シオン
「シオン教授だと?」
翌日の放課後、セレナ先生は俺たち三人を見て露骨に嫌そうな顔をした。
職員室だったら、またクドウ管理官に捕まってしまうかもしれない。だからこそ、ホームルームを終えた今を逃すわけにはいかない。だからこそ、我先にと教室を出ようとしたセレナ先生を待ち構えていたんだ。
「どこでその名前を知った?」
「図書館です。公開されていた学院年報に、舞維の指導教員として載っていました」
「……そうか」
沙耶香の返答に、セレナ先生はまた面倒そうに頭を抱えた。
「今も学院にいますよね?」
「……」
少し間があった。けど、昨日までみたいに話を逸らすことはない。
彼女ははっきりと「ああ」と肯定した。
「会わせてください! 話を聞きたいんです」
沙耶香は即座に言った。
「柊舞維……お前の姉についてか?」
「はい」
「事件についても?」
「……それも」
「先に言っておくが、教授を疑うためならやめろ」
「疑ってません」
「ふん……まあ、柊はまだいいか。アズマは?」
「俺はまだ何も分からないので何とも」
「その答えが一番不安なんだが」
何で沙耶香は良くて俺はダメなんだよ。心外な。
「お前は分からないものほど近づきそうだからな」
それを言われると、否定できない。
「でも今回は、本当に話を聞くだけです」
「……」
先生はしばらく俺たちを見て、考え込んでいる。
どれだけ時間が経っただろうか。もう、教室に残っている生徒はほとんどいない。そうなった頃合に、彼女は最後に大きく息を吐いた。
「分かった……自分達でシオン教授まで辿り着いたんだ。止めても、そのまま自分たちで探して、どんな面倒を持ってくるか分からん……」
「そんなこと――」
「するだろ」
「……」
「ほら見たことか。なら、私の目の届くところで話させた方がまだマシだ」
時々思うんだけど、なんでこの人教職になったんだろうな。面倒の権化みたいな仕事じゃないの?
セレナ先生は「ただし」と条件を付け加えた。
「私も同席する。勝手な質問はするなよ」
「はい」
「事件の捜査情報を聞き出そうとするな」
「はい」
「アズマ」
「はい!」
「返事だけはいいな」
やった! 褒められた!
でも、沙耶香とルカが、何かを言いたそうな目線を送ってきた。
◇
シオン・ネモト先生___じゃないや、教授の研究室は、学院の東側にある研究棟三階にあった。
九年前、舞維さんの研究発表に何度も記されていた指導教員。
そして今も、この御霊代魔法学院にいる人。
少しでも早く、彼に話を聞きにいかないと……
「……ここ、結構面白いな」
俺の足が一気に遅くなった。俺とルカの視線を釘付けにするのは、無数の古い魔道具だ。
金属の輪が何重にも組み合わさった器具や、透明な筒に魔石を詰め込んだ装置。何の用途があるのか分からない歯車みたいなものが剥き出しになった箱など、通路を一歩進むごとに無数の機材が姿を現していた。
「おいルカ、あれ何だ!?」
「ちょっと待てよこれ、旧式の魔力変換器じゃねえか!? 俺も初めて見た!」
「何するやつ?」
「属性の違う魔力を一回均して――」
「お前ら、さっさと来い」
いつの間にか、セレナ先生と沙耶香がかなり前の方に進んでいた。俺たちを振り返るその目は、明らかに呆れが宿っている。
慌てて追いつくと、「余計な面倒をかけさせるな」と頭を掻いたセレナ先生が言った。
「本当に似た者同士だな、お前たち」
呆れた先生についていきながら、ようやく廊下の突き当りに辿り着いた。
あちらこちら、年季の入った傷だらけの扉。同じく傷だらけの金属板には、はっきりとこの研究室の主の名前が記されていた。
『魔道具・術式応用研究室 シオン・ネモト教授』
沙耶香が緊張している。当然だろう。姉を知る人物が、この扉の向こうにいるのだから。
「シオン教授。例の生徒を連れてきました」
『ああ。どうぞ』
セレナ先生のノックへ、落ち着いた男の声が返ってくる。
セレナ先生が「失礼します」と扉を開けて、中に入っていった。
彼女に続いて、俺たちも研究室に入っていく。
そして。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
