白塗りの男
『全生徒――現在――魔力――』
学院放送がもう途切れ途切れだ。ほとんど雑音だけが流れて、情報といえる情報は何一つ伝わってこない。
「放送まで聞こえなくなってる……!」
「まあ、あれも魔法式だからな」
ルカが怪訝な顔をしている。
「これじゃ連絡も取れねえ。見ろよ、先生たちもてんてこ舞いだ」
たしかに、今大勢の先生たちが中庭を右へ左へ走り回っている。中には、とても抱えきれないほどの書類を持っているのも一人や二人ではない。
誰も飛べない。誰も転移できない。
全員、自分の足で走っている。
魔法が使えなくなった。ただそれだけで、世界が急に不便になった。
「人間って、毎日これなの?」
こんな事態なのに、俺はふとそんなことを口にしていた。
沙耶香は驚いたように俺を見て、「そうだけど」と小声で頷いた。
「すごいな」
「今それ言う!?」
「だってさ……」
俺たちは、何でも魔法でやる。
灯りを点けたり、移動したり。通信も運搬も、全て魔法でしている。
でも人間はどうだ。全部、別々の方法を作った。
「電気あれば灯りつく?」
「うん」
「通信……電話は使える?」
「もちろん。電波とか基地局があればだけど」
「車は?」
「燃料か電気。あ、ガソリンってのも必要かな」
「やっぱり、人間って強いなあ」
「今は感心してる場合じゃないでしょ!」
そうだった。けど、だからこそ、人間ってすごいなって思ってしまう。
……待って。魔法が使えないってことは。
「沙耶香。この状況って、犯人にとっても同じかな」
沙耶香が止まる。
「え?」
「だろうな」
ルカが同意した。
「もしこの範囲に犯人いるなら、犯人も使えないはずだろ」
「でも、もし犯人が人間なら?」
沙耶香の言葉に、俺たちは黙った。
魔法を使えなくても困らない人が学院にはたった一人だけいる。
それが。
「私」
沙耶香が自分を指さす。
その瞬間周囲の視線が集まってきた。
さっきまでのひそひそ噂話とはわけが違う。今度は、より強い疑念。濡れ衣。
そして、紋無し。
「まだ何も分かってない」
そう、まだ何も分かっていない。人間ってだけで沙耶香がここまで落ち込む理由なんてない。
だけど、他の生徒たちはそうはいかない。いつしか俺たち三人を取り囲むように、生徒たちの輪が出来上がっていた。
「いいや、君が現状一番困らないだろう!」
そう叫んだのは、キサラギだった。
いつも通り整った制服姿だけど、その顔には普段の余裕がない。
「学院中の魔法使いが魔法を封じられている。それなのに、君だけは元々魔法なしで生活していた」
「だから私がやったって言うの?」
「ふん! 違うっていうのかい? だが、疑うなという方が無理だろう!」
キサラギが強く言い返す。
「二度の爆発に人間の技術が使われたって噂まで出ている!そして学院にいる人間は君一人だ!」
「おい」
一歩、前へ出る。何で爆発に人間の部品が使われたって知っているんだって疑問は後だ。それより、いわれのない疑念をぶつけるほうに腹が立つ。
「沙耶香は今までずっと俺たちと一緒にいたんだ。勝手なことを言うな!」
「どうだろうな? 第一、最初の紋無しだって、去り際はあまりいい形ではないと聞くぞ?君だって、いつ紋無しに裏切られるか分からないから、身を引いた方がいいよ?」
「お前いい加減に――」
「マナト」
沙耶香に袖を引かれた。
「いい」
「よくない」
「今はいいの……っ!」
彼女の絞り出したような声に、俺は口を閉じた。
沙耶香はゆっくりと周囲を見渡す。
キサラギはともかく、そこにいるのは沙耶香を嫌っている奴ばかりじゃない。
むしろほとんどは、ただ怖がっているんだ。
空を飛べない。連絡もできない。いつも使えていた魔法が、突然何一つ使えない。
