北への進軍
信長率いる十万の本軍は隈本城周辺の鬼を掃討し、ここを拠点とした。既に潤沢な物資が八代に集積してあるので、これを隈本に移し、更なる進軍を開始することも容易である。
信長は物見を放って周囲の様子を探らせていたのだが、報告された鬼の様子は、これまでとは打って変わったものであった。
「何? 鬼が逃げておるだと?」
「はい。我らが近づくと、鬼が我先にと逃げ出していきました。特に攻撃などはしておらず、我らを見ただけで鬼は逃げ出したのです」
鬼が人の姿を見ると逃げるようになった。隈本で二万もの仲間を皆殺しにされ、人間と戦うのは分が悪いと考えたのだろうか。
「道中には鬼の死体がそこら中に転がっておりました。傷はなく、飢え死にしたものかと」
「鬼が飢え死にすることは確かめておる。おかしなことではないが、九州にいる鬼の数は存外少ないのやもしれぬな」
九州にいる鬼の数は、元の人口から二十万余と推定されていたが、既に餓死している個体がいるのなら、その推定は過大だったのかもしれない。
「確かめねばならぬことは、この変化が隈本の周辺だけなのか、九州全体に広まっているのか、ということでしょう」
信生は信長に進言した。
「で、あるな。すぐに信忠に確かめさせよう」
「それに加え、鬼が逃げるのであれば、どこに逃げるかも問題です。萩の時のように一箇所に鬼が集まれば、大きな脅威となりかねません」
「鬼がただ我らから逃げ続けるのであれば、逃げる先を操ることも出来るか」
「九州は長門半国とは比べ物にならないほど広大です。十五万の兵があっても、それは厳しいかと」
「孫四郎の申す通りであるな。ここは鬼の様子を見よう。五万の兵で北へ進軍し、鬼を追い立て、その様子を窺う。これでよいな?」
「はい。よき策と存じます」
信忠軍団がいる府内方面も、鬼は人から逃げるようになったそうである。
信長は鬼の出方を窺うべく、五万の兵を率いて隈本を出陣し、海岸沿いの平野を通って北上した。その先は、ちょうど佐嘉城のある方面である。信生をはじめ龍造寺の家臣はこの辺りの地理に詳しく、軍勢を案内した。
「やはり、鬼は我らと戦おうともせぬか」
「逃げていく鬼は、皆同じ方向に向かっているように見えます。……ちょうど佐嘉の方角です」
「蜘蛛の子を散らすように、とはいかぬか。なれば、鬼がどこかに集まっていると考えるのが自然であろう。佐嘉城を寝ぐらとしているのやもしれぬな」
「そうでなければよいのですが……」
信生の願いは通じず、鬼が佐嘉城に集まっているとの報告が入った。その数は四万を超えているという。
「我が城が……鬼の巣窟となろうとは……」
「城下町は鬼が隠れ潜むにはちょうどよいということか。何、あの鬼共もすぐに根切りにしてくれる」
「……はっ。しかし、これ以上鬼が集まれば、手を出せなくなってしまいましょう」
「確かに、多く集まれば飢え死にするのも早くなるが、集まり過ぎれば包囲すら出来なくなろう。ここは佐嘉の東を塞ぎ、東から来る鬼を立花山の方へ追いやる」
「そんなことをしていては、佐嘉を包囲する兵が足りぬのでは?」
「鬼は人を見るだけで逃げ出すのだ。大した兵は必要あるまい。そして佐嘉城の包囲には、じっくりと陣地を整えようぞ」
佐嘉城から立花山城にかけては広大な平野が続いているが、佐嘉から東へ五里ほど進んだ地点に、山地に挟まれて平野がすぼまっている場所がある。その幅は二里ほどだ。
〇
信長はこの平野が狭まった場所に二万の兵を送り、半月ほどで小規模な砦を四十ほど築かせた。これらの間は柵で塞いでいる訳でもなく、隙間だらけだ。
その間、本軍は佐嘉城の南方四里にある柳川城の辺りに新たな拠点を築いていた。ここまで鬼との戦闘はほとんど発生していない。
「鬼は砦を見るや、北に逃げていっております。上様のお考え通りにございます」
「よし。これで東から鬼が来ることはなくなった。立花山に鬼が集まり過ぎぬか、よく見張っておけ」
「しかし織田殿、四万もの鬼とどう戦うおつもりか」
武田勝頼は尋ねた。八万対四万では流石に分が悪い。
「佐嘉を囲む城を築く」
「付け城を築くと? 鬼を相手にしては、さほどの意味があるとは思えぬが」
「そうではない。佐嘉の城下町を囲むように、総構えを築くのよ」
「……どういうことか」
「総構えの城とは、城下町を深い堀で囲んだものであろう。ならば、その向きを逆にして、包囲に使う。言わば、逆さ城ということよ」
総構えの外堀のごとく、佐嘉の城下町を堀で隙間なく囲んでしまおうというのが、信長の策であった。
「ちょうど北条殿は、小田原城に総構えを築いているそうではないか。その知見を活かしてもらおう」
「よかろう。小田原と比べれば大した普請ではない。別に佐嘉を馬鹿にしている訳ではないぞ」
小田原は関八州の中心地として栄え、その総構えの全長は九里に及ぶ予定だ。それに比べれば、全長二里ほどで済む佐嘉の包囲は、大したものではない。




