関八州の差配
「滝川殿は、北条殿の求めに応じられるつもりはあるのですか?」
「うむ……。この時分に人同士で戦っている場合ではないというのはその通りじゃ」
「ほう? では戦わねばよいのだな?」
「と、言いますと?」
「簡単なこと。織田殿に『関八州の大名は全て北条に従属すべし。逆らう者は織田の敵として成敗する』と記した起請文を書いていただこう。ただの紙切れ一枚を送ってくだされば、北条は喜んで織田の味方となろう」
「流石にそれは、受け入れられるとは思えませんな……」
仮に信長がそんな書状を発給したとしても、関東の諸大名が素直に従うとは思えない。長年戦いを繰り広げてきた北条にいきなり従属せよというのは、あまりにも非現実的だ。
「では、このようにすればよろしいかと」
信生は言う。
「起請文にこのように付け加えるのです。『関八州の諸大名は、織田が北条に付けた与力であり、その家中に北条が口出しすることは許さぬと』」
「おお、それは名案じゃな」
「与力とは、それでは全て織田の思うがままということではないか。更にこう付け加えよ。『関八州の大名は、北条にその嫡子を人質として差し出すべし。また、織田が北条から与力を外す際は、必ず北条の許しを得ねばならぬ』とな」
「それでは……いくらなんでも北条が強すぎますな。これを付け加えるのなら認めましょう。『北条が不当に与力大名の家中に口を出したり、人質を無下に扱ったりしたとの訴えがあれば、織田が吟味し、訴えが真であれば、北条はそれを改めねばならぬ。加えて、与力大名が裏切らぬ限り、人質に危害を加えることは許さぬ』と」
「嫡子を人質として出させるのだ。その程度の妥協はしてもよかろう」
氏政は、織田が約束を守ると信用した訳ではないが、関東の諸大名から人質という実利を得られて満足であった。
「しかし滝川殿、織田が吟味するなどという曖昧な約定を交わすと、いずれ必ず諍いが起こると思われますが……」
「それについては――」
「別に構わぬ。織田が裏切る気であれば、北条の不義理をでっち上げるだけであろうからな。織田殿から今の約定を認めた起請文と、関東諸大名から人質が届けば、すぐにでも西国へ兵を送ろう。関八州の一統が成れば、五万は出せようぞ」
「ありがたきお言葉」
一益は早速、安土に使者を送り出した。交渉は信長からの許可待ちということになった。
「しかし、佐竹や宇都宮がこれに従わなかった時はどうするのです?」
「その時は……織田と北条でその大名を滅ぼさざるを得ぬな。滅ぼすまでには至らずとも、織田が兵を出せば降伏するとは思うが」
「織田が説得すれば従うはず。無用な血が流れぬように願います」
その後、信長は氏政の要求を認め、五万の兵を九州に出すことと引き換えに、関東の大名らに北条の与力となるよう命じた。ただし、関八州の外における権益は、既に北条が領有している伊豆国を除き、一切認めないとした。
北条家に与えられたのは、坂東の全大名に対する軍事指揮権と外交権であった。大名家の家中に介入することは、信長から改めて禁じられた。
また、織田との連絡役と人質の安全を監視する役を兼ねて、織田家の武将を小田原に常駐させることも命じられ、氏政はこれも認めた。
鬼が日本から根絶やしにされるまでは、北条家の軍事指揮権は織田に委ねられることとなっており、北条家の役割は関東軍団の大将といったところである。
○
信長の決定で最も割を食ったのは、やはり佐竹であろう。佐竹家の本拠・常陸太田城にて。
「北条に従え。しかもお前を人質として小田原に差し出せと、信長は申しておる」
佐竹家当主・佐竹常陸介義重は、書状を持つ手を震わせながら、その内容を嫡男・次郎義宣に告げた。義宣は十歳を少し超えたばかりの若き後継者である。
「父上……致し方ありませぬ。ここは、忍従の時かと」
「……わかっておるわ。佐竹など、織田からすれば吹けば飛ぶような田舎大名に過ぎぬのだ」
「しかし、奥州の大名らについては、織田殿はどのようにせよと?」
佐竹家は南陸奥の蘆名や結城、二階堂などの諸勢力と同盟を組み、その影響力は伊達家以南の奥州全域に及んでいる。
「南奥羽のことは全て伊達に差配させるそうだ」
「何と。佐竹が長い時をかけて築いてきた奥州での勢力を、書状一枚だけで手放せと……」
「許し難い。怒髪天を衝くと言いたいところだが……敵はあまりにも強すぎる」
「北条・武田・上杉・織田が揃いも揃って敵……ということですからね……」
奥州の全勢力を結集したとて全く勝ち目のない戦だ。抵抗は無意味であると言わざるを得ない。
「もっと前から織田と誼を通じておくべきであったな……」
「父上……」
伊達家の当主・輝宗は外交上手であり、信長にも多数の品を献上し、友好関係を築いていた。
「しかし、織田殿が我らのことを全く軽んじているという訳ではありますまい」
「確かに、人質を除き家中の問題には口を出さない、常陸国内の国衆は佐竹のものと見なすと、我らに利をもたらしている」
「常陸の統一と安全が約束されるのならば、喜んで人質になりましょう」
「すまぬ、義宣」
「北条の内情を探り、いずれ反旗を翻す好機を探しましょう」
「……頼んだ。しかし、氏政と刺し違えようなどとは思うな。無理はするなよ」
「はい。無茶なことなどいたしませぬ」
関東の諸大名は信長の決定を受け入れ、小田原に人質を送った。しかし、大規模な戦が起こることはなかったものの、全く血が流れないわけではなかった。




