」
おいレイナ、何で退却しようとする相手に声をかけるんだよ!
だけど、彼女は堂々と続けた。
「彼女に何の用だ!? なぜ、わざわざ妹を攫おうとするんだ!」
「この場でお答えすることは止めておきましょうか」
カブキは肩をすくめた。
「ですが、折角我々を退けたのですから、少しぐらいは労いましょうか。そうですね……人間が欲しい、とだけ言っておきましょうか」
「人間? それだったら……」
沙耶香の目が、舞維さんに向かう。
だけど、今の彼女は人間のままなのだろうか。顔にずっと残る魔紋があって、目の色だって赤く変色しているなんて。
「それでは舞維さん。行きましょうか」
「そうね」
舞維さんは短く答えて、右手を壁に向けた。
一瞬だけ出現する魔法陣。すると、まるで爆発したかのように、魔法陣はその先にある壁を吹き飛ばしていた。
なんだ、あの魔力。舞維さんは、どこまで強大なんだろうか。
「沙耶香」
開けた穴に一歩踏み出しながら、舞維さんは振り返った。
さっきまで狐面に隠れていた顔は、沙耶香によく似ている。
なのに、その右半分には黒い複雑な紋様が張り付いていて、赤く染まった瞳がこちらを映している。
「また、迎えに来るからね」
「……」
沙耶香は何も答えなかった。
ただ、拳を強く握り締めて___
「嫌。次も行かない」
その返答に、舞維さんの表情が僅かに変わる。
「それに、次は、迎えに来させない」
沙耶香は、真っ直ぐ姉を睨み返した。
「私がお姉ちゃんを止める。今度は、逃がさないから」
しばらく二人は何も言わない。
先に笑ったのは、舞維さんだった。
「そっか」
嬉しいのか、寂しいのか。今の俺には分からない。
二人は、そのやり取りを最後に、ずっと見つめ合っていた。
「舞維さん!」
気付いたときには、俺も声をかけていた。このままだと、舞維さんと次に会えるかも分からないから、言わないといけないことがある。
「あの機械! 今度会った時、ちゃんと見せて!」
「またそれ? 敵の装備なんだけどなあ」
「だって気になる!」
「マナト!」
「それに!」
沙耶香に怒鳴られる前に続けた。
「次は俺も、もっと面白いもの持ってくるから!」
「面白いもの?」
「人間の機械と魔法、両方使ったやつ!」
まだ何を作るかなんて全然決まっていないし、そもそも作れるかどうかも分からない。
だけど、今日舞維さんの戦い方を見て、初めて思った。
人間の機械と魔法、どっちも使えば、今までにないものを作れるかもしれない。
「舞維さんのより、面白いやつ作る! 約束!」
「敵と約束するの?」
舞維さんが笑った。今の彼女がどんなところにいようとも、その笑い方だけは、九年前と何も変わっていない。
「そっか。うん、じゃあ、楽しみにしてるよ。マナト君」
「はいはい。思い出話はそこまでにしましょうか」
白塗りの男が舞維さんの肩を軽く叩く。
「そろそろ本当に先生方がいらっしゃいますよ?」
「分かってる」
舞維さんが穴の向こうへ踏み出す。
「お姉ちゃん!」
最後に沙耶香が叫んだ。舞維さんは、もう振り返らない。
「絶対、連れ戻すから!」
ほんの一瞬、舞維さんの足が止まった。
「……やってみて」
その一言だけを残して、二人の侵入者は、崩れた壁の向こうへ消えていった。
追いかける者はいなかった。追いかけられる状態じゃなかった。
俺たち五人は全員、立っているだけで精いっぱいだ。
やがて俺は、舞維さんがいた場所へ近づいていく。
彼女がいた場所には、まだ割れた狐面が残っていた。
「これ……」
「触るな」
手に取ろうとしたところで、ルカに即座に止められた。
「何で?」
「証拠品だろ! 何でも拾おうとするな!」
「気になるじゃん」
「我慢しろ!」
仕方なく手を引っ込める。
でも、俺が本当に気になっているのは、もう狐面じゃなかった。
「沙耶香。舞維さんの顔」
「うん」
沙耶香にも分かっている。あれは、見間違いじゃない。
「あれ……魔紋、なのかな」
「……分からない」
「でも、魔紋にしか見えなかった」
それだけじゃない。あの赤い瞳に、尋常じゃない量の魔力。
そして、あの白塗りの男が残した言葉。
『人間が欲しい』
どういう意味だろう。全部、まだ何一つ繋がらない。
「次に会った時」
沙耶香が、姉の消えた穴を睨んだまま言った。
「お姉ちゃんに全部聞く。……それで」
彼女は、拳を見下ろした。さっき舞維さんを殴った手を。その手は、まだ赤く滲んでいた。
「今度こそ、連れて帰る」
俺も穴の向こうを見る。
九年前、ずっと探していた人は、生きていた。でも、見つければ終わりじゃなかった。
むしろここからだった。
舞維さんが九年間で何をしたのか。あの魔紋は何なのか。どうして沙耶香を狙うのか。
そして、あの人が使っていた、人間の機械と魔法。
魔法、か。今までは当たり前すぎて何とも思わなかったものが、今は少しだけ違って見えた。
「魔法も、結構面白いな」
「今さら遅い」
「これからだから」
遠くから、教師たちの足音が聞こえてくる。
まだ分からないことばかりだ。
それでも、九年前に途切れたものが、今日もう一度、動き始めた。




