鬼の探究
「上様がお決めになれば、羽柴殿もすぐ毛利との和睦に動くのでは?」
「これほどの事態、羽柴が上様の命に従わぬことはなかろうが、毛利が応じるとも限らぬ。それに、中国方面の軍勢を九州に送るには、諸将との調整が不可欠。古処山が落ちるまでには間に合うかは怪しい」
「はい……」
「上様に進言はするが、必ずしも上手く進むとは限らぬこと、承知してもらいたい」
「そのような……。これ以上なきご配慮、感謝いたします」
光秀は安土の信長には毛利との和睦を進言し、姫路の秀吉には交渉に応じるよう要請する早馬を送った。また岡豊城の長宗我部宮内少輔元親にも、より緊密な協力体制を築くよう要請する使者を送った。
「さて、その前にまず、この鬼共よ」
光秀の瞳に昏い光が宿った。
「惟任殿……?」
光秀は隣の侍から槍を受け取ると、鬼の太腿に容赦なく槍先を突き刺した。
赤黒い血が流れ出し、鬼は立っていられなくなる。それでも不気味な叫び声を上げながら、檻から出ようとしている。
「獣よりも痛みを感じぬようだ。しかし、脚を損なえば歩けなくなる。妖怪の類ではなく、あくまで気の狂った人ということか」
「しかし、一度これに噛まれれば、噛まれた者も鬼になります」
「噛まれれば、というのも曖昧な話だ。鬼の血が入れば鬼になるのか、それとも唾か」
「そこまでは……」
「それも調べるまで。鍋島、鬼は何をすれば死ぬ? 鬼は心臓を潰せば死ぬか? 喉を突けば死ぬか?」
「喉を突く、首を斬る、心臓を突く、あるいは人が死ぬほどの血を流せば、鬼は必ず死にまする。人と同じにございます」
「ならば、それはよい。では腱を切れば動けぬようになるか?」
「恐らくは……」
手足を斬りつけたり刺したりすれば動けなくなることは、高橋紹運が鬼との戦いで確かめている。だが、このように鬼をよく観察しながら確かめたことはない。
「ならば、今ここで試せばよいだけのこと」
「はっ。次の鬼で試しましょう」
光秀は家臣に鬼の気を引かせながら、自身は槍で鬼の脚を刺した。脚の腱を切ると、鬼は確かに動けなくなった。腕の肉を切ると、腕を上げられなくなった。
「やはりと言うべきか、人と何も変わらぬな」
「はい。とは言え、恐ろしいのは鬼の数にございます」
「見ればわかる。同数の兵ではとても相手にならぬであろう」
「鬼を試し斬りするのは、この程度でご満足ですかな?」
「ああ、斬るのはもう十分だ。まだ試さねばならぬことは多い」
「次は何を……」
光秀の探究心に信生はついていけなくなりそうだった。
「人は何を以て鬼になるか、それを確かめねばならぬ」
「そ、それは……」
そんなことを検証する手段など、実際に人間を鬼にする以外にない。信生は気が引けたが、光秀は全く躊躇する様子がない。
「既に罪人を用意しておる。首を刎ねるはずだった罪人故、気を病む必要はない」
「いくら死罪にする者とは言え……鬼にするというのは、死よりも重いものかと存じますが」
「鬼になれば直ちに殺す。人を喰い殺すことはない」
「はっ……」
光秀は有無を言わさぬという調子であった。光秀は用意していた罪人二人の腕に刀傷をつけ、一人には鬼の血を、もう一人には鬼の唾を、ほんの一滴ずつ垂らした。そして鬼と同様に竹の檻に監禁した。
半日ほどで変化が訪れた、二人の罪人はいずれも鬼になっていた。人らしい面影はなく、人を見れば即座に襲いかかろうとする。
「なるほど。鬼に噛まれればどうあっても助からないという話は、真であったか」
「はっ。しかし、某はもっと早く、ほんの一刻もしない内に鬼になった者を見たことがございます」
「血が多ければすぐに鬼になるということか。それも試してみよう」
「……はっ。これも鬼と戦うため、九州を救うためにございますれば」
神仏を恐れぬ光秀の所業に、信生は嫌悪感を禁じ得なかった。彼の行為が合理的で、恐らく今後の犠牲を減らすのに役立つであろうことも、頭ではわかっていたのだが。
光秀は罪人に与える鬼の血の量を変え、数度の検証を行った。結果として、多量の血を与えた者は、信生が九州で目にした者と同じく、一刻もしない内に鬼となった。更に、同じ血の量でも、死にかけている者ほど早く鬼になることがわかった。
この実験に使われた者は実に二十人に上ったが、その多くはつい最近反乱を起こした荒木信濃守村重の一族であった。
「これほど早く鬼になるとは、戦の最中に鬼が増えかねんな」
「はい。ですので、鬼に噛まれた者はその場で自刃させるより他にありません」
「妥当な判断だ。他には……鬼は死体に喰いつくか?」
「死体ですか。試したことはございません」
「ならば試そう」
光秀は先程鬼になった罪人の死体や、処刑されたばかりの罪人の死体を、鬼の前に置いた。だが鬼は全く興味を示さなかった。
「死体を囮には使えぬか」
「不思議なことにございますな。鬼は飢えている訳ではないのか……」
「鬼の仲間を増やしたいのやもしれぬ。試したいことはまだ少しあるが……長らく付き合わせてすまぬな、鍋島」
「滅相もない」
光秀はその後、鬼が飢え死にすること、飢え死にする寸前の鬼は人以外にも食いつくこと、そして鬼の血は五日ほどで人を鬼にする力を失うことを確かめた。
「この鬼は上様と朝廷にお見せ申し上げる。上様からの沙汰や、毛利と羽柴の交渉が進むまで、暫し待ってもらいたい」
光秀は脚の腱を切った鬼を安土へ送らせた。信長に見せた後、公卿などにも見せて、朝廷からも協力を引き出すつもりである。
「はっ。どうか、よろしくお願い申し上げます。どうか、少しでも早く」
「承知している」
一日や二日で和睦が結ばれるはずもない。そんなことは当然なのだが、信生には酷くもどかしい時間に思えた。光秀による検証の成果は古処山城にも伝えられたが、すぐに役に立つような知識ではなかった。
信長は光秀の具申を受け入れ、秀吉に毛利との和睦交渉を命じた。
独断で動く癖のある秀吉もこれには従い、毛利との交渉に乗り出したが、血で血を洗う争いを繰り広げてきた両者がそう簡単に手を取り合えるはずもなかった。
そうして堺に留め置かれてから半月ほどが過ぎ、古処山が落ちると見込まれる時まで二ヶ月を切った頃、信生に毛利家からの書状が届いた。
「長門に鬼が湧いた、だと……。こうも早く海を越えてしまうとは……」
小早川隆景から送られてきたのは、毛利家の急を告げる書状であった。
「しかも萩とは。九州から離れているが、どうなっている」
九州から関門海峡を越えた先にある赤間関などならともかく、日本海に面する萩に鬼が現れたとは、奇妙なことである。




