杵島の戦い
龍造寺家は肥前を跋扈する化け物に対し、当面の呼び名を『鬼』と定めた。戦支度を進める間、松浦領から龍造寺領に逃げ延びてきた者が数十人ほどおり、彼らから有益な情報を得ることができた。
曰く、鬼には弓や鉄砲ではまるで怯まず、殺すには首や心臓を突き刺すか、首を斬り落とすしかないという。普通ならとっくに死んでいるほどの血を流した者も平然と走り回っていることから、確実に急所を狙わなければならない。
また、鬼は音に強く反応し、大きな音を立てると興奮して狼のごとき勢いで襲い掛かってくる。一体が興奮するだけであっという間に群れ全体が興奮状態になる。
そして、鬼に噛みつかれた者は皆、新たな鬼になるのだと。
「御屋形様! 申し上げます! 鬼が大挙して現れました! その数はおよそ一万!!」
「あんなのが一万、か……」
「やはり、知恵を持たぬ割には、群れになって動く性質があるようです」
「信生、勝てるか?」
「我々は出来る限りのことをするまでです。後は、天に祈ることしかできませぬ」
「そうだな。いいだろう。全軍、鬼退治と行くぞ!!」
隆信は領内から集められる兵のほぼ全て、およそ三万の軍勢をもって、鬼の大群を討伐すべく出陣した。事前に鬼についての情報をある程度得ており、松浦のように無様に負けることはないはずであった。
○
決戦の地となったのは佐嘉城の西方、肥前国杵島郡であった。鬼はどうやら大きな群れを作る習性があり、そのため平地や街道に集まるのである。これは人間にとってはありがたい特質だ。
龍造寺勢は街道を塞ぐように逆茂木を並べ、柵を設け、鬼への備えを固めた。
「鬼共め……うじゃうじゃと……」
今のところ鬼は、病人のようにふらふらと歩いているだけである。刺激しなければ簡単に狩れそうであるが、一度戦闘が始まれば鬼を刺激しないことなど不可能であろう。
「とにかく慌てず、一人残らず確実に仕留めることが肝要です」
「そうは言ってもな。戦の作法が違い過ぎるぜ」
「はい。しかしどうすればいいのかは、既にわかっております」
一般的に、戦というのは存外人が死なないものである。これは足軽などを討ち取っても意味がなく、無力化できればそれで十分だからである。兵らにとって殺す価値があるのは名のある武将のみであり、兵卒の首など眼中にないのだ。
だが今回の戦は違う。鬼は一体も残さず殺し尽くさなければならない。目の前にいる敵を、追い払うのではなく確実に殺さなければならない。これは侍達にとって実に慣れないことであった。
「申し上げます! 鬼の群れは先鋒からおよそ五町に迫っております!」
「来たか。間違っても鬨の声なんて上げるなよ。鬼を興奮させるだけだ」
「はっ!」
鬼を全く刺激しないのは不可能であるが、わざわざ群れを一気に興奮させる必要はない。
「これが、鬼……」
「まだだ。まだ、引き付けろ……」
鬼は逆茂木のすぐ外にまで迫り、兵らの槍先が届く距離に入りつつあった。
「今だ。突き刺せ……!」
戦いは静かに始まる。まずは粛々と、槍兵が逆茂木に引っかかって動けない鬼の喉元や胸を突き刺して殺していく。だが鬼は続々と迫って来て、逆茂木を押しのけ、無理やり道をこじ開けてきた。
「クソッ。なんて数だ……!」
「狼狽えるな。槍は捨て、刀で首を斬り落とせ……!」
数百体を殺した頃には、鬼は槍兵の懐へ入り込んでおり、槍は役に立たなくなった。侍達は刀を抜いて鬼に静かに斬りかかる。
「ぐああぁぁぁ!!」
ほどなく、一人の侍が鬼に腕を噛まれ、痛々しい叫び声を上げた。目の前の鬼が雄叫びを上げ、それに反応した周囲の鬼も次々と唸り声を上げる。こうなってしまえば、静寂を保つ意味はない。
「かかれっ!!」
「「おう!!」」
兵らが鬨の声を上げると、鬼も金切り声のような雄叫びを上げて飛びかかってきた。
実戦で使う機会があまりないとは言え、武士にとって剣術は欠かせぬ技能である。刀の振り方がわからない者などここにはいない。鬼を相手にしても兵らは果敢に斬りかかり、その首に刃を叩き込んで殺していく。
「クソッ! 刀が折れちまった!」
「これを使え!」
刀や槍は消耗品である。数人も斬れば刃こぼれし、十人も斬れば折れてしまう。だがそんなことは百も承知である。刀の予備は山ほど用意され、先鋒の兵に速やかに行き渡るよう手配されている。
しかし戦況は芳しくない。白兵戦が始まったことで、鬼が徐々に興奮し始めた。興奮した鬼は叫び声を上げ、他の鬼を更に怒らせていく。その興奮は連鎖し、先程までの緩慢な動きから一変して、狼のような俊敏さで兵らに襲い掛かった。
「怯むなッ!! こちらから押し返せッ!! かかれいッ!!」
幸いにして、何重にも並べられた逆茂木や柵のお陰で鬼の勢いはかなり打ち消されている。龍造寺勢は鬼に対して反撃に転じ、その首を次々に斬り落としていく。




