魔法が消える
今、明かりが消えた……ような。
「……見間違いじゃ、ねえよな?」
ルカの言葉に、それが真実だと確信した。
何事もなかったかのように、廊下に点在する魔力灯は点灯しているけど、その全てが示し合わせたように一斉に消えたんだ。さっきの暗闇が嘘みたいに。
「ルカ」
「分かんねえよ……」
「まだ何も聞いてない」
「どうせ、今の何だって聞くんだろ。だから先に、分かんねえって答えとくわ」
すごい、読心術使えんのかよお前。
だけど、そのままルカは壁の魔力灯に手を近づけた。
「問題なさそうだけど……うーん、魔力供給が切れたとか?」
「そんなことある?」
沙耶香の質問に、ルカは改めて唸った。
「いや……一個なら、故障とかありえるけど、流石に全部はな……先生、ここの回路って全部同じもの?」
「ああ」
セレナ先生は頷いた。
「確か、この廊下は全部同じ回路だったはずだ。元が止まれば――いや」
セレナ先生はそこまで言いかけて止まった。
「予備系統があるはずだ。主回路が止まれば、予備の魔石に切り替わる。一瞬ちらつく程度はあるだろうが……」
「暗くならないってことですか?」
沙耶香の不安が、俺にも伝搬してきた。三秒くらいの完全消灯は、一瞬のちらつきとは言えないのではないだろうか。
ルカが「じゃあ」と先生を見上げた。
「予備も一緒に止まった? ……何で?」
「私は結界などの担当だ。設備の面倒事までは詳しくは知らん」
……こんな時も面倒嫌いが優先されるのね、この人。
その時後ろで研究室の扉が開き、シオン教授が出てきた。
「君たち……! それにセレナ先生も!」
さっきまでとは違う。
穏やかな表情が消えて、明らかに焦燥が浮かび上がっていた。
「今のを見たね?」
「はい……魔力灯が消えていました」
沙耶香が答える。
老人は廊下の魔力灯を睨みながら、「むむっ……」と何か考え始めた。
「もしかして……さっきの魔力への外部干渉と、何か関係あります?」
「まだ分からない。だがこれは……」
「教授」
セレナ先生が止める。
二人が目を合わせ、互いに頷き合った。
「すぐに生徒を寮へ帰します」
「……そうだね。念のため、この子たちは、今日は外に出ないように指示してくれ」
「はい。……というわけだ。悪いが、お前たちは今すぐ真っすぐに戻れ」
「え? でも……」
「アズマ」
抵抗しようとする俺を、セレナ先生の声が遮った。
今度は、真剣だ。俺をまっすぐ見つめて、強く言い切る。
「今回は本当に、言うことを聞け」
「……はい。分かりました」
「えっ……? マナトが素直に……!」
何だよ、そんなに驚くことないだろ。俺だって空気を読むことだってあるよ。
それにしても、今のちょっとの揺らぎだけで御霊代の先生が二人も、ここまで動揺するなんて。ただの故障とか、じゃないのかな。
なんとなくだけど。二人は、俺たちが知らないことを何か知っているような気がした。
◇
研究棟を出る。
あれだけの濃密な話をしたのに、空はまだ明くて、授業を終えた生徒たちが、あちこちを歩いている。
誰も、さっき何か起きたとは思っていないみたいだった。
「それともこの辺は消えてないのかな?」
中庭のあちこちに建つ電灯は、どれも問題なく光を放っていた。今は薄い光だけど、これから陽が沈めばもっと強くなる。
「研究棟だけだったら、やっぱり故障じゃねえの?」
とルカ。
「でもシオン教授の反応……あれは、ただの停電を見た顔じゃなかったよな」
「だな。結局二人共どっか行っちまったし……」
なんか、ただ事じゃないような気もする。
何より、舞維さんのノートの記載が、どうしても頭から離れた。
「やっぱり、調べたいな……」
「駄目」
うわ、俺今結構小さい声で言ったと思うんだけど、沙耶香が即両断してきた。
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
「研究棟に戻るだけ」
「駄目だって」
「外から見る」
「それでも駄目」
「一分だけでも……!」
「先生が今回は本当にって言ってたでしょ!」
「……」
確かにそうだけど。
「それに、今、私たちが勝手に動いたら……」
沙耶香が中庭に目を向ける。
その人数は決して多くない。それでも、少なくない生徒たちが俺たちを遠巻きに見てひそひそと噂話をしている。
そうだ、忘れていた。沙耶香はまだ疑われているんだ。
「ねえ、マナト。アンタ絶対に忘れてたでしょ」
「……忘れてない。多分」
「その多分、信用できない」
うっ……。いつものこの口癖が今は憎い。
「よ、よし! 今日は寮戻ろう」
誤魔化すようにここは押し通す。二人の一歩前に踏み出て、「それでっ!」と俺は宣言した。
「明日調べればいいんだ!」
「同じだよ!」
沙耶香が叫んだその途端、俺の体に重さが圧し掛かった。
「うわっ!」
「ぎゃっ!」
お、重い。目の前が真っ暗になって、布の感触が顔を覆っている。
「大丈夫?」
「おい、どうしたんだ?」
沙耶香とルカの声とともに、顔の上の布が取れた。
どうやら、見たことのない男子生徒が俺に向かって倒れてきていたらしい。
「いたたた……なんだよ、いきなり」
「ごめん、転んだみたいだ」
「何だよそれ……足引っかけたの?」
「……いや、浮遊術が切れた」
転んだ男子生徒が、自分の靴を見る。確かに靴の踵には、小さな魔石が埋め込まれていた。
移動を補助する魔道具で、とりわけ珍しいものでもない。
