武田の死闘
「鉄砲組を下がらせ、槍で迎え撃つのだ!」
勝頼が命じると、その命令は太鼓ですぐに伝えられる。槍兵が前に出て、土塁を登ってくる鬼に槍先を向けた。
「肩を刺して叩き落とせ! 鬼を登らせるでない!」
鬼を相手にした籠城戦の定石通り、槍兵は肩を狙う。腕が使えなくなった鬼は次々と堀に落下していくが、鬼の数はあまりにも多過ぎた。
「鬼が土塁を越えてきております!」
「御屋形様、こうなったからには一度退くべきでは?」
昌幸は進言したが、勝頼は聞き入れない。
「ならん! ここで鬼を通せば、二万を超える鬼が散り散りに逃げてしまう。予備の陣地があればよかったが……」
そうは言っても、平地に予備の陣地を設けたところで、この数の鬼を相手にするのは困難だっただろう。
「ですが……我らがそこまで血を流すことはないのでは……」
「これは九州の民を救うための戦なのだ」
「ははっ。まあ、ここで血を流せば、一番の戦功は我らのものとなりますからな」
「それでよい。儂は民を救う戦に憧れておったが……」
「御屋形様……」
「いや、気にするな。これはあくまで、武田の利を取る戦と思え」
ここで大きな犠牲を出せば、鬼との戦いが終わった後も、武田の存在感は揺るぎないものとなる。決して武田が損を押し付けられている訳ではない。
「皆の者、鬼を決して通すな! 一歩たりとも退くことは許さぬ!」
勝頼は陣地の死守を命じた。
〇
勝頼の弟、勇猛で知られる仁科薩摩守盛信は、土塁の上で自ら刀を取り、指揮を執っていた。
「最早、生き延びることは捨てた!! 死んでもここを通すでない!」
「「「おう!!!」」」
土塁の上は人と鬼が入り乱れる乱戦となっていた。兵らは槍を捨て、刀で戦っていた。
ある者は鬼の首や胸を突き刺して殺し、ある者は鬼を堀に叩き落とした。兵らは鬼の血を浴びることも、噛みつかれることも、最早意に介していなかった。
「殿! 右翼が崩れかけております!!」
「すぐに押さえに参るぞ! ついて参れ!!」
盛信は二百ばかりの予備部隊を率い、崩れかけた部隊を支えるため、自ら突入した。盛信自ら刀を振るい、鬼を次々と斬り伏せる。が、それで無事に済むはずもない。
「ぐッ……!!」
「殿ぉぉ!!」
盛信の上腕に鬼が噛み付いた。盛信はすぐさまその鬼の首に刀を突き刺したが、鬼の歯は彼の肉を食い破っていた。
「鬼になるまで暫くの時がある! 一匹でも多く道連れにしてくれるわ!」
武田勢は決死の防戦を続けていた。五千を超える鬼を殺し、あるいは腕を使えなくした上で堀に落とすことに成功していたが、なおも二万を超える鬼が残っている。
〇
「申し上げます! 仁科薩摩守様、鬼に噛まれたとのこと!」
「何……? 仁科が……」
「鬼になるまでに、一匹でも多くの鬼を道連れにするとのことです」
勝頼は暫し、言葉に詰まった。
「……好きにさせてやれ。総大将が一人の将の生き死にに構ってなどいられぬ」
そう言う勝頼の拳は震えていた。
「ここも危のうございます。御屋形様にはそろそろ退いていただきたく思いますが……」
昌幸が進言する。勝頼の目前まで鬼は迫ってきており、いつ勝頼自身に鬼が喰らいついてもおかしくはない。
「兵にこれだけのことを命じておいて、儂が下がる訳にはいかぬ」
「……左様に仰ると思いました」
「御屋形様のことは、この真田源二郎信繁がお守りいたしまする!」
「頼もしいものだな」
真田信繁は自ら槍を持って勝頼に近づく鬼を追い払っていた。
「前に出過ぎじゃ、源二郎!」
「も、申し訳ありませぬ、父上」
「お前の役目は御屋形様を守ることであろうが」
と、その時であった。
「上杉勢一万、到着いたしました!」
「やっと来たか……」
上杉景勝率いる増援が、ようやく到着した。
〇
「これは……思ったより酷いことになっていますね……」
樋口兼続改め直江兼続は、乱戦の有様を見て呟いた。
「儂らが遅れたせいで、武田にこれほどの血を流させてしまった。すまぬことをしたな……」
「左様なことを気にされるとは、御屋形様らしいですな」
「全軍、武田勢を支えるのだ! 突っ込め!」
秩序ある交替など不可能であった。上杉勢は武田勢の後ろから、人と鬼との乱戦の中に突入した。あるいは武田勢が薄くなっているところを埋め、あるいは人の圧力で鬼を堀の底に押し返した。
「直江殿か……。助太刀、かたじけない」
「仁科殿とお見受けします。共に戦い――」
「いや、儂は戦えぬ。鬼に噛まれたのでな。そろそろ限界のようだ」
「さ、左様、でしたか」
「我が兵は全て直江殿にお預けいたす。どうか、御屋形様を守ってくだされ!」
「お、お待ちを!」
兼続が制止するのも聞かず、盛信は自らの首を刀で貫き、そのまま堀の底へ飛び降りた。鬼になる前に死ねば鬼にはならない。
そして、盛信の遺体が土塁の上に残っていれば、必ず勝頼のもとへ運ぼうとする者が現れるだろう。そのようなことに人手を取られないよう、盛信はあえて自らの死体を回収不能な場所に投じたのであった。
〇
「北条殿、このままあの土塁の上に軍勢を送り込むのは、あまり得策とは言えませぬ」
二万の援軍を率いて西の土塁に近づいていた北条氏政に、信生はそう告げた。
「ではどうせよと?」
「鬼共の背後から近寄りましょう」
つまり、逆さ城の内側に入って、土塁を登ろうとする鬼を背後から攻撃しようというのである。
「鬼の注意を我らに向けさせる気か?」
「はい。その意味もあります。この戦の勝利のため、北条にも血を流していただきます」
「言うではないか」
「しかし、決してただの囮にするつもりはございません。あの折り重なった鬼共に、鉛玉を浴びせてやりましょう」
「確かに、狙いを付けずとも弾は当たろうが……」
陣地もなしに鬼と戦うという、非常に危険な作戦だ。氏政は渋っていた。




