憧れの人
店の中は、夜になっても賑やかだった。
木製のテーブルが並ぶ、グリューネヴァルトではよくある居酒屋風の飲食店。
天井から吊るされたランタンが柔らかな明かりを落とし、あちこちから笑い声や食器の触れ合う音が聞こえてくる。
祭りの日ということもあり、いつも以上に客が多い。
「ここ、結構混んでるね」
リーネアが店内を見回す。
「今日は祭りですからね」
ヴィーゴが向かいに座りながら答えた。
「それに、この店なら僕たちが狩った獲物も食べられます」
「私たちが?」
「はい。ギルド経由で、冒険者が狩ったモンスターの肉がこの辺りの飲食店に卸されているんです」
「へえ」
リーネアがメニューを覗き込む。
「だからツノウサギやホーンボアの料理があるんだ」
「はい」
「……なんかちょっと不思議な感じ」
「何がです?」
「自分たちが狩ったモンスターを、今から自分たちで食べるんだなって」
ヴィーゴは少し考える。
「確かにそうですね」
「なんだか変な気分」
「でも、美味しく調理してくれる職人への感謝は忘れないようにしましょう」
「そこまで職人にこだわる?」
「大事なことです」
リーネアはくすっと笑った。
「じゃあ、今日は今までの狩りの成功を祝って――」
店員が運んできた飲み物を持ち上げる。
「ツノウサギ、そしてホーンボア、狩猟おめでとー!」
「おめでとうございます」
カン、とグラスがぶつかる。
「乾杯!」
「乾杯」
祭りの夜。
二人だけの、小さな祝杯だった。
ほどなくして料理が運ばれてくる。
「おお……!」
リーネアの目が輝いた。
目の前に置かれたのは、湯気を立てる大きな器。
「ツノウサギのシチューです」
「美味しそう!」
肉と野菜がたっぷり入ったシチュー。
柔らかく煮込まれた肉から、香ばしい匂いが漂ってくる。
さらにもう一品。
「こっちは……」
「ホーンボアのステーキです」
「でっか!」
皿の上に堂々と乗った厚切りの肉。
その見た目だけでも、かなり食べ応えがありそうだった。
「これ、私たちが狩ったやつ?」
「厳密に言えば、先日のホーンボアと同じ個体ではありませんけどね」
「分かってるって」
リーネアは笑いながらナイフを入れる。
肉からじわりと肉汁がにじむ。
「いただきます!」
一口食べる。
「……!」
リーネアの顔が一気に明るくなった。
「美味しい!」
「それは良かった」
「ホーンボアって、こんな美味しいんだ」
「調理法が良いのでしょうね」
ヴィーゴもステーキを口に運ぶ。
「……うん。美味しい」
「でしょ?」
「これは素材として持ち帰る価値もありますね」
「食べながら素材の話するのやめようよ!」
「すみません」
二人は笑った。
祭りの音が店の外から聞こえてくる。
料理を食べて。
酒を飲んで。
今日一日を振り返って。
いつの間にか、二人の会話は途切れなくなっていた。
「そういえばさ」
何杯目かの酒を口にしたリーネアが、ふと思い出したように言った。
「この前も少し聞いたけど」
「はい」
「ヴィーゴって、なんでそんなにビキニアーマーにこだわってるの?」
ヴィーゴの手が止まった。
「……前にも少し話しましたね」
「うん」
リーネアは頬杖をつく。
「助けてもらった女戦士が着てたって」
「はい」
「でも、もっと詳しい話は聞いてなかった」
ヴィーゴは少し黙った。
酒のせいか。
祭りの雰囲気のせいか。
今日はいつもより、話しやすい気がした。
「……では、もう少しだけ話します」
「うん」
ヴィーゴはグラスを置いた。
「俺がまだ子供だった頃の話です」
「その頃のヴィーゴって、どんな子供だったの?」
「今とあまり変わらなかったと思います」
「それは……」
リーネアが苦笑する。
「なんとなく想像できる」
「ただ、今よりずっと無鉄砲でした」
「それも想像できる」
「ある日、親の剣を勝手に持ち出して森へ入ったんです」
「……それ、絶対やっちゃいけないやつ」
「はい」
ヴィーゴは苦笑した。
「当時は、自分も大人と同じようにモンスターを倒せると思っていたんでしょうね」