物。とにかく物で溢れている。廊下にあったものとは比べ物にならないほどの密度で、様々な魔道具がみしみしと狭い研究室に詰め込まれている。
そして、魔道具が負けじと、本もまた大量に積み上げられている。机の上にも、棚にも。
少ない床部分には、紙や工具や魔石が散乱して、文字通り足の踏み場もない。
「やっぱり俺の部屋、結構片付いていたんだな」
「マナトの実家? いや、本職の人と趣味のアンタを一緒にしちゃだめでしょ」
沙耶香に即座に言われた。
「いや、なんていうか仲間かなって」
「それ、本人の前で言わないでよ」
「構わないよ」
部屋の奥から声がした。
大量の資料に半分埋もれた机。
そこから、一人の男性が立ち上がる。
六十歳くらいの灰色になり始めた髪と細い眼鏡が、まさにこの魔法の森の主だと印象付けている。
黒ずんだ白いローブも相まって、昨日見た年報の写真から年月の経過を感じた。
でも、眼鏡の奥の目は、写真と同じだった。
「初めまして。シオン・ネモトだ」
「マナト・アズマです」
「ルカ・ヤザワです」
俺たちに続いて、最後の沙耶香だけが少しだけ間を置く。
「……柊沙耶香です」
その瞬間、この柳のような老人の動きが止まった。
「柊……そうか」
先生の視線が、沙耶香の顔へ向く。どこか懐かしそうな顔で、彼は頷いた。
「君が……舞維君の妹か」
教授の眼鏡が一瞬光る。その奥の目が細まった。
「確かに、よく似ている」
沙耶香の肩がわずかに固くなる。それに気づいたらしく、シオン教授はすぐに「……すまない」と謝罪した。
「君を彼女と比べるために呼んだわけではなかったね。彼女と君は別人だ」
沙耶香が、少しだけ目を丸くした。
「……はい」
「まあ、座ろうか」
「座れるところ、あります?」
この部屋、座るどころか立つ場所すらままならないんだけど。さっきまでこの人、どういうところに座っていたんだろうか。
すると、老教授はほほ笑み、「今作る」と研究室へもぐりこんでいった。
「生徒を呼ぶ前に作っておいてください」
セレナ先生がこういう何て相当だな。
そこから数分、椅子の上に積まれた本や魔道具を移動させて、ようやく俺たちは腰を下ろすことができた。
その途中、俺とルカは見慣れない金属部品が気になって……
「勝手に触ってはいかんよ。好奇心で呪いが移る、なんてこともあるからね」
なんで初対面の人にまで見透かされているんだ。
◇
「舞維君について聞きたい、と」
「はい」
最初に答えたのは沙耶香だった。
「お姉ちゃんが、この学院で何をしていたのか知りたいです」
「ふむ。君は、どこまで知っているのかな?」
「史上最初の紋無しとして入学したことと、学院の年報に、たくさん名前が残っていたこと。それから……」
沙耶香がノートを机に置いた。
「魔紋を持たない人間が、魔法を使うための研究をしていたこと」
シオン教授の目が、ノートへ向いた。
「それは……」
シオン教授はもう一度目を細めた。ノートを見る目が、だんだんと憂いを帯びていく。
「懐かしいな。このノートを彼女が使用しているのを何度も見たよ」
「!」
沙耶香がすぐにノートの、あのページを開いた。
魔紋、魔力制御、外部術式補助。びっしりと書き込まれた文字が、研究室の照明に晒される。
「これ、先生と一緒に研究してたんですか?」
「ああ。最初はね」
「最初?」
シオン教授が眼鏡を外し、布で拭き始める。
「そう。あれは十年近く前になるか……彼女の指導を始めた頃は、まだ普通の生徒だったな」
「普通の学生? あんな偉業を連発している人が?」
「ああ。年報は成功したことを残すものだからね。当然、あれの何倍もの失敗もしていたよ」
シオン教授が「はっはっは」と肩を震わせた。
「例えば……そうだな。火魔法の実習で自分の袖を焦がした」
「お姉ちゃんが?」
「そうだ。それに、水魔法では自分に水をかけて、それが原因で風邪を引いたりしたし、雷魔法ではしばらく全身が指一つ動かせなくなっていた。飛行実習に至っては飛んで落ちて地面に突っ込んだとも聞いている」
「お姉ちゃんが!?」
「飛行実習の方は二回」
「二回も!?」
