人間の町へ
「で、何でそんなに嬉しそうなの?」
何をそんなに疑問になってるんだよ沙耶香。そんなの、今日だからに決まってるだろ。
あの事件からもう数日が過ぎている。
学院は、表面上だけは、驚くほど早く日常が戻ってきた。
中央魔力塔が破壊されて、魔力供給も出来ないはずなのに、あのカブキがいなくなってしばらくしたら、途端に俺たちは魔法が使えるようになった。中央魔力塔はまだ修理中だけど、予備系統が復旧して授業だけは再開されている。
そんな中、俺たちには一つ、事件前から決まっていた予定が戻ってきた。
「人間の町に行けるんだ!」
今日は授業のない日曜日。その上、山のような宿題もなく、完全に自由だ。
ついに……ついに……。
外出許可が下りたんだ!
「本当に行くのね……あんなことがあったばかりなのに?」
沙耶香が少し呆れたように言う。
そう。まさに今日は、学院中の魔力が止まり、魔力塔が爆破された週末だ。
だけど、だからこそ。
「行く」
「それ、一体どういう理屈?」
「気分転換だよ」
「マナトが言うと説得力ない」
沙耶香、さっきからずっとそんな顔している。
でも、いいじゃないか。ちゃんと許可も正式に取れたんだから。
先生たちも、学院内に閉じ込めておくより、気分を変えた方がいいと判断したらしい。
もちろん条件はある。
単独行動禁止だったり、魔法使用禁止だったり、夕方までに帰ることだったり、危険区域には行かないことだったり、俺たちが気付けないところから管理保安部の人の監視が付いていたり、事件について勝手に調べないってことだったり。
「最後の条件とか絶対にマナト向けだよな」
と、俺の隣でルカが頭の後ろで手を組みながら言った。
「俺だけ?」
「ああ。今回の事件で人間界のものが多いからな。手がかりを探すんだーってなるんじゃね?」
「ひどいなあ。俺だってそこまで事件のことばっかり考えてたりしないよ……多分」
「うっわ。信用できねえじゃん!」
ミカにまでそれ言われてしまったよ。
今、俺たちは学院正門前に立っていた。
俺、沙耶香、ルカ、ミカといつもの四人。
そして。
「……なぜ私まで」
頭を抱えているレイナ。
「何だ何だ、お前も来たかったんだろ? 人間世界」
「違う」
「え? じゃあ、ここまで来て帰る?」
「それは……」
何やらもじもじしている。うん、これは間違いなく。
「行きたいんじゃん」
「資料として見るだけだ! ……人間文化の」
絶対ちょっと楽しみにしてるよ。心なしか、ちょっと顔が赤くなっているし。
「ねえさーや」
ミカが沙耶香の腕を組む。
「まずどこ行く?」
「どこって……普通に駅前でいいんじゃない? 色々あるし」
「駅前!?」
「色々!?」
「……二人同時にリアクションされるとどっちに反応すればいいか分からないんだけど」
おっと、どうやら俺はルカと同時に沙耶香へ顔を寄せていたらしい。
「おう、男子共落ち着くじゃん。……で、さーや。色々って何があるん?」
「何って例えばお店とか、あとは」
「お店!」
ミカも俺たちと一緒に沙耶香へ詰め寄っている。これでもう逃げられないな。
ふと、この前の不審者も三人で囲えば逃げられなかったのではとちょっと思ってしまった。
それより、お店ってことは、何よりも大事な情報があるじゃないか!
「それじゃあ、家電量販店ある?」
「まあ、大きい駅ならあると思うけど」
「羽根のない扇風機も!?」
「まだ諦めてなかったの!?」
「見たい見たい! 絶対見たい!」
「分かったから!」
沙耶香が俺たちを一度引き離して、頭を抱える。
一方、レイナが不思議そうに俺を見つめた。
「そんなに扇風機が重要なのか?」
「羽根なしで風が出るんだぞ」
「風魔法があるだろ」
「またそれか!」
それ、前にも聞いたけど、今日は今までとは少し状況が違う。
「魔法なくても動くんだよ?」
「……」
その一言で、レイナの表情がほんの少し変わった。
学院全体から魔法が消えたあの時、俺たちは何もできなかった。
でも、侵入者が持ち込んだ人間の道具は普通に動いた。
当然、レイナだってその当事者の一人だ。少し沈黙して、そっぽを向きながら言った。
「……まあ、見てみてもいいだろう。折角のお目付け役だしな」
「来る気満々じゃん」
「うるさいぞ」
だけど、彼女から拒否の感情はもうなかった。
◇
学院から人間の町へ出るには、少し離れた場所に設置してある結界門を抜ける必要がある。
普段は、ガーゴイルが守護するただの石造りの門だけど、こうやって外出証をかざすと空間が歪む。他の場所も大体似たような仕組みで、魔法使いのうち一部が人間の世界に出入りしている。絶対数は少ないけど。
「おお」
そう感動するのは、沙耶香だ。
「あれ? 沙耶香もしかして、この門使うの初めて?」
「うん。この門からはね。私がここに来るときは、ここまで大きな門じゃなかったから」
「へえ。どこから来たの?」
「教えない」
「何で」
「秘密だから」
そりゃあちょっと残念。でも、沙耶香が出入りしたところもそのうち知りたいな。
「行くぞ」
