信長
十一万の軍勢を上方に移動させるには、それだけで半年を要した。兵糧や宿所の手配を鑑みれば、むしろ手際のいい方だと言えるだろう。軍勢は大坂を中心として畿内各地に分散して駐屯している。
第三陣の伊達勢とその与力が堺に到着してすぐ、信長は参陣した諸大名を安土城に招いた。
安土山の山頂に建設された五重の天守は、他に全く類のない威容を誇っている。城と仏塔が融合したかのような独特の意匠を持ち、白亜の壁と黒い瓦の対比がその美しさを際立たせている。
しかし、大名達を真に驚かせたのは天守そのものよりも、大手門から天守に通じる道が幅広く、真っ直ぐだということだ。安土城が攻められることなどあり得ないと、天下に宣言しているようなものである。
大名達は安土山を登り、天守の麓にある本丸御殿に集められた。
「上様とは一体どんなお方であろうか……」
伊達家当主・輝宗の嫡男、伊達藤次郎政宗は期待に胸を膨らませながら呟いた。輝宗は奥州の沿岸警備のため、米沢に残っている。
「落ち着け。ただのお目見えであろう」
「あの信長公にお会い出来るのですよ。伯父上は何とも思わぬのですか?」
最上家当主・義光は、自ら最上勢を率いて政宗に従っていた。もっとも、主従というよりは同盟者と呼んだ方が正確であろう。最上義光は伊達政宗の母親の兄にあたる。
「信長がどのような男か、この目で見極めるまでよ」
「伯父上は面白みがないですなぁ」
大名らがざわついていると「上様のお成り!」と小姓が叫んだ。一同は背筋を伸ばす。
コツコツと堅い足音が響く。姿を現したのは、赤いビロードのマントを身に纏い、まるで二十やそこらの若者のように精悍な男であった。若々しくも、多くの者を従える覇王としての威厳が溢れ出している。
「この安土にこれほどの大名が集まろうとは、この信長、夢にも思わなんだ。一同、大儀である」
大名らの多くは自然と頭を下げていた。だが、幾人かの大大名は、その流れに従わなかった。武田勝頼は言う。
「織田殿、儂は織田殿に臣従しに参ったのではない。九州や長門の民が苦しんでおると聞き、その者らを助けるべく、織田殿に力を貸しているに過ぎぬ」
「なるほど、流石はあの信玄坊主が世継ぎ。実に気骨のあることよ」
大名らの間に緊張が走る。だが、信長は全く意に介していなかった。
「いかにも、うぬの申す通り、儂は日本の盟主であって君主ではない。むしろ武田殿に援軍を請うておる立場よ。遠慮せず、何とでも申せ」
「それでは、儂から一つ」
北条氏政は信長に問いを投げかける。
「己に反抗する者は族滅も躊躇わぬ男が、無礼にはこうも寛大とは、一体何を考えておられる? 気分屋などとは言うまいな?」
「儂は礼儀など気にせぬ。使える者は取り立て、使えぬ者は消す。簡単なことよ」
「だそうじゃが、武田殿はどう思われる?」
「道理は通っているようで何より。寛大さと甘さを履き違えぬ織田殿であれば、我が兵を預けるにも足りよう」
「武田殿から左様な物言いをされるとは、今日は二度までも驚かされた。まあよい。一同、これより評定を行う。楽にせよ」
小姓が西国の大きな地図を広げ、一同に見せる。
「孫四郎、話せ」
「はっ」
信長の参謀、諸大名への説明役として抜擢されたのは、鍋島孫四郎信生であった。信生は早速、大名らに今回の遠征について説明を行う。
「目下、鬼は九州の北半と長門の東部に巣食っております。長門には四万から五万、九州には二十万から三十万の鬼がいるものと思われます。西国の沿岸には多数の兵を置いて守りを固めており、土佐の一件以降、鬼が新たに巣食った地はありませぬ」
織田家は八万ほどの兵力を沿岸の防備に投入している。九州から中国や四国に鬼が流れ着くことや、南蛮船が漂着することへの警戒だ。
「まずは、長門に巣食った鬼を根絶やしにいたします。動かせる十五万の兵を全て長門に投じ、鬼を一掃します。さすれば、毛利の負担は大いに減り、我らの兵も動かしやすくなりましょう」
織田家から東国への警戒に当てていた四万の信忠勢を出すので、合計十五万の兵を鬼の討伐に投入することが出来る。
「東国を一統するまでには、少なくない血が流れ申した。これを無駄にする訳には参りませぬ。某は根無し草ではありますが、鬼の討伐が完遂される日まで、どうか皆様方のお力をお貸しいただきたく、お願い申し上げます」
「九州や長門の民を救う義の戦である。織田殿が裏切らぬ限り、東国の大名が手を引くことはない」
上杉景勝は誰の了解も取っていないのに、勝手にそう宣言した。
「ありがたきお言葉」
「これまで、我らは鬼が広まるのを食い止めるので手一杯であった。が、ここに集まった十五万の兵は、鬼に攻め込む為の軍勢である。一同の働きに期待しておる」
「上様は儂が期待した以上のお方でござった! この伊達藤次郎政宗、一番槍を取りましょうぞ!」
「伊達のせがれか。面白い。一番槍はうぬに任せる」
「ありがたき幸せ!」
ついに鬼の討伐が始まるのである。




