近芸和与
「その要求をそのまま呑むことは出来ませぬ」
「では、どこまで呑めるのじゃ? 因幡は別に毛利の領地ではござらんのじゃから、腹は痛まんと思いますがのう」
「ええ。因幡は手放しましょう。美作・備中については、宇喜多が今支配している部分に限って、手放しましょう」
美作・備中両国の分割については、現在の境界線で固定しようというのが、隆景の提案であった。
「宇喜多殿が美作や備中を支配することをお認めになるのですな?」
「直家の裏切りには心底腹が立ちますが、致し方ありません。宇喜多が今日までに切り取った領地は認めましょう」
「ありがたいことじゃ」
「また、それに加えて、今日この時より、宇喜多が毛利の城に攻め入ることは一切ないと、お約束していただきたい」
「当たり前じゃ。お安い御用よ。美作・備中については、各所の城や国衆がどちらについておるのか、互いによく確かめてから、国を分けるとしましょうぞ」
「羽柴殿からそう言っていただけると心強い」
「それと、儂からも一つ頼みごとがあっての」
「何でしょうか」
「因幡は毛利の領地という訳ではござらん。我らに引き渡すとなれば、当地の山名が抵抗するやもしれませぬ」
山名氏は毛利家に従っているだけで、家臣という訳ではない。領地を明け渡せという命令にまで従う義理は全くないのだ。
「その可能性は大いに考えられますね」
「その時は、毛利に山名を滅ぼしてもらいたい。よいですかな?」
「羽柴殿がせっかく武功を挙げる好機だというのに、よろしいのですか?」
「それが困るんじゃ。家臣に武功を挙げさせると、褒美を与えねばならんからのう。せっかく因幡を手に入れても家臣を満足させられんのじゃ。まあ、程々の身分の者が討ち死にすれば話は別じゃが、そう上手くはいかなさそうじゃからのう」
「なるほど。それならば、お引き受けいたします。ただし、山名殿やその家臣の処遇は、こちらに一任していただきたい」
「そんなことなら、好きにしていただいて構いませんぞ」
領地に関する交渉はこのようなところで終わった。
「いやはや、よき話が出来ましたわ。後は……我らの間で最も意見が割れそうなのは、やはり公方様についてじゃのう」
「確かに。公方様の扱いは難しいものです」
征夷大将軍・足利義昭の処遇が、やはり問題になる。
「儂もかつては公方様によくしていただいた身じゃ。公方様を殺し申し上げるようなことは、断じてするつもりはございませんぞ」
「織田殿は何をお望みなのですか?」
「出来れば公方様をこちらに引き渡して欲しいのう。もちろんお命を取るつもりはないし、傷一つ付けるつもりもござらん」
「申し訳ありませんが、そう易々と公方様の御身を引き渡すことは出来ませぬ。毛利は決して、逆臣にはなりませぬ」
「まあ、そうじゃろうのう。なれば、公方様には将軍職を辞していただきたい。公方様の御身は引き続き毛利が預かるのがよろしかろう」
「それはまた大胆な。公方様には今後、織田に反する大名へ御内書を発給することを控えていただく、というのではどうですかな?」
将軍が発給した書状を御内書と呼ぶ。足利義昭はこれまで全国各地の大名に御内書を送り、信長討伐を働きかけてきた。
その試みは部分的には成功しており、特に第二次信長包囲網で武田信玄が急死していなければ、信長も尾張や美濃を失っていたかもしれない。
「それでは困りますのう。全ては毛利殿の匙加減次第というのは、流石に認められませんな」
「そうは言いましても、将軍を辞していただくという件については、我らだけでは決めかねます。公方様にご納得いただかなければ」
「毛利にそんな余裕があるのですかな? 既に鬼が海を越えて赤間関に現れたと聞きますが」
「おやおや。私もつい先日知ったことをご存じとは、羽柴殿はお耳が早い」
表面的な態度は崩さなかったが、そこまで知られているとは、隆景にとっても想定外であった。毛利家に全く余裕がないことは秀吉に知られている。
「公方様を説得している暇などございますまい。毛利には、公方様に将軍職を辞めさせていただきたい。たとえ力づくでも、でござる」
「……承知しました。認めましょう」
義昭に軍事力などはない。毛利が強要すれば、従う他にないだろう。
「それでは、因幡を割譲し、美作・備中は現状のまま分割し、公方様には将軍職を辞していただく。これでよろしいですか?」
「うむ。これならば、上様にもご納得いただけるはず。感謝の言葉もございませんぞ、小早川殿!」
「ええ。円満に事が運んで何よりです。しかし……この話、織田にとっては利があれど、羽柴殿には特段の利がない。毛利と和議を結べば、羽柴殿は暫くは武功を挙げられない。そうでしょう?」
急に話を変える隆景を秀吉は訝しんだ。
「そうじゃが、それがどうしたと申される?」
「我らは羽柴殿とも是非とも仲良くやっていきたいと思っているのです。そこで、我らから一つ、お約束いたしましょう」
「ほほう。何じゃ?」
「織田家中で『もしも』のことがあれば、毛利が羽柴殿の後ろ盾となりましょう。羽柴殿は新参にて、織田家中に味方は少ないかと存じます」
織田家の各方面軍は、それぞれ大大名と呼べるほどの実力を有している。信長に万一のことがあれば、それらが相争うこともあるかもしれない。
「それはそれは……。まあ、役に立つ時が来るとは思えんが、有り難きお言葉にござる」
「今後ともよろしくお願い申し上げます」
もちろん今の密約は信長に伏せ、隆景と秀吉はそれぞれの主に和睦交渉の内容を伝えた。輝元も信長もこれを承認した。
後は義昭が将軍職の辞任を受け入れれば、盟約は正式に成立する。




