大友の死闘
毛利勢を案内して西方の国境に戻る途上、信生には悪い報せが次々と届いていた。
「何? 立花山が落ちただと?」
「間違いは、ございませんかと……」
「ついにそこまで……」
国境の北の守りの要、大友の重臣戸次伯耆守鑑連(または法名から道雪)の籠る立花山城が陥落したとの報せ。北九州で最も堅牢なはずの城が落ちてしまったのである。
「あれほどの要害が落ちるとは、どうやら情勢は芳しくないようですね」
隆景は言う。立花山城は毛利と大友が死力を尽くして奪い合った要所である。
「いかにも。大友は追い詰められつつあります。このままでは、大友が鬼に滅ぼされるまでそう長くはかかりますまい」
「我らの助太刀がなければ、でしょう?」
「はい。毛利の助けがあればまだ、耐え抜くこともできるやもしれません」
「我らの助力があっても、耐えるだけだと?」
隆景はまだ、大友の兵が軟弱であるから鬼に負け続けなのだと思っていた。いくら聡明な彼でも、見たこともない化け物について正確に想像するのは難しかろう。
「小早川殿は鬼を見たことがない故、そのようなことが言えるのです。まずは鬼の実物を見分した方がよろしいかと」
「その方がよいかと、私も存じます。見たこともない敵と戦うというのは、兵法の常道から外れていますからね」
「敵を知り己を知れば――というものですか」
「ええ。まずは敵を知らなければ」
幸いにして何匹かの鬼が生け捕りになっていた。信生は大友義鎮にそのうちの何匹かを送るように要請して、それはすぐに叶えられた。木製の檻に閉じ込められた鬼が毛利勢に送られてきた。
「これが、鬼……」
「はい。このような化け物と、我らは戦っているのです」
人間を見るや檻に体当たりし、あるいは噛みついて食い破ろうとする化け物。人間の姿をしているが、とても人間とは思えない存在である。
このような怪物を前にして、流石の隆景も顔を青くしていた。これを始めて目にする毛利の兵らも動揺し、反射的に刀を抜いたり、腰が抜けて転倒したりしていた。
「一匹だけなれば、大勢で囲んでこのように生け捕りにすることもできます。しかしそれは偶然。大半の鬼は群れて動きます。このようなものが何十万と攻め寄せてきているのです。それにこやつらの厄介なところは――」
信生は家臣から槍を受け取り、鬼の腹を突き刺した。しかし鬼は怯む様子痛がる様子もなく、変わらず檻を破ろうと暴れている。
「獣のように暴れるでもない……。痛みというものを感じていないのですか?」
「流石は小早川殿」
「そうとなれば……真っ当な戦にはなりませんね」
「はい。それが我らの苦戦している所以です」
敵は痛みを感じず、死を恐れることもない。武器も持たない相手にこれほど負け続けている理由を、隆景はようやく正しく理解した。
「これは……我らが合力したところで、時間稼ぎすら怪しいものです。毛利の動かせる兵を全て使ってやっと、食い止められるかどうか……」
「はい。いずれは織田や東国の諸大名の協力を得なければなりますまい。ですが、一先ずは時を稼がねば」
「委細、承知しました。すぐに輝元様に事情を伝えます。すぐに三万は出せましょう」
「助かります。現下、立花山が落ち、鬼は北から雪崩れ込もうとしております。小早川殿にはこれを押さえて頂きたい」
「わかりました。鍋島殿はどうされるのですか?」
「某は岩屋城に戻ります。紹運殿に城を枕に討ち死になどされると困ります故」
「そうですか。ご武運を」
信生と隆景はそれぞれの目的地に向かった。
○
一方その頃。岩屋城での戦いは激しさを増すばかりであった。
「クソッ! 来るなッ! 来るなッ!!」
「落ち着け! 頭を狙うな! 腕を落とすんだ!」
「や、槍が――うわぁぁぁぁ!!」
兵らは疲れ知らずの鬼の攻勢に疲れ果て、冷静さを失っていた。少しでも気を抜けば鬼に槍ごと引きずり込まれ、鬼の群れの中で喰い殺されることになる。
「鬼が登ってきた!!」
「殺せッ!! そいつの首を叩き斬れ!!」
鬼が石垣を乗り越えることもしばしば。城内に侵入した鬼は即座に刀で首を落として殺し、何とか持ちこたえているが、この均衡が崩れるのも時間の問題であろう。鬼の数は減っているようには見えなかった。
「父上、この城と兵らはもう限界です。ここに籠り続けるのも、限界かと……」
統虎は紹運に言う。山城たる岩屋城は鬼を相手に意外なほどの防御力を発揮しているものの、城の縄張りが狭く、多くの兵を収容することはできない。兵らを休めることができず、疲れが溜まる一方であった。
「その程度、言われずともわかっておる」
「では……」
「だが、ここを通すわけにはいかぬのだ。岩屋が落ちれば、後ろの城は戦には向いておらぬ」
「今は秋月も我らに合力しております。古処山などに下がればよろしいのでは?」
「そうか。忘れておったわ」
大友家の勢力圏はかなり凹んだ歪な形をしており、その『凹み』を領するのが島津氏に従属する秋月氏である。秋月と大友は基本的に敵対関係だったのだが、流石に今は共闘関係にある。
「父上……」
「だが、それでもならぬ。ここが落ちれば立花山が孤立する。それだけは許せん」
立花山城陥落の報せはまだ届いていない。
「そ、それはそうですが……」
「であるから、ここを通すわけにはいかぬのだ」
「しかし、時を稼ぐことはできても、落城は必至です!」
「言うではないか。だが立花山が戦い続けている限りは、我らが退くことは許されん。よいな?」
「……はっ」
紹運は猛将と評判であるが、その判断はいつも合理的なものであった。大友家の戦力のかなり大きな部分を担う立花山を孤立させるのは、戦略的に悪手である。
と、その時であった。
「殿、鍋島殿が戻って来られたようです」
「おお、そうか。奴め無事に戻ってきたか」
紹運はもう信生への恨みなどない。彼をすぐに屋敷に呼びつけて出迎えた。相変わらず城の後方に鬼は少なく、夜闇に紛れれば、城に入るのはそう難しいことではなかった。
「鍋島、血塗れではないか」
「外の鬼を何匹か殺してきたもので。お許しを」
「そのようなこと儂は気にせん。それよりも、毛利はどうなった?」
「毛利は我らに合力すると約し申しました」
「そうか……。奴らでも、その程度を考える頭はあったか」
「相手は小早川殿でして、助かりました。それともう一つ。もうご存じかもしれませんが、立花山が落ち申した」
「何……? あの道雪が……?」
紹運は恐らく初めて、信生に動揺を見せた。