「で?」
「森の奥まで行ってしまいました」
ヴィーゴの視線が、少し遠くなる。
「その日は、朝からよく晴れていました」
「晴れてた?」
「はい。だから、森の中も明るかったんです」
ヴィーゴはゆっくりと言葉を選ぶ。
「最初は怖くありませんでした」
木漏れ日。
鳥の声。
湿った土の匂い。
風に揺れる木々。
「親の剣を腰に差しているだけで、自分が大人になったような気がしていた」
「子供らしい……」
「馬鹿だったんですよ」
ヴィーゴは苦笑した。
「森の浅いところなら、何度か行ったことがありました。だから、その先も大丈夫だと思ってしまった」
だが。
そこから先は違った。
「木がだんだん大きくなっていったんです」
光が減る。
足元の草が深くなる。
鳥の声が少なくなる。
「気づいたときには、来た道が分からなくなっていました」
「……」
「戻ろうと思って、振り返った」
ヴィーゴの手が、無意識にテーブルの上で動いた。
「その瞬間でした」
「何がいたの?」
「ブルーウルフです」
リーネアの表情が変わる。
「一匹?」
「最初は一匹でした」
ヴィーゴは小さく息を吐いた。
「木の陰から、青灰色の毛が見えたんです」
低い唸り声。
木々の向こうで揺れる影。
「俺は、その時点で逃げればよかった」
「うん」
「でも、怖くて身体が動かなかった」
ブルーウルフが、一歩出てくる。
「大きかった」
少年のヴィーゴにとっては、今まで見たどんな動物よりも大きく感じられた。
「肩の高さが、自分の胸くらいまであった」
鼻先。
鋭い牙。
じっとこちらを見る目。
「それなのに、音がしないんです」
リーネアが息を呑む。
「歩いているのに、ほとんど足音が聞こえない」
「……怖い」
「はい」
ヴィーゴは頷いた。
「剣を抜きました」
鞘から剣を抜く。
けれど、手が震えていた。
「重かった」
「親の剣?」
「はい。子供の俺には、まともに振れる重さじゃありませんでした」
それでも構えた。
ブルーウルフが唸る。
「俺も負けじと叫んだんです」
『来い!』
「たぶん、自分を奮い立たせたかっただけです」
ブルーウルフが地面を蹴った。
「速かった」
ヴィーゴの目が鋭くなる。
「何をされたのか分からないうちに、目の前に来ていた」
「……!」
「剣を振った。でも、当たらなかった」
次の瞬間。
身体が吹き飛ぶ。
「地面に叩きつけられた」
ヴィーゴは胸元へ手を当てた。
「息ができなかった」
湿った土の感触。
肺が押しつぶされたような苦しさ。
口の中に土の味が広がる。
「顔を上げたら、ブルーウルフがいた」
牙が見える。
唸り声が近づく。
「俺は、剣を探しました」
少し離れたところに転がっている。
「でも、手が届かなかった」
ブルーウルフが一歩近づく。
「そこで、やっと思ったんです」
ヴィーゴの声が低くなる。
「死ぬ」
リーネアは黙ったまま聞いていた。
「親に何も言わずに出てきたことも、勝手に剣を持ってきたことも、全部後悔しました」
ブルーウルフが唸る。
地面を蹴る準備をする。
「身体が動かない」
少年のヴィーゴには、どうすることもできなかった。
「もう食べられると思いました」
その瞬間だった。
「――風の音がしたんです」
「風?」
「違いました」
ヴィーゴの目に、かすかに熱が戻る。
「誰かが走ってきた音です」
森の奥から。
枝を踏み折る音。
草を切り裂く音。
そして――。
「ものすごい速さで、一人の女戦士が飛び出してきた」
リーネアは息を止めた。
「何をしているのか、理解できませんでした」
女戦士は迷わずブルーウルフへ向かっていた。
「武器を振り上げるでもなく、ただ真っ直ぐ走ってきた」
次の瞬間。
ブルーウルフが飛びかかる。
「女戦士が横へ滑るように動いた」
牙が空を噛む。
「そのまま身体をひねって、ブルーウルフの横を抜ける」
ヴィーゴの指がわずかに動く。
「速かった」
少年の自分には、何が起きているのか理解できなかった。
ただ。
「光って見えたんです」
「光?」
