九州へ
萩の鬼が掃討された後、毛利輝元は信長と面会していた。
「――織田殿には助けられました。感謝の言葉もございません」
「何、媚びへつらうことはない。儂は泰平の世を創りたい。そのために、たまたま毛利領内にいた鬼を滅ぼしたに過ぎぬ」
「……もしも毛利がその泰平を乱すのであれば、滅ぼすと仰せですかな?」
「そうであるのなら、無論である。だが毛利殿は、それほど愚かな男には見えぬな」
「それは……お褒めいただき光栄です。これで四万の兵を動かせるようになりました。毛利勢も九州への派兵に加わりましょう」
「今はその時ではない。十五万の兵あらば十分。毛利には九州への兵糧や武具の輸送に尽くしてもらおう。よろしいか?」
「無論です。それも大事な役目ですな」
兵を増やしすぎると補給が破綻するし、十五万の兵があれば戦力としては十分だと、信長は判断していた。毛利にはその国力を九州への補給に投入してもらうつもりである。
〇
それから半月ほどして、信長やその幕僚の姿は伊予国湯築城にあった。松山平野一帯は以前から、九州派兵の補給拠点として光秀が整備を進めていた。
彼らのもとを、大友家からの使者として、高橋弥七郎統虎が訪れていた。
「弥七郎殿、ご無沙汰しておりますな」
「鍋島殿こそ、東国でのご活躍は伺っております。大変なご苦労だったでしょう」
信生と統虎は、すっかり旧知の仲といった様子である。互いに生きて再会できたことを喜んだ。そして統虎は早速、信長と面会した。
「――目下、我が大友家は日田・中津を放棄し、府内まで後退しております。府内・阿蘇山・隈本を結ぶ線に、九州勢の城や砦が並んでおります」
「府内にはどれほどの鬼が押し寄せてきている?」
「およそ五千です。大友領内では、これ以上の鬼が押し寄せている城はございません。しかし、島津が守る隈本城には、二万を超える鬼が常に押し寄せています」
「ふむ。鬼が常に城に取り付いている訳ではあるまい。そうなれば飢え死にしよう」
「はい。鬼はどうも、数日ごとに去っては攻め寄せてくると見受けられます」
「やはりか。であれば、城の近くには更なる鬼がいてもおかしくはない」
「それは何とも……。鬼は山奥に消え去っていくようですので」
鬼は交代しながら城攻めを継続している。鬼の一体一体は腹が減ると山に戻っているだけかもしれないが、集団として見れば、知性があるようにも思える行動だ。
「相分かった。いずれにせよ、隈本城が九州で最も鬼を引き付けている城であるな?」
「はい。間違いありません」
隈本城は平野の真ん中に築かれた広大な平城である。平野に入った鬼を全て引き寄せており、二万という数になっている。
「なれば、隈本に十万、府内に五万を送るとしよう」
「上様、二万の鬼を相手に十万だけというのは、いささか不安が残ります」
信生は提言した。鬼に対して五倍の兵力というのは、勝てない訳ではないが、安全とは言い難い。八倍は欲しいものだ。
「隈本の辺りは平地であろう。なれば、十万で十分よ」
「平地であればこそ、より多くの兵が必要かと存じますが……」
「あれほどの平野ならば、十万の兵を広く並べることができる。鉄砲の出番よ」
「鉄砲ですか。鉄砲は鬼にはあまり効き目がないかと思いますが……」
鬼は痛みを感じない。失血死はするが、死ぬ寸前まで変わらず動き続ける。鉄砲で心臓や頭を撃ち抜くか、あるいは脚を撃ち抜いて歩けなくすれば効果はあるが、限定的と言わざるを得ない。
「うぬらが用意した鉄砲の数が足りなかったからであろう。鬼より多くの鉄砲を使ったことがあるか?」
「それはありませぬが」
「隈本には鉄砲を五万丁送り届ける」
「五万……ですか」
信生にとっては、想像を絶する数であった。鉄砲など千丁もあれば十分というのが、九州における一般的な水準だ。
「とは言え、五郎左に兵糧と玉薬を運び込ませねばならんな。面倒なことよ」
「それは仕方のないことかと」
信長は惟住長秀に命じて、九州出兵の準備を進めさせた。兵を送る前に九州に補給基地を設け、物資を集積しておく必要がある。
〇
隈本の南方にある八代が補給基地とされた。船で八代まで直接運ぶ経路と、日向国城ヶ崎まで船で運びそこから陸送する経路を併用して、可能な限り早く物資を届けさせた。
こうした物資の集積だけでも五ヶ月を要した。
「隈本には、北条とその与力、武田・上杉勢に行ってもらおう。これで概ね十万。儂も隈本に向かう。残りの者は、大友の手引きを受けつつ、府内の鬼を滅ぼせ。そちらの総大将は信忠に任せる」
「お任せ下さい、父上」
信長を総大将とする本軍が隈本へ、信忠を総大将とする別働隊が府内へ向かった。府内は四国や中国から近いためまだよいものの、隈本に向かうには九州を南回りに移動しなければならない。
八代に十万の軍勢が集結するまで、更に一ヶ月を要した。
「堀と逆茂木を三重に並べ、その後ろに柵を築け。五千が横に並べる幅にな」
「これはまた、さながら城のような陣地ですな」
信長は隈本城の南方に、一里半に及ぶ長大な陣地を築かせた。




