九年分の差
三つの魔法陣が、一斉に光った。
「――っ!」
俺は反射的に横へ飛んだ直後、立っていた床を細い雷が走り抜ける。
「危なっ!」
「へえ、よく避けたね」
「当たったらどうするんだよ!」
「もちろん、当てるつもりで撃ってるよ」
九年前と同じ笑い方で、舞維さんが笑っている。やっていることは全然笑えないけど。
「《火矢》!」
杖を向けると、赤い術式と魔紋が魔法陣を組んで、炎が撃たれる。うん、これは問題ない。
「遅い」
もう、視界に舞維さんがいない。
「こっちだよ」
すぐ真横から、狐面が現れた。
「うわっ!」
だけど、やられたのは単に肩を押されただけ。
それだけで俺の体勢が崩れて、床へ片手をついた。
「何今の!?」
「普通に動いただけだよ。半分くらいはね」
「半分?」
俺の疑問に対して、舞維さんは片足を持ち上げた。
そして、俺の目ははっきりと見開かれる。
踵から足首にかけて、小さな金属部品が取り付けられていたんだ。そしてその横には、細い魔法陣が刻まれている。
「人間の機械に、魔道具みたいに魔法陣を組み込んでいる……!」
「おお、すごいね。一目でわかるんだ。大正解だよ」
「どうやって繋いでるの!?」
「戦ってる最中だよ?」
「でも気になる!」
「マナト!」
途端に、沙耶香の叫び声で、俺は我に返った。
「どいて!」
飛びのいた瞬間、沙耶香も同じ火矢を放つ。
灯火の派生なだけあって、沙耶香が戦いで使えそうな魔法はこれしかない。
そんな沙耶香の渾身の炎を、舞維さんは正面から両断した。
「嘘……火って、簡単に切れるの?」
「まさか」
唖然とする沙耶香へ、舞維さんは握っていた得物を見せつける。さっきまで腰に付けていた短剣。それは、陽の光を受けて怪しく黒く輝いていた。
「魔石って色々あるんだけどね。魔力を無力化する魔石を原料にこの短剣を作ったんだよ。そうすれば、魔法なんて両断できるし、応用も結構効く」
「す、すごい! それも見せて!」
「……君は本当に変わらないね」
舞維さんがまた笑っている。
だけど、その動きには全く笑みは入っていない。
また俺たちに向かってくる刃が、鋭く迫って来る。
それを避けようとするけど、舞維さんは俺にぴったりとついてくる。避けようとしても全く通じなくて、全身に打撲が重なっていく。
「ぐああっ!」
手足を粗方殴りつけられて叩き落とされて、その上で蹴り飛ばされる。気絶しなかったのはラッキーだ。
「動きが、全部読まれてる……?」
「君が分かりやすすぎるからね。顔にも体にも出ているし」
なんか、最近そればっかり言われるなあ。
すぐに立ち上がった俺は、また舞維さんへ挑みかかる。
「だったら……!」
右へよけようと見せて、当然舞維さんも影みたいにぴったりとついてくる。
その瞬間、左へフェイントを仕掛け___
狐面が、もう俺の目と鼻の先だ。
「だから速すぎるって!」
そう言っている間に、舞維さんの手が軽く俺の胸に触れた。
「《衝》」
「うわっ!」
衝撃とともに後ろへ飛ばされて、俺の体が床を転がった。
「痛っ……! 今のが、衝!? 剛の間違いじゃないの!?」
「結構いったね。大丈夫?」
「攻撃した人が聞く?」
「手加減したよ、していなかったら、今頃壁にべっちゃり」
「怖っ」
「《火矢》!」
そう言っている間に、沙耶香が二発目を放った。
「ダメだよ沙耶香。魔力を集めてから術式を作っているのは遅いから、ねっ!」
直前の火と同じように、それはズタズタに切り裂かれて、空気に溶けていった。
「……だってそう習ったから」
沙耶香も平静を取り繕いながら言い切るしかない。
「うん。教本通りならそれで正しいよ」
舞維さんは、あっさり肯定した。
「けどそれは一番安全なやり方ってだけ。戦うなら遅い」
「じゃあ、どうすればいいってのよ」
「……こうする」
言った瞬間、舞維さんの周囲に、二つの魔法陣が現れた。
「え?」
魔法陣の生成スピードがあまりにも早い。いや、これは……。
「前もって作って、機械のスイッチで起こしている?」
