岡豊の乱
「殿、ただいま戻りました」
「うむ。親泰、どうであった?」
香宗我部安芸守親泰は元親の弟である。元親にとって最も信頼出来る者の一人だ。
「はっ。外から見る限り、南蛮船には鬼しかおりませんでした。生きている者が隠れているかもしれませんが、そこまでは確かめられませんでした。また、四隻の船は互いを鎖で結び付けられておりました」
「鎖?」
「はい。互いを太い鎖でつないでおりました。鬼しかおらぬのに四隻まとまって漂着したのは、そのためかと」
「奇妙なことだ。まさか鬼をわざと日本に送り込んでいる者でもおるのか……」
真相を知る者がいても、とっくに鬼になっているだろう。考えるだけ無駄なことである。
「父上、いかがなさいましょうか。鬼がまだ船に留まっているのなら、いっそ火矢を射かけて焼き殺すというのは?」
「儂が聞いたところによれば、鬼は獣に同じ。火を見ればすぐさま逃げ出すであろう。そして、そのような鬼がどう振る舞うか、儂にはわからん」
鬼が火攻めに遭った時、どのように振る舞うのか、試したことのある者はいない。やもすれば数千の鬼がこれまでになく興奮し、手が付けられなくなるかもしれない。
船は既に座礁している。鬼は容易に陸地に上がってくるであろう。
「ならば……」
「これまでの常道通り、音で鬼を引き寄せる」
「兄上、わざわざ船に留まっている鬼を陸に呼び寄せることはないのでは?」
「無論、援軍が集まるまで鬼が船に留まってくれるならよいが……。恐らく、そうはいくまい」
元親の懸念はすぐに現実のものとなった。数十体の鬼が船から飛び降りて陸に上がり、徘徊を始めたのである。
「やはり、こうなってしまうか。鬼を好き勝手に歩かせる訳にはいかぬ。この岡豊城に引き寄せるぞ」
「しかし父上、船から出てきた鬼は少数です。音を立てぬよう殺せばよいのでは?」
「しくじれば、鬼が一斉に船から出てこよう。もしも鬼が方々に散らばれば、土佐どころか四国が滅ぶ。それだけは避けねばならん」
「なるほど……」
船の鬼を一斉に刺激することになっても、その動きを制御出来る状況に置いた方がよいということである。
「大鉄砲を撃ち鳴らせ! 鬼をここに引き付けるのだ!!」
籠城戦などで用いる大型の鉄砲を数十用意し、一斉に引き金を引く。八十町は離れた海岸にまで轟音が響き渡り、音を聞きつけた鬼は次々と船から降り、岡豊城の方角に歩き始めた。
音を聞きつけたものの、その足取りは緩慢であり、まだ興奮状態にはなっていないようだ。
道中の民は全て避難させている。また、鬼が岡豊城以外の方向に向かわないか監視する騎馬武者を五百ばかり配置している。大鉄砲は火薬を惜しまず常に撃ち続けた。
「あ、あれが鬼、ですか……」
「儂もこの目で見るのは初めてだ。何ともおぞましいものよ」
「あのようなものが土佐に広まるのは、何としてでも食い止めねばなりませんね」
「無論だ。皆の者、太鼓を打ち鳴らせ! 鬼をこの城に誘き寄せるのだ!」
鬼の姿が見えてきたところで太鼓の音を響かせる。鬼の数は予想通り二千前後。それらが一斉に岡豊城に向かって走り出した。
「よいか、皆の者! 鬼は殺さねば止まらぬ! 人を相手にした戦とは勝手が違うのだ。心して挑め!」
この時代の戦において、一般的に死者は少ない。名のある武将以外を殺したところで何の報償も出ないからである。故に、敵の足軽や雑兵は戦意を失わせれば十分なのだが、鬼を相手にしては、そうもいかない。
「「「おう!!!」」」
岡豊城は実戦を想定して築かれた典型的な山城である。交通の便が悪く政庁としての役割には向いていないが、籠城にはうってつけだ。斜面に築かれているだけで鬼の勢いは幾分か減る。
しかし城は狭く、城下や近隣の村の民を全て収容することは不可能であった。そこで、子供や老人、病人など、遠くまで歩けない四千人だけを城内に収容し、残りは岡豊城から自力で逃げさせている。
岡豊城の南側には三重の曲輪があり、元親はそこで陣頭指揮を執る。一先ずは籠城戦の定石通り弓矢と鉄砲で攻撃したが、心臓に直撃でもしない限り、鬼は全く動きを止めない。
鉄砲は脚などに当たれば動きを止められるが、運用できる数は三百丁程度であり、とても鬼の勢いを食い止めるには足りない。
鬼はたちまち石垣や土塁に取り付いて登り始める。
「よいか! 鬼共の肩を狙い、石垣より叩き落せ! 一匹たりとも城に入れてはならぬ!!」
「「おう!!」」
「槍は二人で一本を持て! 鬼は怪力ぞ!」
石垣を登ってくる鬼の肩口を槍で突き刺す。それ以外のことは考えず、ひたすらに突き刺し続ける。元親はいずれ鬼が襲来してくることを警戒し、槍を扱いやすいように曲輪を改修していたので、戦いは優勢に進んでいた。
それはまさに、高橋紹運の考案した作戦そのものであった。腕が使い物にならなくなれば、鬼も石垣に体当たりするだけになる。
「鬼の血が付いた槍を、曲輪の中に入れるでないぞ! 鬼の返り血を浴びた者があらば、すぐに名乗り出よ!」
鬼の血がほんの少しでも体内に入れば、人は鬼になる。その危険は可能な限り減らすべきである。鬼の血が入ったと思われる者は、縄で拘束した上で一日隔離する決まりになっている。
殺せた鬼はわずかであったが、肩を突き刺して壁を登れなくした鬼は三百に上る。しかし、鬼の血が入ったかもしれないとして隔離された者も五十を数える。
「父上、鬼が勢いをなくしているように見えます」
「数が減ったからという訳ではなさそうだな。仲間が山ほど殺されるのを見て怖気付いたか? そのようなことを考えられるとも思えないが」
いつの間にか、鬼の多くは石垣の下で不気味な呻き声を上げるばかりになっていた。
その視線は兵らに向けられ、外れる事はないものの、石垣を登ろうとする個体は激減した。特に傷を負っていない鬼でも、壁を登ろうとはしなかった。
「毛利の小早川左衛門佐は、鬼は群れになると知性らしきものを持つと言っていた。その類だろうか……」
「この様子であれば、城が落ちることはなさそうですが……」
「鬼が群れとしてどのように振る舞うのか、九州勢でもわからぬことは多いようだ。今はこのまま、籠城を続けよう」
鬼と互角以上に戦えているのは、石垣や土塁を登ってくるところを上から迎え撃つという、守備側が圧倒的に有利な状況だからである。城を出ればたちどころに食い尽くされるだろう。
元親は眼下の鬼に対し、投石や弓矢での攻撃を続けさせた。とは言え、岩が頭に直撃しても必ず死ぬ訳ではなく、殺せた鬼は少数に留まった。
「惟任殿に書状はきちんと届いているのだろうな……」
「書状は複数送っております。しかし、惟任殿は九州へ向かう最中。必ずしも土佐に来てくれるとは限らないのでは?」
「四国を失えば、畿内と九州の往来は著しく困難になろう。九州勢が少々後退することを許すよりも、四国の守備を優先すべきだと、惟任殿も考えてくれるはず」
元親は南蛮船が漂着した時点で、織田家に援軍を求める書状を送っていた。そして今すぐ四国に来られるのは、光秀の三万の軍勢だけなのである。