沙耶香が大声になる。
確かに驚いているけど、それでも彼女はどこか嬉しそうだった。
完璧だったと思っていた姉にも、今の自分くらい、失敗していた時期があったんだから。
「ただあの子は、失敗そのものにはあまり興味を持たなかった」
シオン教授が続ける。
「どういう意味です?」
「何故失敗したのか。そればかり考えていた」
先生がノートを開く。
「最初につまずいたのは、君と変わらないだろう。……そう、魔紋がないこと」
「……はい」
「教本通りにやっている。術式も理解している。魔力もある。それなのに発動しない」
シオン教授の言葉に、俺は入学したばかりの沙耶香を思い出す。
何度やっても灯火が安定せず、どうすればいいか分からずに戸惑っていた。
「舞維君はそこでまず、教本を疑った」
「教本を?」
ルカが聞く。
「そう。正確には、教本が想定している術者を、だ」
シオン教授が指で一文をなぞる。
「『これは魔紋を持つ者が読む前提で書かれている。なら、書かれていない工程があるはずだ』」
俺と沙耶香が顔を見合わせる。
「マナトが言ってたのと同じ」
「俺はもっと適当だったけど」
「でも、同じところに気づいた」
「舞維君はそこから、魔紋が無意識に行っている処理を一つずつ分解したんだ。魔力量に流量、術式へ接続する順番、余分な魔力の排出、乱れの補正等々。そして考えた」
シオン教授がノートを指す。
「身体の中にないのなら、外に作ればいいと。我々生まれながらの魔法使いが考え付かないことだ」
「外部術式補助……」
沙耶香が、年報で見た研究題目を思い出したらしい。
シオン教授もにっこりとほほ笑んで肯定する。
「最初は単純だった。魔力量を測る。流量を一定にする。術式への入力を補助する」
「今の沙耶香のやり方と似てる」
「だろうね」
シオン教授が俺を見る。
「君が考えたそうだね」
「見てたら、何か変だったので」
「ほう。何がかな?」
「魔力もある。術式も間違ってない。それなのに沙耶香だけ上手くいかない。だったら、その間だと思って」
「……なるほど。もし舞維君がいたら、君を気に入りそうだ」
その言葉に、ちょっと腹の中が熱くなる。
「でも」
シオン教授の声色が落ちる。
「研究は、そこで終わらなかった」
沙耶香の表情も戻る。
「お姉ちゃん、他に何をしたんですか?」
「外から魔力を補助できるなら……」
先生が紙に一本の線を引く。
さらに横から、別の線。それは、どことなくノートに書いてあった魔法陣とも似ていた。
「外から乱すこともできる」
その一言で、部屋から音が消えた。
「魔力への外部干渉」
俺が呟く。
ノートの後半にあった、人間の回路図と魔法陣をあわせたものが連想される。
「君たちはそこまで読んでいるのか。なら話は早い」
「シオン教授」
セレナ先生が釘を刺す。
「公開されていた研究範囲まででお願いします」
「分かっているよ」
シオン教授が自分の手を開く。
「知っての通り、魔法使いは、自分の魔力を自分の魔紋で整える……ならば、その途中へ、外から別の揺らぎを与えれば?」
「魔力の流れが乱れる」
今度はルカが解答した。そして彼はそのまま続ける。
「もしそうなれば……魔法を使えなくできる?」
「それに対しては否だ。話はそこまで簡単ではない。だが、発動を遅らせる、術式を不安定にする、途中で崩すことは出来るだろう」
「成功したんですか?」
ルカが身を乗り出した。その振動で、積み上げた書類が数枚落ちた。
「小規模には」
沙耶香の手が止まる。
「……お姉ちゃんが? どれくらい?」
「最初は魔道具一つだった。魔力灯の術式へ外部から干渉し、明るさを落とす程度だったかな。次は、安全を確保した上で、術者一人。完全に止めることはできなかったが、魔法の発動速度は明らかに落ちた」
「じゃあ、これ、本当に魔法を妨害できる研究なんだ」
沙耶香の隣で、俺は体が震えていくのを感じた。
「そこから、どこまで進んだんですか?」
ルカの質問に、シオン教授はすぐには答えなかった。
彼はやがて首を振り、「それ以上は分からない」と言葉を切った。
「私が認めていたのは、そこまでだ」
「認めていた?」
