爆発
九年前に出会ったあの人が、沙耶香のお姉さんかもしれない。
そう考えると、居ても立っても居られなくなって、俺は母さんにあのボールペンを送ってもらうように頼んだ。もっとも、母さんはすごいのんびり屋だから、手元に届くのは数日先だろうけど。
それに沙耶香曰く、ボールペンなんて人間世界ではどこにでもあるものらしい。仮にお姉さんのものだったとしても、手がかりになる可能性は低いそうだ。
「やっぱり、昔の記録を見るのが一番早いんじゃない?」
放課後、いつもの共用談話室で、沙耶香が舞維さんのノートを閉じた。
「写真とか、生徒名簿とか、学院年報とか」
「年報?」
「その年に何があったかまとめてる本とか。見たことないの?」
「ああ……」
そういうの、あまり見ようと思ったことないな。むしろ、沙耶香は見ているのか。
「でもそういうのが残っていたら、確かに舞維さんの写真も載ってるかも」
「うん、それなら一発ね。アンタも顔は覚えているでしょ」
「まあ、多分ね」
「そこは多分なんだ……信用できないなあ」
「無茶言うなよ……十年近くも前なんだぞ」
言葉にする以上に、顔そのものはぼんやりしている。
なのに、笑い方とか、声とか、そういうものは妙に残っていた。
「じゃあ、今から図書館行く?」
「え? でももう閉まる時間でしょ?」
「ああ、そっか。なら、資料室は? そっちならもっと資料ありそうだし」
「そっちはもっと早かったはず。確かもう閉館済みじゃなかったっけ」
「この学校、結構不便だな」
「いや、この時間帯なら大体閉まるでしょう。普通よ」
普通なのか。人間の図書館もこれくらいの時間に終わるのかな。今度聞いてみよう。
そう思いながら、俺は沙耶香がノートをしまい直すのを眺めていた。
沙耶香の姉が遺した大事なノートで、彼女が魔法使いを目指すきっかけで、人間が魔法を使う方法や、人間の機械と魔法を繋ぐ研究が沢山書き残されていた。
途中で切り取られたページや九年前の失踪が、何を語っているのだろうか。
調べたいものが急に増えた。
「マナト、楽しそうね。人のお姉ちゃんが行方不明なんだけど」
「あ」
まずい。なんか、顔に出ていたかも。
「違う違う。舞維さんがいなくなったことが面白いんじゃなくて」
「ふふっ、分かってる」
怒られるかと思ったのに、真逆だ。沙耶香は、口元に手を当ててくすくすと笑っている。
「一緒に調べてくれて、ありがと」
「……うん」
「……何か言いなさいよ」
「今うんって言った」
「そういうところよ」
何だろう。人間は難しい。だけど、ちょっと笑えてきた。
俺の口から笑い声が漏れるのに釣られてか、沙耶香も笑いだす。最初は小さかったけど、だんだんとそれは大きくなっていった。
なんか、一緒にこの謎を追いかけるの、楽しいかも。
その時。
窓の外が、一瞬、真っ白になった。
「――え?」
雷が近くに落ちた、そう思った直後。
「っ!?」
腹の底まで響くような音が、学院全体を揺らした。
窓ガラスが一斉に震える。あちこちに積んであった本がずれ、天井から細かな埃が落ちてきた。
「何!?」
俺も沙耶香も、談話室にいた生徒たちが一斉に窓際へ殺到した。
何だ何だと、口々にまくしたてるけど、俺たちは誰も彼も、今の音について何も分からなかった。
「煙だ……」
誰かの声が、俺たちに確信を与えた。誰かが示し合わせたわけではない。ただ、俺たちの目線は、学院の北側に吸い込まれていった。
いくつも並ぶ校舎の向こうに昇る、黒い煙へ。
「あれって、爆発?」
隣の俺にしか聞こえないような声で、沙耶香が呟いた。
『全生徒に告ぐ』
突然、天井から拡声魔法が響いてきた。
まだ会ったことのない先生の声。だけど、いつもの校内放送とは何かが違う。
低く、緊張した雰囲気だ。
『現在、北研究棟付近で事故が発生した。生徒は教師の指示があるまで、各寮及び指定された共用施設から出ないこと』
事故。
その単語に、談話室にざわめきが走った。
「研究棟で実験失敗?」
「何の魔法だよ……誰か失敗したのか?」
「これで明日の講義はチャラだな!」
色々な声が錯綜している。楽観的な意見が多いけど、俺は彼らに同意することはできなかった。
さっきの爆発。普通の実技で失敗した程度じゃ、確かにあんな音はしない。
御霊代には、防護結界だっていくつもある。そもそもここまで音が届くことが考えにくいんだ。
「……変だな。ねえ、沙耶香」
「駄目」
俺の言葉を遮りながら、沙耶香がぴしゃりと言い切った。
俺、まだ何も言ってないんだけどなあ。
「行きたいって、顔に書いてあるよ」
え。俺、そんなに分かりやすいだろうか。
困惑していると、談話室の扉が勢いよく開いた。
「全員、窓から離れろ!」
セレナ先生だった。
普段の面倒そうな雰囲気が全くない。
制服の上に羽織ったローブも、いつもよりきっちり留められていて、普段の着崩した感じは完全に消えていた。
自分の嫌な予感を確かめるために、俺は先生に駆け寄った。