ルカも一目で、心当たりがある原因を口にした。
「故障じゃねえの?」
「いや、これ今朝整備したばっかだぞ」
「あれ?」
まだ話が終わっていないのに、俺たちの気は別の生徒へそれていった。
手に持っている鞄を、地面へ落としている。持ち上がらない、と思ったら、鞄の口が大きく開いて、中から無数の書類や教科書が飛び出していた。
「な、なんじゃこりゃあああああああああ!?」
「あれは……まさか、軽量化と収納魔法の効果が切れてんのか?」
「そんなこと、あるのか?」
「いや……ありえねえ。少なくとも、俺は知らねえ」
ルカと目が合う。多分今、俺とこいつは同じことを考えている。
「マナト……多分、コイツは……」
ああ。何かが起きている。
パッと、外灯が消えた。
一気に、全部。
まだ空には夕方の明るさが残っているのに、学院から人工的な光だけが一斉に消えたせいで、景色が急に色を失ったように見えた。
「……え……嘘」
沙耶香が呟く。
そして次の瞬間、悲鳴が鳴り響いた。
「飛行術が!」
空から、箒に乗っていた生徒が落ちてきた。
「危ない!」
反射的に杖を向けた。
魔力を流して、風魔法で落下を止めようとした。
いつもなら、それだけで風が発生するはずだった。
「《軟風》!」
だけど、何も起きない。俺はただ、間抜けに杖を虚空へ向けているだけだ。
魔紋も、魔法陣も、術式も。何も出てこない。
だが、それでも現実は変わらない。
「くそ!」
魔法が駄目なら___あの三階くらいの高さから落ちたら大変だ。
「間に合――」
「どけ!」
背後でルカが鞄から何かを投げた。
小さな筒が地面にぶつかり、破裂した。
バンッ!という音とともに、中から巨大な布が飛び出した。
「うわあああああっ!」
布はそのまま、落ちてきた生徒を包んで地面へ滑らせる。
「いっ……!」
助かった。あと、何だそれ!?
「ああ、これか? 緊急用落下布だ。持ち歩いていて良かったぜ」
「それ、ルカが作ったの?」
「……親父の店で没になった試作品。俺が勝手に直したんだが、これなら没じゃなかったな」
「これ、魔法は……」
「うんにゃ。ばねで飛び出すだけだ。作るときは魔法使ったけど、完成品に魔力はない。これなら使えるかと思ってな」
「……魔法使っているものが動かなくなっているのか?」
その言葉とともに、俺は学院を見渡した。
魔力灯も止まって、鞄の軽量化や箒の浮遊術も無効になっている。
そして、俺の魔法も全く出なかった。
「……《灯火》」
沙耶香が杖に火魔法を発動させている。例によって、何も起きない。
「私も使えなくなってる。ルカは?」
「ちょっと待て。……《灯火》……マジかよ」
ルカの杖からも何も出ない。杖が本当にただの木の棒に成り下がっている。
「……」
俺は自分の杖を握り直した。
何も起きない。魔力はあるのに、それを外へ出せない。
生まれてからずっと当たり前だったものが、突然なくなった。
なんだこれ。すごく……気持ち悪い。
「大丈夫? 二人とも、すっごい顔色悪くなってるよ?」
沙耶香が俺たちを気遣ってくれた。
少し笑って誤魔化すけど、彼女の杖からも一切の魔法が出ない。
「お前、この状況なのによく落ち着いていられるな」
「そう?」
「ああ。俺とルカよりもさ」
「まあ……当然と言えば当然だけどね」
沙耶香は一度、周囲を見回した。
「私にとっては、魔法が使えない方が普通だったから」
「……あ」
そうか。そうだった。
沙耶香は十五年間、魔法なんてなくても生きてきた。
俺たちにとっては、突然空気がなくなったみたいな状況でも、沙耶香にとっては少なくとも、『魔法が使えない』という状態そのものは知らないわけじゃないんだ。
「でも、こんなのが普通なわけじゃないよ」
沙耶香の声が少し低くなった。
「え?」
「私一人が使えないのと、学院中の魔法が全部止まるのは全然違う」
その言葉を証明するように、周囲ではもう生徒たちも異常に気づき始めていた。
それぞれが杖で魔法を使っているけど、何も出ないという状況に、不安から始まって恐怖やパニックまで伝わっている。
「魔法が出ない!」「何で!? 魔力はあるのに!」「術式が作れない!」「おい、先生呼べ!」「だめだ、通信術も使えない!」
騒ぎが一気に広がるまで、一分もかかっていない。
見覚えのある顔……レイナがパニックになっている生徒たちを落ち着かせている一方、キサラギが「なぜだ! なぜ魔法が出ない!?」と戸惑っている姿も見える。
今、体内の魔力はいつも通りで問題ない。だけど、外へ出そうとすると形にならずにぐちゃぐちゃになってしまう。
これって……。
『一定以上の出力で術式構築速度が大幅に低下』
「舞維さんの研究……もし、範囲を広げたら……学院全体に広げたら、こうなるのか……!?」
隣から、沙耶香の息を呑む声が聞こえた。
ガコン、と遠くで大きな音がした。
見ると、校舎へ続く大扉が途中で止まっている。
「おい、自動開閉まで止まってるのか……?」
「あれも魔法式だろうからな」
ルカが答える。
そして、校舎に向かっていた俺の視線は、自動的にその上階にある時計塔へ向かっていた。
さっきまで動いていた長針が、止まっている。
この学校のシンボルである、時計が。
「……学院って。いや、俺たちの生活って……」
俺は初めて気付いた。
当たり前といえば当たり前だ。でも、今この時まで、俺はその事実に気付こうとさえしていなかった。
「こんなに魔法で動いてたんだ」




