岩屋玉砕
「ど、どうされますか、殿……」
「このまま放っておけば、鬼は南に逃げる民に追いつく。かと言って食い止めることもできない」
「で、では……」
「…………」
いくら考えても、小早川隆景には、この状況を切り抜ける策は一つしか思いつかなかった。
「鬼を岩屋城に引きつける」
「な、何と……?」
「我らであの鬼共を岩屋城に引き寄せれば、暫しの時を稼げよう。一万もの鬼が一斉に襲い掛かって来るとなれば、少なくとも五万の兵を用意するか、堅牢な山城を使うしかない。……耐えるとは言っても、ほんの数日の間だけであろうが」
「そ、そんな、大友の城を囮にするというのは、いくらなんでも……」
「最も多くの民と兵を救うには、これしかない。……私の知略がもっとあれば、他にやりようがあったのかもしれないが」
毛利の民も大友の民も関係なく、より多くの者を守る。その隆景の覚悟を、家臣らは受け止めた。
「すぐさま岩屋城に伝令を送れ。紹運殿ならば、理解していただけるはず」
「はっ……!」
岩屋城の承諾を得ている猶予はない。隆景は二千ばかりを率いて街道を逸れ、岩屋城の方向へ進み始めた。
数人の鉄砲組を突出させ、鉄砲を継続的に放ち、鬼を引き寄せる。爆音に刺激されると、鬼の群れは一斉に走り出す。鬼が引き寄せられたことを確認した鉄砲組は直ちに馬で逃げるのだが、それが必ずしも上手くいくとは限らない。
「殿……。先の鉄砲組は、全滅です。しかし、鬼を引き寄せる役目は果たしました」
「……次の組を出せ。鬼の目を常に我らに向けさせるのだ。失敗は許されぬぞ」
「はっ。直ちに」
このようにして三百ばかりの兵が鬼に喰われたが、隆景の作戦は功を奏し、鬼の群れは確実に岩屋城の方向に動き始めた。
〇
「――こ、このような、我らを囮にするような策、とても受け入れられませぬ!」
統虎は隆景からの使者に抗議した。だが、紹運は統虎を制止した。
「よい。この岩屋城に近くの鬼を全て引き寄せれば、兵と民を逃がす時を稼げる。このような役を演じられることは、これ以上ない誇りよ」
「しかし……」
「東からも鬼が来れば、いよいよ逃げ場はなくなるであろう。鍋島よ、統虎を連れてここから逃げるのだ」
紹運がそう言った瞬間、当の統虎は血相を変えて叫んだ。
「父上! 私は最期まで戦います!!」
「ならん! お前は生きて殿に忠義を尽くすのだ! ここで死ぬのは一人だけでよい!!」
「でしたら私がここに――」
「馬鹿を言え! 先に死ぬのは親の方に決まっておろう。お前はまだまだ生きねばならん」
「し、しかし……」
「問答は無用! わかったらとっとと出ていけ!!」
「…………はっ」
統虎は部屋を後にする。紹運と信生だけが残された。
「鍋島よ、統虎を頼むぞ」
「はい。某を拾ってくださった御恩は、必ずや返します」
「頼んだぞ」
それが紹運と信生の今生の別れとなった。
「逃げたい者は逃げて構わん。儂と共に命を以て忠義を尽くしたい者は、ここに残れ。無理強いはせん。儂一人になっても戦い続ける」
隆景が誘引している鬼の群れが到達する前に、統虎と信生、それに千五百の兵は、夜闇に紛れて東門から密かに脱出した。鬼に気付かれぬよう、音が出る甲冑は全て捨てていった。
「これほどの者が残ってくれるとはな……」
「侍たるもの忠義に生きるべしと、殿は常々仰っているではありませんか」
「それは儂が勝手にやっているだけのことなのだが……」
「我らは殿への、紹運様への忠義によって、ここに残っているのです」
「……そうか。儂も良い家臣を持ったものよ」
岩屋城には紹運と、彼に忠誠を誓う五百程の将兵だけが残った。小早川勢が一万の鬼を近くまで誘導すると、紹運は銅鑼や鐘を激しく叩き、その注意を岩屋城に引きつけることに成功した。
そして紹運は、騒音で鬼を引き寄せながら、寡兵でも守りやすい本丸まで後退し、最後の戦いに臨んだ。
「怯むな!! 一匹でも多く鬼を道連れにしてやれい!!」
「「「おう!!!」」」
数の上でも圧倒的に不利な中、紹運率いる五百の兵は、石垣と城壁を乗り越えて来る鬼を次々に斬り殺す。鬼の数がいくら多かろうが、狭い本丸に一度に襲い掛かってくる数には限りがある。
「殿……! この者が鬼に噛まれたそうで!」
右腕から血を流す足軽が、紹運のもとに運び込まれた。
「そうか……」
「殿、こんなところで鬼になってやるつもりはありません。儂は自害いたします。万が一にも家族を喰い殺すなんてごめんです」
「……よかろう。儂が介錯してやる」
「ありがたき幸せ……」
鬼の勢いは凄まじく、殺しても殺しても尽きることはない。鬼が東から攻めて来てから二日目には、本丸に鬼が侵入した。鬼を千匹ばかり殺したが、こちらの兵も百を切っている。
「殿!! 鬼がもうここに!!」
「これまでか……。儂は鬼になどならぬぞ。お前達も、鬼になってはくれるなよ」
「はっ……」
家臣達は腹を切る余裕もなく、ある者が隣の者の首を落とし、今度はその者の首を別の者が落とすというように、次々と互いの命を絶っていった。
紹運が重臣の首を落とすと、残っているのは彼だけになった。
「鬼共よ、この儂をただで喰えると思うなよ!」
紹運は御殿に火薬をばらまき、火を放った。たちまち炎が燃え広がり、鬼の身体を燃やしていく。
「皆が逃げ延びているとよいが……」
炎の中、紹運は自らの心臓を脇差で貫き、自害した。炎は八百程の鬼を巻き込んだ。かくして、岩屋城は完全に陥落したのである。