「先生、何があったんです?」
「確認中だ。今はこの建物から出るな」
「爆発ですよね? 何があったんですか?」
「今は余計な詮索をするな」
「え? でも――」
「するな」
「……はい」
ちょっと、凄まれて黙り込んでしまった。これ、今日は逆らわない方がいいかも。
「怪我人は?」
今度は沙耶香だ。
先生は一瞬答えるべきか迷ったみたいだけど、やがてため息をついて教えてくれた。
「数名いるが、今のところ重傷者はいない」
談話室の空気が少しだけ緩んだ。
でも先生の顔は変わらない。
「魔法事故ですか?」
別の生徒が聞いた。
「……現在調査中だ」
今、セレナ先生が黙った。
俺はその間を見逃していない。その隙に、もう少し踏み込んでみる。
「先生」
「今度は何だ」
「魔法事故じゃない可能性もあるんですか?」
「……アズマ」
「はい」
「今夜は大人しくしていろ」
答えてくれなかった。
ということは、裏を返せば……。
「何かあるってことだよね」
「行かないからね」
隣から沙耶香が言い切ってきた。まだ何も言っていないんだけどな。
「絶対行こうとしてたでしょ」
「……でもさ、気になるじゃん」
「野次馬根性じゃない。先生が今夜は大人しくしろって」
「……分かった、行かないよ。行かないから」
「黙ってこっそりと行こうって、顔に出てるよ」
またかよ。俺、そんなに分かりやすいのかな。もういっそ、変装して過ごそうか?
観念して、俺は「ちょっと見るくらい」と言ってみたけど。
「駄目」
「そんな殺生な……遠くからでいいから」
「駄目」
「一分だけ、一分だけ!」
「駄目」
「……分かったよ」
「本当に?」
「分かったって……多分」
「アンタの多分、こういう時は本当に信用できない。ルカに頼んで、見張りつけてもらうからね」
アイツもどっちかというと見に行こうとする側じゃないか?
そう思ったけど、口にしたらもっと面倒になりそうだから黙っていることにした。
……今度は顔に出ていないよね?
◇
「うわ……」
男子寮で、窓の外を見たルカが声を漏らした。
「まだ煙出てるじゃねえか……何があった?」
「事故らしい」
「らしい?」
「先生がそう言ってた」
「信用してない顔だな」
そりゃそうだ。
ただの事故だったら、見に行かせてくれてもよさそうなのに。
そもそも、あれが本当に事故なのかさえ怪しい。ただの爆発事故なら魔法研究じゃよくあることだし、それであそこまで大騒ぎすることもないだろう。
それに何より。
「セレナ先生が変だった」
「あの人はいつも変だろ」
「ローブちゃんと着てたんだよ。しかも、面倒って言葉を一切口にしなかった」
「……大事件だな。爆発した北研究棟って、何があったっけ」
何だったっけ。……あ、思い出した。
「古い魔道具とか、昔の研究資料じゃなかったか? 今使ってる研究室は東棟の方だろ」
「ああ、そうだったな。なら、昔の魔道具が誤作動して爆発しちまったのかもしれねえな」
ルカがそう推測を立てている一方で、俺は自分の言葉を頭の中で繰り返していた。
昔の研究。思わず、舞維さんのノートが頭に浮かんだ。
九年前の研究。もしかしたら、あの設計図に関係するものが何か残っているかもしれないな。
「……ん?」
その時、外でまた別の動きがあった。
煙が昇っているところへ、教師たちが何人も向かっている。走っていたり、箒で飛んでいたり、自分の魔法で滑空していたり。
そして、彼らの手元……杖から、様々な光が何度も点滅していた。
あれはきっと、調査のための魔法なんだろう。あちこちを照らしていくけど、なかなか手がかりは見つけられないみたいだ。
だけど、その光がただ一点を見つけて、集中していく。
先生が拾い上げた瞬間、調査魔法の光がそれを照らした。
「……」
「どうした?」
「ルカ、あれ見えるか?」
「どれ? ……瓦礫じゃね?」
「その横。あそこの先生が拾っているやつ」
「……お前、目良すぎねえか?」
ルカの言葉は、もう耳に入ってこない。他の誰よりも、俺が目を疑っていたから。
黒い板と、そこから、何本もの細い線が垂れている。
一瞬だけだったから、細かいところまでは見えていない。
でも、その輪郭には見覚えがある。……いや、何度も見ている。
あれは……
「……人間の機械?」
「は?」
目を点にしているルカを放っておいて、俺は机へ向かった。
この前の、扇風機を改造した時に取り外した部品がまだ残っている。
黒い基板と、その上を走る細い線。
細かいところは全然違うけど、窓の外で見えたものと妙に似ていた。
「いやいや、御霊代……魔法学院の研究棟だぞ? そんな、人間の機械なんてあるか?」
普通なら、否と即答するべきだ。
でも、舞維さんのノートがずっと頭に張り付いて離れない。
魔法陣と、その周囲に描かれていた、人間の回路に似た線。
「……」
偶然のはずだ。
だけど、爆発した研究棟に散らばっていた黒い破片がどうしても、俺には人間製の部品に見えた。




