萩の包囲
戦場は長門半国に限られているにも拘わらず、進軍には二ヶ月を要した。各方面軍は進軍を続け、三万余りの鬼を討ち取り、残りを萩に追い込んでいた。
ここまでの戦闘で失われた兵の数はおよそ三千である。鬼に噛まれた者は僅かな傷であっても殺すしかないので、負傷者の割合は極めて少ない。
ここに至り、各方面軍の参謀達は信長のもとに集まり、軍議を開いていた。
「萩に追いやった鬼の数はおよそ八千と見受けられます。今のところ、こちらに攻め寄せる様子はありません」
小早川隆景は信長にそう報告した。
「鬼が我らに怖気付いておると?」
「そのように見受けられますが、このように鬼を追い詰めたことなど例がなく、確かなことは言えません」
萩の周囲は平野であり、鬼の様子はよく見える。鬼は群れをなして滅びた村などを徘徊しているが、襲いかかってくる様子はなかった。
「八千の鬼は大きな脅威です。守りを固めていても、食い破られるやもしれません。そうなれば、損害は三千では到底済みますまい」
信生は言う。下手に鬼を刺激して八千体が一箇所に押し寄せれば、甚大な損害が出ると予想される。
「鬼がどう出るかはわからぬか。なれば、賭けに出るしかあるまい。鬼を兵糧攻めにしてくれよう。腹が減れば打って出てくるやもしれぬが、死にかけの方が余程相手にしやすかろう」
信長はそう宣言した。鬼が餓死することは、とうの昔に光秀が確かめていた。
「こちらの兵糧は持つでしょうか……」
信生は不安げに言った。
「案ずるな。藤吉郎に用意させた兵糧はまだ三ヶ月は持つ。田畑は荒れ果て、家畜は死に絶えておる。半月も持たずして鬼共も飢え死にしよう」
鬼は餓死寸前になると食べられるものなら何でも食べる。とは言え、萩の寒村に八千体もの鬼を養えるような食糧があるはずもない。
「はっ。流石は上様にございます」
「萩の干殺しよ。藤吉郎めにやらせた方がよかったやもしれぬが、まあよい。一同、萩を取り囲むのだ。獣の一匹も通すでないぞ」
連合軍は萩の周囲に陣地を築いた。柵と堀で固めた陣地を、萩の陸側を囲むように、一切の隙間なく半円状に構築する。簡易な見張り塔なども建て、絶対に鬼を逃さぬ態勢を整えた。
海上には毛利と織田の水軍が三十隻ばかりの安宅船を浮かべ、鬼が海へ逃れないよう監視する。
〇
それから七日が経った。
「上様のお考え通り、鬼が次々と死んでいるようです」
信生は報告した。包囲網の内側では鬼が次々と餓死していた。
「一年以上前に滅んだ村に、食べられるものなど残ってはいまい」
「この調子であれば、そのうち一匹残らず飢え死にするとは思われますが」
「その前に、鬼が乾坤一擲の勝負に出ようと考え、打って出てくるか……」
「そのような考えを鬼が持つとは思えませぬが」
鬼の一体一体に知性はないが、群れとして一定の知性を持つことは、鬼が不利を悟ると逃げ出すことからも明らかだ。このままでは飢えて死ぬだけとわかれば、あるいは反撃に出てくるかもしれない。
それは包囲を始めてから九日後のことであった。既に八千のうち半数ほどが餓死している。
「申し上げます! 鬼が武田勢に向かって突っ込んできました!」
「その数は?」
「およそ三千!」
「なれば、勝頼に任せておけばよかろう。くれぐれも勝手に持ち場を離れるなと皆に伝えよ」
信長は増援の必要はないと判断した。ここで下手に包囲を解けば、そこに鬼が襲いかかってくるかもしれない。
〇
「御屋形様! 鬼がこちらに!」
「最期の相手に武田を選ぶとは、光栄と取るべきか、軽んじられたと怒るべきか」
「お指図を!」
「動くな。持ち場を固めよ。この程度の相手に押し負けるなど許さぬぞ」
武田勢は二万五千。鬼を相手にするとしても十分な兵力差だ。そのうち二万が最前線で、光秀の考案した四人組の陣形を二段に組み、守りを固めていた。
「鬼の息の根を確実に止めるのだ! 一切の情けは無用!」
「「おう!!」」
最前線では、勝頼の弟、勇猛で知られる仁科薩摩守盛信が指揮を執っていた。自ら槍を持ち、鬼の心臓や首を突き刺して回る。まさに鬼神のごとき働きであった。
鬼は逆茂木や柵に引っかかり、その勢いを大きく削がれている。武田勢は確実に鬼の息の根を止めていった。
「御屋形様、鬼が陣に入って来ております。一段下がりましょうぞ」
真田昌幸は提言した。
「……相分かった。第一の陣を捨て、第二の陣まで下がれ!」
包囲網は三重に構築されている。武田勢はやや混乱しながらも後方の防衛線まで下がり、そこで鬼を完全に食い止めることに成功した。
武田以外の大名が動く必要は全くなかった。最後の突撃をしかけてきた鬼は全滅した。
「鬼に噛まれた者はちょうど百人程です。それなりにやられましたな」
「噛まれたことに気づいていない者もいよう。くれぐれも、鬼になりそうな者を見逃すでないぞ」
最終的に、今の攻勢で武田勢は二百の兵を失った。
「この者らの骨は甲斐に持ち帰ってやろう」
「はい。織田殿に頼んでおきましょう」
その後、萩に残っていた千体程度の鬼も掃討された。既に飢え死にする寸前であり、陣地を設けずとも殺すのは容易であった。
「一同、大儀であった。これで兵も兵糧も運びやすくなろう。これより、いよいよ九州入りである。ゆめゆめ鬼を侮るでないぞ」
長門の解放はほんの通過点に過ぎない。鬼の本丸はやはり九州である。




