隆景の交渉
「戦で損なわれたものがあるのは、織田も毛利も同じでしょう。毛利にだけそれを償うよう求めるのは、不公平というものです」
「小早川殿、言いにくいことじゃが、毛利は織田に頭を下げて和議を乞うておる立場。織田と毛利とが対等などとは思われない方がよいですぞ。上様を怒らせると怖いですからなあ」
確かに、和睦というのは先に言い出した側が不利である。織田側が大きく出るのは仕方ないとは言え、ここまで露骨に脅迫してくるとは隆景も予想外であった。
「なるほど。ご忠告は有り難く受け取りましょう。しかし、日本そのものが滅びるやもというこの状況、話をこじれさせることは、織田殿も望んではおられないのでは?」
「確かに、毛利と早々に和睦すべしと上様も仰せじゃ。じゃが、それはそれ、これはこれ。織田に楯突いた落とし前は付けてもらわねばなりませぬ」
「和議がなれば、我らは織田に全面的に協力すると誓いましょう。まずは鬼との戦、その後にも織田にまつろわぬ者あらば、その討伐にも合力いたします。それをもって和睦の条件とはできませんか?」
「そうしたいところにござるが、領地を増やさにゃ、毛利と長いこと戦をしてきた家臣共が納得せんのです」
「それは毛利とて同じこと。領地を失えば、多くの家臣に不満が残りましょう」
その影響は直接領地を取り上げられる家臣だけに留まらない。直接を取り上げられた家臣には新たな領地を与えなければならず、それには他の家臣の領地を減らす他にない。毛利家中が大いに混乱することは目に見えている。
「もちろん、そんなことはわかってござる。じゃが、どっちかが貧乏くじを引かにゃならんなら、毛利に引いていただくのが筋でござろう」
「……お言葉ですが、私は織田家と話を付けに来たのであって、羽柴殿個人と話を付けに来たのではありません。羽柴殿はあくまで織田殿の名代のはず。羽柴殿の一存で領地の交渉など出来ぬのでは?」
「ふーむ、まあ普通の家なればそうでござろうが、儂はこの辺りのことは上様に一任されておるんじゃ」
織田家は非常に広大な領地を有するが故に、各方面を指揮する武将には、大名と呼べるほど広大な領地と、その支配に関する大幅な裁量権が与えられている。
つまり重臣に好き勝手やらせているということだ。人質も取らず任せきりにするというのは、信長の大胆さ――悪く言えば思慮の浅さ――の象徴である。
「しかし、それは織田殿の手が回りきらないからこその体制であって、織田殿のご意志に反するようなことは出来ぬはず。違いますか?」
「相違ござらん。上様の気に障れば、儂もその辺の百姓に戻されるでしょうな。じゃが、小早川殿は上様の真意を儂よりよく知っておられるのかのう?」
「羽柴殿より存じているとは思いませんが、しかし、惟任殿から織田殿の意をある程度伺っております」
惟任という名を出した途端、秀吉の余裕ぶった表情が僅かに崩れた。すぐに内心を感じさせない笑みに戻ったが、隆景はそれを見逃さなかった。
「何じゃと? 念のためお聞き申すが、惟任とは惟任日向守光秀のことでござるな?」
「無論です」
「不思議じゃ。小早川殿と惟任殿に何の繋がりがござる?」
「惟任殿の下に龍造寺が家臣、鍋島孫四郎殿が参っておりまして、その鍋島殿と私が通じています」
「なるほど……。左様でござったか。それで、惟任は何と?」
「惟任殿からの書状には、織田殿には毛利に妥協してでも和睦を急がせる上意があると、書かれておりました」
「惟任が口から出任せを言っておるとは思わんのですかな?」
「もしも齟齬があるようならば、今一度鍋島殿に書状を送り、確かめてもらいましょう。それに、このように形に残る書状で、惟任殿が嘘を申すとは思えません」
実のところ、信生は一刻も早く九州に援軍を送らせることを優先しているので、隆景からの要請に必ずしも乗ってくれるとは限らないのだが。
「なるほどなるほど。ふははっ! こりゃ一本取られたわ!」
秀吉は高笑い。これ以上言い募っても分が悪いと判断したのだ。
「確かに小早川殿と龍造寺が誼を通じておるとは存じておりましたが、迂闊でござった」
「なれば――」
「じゃが、上様はタダで毛利を許すとは仰っておらぬ。光秀は知らんかもしれぬが、これが上意じゃ」
「では、織田殿は何と仰せなのですか?」
「少なくとも構わぬが、毛利から和睦の証を取ってこいと仰せじゃ。じゃが、少なくともよいとはいっても、それなりの手土産でなければ儂が斬られるでな。小早川殿、儂も真は毛利と円満に和睦したい。どうか上様をご納得させるため、お力を貸してくだされ!」
そう言いながら、秀吉は畳に額がつきそうになるほど頭を下げた。もちろんそれが秀吉の真意だと信じる隆景ではない。とは言え、表面上はその話に乗る。
「頭をお上げください。わかりました。織田殿は何をお望みなのですか?」
「上様は気難しい方でのう。はっきりとしたことは仰らなかったのじゃ。まあ、それだけ儂のことを信用して下さっているということでござろう」
「……まあ、そういうことにしておきましょう。それで、要求というのは?」
「うむ。因幡・美作・備中を手放してもらいたい」
「……三ヶ国を差し出せと?」
「二ヶ国くらいでござろう」
いずれも毛利と織田の係争地である。
因幡は毛利家寄りの山名家が概ね全域を領有している。美作と備中は、それぞれちょうど半分くらいを、つい最近毛利家から寝返った宇喜多和泉守直家が支配している。