レイナが足早に先導した。絶対に早く行きたがってるだろ、あれ。
彼女に続いて、俺も門を抜ける。そのままルカ、ミカが入って、最後に沙耶香が門に踏み入った。
眩い光で、視界が白一色になる。そうしてすぐに、白に色が入り始めた。
目がはっきりする前に、とうとう来た、と感じた。
空気がもう騒がしい。
そして、飛び込んできた視界の情報量が、もうすさまじかった。
道路に車、電柱と信号、看板やビル。
そして人間。
音が支配するこの世界に、ありとあらゆる物体が詰め込まれていた。
「……」
俺はしばらく、何も言えなかった。
体も動かない。口さえ動かない。
ただ、少しでも多くの情報を取り入れたいと、左右の目があちこち動き回っていた。
「マナト?」
沙耶香に呼びかけられて、ようやく指先が動けるようになる。
ようやく動く口から出てきた言葉。それは、あまりにもシンプルなものだった。
「……すごい」
「え?」
「す、すごいよ!」
多分、俺が生まれてから今までの中で、一番大きな声。
周囲のみんなも、俺の大声に耳を塞いでいた。
「うるさい!」
「あ、ごめん。でも、本当にすごい!」
「一応聞くけど、何が?」
「全部だよ全部!」
俺は人間の街を指さしながら叫んだ。いや、もうどこ指せばいいのか分からない。町? 人間? それとも……
「普通の町なんだけど? 別に代り映えもしないわよ? それにしてもここ久しぶりだな……引っ越す前以来かな」
「それがすごいんじゃないか!」
あそこの街灯は、魔法灯じゃなくて電気が使われている。
途切れることなく行き来している車は、魔力じゃなくてガソリンというものが使われているらしい。
建物に魔力なんて一切使われていない。コンクリートとかセメントというものでできているそうだ。
空を見上げれば、小さい十字架みたいな形をしたものが飛んでいる。どんなものかは全く分からないけど、浮遊術が使われていないことだけは分かっている。
一歩足を進むと、横断歩道が目の前に広がる。途端に、俺の好奇心が新しい人間世界の魅力を捕まえた。
「……ねえ、沙耶香」
「今度は何?」
「信号……」
「信号? って、信号機のこと?」
「あれ、何で色変わるの」
「そりゃあ、交通ルールのためだけど……赤は止まれ、黄は注意、青……てか緑は進め。歩行者は黄色ないけどね」
「それ、どこでも通用するの? この町でもあの町でも海外でも? 何で動いてるの?」
「質問が多い! 後、そんな細かいこと知らないわよ!」
「知らないのかよ……人間なのに」
「人間だからって何でも知ってるって思うな!」
俺と沙耶香がやり取りをしている後ろでは、ミカがぱくぱくと魚みたいに口を動かしている。
「ミカ? おーい、ミカ。どうした?」
そんな彼女の目の前で、ルカが手を振っている。
やがて我に返ったミカが、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「人が……多い……!」
「まあ、人間って魔法使いとは比べ物にならないほど多いって言うしな。そもそもここ、人間の町だぜ」
「しかし、一つの町にここまでいるのか……」
レイナも物珍しそうに周囲を見渡している。やがて彼女の表情に、不安が過り始めていた。
「おい、待て……魔力反応が無い……!」
「無い? ああ、そうか。当たり前とはいえ、無いっていわれるとちょっと違和感あるな」
ルカが頷いた。
確かに、俺たちは魔法で溢れた世界に生まれ育った。
その上学院にいると、どこを見ても魔力、魔紋、術式に溢れている。
でも、この世界には魔法が全くない。それなのに、町は普通に動いている。いや、俺たちがいるどの町よりも活気に溢れていた。
やがてレイナは、顔を下げた。
「……学院の魔法が止まった時、私たちは……魔法使いは、何もできなかった」
彼女のその言葉に、俺たちは口を閉じる。
「だが人間は、魔法が無くても困らない……か」
彼女の目線が、人間たちの営みで動く物たちに向けられる。
「完全には困るけどね」
だけど、沙耶香がどこか照れくさそうに言った。
「だってほら。こっちだって電気止まったら大変だし。停電って言うんだけど、そういう時は皆大混乱だよ?」
「それでも、一つに全部依存していない……だろ?」
レイナの言う通りだ。
俺たちは、魔法で全部解決している。何でもやりやすくて、簡単に解決してくれる。
だから、一回止まると全てが止まった。
それに対して、人間は違う仕組みをたくさん作っている。
「だからこそ、面白いんだ」
「……マナト」
「何?」
「今、ちょっと怖い顔してる。また何か作ること考えてるでしょ」
「へへっ、してないよ。……多分」
俺の返答に、沙耶香はわざとらしく微笑んだ。
「何それ。今までで一番信用できない」
そりゃあそうだ。
だって今、俺の頭がこれまでに無いくらい、何作るかって回転しているんだから。
「で、まずどこ行くの?」
ミカの一言で、俺は現実へ引き戻された。
「決まってる」
「え?」
「家電量販店!」
「やっぱりそこなのね……」




