佐嘉の決着
「北条殿、ここで尻込みしていては、北条は敵を前にして逃げる軟弱者しかおらぬと、天下の笑い者になりましょう」
「……笑い者になったとて、銭が減るわけではあるまい」
なおも渋る氏政に、その弟・氏照が進言する。
「殿、笑い者になるとはすなわち、未来永劫にわたって北条が軽んじられるということです。実利の面でも、失われる物は大きいかと」
「……わかったわかった! 鍋島の策を採り、鬼を背後から攻める!」
影響力というものは目には見えないが、氏政はそれが極めて大きな実利に結びつくことがわからないほどの愚か者ではない。
北条勢は北側の堀の切れ目から逆さ城の内側に入った。北条勢はなるべく音を立てないように移動し、反対に武田・上杉勢は鉄砲を空に放ち、太鼓を鳴らすことで音を立てた。
北条勢は、武田勢や上杉勢に釘付けになっている鬼の背後に陣取った。
「……よし。鉄砲、弓矢、放てるものは全て放て! 鬼を堀に落とすのだ!」
氏政は少しばかり声を震わせながら、その命令を発した。北条勢は鉄砲隊と弓隊がそれぞれ一万ずつである。ほとんど全員が飛び道具を持ち、土塁に群がる鬼に向かって攻撃を開始した。
「やはり、効いておりますな」
「弓でもそれなりに効果があるようです。鍋島殿の見立てに狂いはありませんでしたな」
鉛玉は、身体のどこに命中しようと、大抵の鬼を落とした。矢であっても、肩や膝に突き刺されば、やはり土塁を登ることは困難になる。
鉄砲は二千丁ごとに五度の斉射を行い、放たれた弓矢の数は数万に上り、たちまち一万ほどの鬼を堀の底に落とすことに成功した。
だが、土塁を登れなくなった鬼の視線は、後方の北条勢に向けられた。鉄砲を散々撃って轟音を立てているのだから当然だろう。その数はおよそ五千である。
「鉄砲を捨てよ! 四人組で迎え撃つのだ!」
前列の一万の鉄砲隊は、すぐさま鉄砲を置き、槍と刀を持った。後列の一万の弓兵は土塁の鬼に射撃を続ける。
柵すらないが、北条勢はすぐさま防戦の構えを整えた。陣地もなしに二万対五千というのは、人間にとって分が悪いと言わざるを得ないが、戦う以外の選択肢はない。
槍兵が二人で一本の槍を鬼に突き刺して動きを拘束し、その間に四人組の残りの者が刀で鬼に止めを刺す。しかし、全てが上手くいくわけではない。槍を躱した鬼が兵らの間に飛び込んできた。
「やはり、こうなることは避けられぬか……」
「しかし、これで武田勢と上杉勢が楽になります。北条殿には心より感謝申し上げます」
「儂はあ奴らを助けるために出張ったのではないわ。あくまで北条のためだ」
「そうであっても、結果は結果です」
光秀が用意した腕と脚の守りを強化した具足や、鼻と口を覆う面頬のおかげで、鬼との接近戦にもある程度は対応できていた。前衛は槍を捨てて刀に持ち替え、鬼と乱戦に突入する。
「弓隊、刀を持て!」
やはり、柵もなしに四人組を維持して戦うのは不可能であった。後衛の弓隊は最初から全員が刀を持ち、前衛の援護に突入する。
「横から鬼が!!」
「グッ……!! ええい、人生の最期くらい、ひと暴れして見せようぞ!!」
脇腹を噛まれた兵は、むしろ鬼に対する恐れを捨て、鬼に向かって斬り込んでいった。
「クッ……! 脚が……!」
「こいつ……!!」
倒れていた鬼が、ある兵の太ももに噛みついた。脚は鎧で守られていたのだが、運悪く具足の隙間を突かれたのだ。隣にいた同僚が、すぐさまその鬼の首を斬り落とした。
「クッソ……。俺は死ななければならんのか……」
「悔しいならば、鬼を一匹でも道連れにしてやれ!!」
多くの兵が鬼に噛まれた。
鬼によって重傷を負った者はすぐに鬼になる危険があるので、ただちに首を刎ねられた。だが軽傷の者は、まさしく死兵と化して、鬼を次々と斬り伏せた。
〇
信長は南側の土塁の上に本陣を置き、連合軍全体を総覧していた。
西側の土塁は主戦場だが、戦いの音に引き寄せられて周囲の鬼が近づいてくる可能性は常にあり、信長が西にかかりっきりになる訳にはいかない。
「申し上げます! 北から鬼が二百ほど現れましたが、佐竹勢が根切りにしたとのこと!」
「うむ。ようやった」
外から来る鬼を処理しつつ、信長は西の戦況を観察していた。
「潮目が変わったな。この戦、我らの勝ちであろう」
もちろん、佐嘉を包囲する八万のうち五万を回している西側の戦闘は、信長も注視していた。そして信長は、この戦の勝敗は決まったと判断した。
「左様でしょうか……?」
信長の側近・毛利新左衛門良勝が尋ねた。
「北条勢は鬼を押し返し始めた。鬼に噛まれた者が命を捨てて戦っているのであろう。武田・上杉の兵も同様、鬼を堀の底に押し落とし始めておる」
「これ以上の兵を送る必要はない、ということでしょうか?」
「うむ。これ以上の兵を送ったとて、死人の数が減る訳ではない」
「はっ」
まもなく、勝頼と氏政から、戦況が優勢になりつつあるとの伝令が入った。信長の観察眼に狂いはなかった。
鬼の数は徐々に減っていき、生き残った鬼も堀に押し込まれていった。残ったのは手足を失い動けなくなった鬼や、瀕死の鬼ばかりである。
戦いは終わった。佐嘉城に巣食っていた鬼は、最早脅威ではない。
信長は堀の中に残った鬼に火をかけるよう命じ、鬼の死体ごと焼き払わせた。
〇
「武田殿、申し訳ありませぬ。弟君を失わせてしまうことになろうとは……」
信生は勝頼と面会していた。九州を解放するにはここで負ける訳にはいかず、諸大名に多くの犠牲を強いたものの、終わってみれば、罪悪感がこみ上げてきていた。
「鍋島が謝ることではない。誰も死なぬ戦などない」
「とは言え、もっとよい策があったやもしれませぬ」
「そうかもしれぬが、誰もそれを思い付かなかったのだ。やはり鍋島に非はあるまい。そう己を責めるな」
「……はっ」
○
「孫四郎、大儀であった。此度の成功は、うぬがいたからこそである」
「ありがたきお言葉。しかしながら、今日だけで、一万を超える兵を失ってしまいました」
武田勢は五千、上杉勢は三千、北条勢は四千と、非常に多くの兵が失われた。
「これほどの大戦であれば、その程度の兵が失われることもあろう」
「その程度、ですか……」
一軍の将たるもの、雑兵に同情すべきではない。とは言え、これほどの犠牲すら意に介していない信長に、信生は反感を抱かざるを得なかった。
「死体は南の堀に埋めておけ。すぐにでも立花山の鬼を根絶やしにするため向かいたいが、もう暫くここに留まらざるを得ぬな」
「はっ……」
鬼そのものの死体、そして鬼に噛まれた者の死体は、五日間野ざらしにした後、逆さ城の堀に埋められた。鬼の死体と兵の死体は分けて葬られたものの、わざわざ供養をしている余裕はなかった。




