隆信と信生
松浦家が消滅したという異常事態を受け、何が起こっているのかはわからないまでも、周辺の大名達は警戒を強めていた。その中でも九州三大勢力の一つ、肥前の龍造寺家は、最も早く異常を察知していた。
龍造寺が本拠、佐嘉城にて。
「こいつは、一体どうなってやがる。野盗が大名を滅ぼすってか?」
五州二島の太守を自称するが、周囲からは肥前の熊と呼ばれ、敵にも味方にも恐れられる残虐さで知られる大大名――龍造寺山城守隆信は呟いた。松浦隆信と名前が同じなのは偶然である。
「これは明らかに、少なくとも一万ほどの軍勢を持つ何者かの仕業かと」
隆信の義弟でもある重臣、鍋島孫四郎信生――後に鍋島左衛門大夫直茂と呼ばれる男――は言った。龍造寺家の内政・外交に深く関与し、その屋台骨であると称される男である。
また、大友家との圧倒的に不利な戦に際しては、敵陣に夜襲を仕掛け、敵方の当主の弟を討ち取って勝利に貢献した猛将でもある。
「そんな奴がどこから湧いてきたってんだ?」
「わかりませぬ。考えられるとすれば、蒙古襲来のように朝鮮が攻め入ってきたとしか」
「だが、そんなことしたら、対馬辺りの連中が先に気付くだろう?」
「その通りかと。ですからこれは、とても奇妙なことです」
「敵が何なのかもわからんが、どうする?」
「どのようなものであれ、我らに友好的とは思えませぬ。直ちに兵を集め、戦支度をするべきかと。某が松浦の様子を見分して参りたいと存じますが、お許しいただけますか?」
「わかった。そっちは任せるぞ、信生。俺は兵を集めておく」
信生は早速、五百ばかりの兵を率いて西に向かった。
○
龍造寺と松浦の国境の関所は、全くの無人であった。周囲に人の気配はなく、不気味に静まり返っている。信生は警戒しながら松浦領に踏み込み、近隣の村を訪ねた。
「何だ、これは……」
信生は異様な光景を目にした。国境の村が一つ、完全に滅ぼされていたのである。米や財を略奪したいだけの野盗とは訳が違う。どこにも生者の気配はなかった。
だが、信生は運が良かった。生存者がいたのである。
「これは、鍋島様ではありませんか!!」
「お前達、無礼であろう!」
駆け寄ってきた三人の村人を侍が制止したが、信生はすぐに退かせて村人を通した。
「あ、ありがとうございます」
「お前達はこの村の者だな?」
「左様にございます」
「何があった? ただの賊に襲われたのではあるまい」
「ええ、まさに、その通りで」
村人は村で起こったことを語り始めた。
曰く、この世の者とは思えない形相をした農民や武士が何百もやって来て、村人を女子供の別なく襲い、喰い殺したという。しかも、殺されたはずの村人達はいつの間にか起き上がっていて、化け物の群れに加わってどこかに行ってしまったという。
にわかには信じ難いが、この異常な状況と村人らの必死の形相を見て、信生は詳しく事情を聞くことにした。
「……では、お前達はどうしていたのだ?」
「俺らはただ怖くて、蔵に隠れておりました。そして、蔵の前にいた化け物を一匹殺しました」
「死体はあるのか?」
「あっちに置いてありますので、どうかご覧くださいませ」
「見せてもらおう」
それこそが最大の証拠になる。信生は村人達が殺したという死体を自ら見分した。一人で突っ立っていたのを三人で襲い、その首を刀で一気に落としたという。
斬り落とされた首は、目が血走り、肌には腐ったような斑紋が浮かんでおり、とても人間のものとは思えなかった。自然に腐敗しただけではこうはならないだろう。死体なら見慣れている。
「こんな顔をした連中がわらわらと、村に襲い掛かってきたんです! 信じてください!」
「お前達が嘘を言っているわけではなさそうだ。先程、こやつらに殺された者も、同じ化け物になったと言ったな?」
「はい。そのせいで、ここにはこれ以外の死体は残っていません」
「確かに、そのようだな」
信生は念のため村を隅から隅まで探させたが、獣に襲われたかのような血痕があちこちに残っているのに、死体の一体も出てこなかった。村人の言葉を裏付ける何よりの証拠だった。
だが、その時であった。侍の叫び声が響き渡った。何事かと大急ぎで駆けつけると、甲冑を纏った気の狂った男が侍にのしかかり、その首に噛みつこうとしていた。
「こ、こいつ……!」
「こんな奴らです! こんな奴らが大勢!」
「なるほど」
侍も村人も怖気づいている中、信生は素早く駆け寄り、その化け物の首を刀で突き刺し、蹴り飛ばした。化け物はすぐに動かなくなった。
「大事ないか?」
「あ、ありがとうございます……。怪我などはございません」
「そうか」
もはや疑いようがない。この肥前で、人知を超えた何かが起こっているのだ。
「とても信じ難いが……このような、まるで鬼のような化け物がのさばっておるようだな」
「はい! 見間違いなんかじゃありません! こいつらは鬼です!」
「そう、だな。際限なく増え続ける鬼。これは龍造寺や松浦に留まる問題ではあるまい。手を打たねば肥前がこやつらで埋め尽くされる」
「な、何とかして下さるんですよね!?」
「無論だ。刀が通じるのなら、決して神仏の祟りなどではあるまい。人の力で殺せるはずだ。皆の者、急いで御屋形様のもとへ戻るぞ。休んでいる暇などない」
貴重な証人として先程の三人の村人を連れ、信生は大急ぎで佐嘉城に帰還した。
○
「――おいおい、冗談はよせ、信生」
龍造寺隆信も、そして信生の同輩達も、信生の話を信じようとはしなかった。当然であろう。だが、そんなことは織り込み済みだ。
「この目でしかと確かめて参りました。我らより西には鬼が跳梁跋扈しており、いつ我らの領国に攻め込んで来るかもわかりません。その証は、ここにございます」
信生は、村で殺してきた鬼の首を見せつけた。その人のものとは思えぬ形相に、肥前の熊も流石に冷や汗を浮かべた。
「村人がそう呼んでいた故、某は鬼と呼んでおりますが……一刻も早く、これを討伐しなければなりません」
「その言葉、信じていいんだな?」
「某が殿に虚言を申し上げるとお思いですか?」
「……わかった。出せるだけの兵を出し、鬼とやらを討ち滅ぼしてやろうじゃねえか。やってやるぞ、お前達!」
「「おう!!」」
「その間、国境の物見を増やしておきましょう」
「そっちはよろしく頼むぞ」
「はっ。ぬかりなく」
龍造寺家は鬼と戦う支度を始めた。