「舞維君は、もっと先へ進もうとした」
さっきまであった笑みが完全に消える。
「一人の魔法を乱せるなら、範囲を広げられないかと」
「範囲?」
「教室、建物、そして、一定の空間全体」
その範囲内にいる全員が魔法を使えなくなる状況を想像して、止めた。
あまりにも、恐ろし。少なくとも生まれてからずっと魔法とともに生活してきている俺にとって、それは酸素が無くなるようなものだ。
「それって、かなり……」
「ああ。この研究は、あまりにも危険だ」
沙耶香へ、シオン教授は即答した。
「魔力灯が消える程度ならいい。だが、飛行中なら落ちてあの世へ真っ逆さまだ。一刻を争う治療魔法なら途中で止まり、手遅れになる。結界なら穴が開き、この学校だって安全ではなくなる。だから私は、彼女の研究を……」
静かな声と目で、シオン教授は沙耶香に向き合った。
「止めた。私が止めさせたんだ。安全性を確認するまで、それ以上の研究も実験も全て禁止した。危険なものは危険だとね」
一瞬、沈黙が流れた。
すぐにシオン教授は、少しだけ苦笑する。
「『危険で止めるなら、危険じゃないようにするための研究もできない』という彼女の言葉は、よく覚えているよ。『魔法使いにとって危険だからって、研究する前から全部止めるのはおかしい』とも言っていたね。それでも、今でも、判断自体が間違っていたとは思っていない。ただ……」
一拍置いて。
話している間に、一気に数十年老け込んだような彼は、もう一言付け加えた。
「別の言い方もあったかもしれないね」
沙耶香は何も言わなかった。彼女が「その後ですか?」と切り出すまで、永遠に時が経ったかとさえ思えた。
「お姉ちゃんが、先生に研究を見せなくなったの」
「……ああ。最後の半年ほどだ」
シオン教授が眼鏡を直す。
「彼女は、研究の一部を私にも見せなくなった」
俺はノートを見下ろす。
後半の、不自然に切り取られている何枚ものページ。
つまり。
「先生も、この続きは知らないってこと? 研究がどこまで完成したかも、今回の装置と同様のものを舞維さんが作れたかどうかも……」
「ああ。私の中の彼女の研究は、その時に終わっている」
その結論に、沙耶香がノートを抱えた。
「お姉ちゃんが学院を辞めたのって、この研究と関係あるんですか?」
「柊。そこまでだ」
セレナ先生が初めて割って入った。
「でも――」
「そこから先は、今回の事件にも関係する」
「私は、そのために――」
「だからこそだ」
セレナ先生の声は強い。
でも怒ってはいなかった。
沙耶香はしばらく先生を見ていた。
やがて。
「分かりました。じゃあ、最後に一つだけ」
沙耶香が立ち上がりかけて、止まった。
「お姉ちゃんは」
一度、息を吸う。
「この学院、嫌いでしたか?」
沙耶香の指はノートを強く握っていた。きっと、ここでの真実によっては、沙耶香が今後この学校で暮らすのに大きく影響してしまうだろう、と思ってしまった。
「紋無しって呼ばれて、それで、あんな研究をして……お姉ちゃん、魔法が嫌いになったんですか?」
シオン教授は沈黙を纏う。
でも、答えるまでにはほとんど時間がかからなかった。
「いや、大好きだったよ」
沙耶香の指が止まる。
「魔法も研究も、この学院も。少なくとも、私が知っていた舞維君はね」
笑顔でそう答えるシオン教授は。
写真で見た時と同じくらい、若返って見えた。
◇
「よかった」
研究室を出て、沙耶香が小さく呟いた。
「お姉ちゃんが、ここを嫌いじゃなかったんだ」
そう言った沙耶香は、ほんの少しだけ笑っていた。
そうか。ちょっと、不安だったんだ。
確かに、あんな魔法なんて無くなってしまえ、みたいな機械の設計図を見れば、そんな予感だってしていただろう。だけど、舞維さんがこの学校が好きだって証人がいた。
それだけでも今は一安心だ。
そのままセレナ先生の先導のもと、寮に帰ろうとした、その瞬間。
ふっ、と。
廊下の魔力灯が、すべて消えた。
「……え?」
完全な暗闇。沙耶香もルカも、セレナ先生も見えない。
そして何事もなかったように、灯りが戻った。
「何だったんだ? 今の?」
俺たちは、しばらく誰も動かなかった。




