再現
学院へ戻った頃には、もう日が沈みかけていた。
「帰って来るとどっと疲れた……」
結界門を抜けるなり、沙耶香が肩を落としている。なんでそんなに疲れているんだよ。故郷の人間世界だろ?
「俺はやっぱり楽しかった! まだ見たいところいっぱいあったのになあ……」
「マナトが元気過ぎんのよ! 朝から歩きっぱなしだったのに、体力底なしなの?」
「次いつ行ける?」
「もう次の話してる……」
でも、また行きたい。
家電量販店だけでも全然足りない。もっと人間の機械を見たいし、今度はルカと部品を売っている店にも行ってみたい。
「私は、しばらくいい……」
後ろから弱々しい声がした。
レイナだ。腹を押さえているから、戻ってきてからまた痛み始めたのかな。
「次回のお目付け役は遠慮しよう……その次なら考えないこともないが……」
「葡萄のやつ、五杯も飲むからだろ」
「比較には必要だったんだ!」
「そんなに気に入ったんだったらさ、いっそドリンクバー御霊代に作れないかな?」
俺の何気ない発言に、レイナは固まった。
「そうか。電力さえ……仕組みさえあれば、この場所でもあれが作れるのか。いや、ドリンクバーだけではなく、冷蔵庫も……」
「やっぱり相当気に入ってるなアレ」
「う、うるさい!」
夕暮れの中、魔法使いが、人間の炭酸飲料について言い争っている。
なんだか面白いな。
そんなことを考えながら、学院へ続く道を歩こうとした時だった。
「マナト・アズマ。ルカ・ヤザワ。柊沙耶香」
聞き覚えのない低い声が聞こえてきた。
正門の脇に、黒いローブを着た男が立っている。胸元の管理保安部の紋章が、俺たちから笑顔を奪った。
「三名は、このまま管理棟へ」
「何かあったんですか?」
沙耶香の不安にも、この男は表情をピクリともさせずに応えた。
「クドウ管理官がお待ちだ」
俺たちは顔を見合わせた。
数日前、学院の魔法が全部止まって、中央魔力塔が爆破されて、俺たちはあのカブキ野郎と戦った。
そして、落とされたインカムから、舞維さんの声を聞いた。
あのインカムを保安部に渡して以来、何も言われていなかったけど。
「……分かりました」
沙耶香が頷いた。
彼女に続いて、俺とルカもそれぞれ頷く。
すると、様子を気にしてミカとレイナが駆け寄ってきた。
「さーや……大丈夫?」
「多分。ただ話聞かれるだけでしょ」
「その多分、信用できないじゃん」
「今それ言う?」
だけど、ミカは管理官の男を警戒している。しばらく向かい合って、やがて「終わったら寮来るじゃん」と言った。
「うん」
ミカはそれ以上聞かなかった。
一方、レイナは小声で管理官と何かを話している。やがて、納得していないような彼女もまた、俺たちに声をかけた。
「何かあったら連絡しろ。微力ながら協力はさせてもらう」
「……ありがとう」
「にしてもまたこの三人か……最近多いな」
ルカがぼやいた。
「俺、最初はお前の変な機械弄るだけのつもりだったんだけどな」
「でも、楽しいだろ?」
「事件がなければな!」
事件はわざとじゃない、向こうから来るんだから仕方ないだろ。
◇
管理保安部。
初めて来た時から、俺はここが苦手だ。壁も床も机も、何もかも綺麗すぎる。
シオン教授の研究室とは真逆だ。
そして、怖い。
「座れ」
そう命じるのは、あのクドウ管理官。
相変わらず、怒っていないのに怒っているように見える。
でも今日は、一人じゃなかった。
「先生? それに、シオン教授まで」
二人の教師が、壁際に立っていた。
「私もクドウ君に呼ばれてね」
シオン教授が眼鏡を押し上げる。
その表情は、いつもの研究室で見た時よりずっと固かった。
「もしかして……何か分かったんですか?」
「座れと言ったはずだ」
クドウ管理官の冷たい声がもう一度命令した。
俺たちは続けて座ると、机の上に透明な袋が置かれていることに気付いた。
中に入っているのは。
「このインカムって……」
確かめなくても分かる。あの混乱の中、元凶が落としたものだ。
摘まみ上げながら、クドウ管理官が説明した。
「どうやら、市販品を改造したもののようだ。人間社会で流通している通信機器を基礎にしている。学院の魔力通信網を経由していないため、先日の妨害下でも正常に動作したが……これ以前に、同型の機器を見たことはないのだな」
「ありません」
「……通信先は分かるんですか?」
ルカが身を乗り出した。
けど、岩のように揺れないこの人は「追跡できなかった」とあっさり斬り捨てた。
「複数の中継器を経由するよう改造されている。通信記録もほとんど残らない。現在、専門部署が解析中だ」
「……じゃあ、お姉ちゃんの声だったって証明できない?」
「現状では、お前たち三人の証言だ」
一瞬、沈黙が室内に降りてきた。