「ご名答。術式自体は魔力を流す前に組めるからね。必要になった時に魔力を通せばいい。魔法使いと違って、人間の技術は再現性を求めるから、組み合わせれば術式をストックすることだってできる」
舞維さんが指を鳴らした。
すると、それぞれの魔法陣から魔力が襲い掛かってきた。
片方は炎。もう片方からは水。真逆の攻撃が同時に飛んでくる。
「うわっ!」
「マナト!」
俺と沙耶香が左右へ散った。
炎が壁へぶつかり、水が床を濡らす。
「すごいっ! 今の見た!?」
「見たけど今感心しないで!」
俺は杖を握り直した。先に魔法陣を作って、後から機械で出現させる。
そんな発想は、俺にはなかった。
よし。
「マナト君?」
「今から、俺も真似してみる!」
「君、そういうところ本当に変わらないなあ」
術式はすぐにできる。次はこれをこのまま、一度体内に保存して、魔力でもう一度呼び起こして。
「《火矢》!」
火は出たけど、それは俺たちの頭上を通り過ぎて、天井へ直撃した。
「出た!」
「喜んでる場合じゃない!」
「でも早かった! ちょっとだけだけど!」
「すごいなあ。一回見ただけでそこまでできるんだ」
舞維さんの声には、少しだけ感心があるみたいだ。
「よし、もう一回!」
「やめたほうがいいよ」
「何で!?」
「今の君、術式の最後が崩れてたから。次やったら自分に飛んでくるかもしれないよ」
「え? 無意識で組み立てるのって難しいな。どこが崩れてた?」
「教えると思う?」
「さっき教えてくれたじゃん!」
「あれは一般論」
「ケチ!」
「だって私、敵だからね!」
「……お姉ちゃん」
沙耶香が静かに尋ねた。
「何?」
「それ、私もできる?」
「できるよ。むしろ魔紋がない私たちの場合、そっちの方が合ってるかもしれないね。教本って、魔紋が勝手に調整してくれることを前提にしてるから」
沙耶香の顔が変わった。
それ、俺たちが少し前に気づいたことだ。
「まあ、保守的なこの世界は認めないだろうけどね」
舞維さんは短剣を身構えて、また襲い掛かる。
剣技を避けるのに精いっぱい。それなのに、時折彼女は腰の機械に触れることで魔法を一切の揺らぎなく発動している。
あの人間の機械が、術式を保存している。そして俺たち魔法使いの世界に、あそこまで精巧な道具は多分ない。
「その機械、見たいな……」
「だめだよ、君すぐに壊しそうだし」
「直すから!」
「いやいや、信用できないって」
今のやり取りの最中でも、彼女の殺気が消えることはなかった。
多分、正面からじゃとても勝てない。それでも、少しずつ見えてきた。
舞維さんの言う通り、あらかじめの魔法陣を後から生成する方法は、魔法や魔道具だけじゃないし、人間の機械だけでもない。
全部、繋がっているんだ。
「舞維さん。それ、全部自分で作ったの?」
「今聞く? まあ、一部はね。仲間にも色々手伝ってもらった」
「じゃあ、妨害装置も?」
舞維さんの動きがほんの少し止まった。
「関わってるんでしょ? 作り方とか……抜け道のやり方とかも」
「多分、君の予想通りだよ」
やっぱり、そうなのか。
でも少なくとも舞維さんは、人間の機械を、魔法を止めるためだけに使っているんじゃない。
自分の魔法を、もっと速くもっと自由に使うためにも組み合わせている。
それが悔しいくらい格好いい。
俺がいつかやってみたいと思っていたことを、この人はもうずっと先でやっている。
「マナト」
沙耶香が小声で呼ぶ。
「勝てそう?」
「無理。でも、逃げるだけなら何とかなるかも」
「どうやって?」
「それは……」
周囲をよく見ろ。
廊下の出口、避難区画だった密室。
そして___
「いや、逃げなくても行けるかも……!」
俺の目は、壁に刻まれている魔法陣を見つめていた。そこに刻まれている魔法陣は、なにやら不規則に明滅している。
「ルカだ。あいつ、もう中継器弄ってる」
一定だった妨害が、明らかに乱れ始めている。
「だったら、あいつが止めるまで――」
「時間を稼げばいい?」
「そう! そしたら、多分魔法も元通りだ!」
「作戦、本人の前で言っちゃうんだ」
あ、舞維さん、もしかして聞いていた?