「これはただ……みんな、怖いだけだから」
「……だからって」
「私だって、逆だったら何か疑うかもしれない」
沙耶香はそう言ったけれど、ノートを抱える指はいつもよりずっと強く握られていた。
それでも、俺は納得できない。
その時。
「全員、落ち着け!」
大声が響いた。
これは魔法じゃなくて、肉声。
いつもの服装だけど、焦って取り乱した状態のセレナ先生が走ってきた。
「飛行術を使うな! 魔道具にも触るな! 各自徒歩で寮へ避難しろ!」
その勢いに、生徒たちの輪が彼女を中心に崩れていく。それでも、生徒たちのうち何人かは沙耶香へ疑惑の眼差しを向け続けている。
「それと!」
そのまま陰口をたたいていた彼らへ、セレナ先生が睨みを利かせた。
「疑うのは勝手だが、今ここで勝手に犯人扱いするな。捜査は管理保安部の仕事だ」
「ですが先生――」
「キサラギ。もし証拠があるならクドウ管理官に持っていけ。ないなら避難しろ、いいな? 今お前たちに面倒をかけられたくない」
一言で、生徒たちが黙った。
やがて、この輪は徐々に崩壊していった。生徒たちは一時バラバラに広がって、みんな次々に寮へ戻っていく。
そうして最後に残ったのは俺たち。一安心したところで、セレナ先生が近づいてきた。
「お前たち、全員無事か?」
「はい。ありがとうございます」
「ならいい。お前たちも早く帰れ。いいな。絶対に寮から出るなよ?」
念押しして、セレナ先生はまた別の場所へ移動しようとしている。
だけど、確認するなら今しかない。
「セレナ先生」
「何だ!」
セレナ先生が青筋を立てながら振り返った。あの人、いつも面倒くさがりなのにここまで動けるんだな。
「これ、舞維さんの研究ですよね?」
俺の質問に対する、先生の顔。それだけで、答えが分かった。
「似てるんですよね」
「今は話せない」
「でも」
「アズマ。それにヤザワ」
先生が低い声で、俺の言葉に覆い被さる。
「今から絶対に、柊から離れるな。女子寮に入れないならカナメでもいい」
「え? どういう意味ですか?」
「いいから。とにかく、柊。絶対に一人になるな。いいな?」
「え? は……」
沙耶香の「はい」という返事を聞くことなく、セレナ先生は走っていった。
「何で?」
取り残された俺たちは、しばらく彼女の後姿を見送っていた。
だけど、何が何だかさっぱり分からない。
「これって、私が疑われてるから?」
「それなら、むしろ離れろって言わねえか?」
ルカの言うことも一理ある。
沙耶香を警戒するなら、俺たちから離して危険から遠ざける。そして沙耶香には、先生を監視として付けるのが自然だろう。
だけど、現実には沙耶香を一人にするなと言われた。
もしかして。
「沙耶香が……危ないのか?」
その時学院の奥からドンッ! という轟音が鳴り響いた。
「今度は何だァ!?」
戸惑うルカ。彼の声を聞きながら、俺は三度目の爆発という言葉を連想した。
「これ、今までで一番大きくない?」
沙耶香の言う通りだ。
煙が上がっているのは、学院中央。
「中央魔力塔か!」
「何それ」
「学院中に魔力送ってるところ。魔法が使えない状態で、魔力を供給する中心が爆発したんだ!」
つまり。
「今の状況が解消されても、あそこが壊れたら学院への魔力供給が戻らねえ」
「じゃあ……」
そして、その爆破現場の中、俺の目ははっきりと捉えた。
爆炎の中、ゆったりと立つ人影を。
「最初から復旧まで潰すつもりだったんだ!」
あの人物の服装は、学院の制服じゃない。当然教師にも見えない。
黒い服が夜に合い、少し油断したら見えなくなりそうだ。それでも浮かび上がっているように見える白い仮面が、首が飛んでいるみたいで不気味さを際立たせている。
「誰?」
沙耶香も気づいたみたいだ。
彼女も俺と同じく、警戒していく。