その中、沙耶香の声ははっきりと宣言した。
「私は間違えません」
「間違えていると言っているわけではない。証言と物証は別だ」
「似ているじゃなくて……」
俺も言いかけるけど、止めた。
俺が最後に舞維さんと会ったのは九年前。声だって変わっているだろうし、俺もあの声に対しては半信半疑だった。
「証言は重要だが、証明は違う」
彼はもう用なしとばかりに、インカムを下げた。
「今日呼んだ本題はこっちだ」
クドウ管理官が別の書類を机に置いたのは、古い紙だった。
端が少し黄ばんでいて、文字以外表紙には何も記載されていない。
そこには、『第百十二年度 魔力供給障害報告』と記してあった。
「百十二年度……今から九年前……」
沙耶香の顔が変わる。
九年前。舞維さんが、学院から消えた年。
「先日の事件を受けて、過去の魔力障害記録を洗い直した。その中から、一件。類似した事例が見つかった」
「類似?」
管理官の言葉の行方を、俺たちは固唾を飲んで見守る。
「術者の魔力そのものは失われていない。しかし、術式が正常に構築できない。魔道具も停止。対象区域内で複数の魔法使いが同時に魔法を使用不能となった」
「……それって、この前と……同じ?」
俺が聞いた。
「現象としては近い。が、規模が違う」
それに答えてくれたのは、シオン教授だ。
彼はゆっくりと机に近づいて、資料をめくって指を置いた。
「継続時間、十一分四十三秒。先日のものとは比べ物にならないほどの短時間だ」
でも、九年前にも同じことが起こっていたのか。
「九年前にも……学院で魔法が使えなくなったんですか?」
「そうだ。そして……」
シオン教授の言葉には、少し間があった。
やがて老人が重い口を開く。
「その中心にあったのが、舞維君の研究室だった」
「……え?」
沙耶香の声が小さくなる。
「お姉ちゃんの? じゃあ……」
言葉にするのを躊躇っている。
代わりに、俺が聞いた。
「舞維さんがやったんですか?」
「当時はその疑いをかけられた」
クドウ管理官は、変わらず動かない。だけど、その声ははっきりとしていた。
「疑い? 何で? 証拠はあったんですか?」
「装置があったんだ。停止範囲の中心地にあった舞維君の研究室から、外部干渉術式を利用した装置がね」
それって、俺たちが前にシオン教授から聞いた研究じゃないか。
その危険性から、シオン教授が研究を禁じていたもの。
「じゃあ……本当に?」
「まあ最後まで聞け」
セレナ先生が初めて口を開いた。
「舞維は否定したらしい」
「……! お姉ちゃんが?」
「ああ」
「何て?」
セレナ先生は少し、目を逸らした。やがて。
「『私じゃない』ってな。『こんなやり方、私はしない』って言っていた」
部屋が静かになる。
「先生は……信じたの?」
「……ああ。信じた」
今度は迷わなかった。
セレナ先生は頭を掻いて、「少なくとも、あの時の私はな」と付け加えた。
「じゃあ!」
「でも、信じるだけじゃ証拠にはならなかった。嫌な話だけどな」
「……」
「装置は舞維の研究室にあった。使われていた術式も舞維の研究に近かった。発生した時間、あいつがどこにいたのか証明できる奴もいなかった。私がいくら庇ったところで、新米教師の言葉だけじゃ何にもならなかった」
「……私と……同じ」
沙耶香。落ち込む彼女に、俺とルカはかける言葉が見つからなかった。
「この前……私も、疑われた」
人間の部品が使われていて、事件が起きた時沙耶香だけがその場にいなかった。
そして、学院でただ一人の人間。それだけの要素で、学院内では沙耶香を爆発魔だとみなす声が多かった。
「お姉ちゃんも、同じだったんだ」
「いや」
だけど、クドウ管理官が首を振った。
「柊舞維に疑いが向いた最大の理由は、彼女が人間だったからではない。彼女の研究、発見場所、アリバイ。疑うに足る状況証拠が存在した。ただし……」
一度、言葉が切れた。
「舞維が人間であったことが、その疑いを必要以上に広げたことも事実だ」
管理官のその言葉に、シオン教授が目を伏せた。
「そうだ。彼女は優秀だった……優秀すぎた、と言った方がいい。魔紋を持たない。魔法使いではない。なのに魔法を理解し、研究し、いくつもの分野で魔法使いを追い越した」
「それの何が悪いんですか?」
俺の質問に、教授は目元に手を当てた。
「悪くない。そう、何も悪くはない。だが、面白く思わない者はいた」
「何で? 上手いなら、教えてもらえばいいのに」
「マナト」
だけど、俺の発言を沙耶香が止めようとしてきた。
「いい、マナト。みんながマナトみたいに考えるわけじゃないのよ」
「ええ? 便利なのにな」
「お前は本当にそこ基準だな。よくも悪くも」
セレナ先生もなんか呆れている。
でも、シオン教授だけは、少し笑ってくれた。
