武田勢の防戦
逆さ城が完成してから九日が経った。
「飢え死にする鬼が出てきたようです。いよいよですな」
逆さ城が完成する前から鬼は弱り始めており、その中でも体力のなかった個体がいよいよ餓死し始めていた。
「さて、どこにどれだけ来るか」
鬼がこのまま全員餓死してくれればよいが、そうはなるまい。また、どれほどの鬼が反撃に出てくるかも未知数だ。ほとんどが死に絶え、残りわずかの鬼が乾坤一擲の反撃を仕掛けてくるという例もあったが、今回は果たしてどうなるか。
鬼が動き出したのは、餓死した鬼が確認された翌々日のことであった。その前日には雨が降っていた。
「上様! 鬼が動き始めました! その数はおよそ三万五千!」
「もっと飢えて死んでから来るかと思ったが、早かったな。それで?」
「鬼は西方、武田勢の陣に向かっております!」
「また勝頼か。すぐさま全軍を武田勢のもとへ集めるのだ!」
当然ながら、軍勢は逆さ城の全方向に分散している。信長はすぐさま全軍に、武田勢と合流するよう伝令した。もっとも、他の方面をがら空きにする訳にはいかず、全軍の半分を西に集めるといったところだが。
〇
「萩の時に続いて、また儂らが狙われるか……。偶然か、それとも赤備えが目立つからか……」
「御屋形様、お指図を!」
「絶対にここを通してはならぬ。一匹たりともである。動ける鉄砲組は全て持ち場につけ!」
武田勝頼のもとにある武田勢は二万ばかり。逆さ城の西の守りを一任されている。勝頼らは土塁の上に台を設け、その上に陣取っていた。
勝頼の傍には真田昌幸や、その次男、つい先日元服したばかりの信繁などが居並んでいる。
鉄砲は武田勢に一万丁ほど配備されている。逆さ城の一片の長さは半里ほどであるから、横に並べる鉄砲足軽は二千人ほどであろう。勝頼は土塁の上に鉄砲隊を四列に並べた。四段撃ちの陣形である。
「儂の指図を待つ必要はない。弾が届く距離まで鬼が近づけば、各々の思うがままに鬼を撃て」
鬼を相手に斉射を行う必要性は低い。人間相手ならば、その轟音で敵を怯ませる効果や、一度に多数の敵兵を撃ち抜くことで敵を威嚇する効果もあるが、鬼が相手ではそんなものは無意味だ。
武田勢の鉄砲足軽は各四人組ごとに四段撃ちを実行する。弾込めが終わり次第、直ちに引き金を引く。撃ち終わった兵は最後尾に戻り、これを繰り返す。
発射頻度は均等にならず、多くの者の装填時間が重なって弾幕が途絶えることもあったが、とにかく弾をばら撒くことの方が重要だ。
「鬼が堀に辿り着きます!」
「やはり鉄砲ではそれほど削れませんな」
真田昌幸は言う。総勢三万五千のうち、倒れたように見える鬼は三千体程度に過ぎなかった。
「せっかく北条勢が堀を用意したのだ。辿り着く前に鬼が根絶やしになってしまえば、その労苦も無駄になろう」
「仰る通りにございますな」
鬼が堀に落ちる。堀の底には逆茂木や杭が大量に並べられており、鬼は壁面に取り付くのにも時間がかかる。
「堀の底に鉄砲を向けても、きちんと撃てております。鉄砲に紙を詰めるというのも、馬鹿には出来ませんな」
「今のところは順調か」
火縄銃を装填する際は、弾を込めた後、その上から紙片を詰め込むようにしてある。こうすれば、銃口をほとんど真下に向けようとも、弾が抜け落ちてしまう心配は小さい。
また、真下に向けて狙いをつけるのは非常に難しいのだが、鬼は隙間なく密集しており、どこを狙っても当たるというものだ。
「この辺りが潮時だな。焙烙玉を投げ落とせ!」
焙烙玉は陶器に火薬を詰め込んで導火線を付けたものである。主に軍船への攻撃に使われ、木材に火をつけるのに適している。
太鼓で合図を出すと、一時的に鉄砲の射撃が中止され、数百個の焙烙玉が投げ落とされる。堀の底に敷き詰めていた逆茂木や、鬼そのものに一気に火がつく。
更に、焙烙玉によって火のついた場所に油を流し込む。たちまち炎が燃え上がり、鬼の断末魔が響き渡った。
「おお……効いておりますな」
「鬼が焼け死ぬことは既に確かめておろう」
堀の底に溜まっていた鬼が次々と倒れる。五千ほどの鬼が焼き払われ、その死体が逆茂木などを埋め尽くした。
「よし。鉄砲を放て!」
「しかし御屋形様、鬼の姿が見えませぬ!」
「堀の底に向かって撃てばよい。どこを狙っても当たるであろう」
堀をよじ登る鬼に対して、鉄砲による攻撃を再開する。炎や煙で狙いはつけにくくなったが、一気に五千もの鬼を殺せたのなら、利の方が大きい。
「しかし、鬼が事前の見立てより速く土塁を登っておるな……」
「雨が降りましたからな。土塁の土が固まり、登りやすくなっているのでしょう」
空堀の側面は、乾いた滑らかな砂で手を滑らせ、敵兵がよじ登るのを困難にする設計だ。しかし雨に濡れた土は粘度を増し、鬼が指を引っかけやすくなっていた。
「いや、それだけではないようだ」
「これは……鬼が鬼をよじ登っておりますな……」
鬼の一体一体は、ただ人を喰らうため、空堀をよじ登ろうとしているだけだ。しかし、何千という鬼が一気に空堀に押し寄せると、鬼が空堀の壁面に沿って積み重なり、あたかも梯子のようになる。
鬼に仲間への遠慮など一切ない。互いの体を踏み台にしながら堀と土塁をよじ登り、あっという間に兵らの目前まで迫っていた。