「今のなし!」
「無理だよ!」
舞維さんが笑った次の瞬間、踵がまた光った。
さっきまでとは違う。
俺たちも、あの靴を見ている。機械が動いて、それによって魔法陣が起動する。
「右!」
「分かってる!」
俺と沙耶香が同時に左へ飛んだ。
直後。俺たちの間を舞維さんが通り抜ける。
「おお、よく避けたね」
初めて、舞維さんが俺たちの間で足を止めた。
「仕組みが分かれば!」
「一回だけならね」
「え?」
舞維さんの足が、今度は光らない。なのに。
「うわっ!」
速い。
短剣が俺の杖に当たって、俺の体ごと壁まで吹き飛ばす。
「っつ……! な、何で!?」
「機械がないと動けないとは言ってないよ」
当然だ。舞維さんは人間なんだから。
人間の機械を使わなければ何もできないわけじゃない。
沙耶香が横から放った炎も、短剣で真っ二つ。
多分、あの剣をどうにかしないと魔法使いにとっては勝負にもならない。
「沙耶香! もう一回!」
「また!?」
「同じのでいいから!」
「もう、どうにでもなれ!《火矢》!」
炎が放たれるけど、当然舞維さんは短剣で切り返す。
そこが、俺の狙い。
「《水球》!」
この水魔法で狙ったのは、舞維さんじゃない。
「沙耶香、もう一発!」
「《火矢》!」
もう、その意図を問いただすことはしない。二回目の火も、やっぱり切り裂かれた。
「……っ!」
僅か。本当に僅かに、彼女の足元が滑った。
今、完全に無防備になった。あの機械に触れられるのは、今だけだ。
俺は飛び出して、腰の機械に手を伸ばして。
「それは駄目」
舞維さんが身体を捻った。
俺の手が、彼女の腰元をかすめる。
その隙に、俺の背後から沙耶香の火が放たれる。
「っ!」
捻っていた舞維さんは、片腕で床を抑えて、もう一度飛びのいた。
直撃はしないで、腰の端を火が掠めた。
パチッ! と小さな火花が飛び散り、舞維さんの表情が___仮面だから半分しか分からないけど___大きく歪んだ。
「当たった!」
「壊してないよね!?」
「なんでそっちの心配するの!?」
「だって、あれ詳しく見たいし!」
俺と沙耶香が言い合っている間に、舞維さんが腰の機械に触れている。
「なるほど。私を狙ってたんじゃないんだ」
「うん。今、ここは、そっちが優位になるように魔法が使えなくなっている。だけど、その機械を介すれば使えるみたいだから……」
「それで機械を壊せば、私の動きが鈍ると思った?」
「違うの?」
「正解」
「やった!」
「それで終わりならね」
舞維さんはそう言って、機械から手を離した。
そして、両手を前に突き出す。
何も押してないし、杖も使っていないのに。
「……え?」
魔力が集まって、火、水、風。三つの魔法陣が同時に浮かんでいく。
「自分で……?」
「そりゃそうだよ」
「でも、魔紋ないのに……!」
俺たちのクラスでも、杖の補助なしで魔法を使えるのは、雷魔法の名家であるレイナだけだ。そもそも、魔法使いが杖なしで魔法をするなんて相当の練度がないといけない。
魔紋がある魔法使いでさえそれだ。
「だから何? 魔紋がないだけで、魔力がないわけじゃない」
「でも、そこまでなんて……」
「最初は大変だったよ。魔力の量も、流す速度も、術式への配分も、全部自分で考えなきゃいけないから」
なら、あれはその成果だということか。
三つの魔法陣が、同時に出現して、全て安定している。
「やっていれば、慣れるよ」
「お姉ちゃん……これ全部、自分で、魔道具なしで?」
沙耶香だけじゃない。俺にも、九年って言葉が重くのしかかってきた。
舞維さんは、学校を去ってからの九年間、一体何をしていたんだろうか。少なくとも、遊んでいたわけじゃない。
「機械を壊したら勝てると思った?」
「……ちょっとだけ」
「じゃあ、残念だったね。確かに機械は、私を強くしてくれるけど」
狐面の舞維さんは、はっきりと告げた。
「私の代わりに魔法を使ってくれるわけじゃない」
「避けて!」
魔法陣が、同時に吠えた。




