九州征伐の終わり
「一同、此度の戦は大儀であった。次は立花山である。立花山城下にも既に、信忠が逆さ城を築いておる。後は鬼を飢えさせ、巣穴から出てきた鬼共を根絶やしにするだけよ」
「九州に残る鬼の半分ほどが立花山城に集まっていると考えられます。これを根切りにすれば、鬼が滅ぶのも時間の問題です」
「皆の者、出陣ぞ!」
立花山城周辺に集まる鬼の数はおよそ三万であった。織田勢は逆さ城の戦術を用い、十一万もの兵力を投入して殲滅に当たった。
包囲戦では、信忠勢四万を配した東の土塁でのみ、兵を土塁の陰に隠して守りが薄いように見せかけた。鬼はまんまとそれに引っかかり、二万の鬼が信忠勢に襲いかかった。
「狙い通りに動いてくれたか……。鉄砲組、思うがままに放て! この土塁に取り付くことすら許すな!」
信忠勢には二万の鉄砲が配備されていた。鬼がこちらに襲いかかってくることに賭けた配置であるが、その賭けには勝った。
鉄砲隊は土塁の上から五段撃ちを行う。堀の手前にも柵や逆茂木などの障害物が大量に配置されており、鬼は堀に辿り着くことすら出来ないまま、あっという間に数を減らしていった。
「鬼の一部が堀に入ります!」
「完璧な戦とはならなかったか。まあよい。堀に入った鬼も鉄砲で滅ぼせ」
堀に突入することが出来た鬼は五千に満たなかった。その数では、鬼の体を積み重ねて堀の壁面を登ることも不可能である。
土塁を登ろうとして手を滑らせている間にも鉛玉の雨が降り、鬼は全く抵抗らしい抵抗も出来ず、全滅した。
〇
織田勢は鬼の掃討を始めた。九州北部のあちらこちらに餓死した鬼の死体が転がっていた。残った鬼は散り散りになっており、大きな脅威はなかった。
万一にも鬼を見逃さないよう深い森の奥まで軍勢を進めたことで、掃討戦には立花山城での戦いの後さらに九ヶ月を要した。
そして最後に軍勢が足を踏み入れたのは、鬼の蔓延が始まった地である平戸島であった。もっとも、鬼の大半は九州本土に渡っており、残る鬼は千体程度であった。
「これで終わり、であるな。これで鬼が日本を脅かすことはない」
「対馬が残っておりますが……」
「対馬は遠すぎる故、守れぬ。宗家の者共にはすまぬが、対馬だけは捨てさせてもらおう」
「上様、内々に申し上げたいことがございます」
信生は人払いを願い出て、信長と二人だけで話す場を設けてもらった。
「これをご覧ください。伊達殿が見つけたものです」
「何だ」
信生が持ってきたのは両手で抱えるくらいの大きさの箱であった。
信長がそれを開けると、中には赤子の死体が入っていた。しかし、その顔には腐ったような斑紋が浮かび、とても人とは思えぬものであった。
「……鬼が子でも産んだと申すか」
「恐らくは。早いうちに根絶やしにできたのは、我らにとって幸運でした」
「で、あるな。このことは伏せておけ。勝利を祝おうぞ」
天正十二年、鬼の出現から四年を経て、日本から鬼はほぼ根絶されたのである。
〇
それからすぐ、安土城にて。
「これなるは、朝鮮国から参りました李舜臣と申す者にございます」
「よう参った。早速、朝鮮と明国の状況を話してもらおうか」
朝鮮から落ち延びてきた将軍・李舜臣は、信長と面会していた。
「李殿が申すには、朝鮮国は既に滅びたとのこと。また、明国は長城の内側に籠り、長城より北を全て捨てたとのこと」
「長城は北側にしかなかろう。南はどうしておる」
「南側にも簡単な長城を築き、長安・太原などより南は捨てたとのことにございます。また、南にあった諸国は既に鬼に呑まれ、滅びているとのこと」
今や東アジアで無事と言えるのは、明国の中枢部と日本、そして南方のいくつかの島のみであった。
「李殿は、朝鮮を取り戻すべく、援軍を求めております」
「いずれはそうしよう。しかし、日本も九州の復興や沿岸の防備で忙しい。それには数年を要するであろう」
九州の北半分はすっかり荒れ果ててしまった。避難民が戻ったところで、すぐに復興できる訳ではない。また、万が一にも流れ着いた鬼が居着くことのないよう、沿岸の警備にも万全を期さなければならない。
〇
佐嘉城にて、龍造寺家臣団の面々は、当主たる龍造寺肥前守政家のもとに集まっていた。
「肥前・肥後の復興には、まだまだ時が掛かりましょう。我ら一同、御屋形様をお支えする所存にございます」
信生は家臣団を代表してそう挨拶した。今や信生の名は日本全国に知れ渡っており、龍造寺家中での圧倒的な地位に揺らぎはない。
「よろしく頼む。誰もおらぬ領地を一から作り直すとは、前例のなきこと。皆の力を貸してもらいたい」
「「はっ」」
日本には当分、世界に構っている余裕はないであろう。
九州への移住者が全国から募られ、十万を超える百姓がこの地に移ってきた。惟任光秀率いる三万の軍勢はなおも九州に駐屯し、沿岸の警備にあたっている。
全国の海岸には半里ごとに見張り台が整備された。海岸近くに住む民には、漂着船を見つけたらすぐさま近くの代官所に報告し、内陸に逃れるよう命じる触れが出された。
信長は臣下最高の官職である太政大臣に就任し、織田大相国と呼ばれるようになった。その権威は日本全国に行き渡り、再び私戦を起こそうとする大名はほとんど現れなかった。




