景勝と兼続
「上杉弾正少弼景勝である」
「前田又左衛門利家にございます。此度はお目通りをお許しいただき、ありがたき幸せ」
上杉景勝は三十歳にも満たぬ若き当主であり、利家や信生よりかなり年下なのだが、その表情は岩のように険しく、背筋が自然と伸びるようであった。
交渉団の筆頭ということになっている利家が挨拶をした後、信生と源二郎も自己紹介を済ませた。景勝は静かに頷いたが、次に口を開いたのは彼の隣にいた若い側近であった。
「私は樋口与六兼続と申します」
景勝の重臣・樋口兼続――後に直江山城守兼続と呼ばれる男――は、景勝よりも若く、清々しい青年といった印象を与えた。
「織田が上杉と和睦を望んでいるとお聞きしました。しかし、我らが織田を討ち滅ぼすための盟約を武田や北条と結んでいることはご存知ですか?」
「無論です。それを承知の上で、上杉殿と話し合いたく、ここに参りました。まずはこの鍋島殿の話を聞いていただきたく思います」
「鍋島殿は何としてでも上杉と織田を和睦させたいのでしょう。お立場はわかりますが、上杉にも立場があるのは同じです」
「承知しております。上杉殿、樋口殿、まずはお人払いをお願いしたい。出来るならば、上杉方は上杉殿と樋口殿のお二人だけにしていただきたい」
「そのようなこと――」
「よい」
景勝の命を受け、兼続はすぐさま人払いを行った。部屋に残ったのは、景勝・兼続・信生・源二郎・利家の五人だけである。
「それで、人払いまでして何を仰るおつもりですか?」
「まずはこの書状をご覧いただきたい。源二郎、これを樋口殿にお渡しせよ」
「ははっ!」
折り畳まれた書状を、源二郎は兼続に手渡した。兼続はまず景勝に渡し、景勝が読み終わった後に兼続も目を通した。
「これは……詳しく説明していただきたい」
「我が父は、武田と北条の仲を裂こうと考えております。その芝居を演じるために、上杉のお力を貸していただきたいのです」
源二郎が昌幸の策について、景勝と兼続に説明する。上杉の銭で浪人を雇い、沼田城の支城・名胡桃城が北条方の兵に襲われたと装い、武田と北条の関係に楔を入れるという策である。
「織田や真田がこの策に関わったと知られる訳にはいきませぬ。この策は全て、上杉に手配していただきたく存じます」
「それは可能でしょうが、名胡桃城の城主か城代は、この策を知っているのですか?」
「名胡桃城の城代である私の大叔父、矢沢右馬助頼綱だけは、この策を知っております。書状に記された通りに動いていただければ、問題はないと存じます」
「なるほど。しかし、織田と九州の方々がそれを望むのはわかりますが、どうして真田家がそのようなことを? まさか武田を裏切る気では?」
「裏切りなど滅相もない。父が言うには、武田・上杉・北条が互いを心から信じ合い、合力せぬ限り、織田には勝てませぬ。いえ、勝てぬどころか、いずれは三家とも滅びまする」
「上杉が織田に滅ぼされるとと仰るか!」
「よい。若気の至りであろう。続けよ、源二郎」
「なれば、武田が生き残る道は、織田との和睦以外にありませぬ。父は、信玄公が遺された武田家の行く末を真に案じ、上杉殿にお願い申し上げた次第です」
「真田殿のお考えはよくわかりました」
「ならば、某から申し上げたい」
信生が発言の許可を求めると、景勝はゆっくり頷いた。
「鬼は九州や西国だけの脅威ではありませぬ。織田の力によって西国に閉じ込められているだけで、もしも織田のような巨大な力がなければ、とうの昔に日本六十六国が鬼に呑み込まれていたことでしょう。今は遺恨を乗り越え、日本全ての大名が手を取り合うべき時なのです。鬼との戦は、万人が認める義の戦にございます」
景勝は何も言わず、眉一つ動かさなかった。家康と同じく、何を考えているのかさっぱりわからない。
「それでは鍋島殿は、対価として何を下さると仰るのですか?」
「某には差し出せるものがございませぬ。対価については、前田殿と決めていただきたい」
「確かに。では前田殿、織田は何を差し出してくれるのですか?」
「まず、上杉には決して攻め込まぬと保証いたします。その証として、上様のご子息を人質としてお預けします。また富山城をお返しいたします」
「……富山城だけでは足りぬ。謙信公が手に入れた領地の全てを返してもらおう。越中・能登に加え、加賀・越前の一部もじゃ」
「それはあまりにも過大かと。越中一国ではいかがですか?」
「いや、越中と能登じゃ」
「……なれば、越中一国と七尾城では?」
能登の東部、越中との国境に近い七尾城は、広大かつ堅固な要害である。謙信ですら力攻めでは落とせず、内応によって開城させた。
「よかろう。七尾城を譲り渡すとなれば、織田の北陸の守りは大きく弱まる。この企みが成功した暁には、越中一国と七尾城を譲り渡してもらおう」
「承知つかまつりました」
領土交渉は成立した。織田から見ても決して安い対価ではない。
「しかし前田殿、鍋島殿、この話には一つ大きな問題があります」
「と言うと?」
「当然のことながら、越中や七尾城、さらに織田からの人質は、我らが戦の芝居を終えた後に受け取ることとなりましょう。しかし、それは口約束に過ぎません。織田が我らを騙し、上杉・武田・北条の盟約を切り崩した上で攻め込もうと企んでいるのではないと、どうして断言できましょうか」
「そのようなことは……」
信生は反論しようとしたが、すぐに口をつぐんだ。信生が中立的な立場であると、上杉は思ってくれていないだろう。




