萩の乱
時は数日前に遡る。
毛利家が九州から撤退して一ヶ月ばかり。毛利家は関門海峡周辺に一万を超える兵を常駐させて鬼の襲来に備えていたが、鬼が海を越えてくる気配はなかった。
隆景は輝元に生け捕りにしてきた鬼を見せ、九州の惨状を伝えていた。毛利家中も流石に九州を助ける方向に舵を切ったが、東の織田家との和睦がならなければ大軍を送ることは難しい。
毛利家と織田家が互いを信用できずにいる中、予想外の方面から報告が入る。
「殿! 申し上げます! 萩に鬼が現れました!!」
「何だと!? 何故、そのような場所に!?」
吉田郡山城の輝元に報告が入った。萩と言えば長門国の中でも北部に位置し、九州から相当に離れた地である。狭い関門海峡も越えられない鬼がそんなところに現れるとは、輝元には思えなかった。
「どうやら、唐船が流れ着き、船の中は何十という鬼で満ちていたとのこと!」
「船、だと……。まさか唐土は、もう鬼に溢れておるのか……」
「殿! 鬼は放っておけばすぐに増え、取り返しがつかなくなり申す! すぐさま送れるだけの兵を送り込まねば!」
そう威勢よく言ったのは、輝元の伯父の一人で元就の次男、吉川少輔次郎元春であった。武勇の誉れ高く、小早川隆景と並んで毛利を支える『毛利両川』と称される重臣である。
「う、うむ、無論だ。皆の者、萩に向けて出陣じゃ!」
一刻の猶予もない。輝元は二万ばかりの兵を掻き集めて吉田郡山城から出陣すると共に、関門海峡付近に配置していた兵にも萩に向かうよう命を下した。
○
毛利家において九州方面の海岸防衛を任されていたのは、吉川元春・小早川隆景・口羽刑部通良と並んで毛利四人衆と称される、福原左近貞俊である。
萩からの急報を受けた貞俊は、長門国に駐屯している一万の兵のうち七千を率い、萩に急行した。残り三千は引き続き海岸の監視を続ける。
萩に唐船が漂着してから三日後。福原勢七千は萩に到着した。
「これは……何ということだ……。これが、地獄か……」
「伝え聞いていた話、嘘偽りはございませんでしたな……」
まさか日本海側の萩に鬼が現れるとは思わず、民も兵も警戒が薄かった。萩とその周辺に住まう民の多くが鬼と化し、その数は既に二万近くに上っていた。
「小早川殿より聞いた通りじゃ……」
「ど、どうなされますか……?」
「ひとまず、直ちに萩の惨状を殿に伝えるのじゃ」
「はっ!」
「しかし、我らだけでは、この数の鬼を抑え込むことなどできぬ……。せめて西側だけでも封じておくべきじゃ。萩の西の道を塞ぐよう、陣を築く!」
「街道だけでよろしいのでございますか?」
「小早川殿が言うのは、鬼は山に登りたがらぬそうじゃ。であれば、物見さえ置いておけばよかろう。山中まで陣を張っている暇はないからのう」
鬼の大半はわざわざ山に登らず街道に集まることが知られている。山中の警戒を怠るべきではないが、山にいるのは少数であるから、十分に気を付けておけば対処も可能だ。
「殿、鬼がこちらに向かって来ております。千から二千ほどかと」
「この程度の数なら、誘き寄せて一網打尽にしてしまえばよろしいのでは?」
「……いや、少なくとも五倍は兵が必要と、小早川殿は言っておった。こちらから仕掛けるのは危うい」
貞俊は街道の防衛に徹することを決めたが、交戦は避けられなかった。一千ばかりの鬼が堀と柵で固められた陣地に押し寄せ、戦端が開かれた。
「よいか。鬨の声などは上げるな。遠くの鬼を呼び寄せてしまう。堀に落ちた鬼を槍で刺し殺せ」
「はっ……」
他の場所にいる鬼が集まってくることはなかったものの、一度殺し合いが始まれば、千の鬼は興奮して一気に動きが俊敏になる。堀を越えて柵を乗り越えてくる鬼も現れ始めた。
「首を斬り落とし、確実に仕留めるのだ。数はこちらが優位。焦らなければ勝ちは揺るがぬ」
幸いにして、大きな混乱は起こらなかった。襲い掛かってきた鬼は全て討ち取り、味方の死者は百に満たなかった。
「ふぅ……。何とかなったわ」
「近くには鬼はいないようです。兵に休息を取らせては?」
「そうじゃな。二千を見張りに残し、残りは休め」
五千の兵を休ませ、二千で警戒を行う。取り立てておかしな采配ではない。
だが、貞俊はまだ知らなかった。今は無事に見える者でも、少しでも鬼に傷つけられていれば、半日と経たずして鬼になるのだと。
「殿、兵の間で諍いが起こっているようです」
「何じゃと? まったく、このような時に」
最初はよくある喧嘩だと思っていた。しかし、ほどなくして血相を変えた伝令が駆けこんで来た。
「と、殿!! 一大事にございます!! 陣中に鬼が出ました!!」
「な、何じゃと!? そ、そんな馬鹿な!! 見張りは何をしておった!!」
「そ、それが、何人かの者がいきなり苦しみだして鬼になったと、逃げて来た者は申しております!!」
「いや、何があったかなどどうでもよい! 動ける者は今すぐ鬼を殺すのだ!!」
陣中で鬼と化した兵は、いつの間にか三百を数えた。
兵らが具足すら纏っておらず、気を抜いていたところへ鬼がいきなり現れ、一千ばかりの兵があっという間に喰い殺される大惨事となったのである。
「ま、また鬼が!!」
「手傷を負った者が、次々と鬼になっているとのこと!!」
「これではとても持ちませぬ!! 殿、お逃げくだされ!!」
鬼は貞俊にも襲いかかってきた。貞俊は逃げることしか出来ず、軍配を振っている余裕などまるでなかった。ここに軍勢は崩壊したのである。
前線で警戒に当たっていた二千の兵も、後ろから鬼に襲われ、あっという間に崩れた。
兵らは散り散りに逃げ、再集合できたのは二千に過ぎなかった。




