本能寺の後
本能寺の変が発生してから十日ほどが経ち、最早その情報を疑う余地はなかった。直茂はというと、龍造寺と島津の国境付近にある隈本城を訪ねていた。島津方の城である。
「鍋島殿がわざわざ我が方の城を訪ねてくるとは、一体どのようなご了見かな?」
島津薩摩侍従義弘が直茂を出迎えた。島津家当主・義久の弟であり、鬼との戦に際しては直茂と共闘した仲でもある。
「腹の探り合いはやめましょう。上方の変事、ご存知ないはずがありますまい」
「まあ、そうですな。無論、上様が亡くなられたことは承知しています」
「島津はどうされますか? この機に乗じて九州一統に乗り出しますか?」
「随分と直截に聞いてこられますなあ」
島津は鬼との戦で疲弊しているとは言え、その領地である薩摩・大隅・日向南部などは無傷である。島津の国力は九州において他を圧倒している。
「惟任殿が負けることは確実です。恐らく羽柴殿が実権を握ることになりましょう。しかし、羽柴殿が足場を固めるまで暫しの時間がかかる。その間に九州を平らげることも、島津には不可能ではありますまい」
「随分と我らを高く買っていただいているようで」
「事実を申し上げたまでです」
「それで、鍋島殿は結局、何が仰りたいのですかな?」
「島津には、動かないでいただきたい。九州で血が流れることを、龍造寺は望みませぬ」
もしも島津が本気で動けば、龍造寺も大友も太刀打ち出来ない。
「ただ頼むだけとは、鍋島殿らしくないですな」
「龍造寺に出せるものはありませぬ。頭を下げる他にないのです」
「領地なら出せると思いますがな」
「……やはり、島津はそう考えているのですか」
直茂と義弘の間に緊張が走った。直茂は島津との戦すら覚悟した。しかし、義弘は唐突に高笑いした。
「……島津殿?」
「いやいや、冗談じゃ。もしも島津が九州一統に乗り出したとて、それを成し遂げる前に織田が乗り込んでくるに決まっておろう」
「ええ、そうでしょうな」
光秀の劣勢は明らかだ。秀吉が織田家の混乱を収拾するまでに、半年も掛からないだろう。いくら島津でも、半年で九州を統一して織田を迎え撃つ用意を整えるのは不可能だ。
「もっとも、それもあるが、戦には疲れたのです。いくら薩摩隼人と言っても、あれほど多くの命が失われた後に、新たな戦をしようとは思えませぬ」
「なるほど」
「それに……お主らとは共に鬼と戦った仲だ。殺し合いなどしたくはない」
「ありがたきお言葉です。共に九州の平穏を守りましょうぞ」
龍造寺と島津は動かないと決めた。秀吉には光秀の討伐を支援するとの使者を送ったものの、実質的には静観である。
「惟任殿には世話になりましたが……」
「惟任に味方するなどあり得ませぬな」
「ええ。我らを討伐する名目を織田に与えるなど、論外です」
光秀は九州の解放に大いに尽力し、九州の諸大名は大きな恩がある。直茂を含め、内心では光秀に味方したいと思う者も多かったが、現実はそれを許さなかった。
〇
光秀討伐に最も早く動き出したのは、意外なことに武田勝頼と徳川家康であった。両大名は信忠の嫡男・三法師の救出と光秀の討伐を名目とし、秀吉に先んじて近江に兵を進めた。
「まさか我らが徳川と旗を並べることになろうとはな」
「互いに利があるというだけのこと」
「徳川殿は未だに武田を恨んでいるのか」
「恨みは忘れぬ。だが、一時期よりは幾分かマシになった」
「それはよかった」
武田・徳川連合軍の兵力は三万ほどであった。光秀は精々二万の兵しか動かすことができず、西からは秀吉も迫っており、万事休すであった。
光秀は先に攻め寄せた武田・徳川勢が京に侵入するのを防ぐべく、大津にて決戦を挑んだが、衆寡敵せず敗北。敗走の最中に落ち武者狩りに遭って討ち死にした。
〇
「いやはや、この秀吉、武田殿と徳川殿の織田家への忠義に感服しましたぞ」
光秀を西から追い詰めていた秀吉は、京にて勝頼や家康と面会した。
「逆賊を討伐するのは当然のことであろう」
「上様と長年の盟友であったこの家康が、動かぬ訳がなかろう」
「それはごもっとも。此度の戦功第一は武田殿と徳川殿に相違ござらん。三法師様より加増がございましょうぞ」
未だ元服していない三法師に織田家を率いる力があるはずもない。並み居る家老達がこの世を去った今、秀吉が織田家を実質的に仕切ることになるだろう。
しかし、秀吉が筆頭家老より上の地位に就くことはできない。もしも三法師を軽んじるようなことがあれば、日本全国の諸大名が秀吉討伐の大義名分を得ることになる。
「北条や上杉にも、我らの背後を守ってもらった。東国の諸大名にも褒美を与えてもらいたい」
「うむ。もちろんじゃ」
光秀討伐の功を奪われたからには、秀吉も勝頼と家康に配慮せざるを得なかった。
結果として、武田には美濃全域が、上杉には能登全域が加増されることになった。また、徳川と北条の加増はやや特殊な形となり、徳川から北条に駿河を渡す代わりに、徳川には尾張一国が与えられた。
特に武田と徳川は大幅な加増を受け、織田政権における大大名としての地位を確固たるものとした。




