隆景
岩屋城は小城であるにも拘わらず、紹運の采配によって、鬼に一歩たりとも城内へ踏み込ませていなかった。この戦い方は大友方の諸城にも伝えられており、三日が経っても陥落した城はないようである。
しかし鬼は疲れというものを知らず、兵らは昼夜を問わず戦い続けなければならない。確実に疲れが溜まってきており、信生は岩屋城がいつまでも耐えられるとは思えなかった。
「やはりこのような狭き城では、兵の数が足りず、長く戦い続けるのは難しいようです」
鬼の数は数万であるのに対し、岩屋城に入れる兵は精々二千ばかり。これでは兵を交代させることもままならない。大友家としても余力がなく、援軍には期待できない。
「その通りであろう。あくまでこれは時を稼いでいるに過ぎぬ」
「毛利や長宗我部が手を貸してくれればよいですが」
「奴らがそう物分かりがいいとは思えぬな。特に輝元などは愚将と申すではないか」
毛利家の現当主、毛利輝元のことである。
先代の当主元就の嫡男・隆元が若くして命を落としたことで、その嫡男、つまり元就の嫡孫たる彼が当主の座に就いた。そのため、家臣の多くが輝元より年上であり、家中は元就時代ほどの結束を保てているとは言い難い。
「愚将なればこそ、鬼に恐れをなして手を貸してくれるのでは?」
「ははっ、なるほど。確かにそうとも言えるな」
「もっとも、本当の愚将であれば、国境の守りが手薄になった大友を攻めてくるやもしれませんが」
「馬鹿な。いくら輝元でも、そこまで馬鹿ではあるまい」
「そうであるとよいのですが」
大友は現在、鬼との戦のためにほとんどの戦力を西の国境に集めている。同じく鬼に襲われている島津は大友との停戦を約束してくれているが、毛利や長宗我部については安心できない。
○
信生の懸念は残念ながら現実のものとなった。岩屋城の戦いが始まって七日が経った頃のことである。
「紹運様! 毛利が、毛利が動いたとのこと! 我らの領国に攻め入らんとしております!」
「馬鹿なッ……。それほどまでに愚かだったとは……!」
紹運は珍しく怒りを露わにした。
「某も、まさか本当に攻めてくるとは思いませんでした」
「父上、これはどうすれば……」
「大名家同士の関係だ。殿に対処していただく他あるまい。毛利の馬鹿共を説き伏せてもらわねば」
「それもよろしいでしょうが、まずは某が毛利と話をつけて参ります。毛利と龍造寺は懇意にしておりました故」
「……なるほど。確かにお前ならば、話もしやすかろう」
大友と毛利は長年にわたり敵対してきた。そして同じく大友と敵対していた龍造寺は、毛利と組んで東西から大友を圧迫していたのである。信生もまた、毛利家の重臣とは何度か顔を合わせたことがある。
「であれば、今すぐ毛利に向かえ。頼むぞ」
「紹運殿からお願いをされるとは」
「茶化すな。とっとと行け」
「はっ。行って参ります。くれぐれも、某が戻ってくる前に城が落ちたなどということはありませんように」
「たわけ。儂がおる限り、この城は落ちんわ」
「左様でしたな」
鬼は幸いにして頭が悪く、城を包囲するなどという発想はなかった。鬼が攻め寄せていない東側には鬼の姿はなく、夜間に少数で息を潜めながら移動すれば、それほど大きな危険はない。
信生は大急ぎで毛利領を目指した。
○
「もう豊前に渡っていたか……。なかなか動きが早い」
毛利勢およそ二万は既に九州に上陸して陣を構えていた。ここで戦端が開かれれば取り返しがつかないので、大友家はひとまず彼らに手を出さずにいた。
信生は僅か数名の供回りと共に、その陣を訪ねた。
「某は龍造寺家が家臣、鍋島孫四郎と申す。この軍勢を率いる将と話がしたい」
「龍造寺……? そのようなお方が何故、大友方の使者として?」
「やはり、九州の情勢はそちらに伝わっていないか。誰がお前達を率いている?」
「小早川左衛門佐様です」
「隆景か……。一番話の通じるお方だ。すぐに小早川殿と会わせてくれ」
小早川左衛門佐隆景は元就の三男、つまり輝元の叔父にあたる人物である。次男の吉川元春と共に毛利両川と称される重臣中の重臣であり、人徳と知恵を併せ持つ有能な武将だ。
隆景はすぐに信生を迎え入れた。
「鍋島殿、一体どういう訳ですか? どうして龍造寺家臣の貴殿が、大友の使者として?」
「それがわからぬということはやはり、あなた方には、九州で何が起こっているのか伝わっていないようですな」
「確かに近頃おかしなことが起こっているようですが……詳しく聞かせてくださいますか?」
「はい。にわかには信じ難いと思いますが、どうか最後までお聞きください」
信生はこれまでと同じく、隆景にも全てを説明した。鬼のこと、龍造寺の領国が滅んだこと、大友が今まさに鬼と戦っていること。
「……確かに、とても信じられる話ではありませんね。子供のお伽噺としても出来が悪い」
「はい。しかし嘘は一つも申しておりませぬ。こればかりは、ただ頭を下げることしかできません」
「貴殿が大友にいるというのが何よりの証。それに、仮に私を騙すつもりなら、そんな馬鹿げた話はしません。ここは貴殿を信じることとしましょう。鍋島殿の言葉の真偽は、物見を出せばすぐにわかることです」
あまりにも信じ難いことを言っているからこそ信用できる。隆景はそう判断した。
「ありがたい。であれば、大友との戦は直ちに停止して頂きたい」
「無論です。加えて、鍋島殿の話が本当だと確かめた後、我が軍勢は大友に手を貸しましょう。人同士で相争っている時ではありますまい」
「聡明な小早川殿が大将で助かりました」
「買い被りですよ、それは」
「某が人質として残ります。逸早くお確かめを」
まもなく、毛利勢が放った物見も自らの目で九州の状況を確認した。