「君は本当に、そういうところは、彼女とよく似ている……舞維君も同じことを言っていたな。『使えるなら使えばいいじゃないですか』と」
『片方しか知らないの、もったいないでしょ』
また、さっき思い出した舞維さんの言葉を思い出した。確かに、あんな言葉を言える人だったら、生まれとかに拘らないだろうな。
「何?」
クドウ管理官が、突然俺を睨んでいた。
「その言い草、君は柊舞維に会ったことがあるのか?」
あ、いけね。声に出ていたみたいだ。
俺は少し黙ったけど、頷いた。
「俺……九年前に舞維さんと人間の町に行ってたみたいです」
「みたい?」
「今日行ったお店の人が覚えてました。俺も、店に入ってから思い出して」
「待て。お前は当時六歳だったな?」
「多分」
「そこは多分では困る」
「六歳です」
「柊舞維が連れ出したのか?」
「分かりません」
「学院の正規外出記録を確認する必要があるな」
何か、また事件になりそう。
「何をしていた?」
と、セレナ先生も俺を見ている。
「人間のものを見せてもらってました。ラジオとか。電池とか。ボールペンとか」
「……ああ。君か。君だったのか」
シオン教授が、小さくため息をついた。
「舞維君が時々話していた子というのは……」
「本当に!?」
思わず机から身を乗り出す。
「何て……何て言ってたんですか!?」
「『変な子供と知り合った』と」
「……変な?」
「人間の道具を見るたびに、何に使う、どうやって動く、どうして魔法を使わない、と延々聞いてくる子供だと」
「ああ……間違いなくマナトね」
沙耶香がくすりと笑った。
「他には!?」
「今はそこじゃない」
「でも!」
「アズマ。後にしろ」
セレナ先生まで、俺を制してきた。
後で絶対にシオン教授に確認しようと決意したところで、沙耶香が「それで」と話を戻す。
「九年前の事件のあと、お姉ちゃんはどうなったんですか?」
「無論、学院の調査を受けた」
とクドウ管理官。
「そして事件から三日後……柊舞維は学院からいなくなった」
「事件の、三日後……?」
沙耶香は知らなかったはずだ。事件と失踪が、そんなに近かったことを。
「どうして? 逃げたんですか?」
「分からない」
と、シオン教授。
「寮には制服も、教科書も、私物もかなり残っていた。逃げる準備もしていたとは思えないな」
「だったら!」
「柊!」
セレナ先生が大声で止めた。
「彼女については、私たちにも分からないんだ。九年前も、今も」
「……」
沙耶香は、何も言わない。
やがて、小さな声で確認した。
「お姉ちゃんは、やってないって言ったんですよね」
「ああ。最後までな」
沙耶香と教授のやり取りを眺めながら、
俺は数時間前を思い出していた。
『なら、今度会えたら、全部見せればいいじゃん』
舞維さんは今、どこかで生きている。
そして、あの危険な白塗の大男と繋がっていた。
「じゃあ、今回の事件は?」
全員の視線が俺に集まってきた。
「九年前は、舞維さんが『やってない』。でも今回……」
俺の目が、インカムへ向かっていく。
「あの男が持ってたこれの向こうに、舞維さんがいた。それって……今回も、舞維さんがやったってことですか?」
「分からない。ただ……」
答えたのは、クドウ管理官だった。
「九年前の失敗を繰り返すな」
「……え?」
「状況が似ているからといって、結論まで同じにするな」
インカムに触れながら、管理官は言い放つ。
「柊舞維と思われる人物が、この通信機の相手だった。それは事実に近い。そして九年前の柊舞維の研究に近い装置が使用された。これも事実だ」
そこまで言って、管理官は「だが」と俺と沙耶香を見据える。
「誰が何をしたのか。それを繋ぐ証拠は、まだない」
「ただし」
今度はシオン教授が言った。
「一つだけ、はっきりとしている」
「何ですか?」
教授はゆっくりと、言葉を紡いだ。まるで、口にすることそのものを恐れているみたいに。
「九年前の魔法停止は、旧研究棟の一部だけだった。ほんの一瞬、それも非常に不安定だった」
一方、この前は学院全域の魔法が消えた。
「今回の現象は、九年前の再現ではない」
「じゃあ?」
とルカ。
「九年前より、ずっと先に進んでいる」
その結論に、誰も喋らなかった。
教授は俺たちの顔を見渡して、続ける。
「誰かが九年前から今日までの間に、この技術を完成に近づけた」
「……」
誰か。そんなの、頭に浮かぶ人は一人しかいない。
でもまだ、決めちゃいけない。
「お姉ちゃん……」
沙耶香のその声には、怒りも、信じる気持ちも、恐怖も……
全部が……彼女の中の全部が、その一言に入り混じっていた。
「九年間、どこで何してたのよ……!」
答える人は、この部屋には一人もいなかった。




