紹運
龍造寺家は元々肥前の国人の一つに過ぎず、かつては大友家に従属していたが、昨年の耳川の戦いで大友が島津に大敗したのを期に、これを裏切って独立し、肥前やその周辺国に勢力を広げていた。大友家にとっては不倶戴天の敵であろう。
信生は道中で合流した者を含め三千の兵と共に、大友家の西の守りの要たる岩屋城に向かった。道中の関所を守る兵はただならぬ様子を察し、ひとまず一行に手を出さなかった。通してくれたのは百人程度だけであるが。
岩屋城は籠城を前提とした山城であり、武骨な様は乱世に似つかわしい。少数の軍勢も城内に入れることは許されず、信生はほんの数人の供回りと共に城に入り、城主と面会した。
「貴様! どの面下げてここに来た!! 今すぐ叩き斬ってくれるわ!!」
この城の主は、風神、戦神、摩利支天の化身などと呼ばれる大友の重臣・高橋主膳鎮種、法名を紹運という男である。
紹運は面会するや否や刀を抜き、信生に斬りかかろうとした。無理もない。信生は大友家当主・宗麟の弟を討った男なのだから。
「父上! 鍋島殿が我らに頭を下げてくるなど、ただならぬ事情もありましょう。話くらいは聞いてやるべきです」
紹運の息子、高橋弥七郎統虎――後に立花飛騨守宗茂と呼ばれる青年――が止めに入った。紹運は深く息を吸い、ひとまず刀を収めた。
「感謝いたします、弥七郎殿」
「で、貴様は何をしに来たのだ? 儂に殺されに来たのか?」
「大友方のお怒りは重々承知しております。しかし、どうしても一つだけ申し上げたきことがあり、参ったのです。某を殺すかどうかは、その後でお決め下さいませ」
「……よかろう。話せ」
「はっ」
信生は包み隠すことなく、肥前で起こったことを全て紹運に話した。だが当然、そう簡単に信じてもらえるものではない。
「世迷言を。さしずめ、隆信に粛清されそうになったから逃げてきたといったところであろう」
「申し上げたはず。御屋形様は既に死に申した」
「馬鹿なことを」
「仮に某が龍造寺を追われ、大友に逃げてきたのであれば、こんな子供の作り話のような嘘は申しません」
「父上、鍋島殿の仰る通りです。我らも、肥前にただならぬ動きがあることは既に察知しております」
龍造寺が三万ほどの大軍を動かしたことは、周辺の大名であれば既に察知している。そして松浦などの小大名相手にそれほどの軍勢を動員することが異常だということも、よくわかっている。
「そんなことはわかっておる……」
と、その時であった。急ぎの伝令が紹運の許に駆け込んできた。
「どうした?」
「申し上げます。西の関所に数百の流民が押しかけてきているとのこと。大友に庇護を求めております」
「恥ずかしながら、龍造寺が領民でありましょう。最早我らに、民を守る力は残されておりませぬ……」
信生は俯きながら言った。民を満足に避難させることすら出来なかった自らの不甲斐なさを、恥じることしかできなかった。
「その者らは、ただ領地から逃げてきたのではないのだな?」
重税に耐えかねて百姓が村を捨てるというのは、奥羽から薩摩までよくあることだ。
「そのような様子ではないとのこと。ろくな私財も持たず、まるで戦場から逃げてきたかのようだとのことです」
「うむ……」
紹運は再び、深く息を吸って吐いた。その目つきは真剣そのものであり、信生を馬鹿にする様子など微塵もなかった。
「貴様の言葉に、嘘はないようだな」
「はい。恥を忍んでお頼り申し上げるのです。嘘などは申しません」
「よかろう。で、貴様は我らに何をさせたいのだ?」
「申し上げるまでもないこと。大友には鬼と戦って頂きたい。いえ、某がどうこう言おうと関係なく、鬼はすぐに筑前に攻め込んでくるでしょう。鬼には相手がどこの者かなど関係はございません」
「その鬼とやらは、どのくらいでここに来るのですか?」
統虎が問う。
「恐らく、一月とかからないでしょう。早ければ半月ほどで、この岩屋城に押し寄せてくるものと思われます」
「そんなに早く……。では、数は?」
「肥前に住まう民は、概ね四十万。その半分が鬼になったと考えれば、およそ二十万かと」
「二十万……」
統虎は恐れおののいた。彼だけでなく紹運の家臣達も顔を青くしていた。だが紹運だけは顔色一つ変えなかった。
「して、鬼と戦ったというからには、如何に戦うべきか、それなりの見識があるのであろうな?」
「無論でございます。もっとも、我らは鬼を相手に敗れ申しましたが」
「それでも構わぬ。知っていることを全て話せ」
信生は鬼の行動の特徴、能力、殺し方など、知っていることを全て紹運に伝えた。鬼の大半は群れて行動すること、音に非常に敏感であること、力は強く俊敏であること、首や心臓を正確に狙わなければ殺せないこと、などである。
「そうか。そこまでわかれば、それなりの策は練れる。統虎、今すぐこのことを府内に伝えて参れ!」
「直ちに!」
「話を聞いていただき、感謝の言葉もございません」
「大友にとって利がある話であったから生かしているに過ぎぬ」
「はっ。また、我が殿と将兵についても、どうか庇護をお願い申し上げます」
殿というのは龍造寺政家のことである。
「よかろう。ただし、鬼とやらが来れば、儂の旗の下で戦ってもらう。よいな」
「無論にございます。しかし、失礼ながら、この城には精々二千の兵しか入らないと存じますが」
「うむ。この岩屋城にはそれだけしか入らぬが、周辺の諸城にも助太刀に向かってもらう。一度鬼と戦ったことがある者を、それぞれの城に十人ずつは置きたい。よいな?」
「はっ。我が兵は如何様にもお使いください」
「ふん。政家の兵ではないのか?」
「少々言葉を間違え申した」
「まあよい。些細なことだ」
島津に押され気味ではあるものの、大友家は依然として九州最大の勢力を誇っている。その大友家が鬼に呑まれれば、九州全土が蹂躙されるのは確実だろう。