やがてその人物は、魔力塔から跳び上がる。魔法もないのに。
そうして、不審者の着地と同時に地面が鈍く鳴った。
膝を僅かに曲げただけ。それだけで、あの不審者は立ち上がり、肩を鳴らした。
「おい」
ルカが引きつった声を出した。
「今、魔法使ってねえよな?」
「使ってない。ってか、使えないの分かってるだろ……」
「じゃあ何なんだよ、あの化け物」
分からない。何も、何一つ分からない。
ただ、はっきりしているのは、あの不気味で白い面が俺たちを見つめているということだけだ。
いや、よく見たらあれは仮面じゃない。白にところどころ赤い模様が走っている上、何より顔に直接色を塗っているみたいだ。
「カブキみたいね」
沙耶香の口から、知らない言葉が出てきた。
何だろう。人間の世界のものかな。気になるけど、今はそのカブキとやらの視線の先に注意する方が先だ。
一方、あの不審者は「ほう……」と頷いて、自分の顔に手を触れた。
「カブキと言うのですか、これは。なかなか面妖な趣ですが、わたしもなかなか気に入っていましてねえ。どういうものなのですか?」
「元ネタを知らない?」
いろんな考えが巡っていく。
でも、何を差し置いてもまず確認しなければいけないことがある。
「この爆発って……アンタがやったのか?」
俺の問いに、カブキはくっくっくと肩を鳴らす。
「作品について作者自身が語るのは、少々無粋でしょう?」
「なあ、これ会話成り立ってるか?」
「ないな」
ルカがばっさりと斬り捨てた。
白塗りの男は大げさに首を振った。その巨大な白い髪が、その動きに合わせて大きく揺れる。
そして、同じ地上に並んでこそ分かる、その巨体。もう二メートル近い巨体が、恐怖心をより一層搔き立てた。
「さて。さて、それはそうと。二人目の紋無し。あなたに用があります」
彼の手が、まっすぐ沙耶香へ伸びる。突然の名指しに、沙耶香はびくっと震えた。
「……私?」
この男はそれ以上答えない。
ただ、間違いないと示すように、一歩一歩、こっちへ接近してきた。
俺とルカが、それぞれ盾になるように沙耶香の前に立つ。すると、カブキは眉を吊り上げた。
「困りましたねえ。あまり無駄な争いはしたくありませんが……この学校の生徒だ。さぞ、お強いのでしょうね?」
白い化粧では隠せていない。あの不審者の表情には、戦いを行うことに対して、喜びが現れていた。
だが、彼が今まさに動く直前で、「おやおや」と何やら様子が変わった。
「はい。何でしょう」
白塗りの男は耳に手を当てている。通信魔法やその類は今使えないはずなのに。
「ええ。ええ。……そうですか? 折角なのですから、もう少し……ええ、はい。……分かりました」
魔法の気配がない中で、一人でぶつぶつと呟いている。俺とルカが不審がる一方で、沙耶香だけが目を見開いていた。
「もしかして、インカム使っている?」
「いんかむ?」
「人間の通信機。耳につけて話すやつ」
「通信、できんのか?」
「魔法じゃないから」
俺とルカはぎょっとして、同時に不審者の耳を見る。
白い髪の隙間。そこには確かに、小さな黒い機械が見えた。
「やれやれ。仕方ないですね。え……柊沙耶香さん」
今度ははっきりと、名前を呼んだ。
カブキの白い手が、明確に沙耶香を名指ししている。
「何で……私の名前を」
沙耶香が俺の後ろで息を呑む。
――その瞬間、白い不審者が消えた。
「え?」
魔法じゃない。シンプルに走ったんだ。
地面を蹴って、真っ直ぐ沙耶香へ向かって。
「マナト!」
「分かってる!」
俺は杖を抜く。
――何も起きない。
「……あ」
そうだった。
今魔法は、使えないんだ。
「一緒に来てもらいましょうかあああああああああああああッ!」
もう、大男は目の前に迫っていた。




