佐嘉の包囲
「早急に西まで包囲網を広げ、鬼を閉じ込めるべきか」
まだ佐嘉城の南東に一里の堀しか完成していないが、簡易な陣地であればほんの数日で佐嘉城を完全に包囲出来るだろう。
「それでは、鬼が飢えて乾坤一擲の攻撃を仕掛けてきた時、耐えられませぬ」
信生は言う。鬼が佐嘉城から逃げ出すのを一時的に封じることはできるだろうが、鬼を完全に封じ込め、それらが反撃に出てきた時、仮設の陣地ではとても耐えられない。
「ただ逃げるだけでこれほど厄介なことになるとは、鬼とは面倒なものであるな」
「囲めば鬼は飢えて襲いかかってくる。囲まねば逃げられる。やはり、逆さ城などというものには、無理があったのではないか?」
上杉景勝は言った。実に妥当な意見である。諸大名もこれには頷かざるを得なかった。
しかし信生は、佐嘉城下の村々を破壊しているからには、この作戦を成功させなければ気が済まなかった。ここで四万の鬼が方々に散らばれば、また一カ所に集まってくれる保証はない。多くの大名もここで殲滅したいと考えていた。
だが、景勝の言葉は見事に的を射ている。普通に考えれば詰みだ。これを覆すには、何らかの前提をひっくり返すほかにない。信生は必死に考えた。
「孫四郎、何か思い付いたようだな」
「……はい。佐嘉の包囲を完成させる策を」
「言ってみよ」
「鬼は飢えて進退窮まった時に初めて、巣から打って出てきます。であれば、鬼を飢えさせなければよいのです」
「ほう」
「つまり、仮の陣で佐嘉城を囲んだ後、鬼に兵糧を与えてやりましょう。これならば、鬼は打って出てきませぬ」
信生の突飛な言葉にほとんどの者が困惑するばかりであったが、信長は我が意を得たりと言わんばかりに高笑いした。
「面白い。包囲する相手に兵糧を与えてやるとは前代未聞である。が、その策ならば、逆さ城を完成させるための時を稼げよう。何、兵糧を与えてやるくらい、四万の鬼を一網打尽にすることと比べれば、安いものよ」
「しかし、鬼は飢えに強いとは言え、四万人分もの兵糧を用意するのは厳しいのではないか?」
武田勝頼は尋ねた。
「鬼は人にはとても食べられぬ物でも食べます。古くなった穀物や腐った肉などです。島津家などにそのようなものを掻き集めていただければ、足りるかと存じます」
「確かに、それならば何とか足りるか……」
「一日に食べる量が普通の人の半分とすれば、どれほど長く見積もっても、二万人分の兵糧を半年分用意すればよいことになります」
「よかろう。だが、まずは鬼が食いつくか試す。我らの米を鬼にくれてやるのも、致し方なし」
鬼に食糧を与えるなど、これまで誰も試したことのない戦術だ。信長は慎重を期した。
○
まずは佐嘉城の西側に短い仮の柵を設け、その手前に米などをばら撒いた。すると、鬼はそれに食いつき、また一部を持って帰った。
人と鬼は互いの顔立ちが判別できるほどに接近していたが、静かにしている限り鬼が襲い掛かってくることはなかった。
「まさに孫四郎の読み通りであるな」
「何よりです」
「今すぐ西国の諸大名に鬼の餌を用意するよう伝えよ。それが届くまで、鬼を逃すでないぞ」
織田勢は騎馬武者などを出し、佐嘉城から離れようとする鬼を城内に追いやった。
それから十日ばかりで、まず島津家から鬼に食べさせる兵糧が運び込まれた。傷んだものだけを掻き集めるのも面倒なので、普通に人が食べられるものも混じっていた。
「一同、佐嘉を仮の陣地で囲うのだ。一切の隙間なく、である」
ほんの五日ばかりで、織田勢は佐嘉城を柵や逆茂木で隙間なく囲んだ。それからは続々と、毛利や長宗我部などから追加の兵糧が送り届けられた。
一方の北条勢は、その間もその後も、仮の防衛線のすぐ後ろに堀を掘り続けていた。
「織田殿、鬼が近くにいる中で堀を造るというのは、なかなか難儀なのだが、どうにかならぬか?」
「ふむ。であれば、餌を置く場所を限定するとしよう。普請中の者から鬼を遠ざけるようにな」
信長は掘削工事中の場所から離れた場所に餌をまとめて置いておくよう命じた。鬼の動きを餌である程度制御出来るというのは、人にとっては好ましいことであった。
鬼は予想通り、人を恐れて佐嘉の城下町などに引き下がったが、こちらがばら撒いた食べ物は拾い集めているようであった。
「鬼に弱っている様子は見られませぬ。いささか、米を与えすぎているのやもしれませぬ」
信生は半月ばかり鬼を観察し、信長に報告した。
「なれば、少しばかり減らすとしよう。生かさず殺さず、鬼を弱らせてくれる」
包囲戦は続く。
九州北東部の鬼は信忠軍団が立花山城の周囲に追い詰めていたのだが、鬼は三万程度とのことであった。やはり十万以上の鬼が、織田勢が九州出兵を始めるより前に餓死していたらしい。
府内などの鬼が掃討されたことで、兵糧を近畿から府内に運び、そこから陸路で柳川に運ぶという道も開けた。
○
北条勢が佐嘉を丸々囲む堀を造るまで、三ヶ月がかかった。
「織田殿、出来上がったぞ。佐嘉の総構えだ」
「よくやってくれた、北条殿。後は鬼が飢えるのを待つだけよ」
佐嘉は深い堀に完全に囲まれた。逆さ城は完成したのである。
鬼はもはや容易には飯にありつけないことを察し、佐嘉城内に引き籠った。いずれ食糧が尽きれば、鬼は逆さ城に襲い掛かってくるだろう。