「森の木漏れ日を受けて、装甲が一瞬だけ光った」
白銀の金属。
腰から下を覆う装甲。
胸元を守る装甲。
そして、ほとんど動きを邪魔していない。
「その人が着ていたのが――ビキニアーマーでした」
リーネアは静かに聞いている。
「俺が知っていた鎧とは、まるで違った」
「……」
「なのに、その人は何も怖がっていなかった」
ブルーウルフが再び襲いかかる。
女戦士が一歩踏み込む。
身体を捻る。
爪をかわす。
そして――。
「一撃でした」
ヴィーゴの声が小さくなる。
「ブルーウルフが、地面に倒れた」
「……すごい」
「俺は、ただ見ていました」
恐怖を忘れるほどだった。
「さっきまで死ぬと思っていたのに」
目の前にいる人は、あまりにも強かった。
「女戦士は俺のところへ来て」
ヴィーゴは、そのときの声を思い出すように言った。
「『怪我はない?』って聞いたんです」
「……優しい人だったんだ」
「はい」
ヴィーゴは頷いた。
「俺は泣きそうになりながら、何度も頷いた」
そして、女戦士に起こしてもらった。
「俺は、その人の装備をずっと見ていました」
「ビキニアーマー?」
「はい」
「そんなに?」
「今思えば、助けてもらった安心より先に装備を見ていたんですから、相当だったんでしょうね」
ヴィーゴは苦笑する。
「でも、そのときは違ったんです」
ただ変わった鎧だったわけではない。
「その人が動くたびに、装甲が身体にぴったりついていた」
邪魔をしない。
動きを殺さない。
「なのに、必要なところはきちんと守られている」
それが、少年のヴィーゴには不思議でならなかった。
「俺は聞いたんです」
『どうしたら、そんなに強くなれるんですか?』
「その人は少し困ったように笑って」
ヴィーゴは、その表情まで思い出す。
『まず、自分に合った装備を使うことだな』
「……」
『身体つきも、力も、戦い方も人それぞれだ。人の真似をするより、自分に合ったものを使ったほうが強い』
リーネアは静かに頷いた。
「それが、さっき話してた言葉なんだね」
「はい」
ヴィーゴはグラスを見つめる。
「そのときは、よく分かっていませんでした」
ただ。
「その人みたいに強くなりたいと思った」
「だから?」
「だから、装備を作ろうと思った」
ヴィーゴは笑う。
「最初は剣や普通の鎧について勉強しました」
「意外」
「当然です。何でも作れるようになりたかったので」
「うん」
「でも、どうしても忘れられなかった」
あの日。
木漏れ日の中で一瞬だけ輝いた装甲。
ブルーウルフの爪をかわして、地面を蹴る足。
そして、自分を救ったあの姿。
「俺は、あの人が着ていたビキニアーマーを作りたいと思った」
リーネアは黙って聞いていた。
「いつか、自分がもっと腕の良い職人になったら」
ヴィーゴはまっすぐ前を見た。
「あの人が着ても驚かないような、最高のビキニアーマーを作りたい」
「でも、名前は?」
ヴィーゴが苦笑する。
「聞き忘れました」
「そこ大事でしょ!」
「本当にそう思います」
「顔は?」
「覚えています」
「今どこにいるかは?」
「分かりません」
「……」
リーネアは呆れたように眉を寄せる。
「それで、どうやって探すの?」
「だからこそ」
ヴィーゴは静かに笑った。
「最高のビキニアーマーを作るんです」
「……」
「誰かに認めてもらえるくらいのものを」
ヴィーゴの目に、少年の頃と同じ光が宿る。
「それが評判になれば、いつかあの人の耳にも入るかもしれない」
「それで、また会える」
「はい」
短い返事だった。
だけど、その一言には長い年月の重みがあった。
リーネアはグラスを見つめる。
名前すら知らない、たった一人の女戦士。
その人にもう一度会うために。
ヴィーゴは十年以上、自分の夢を追い続けている。
そして今。
その夢の先には、自分もいる。
「……じゃあ」
リーネアは顔を上げた。
「私も、その夢に付き合えるってことだよね」
「はい」
ヴィーゴは迷わず答えた。
「リーネアさんは、僕にとって最高の相棒になれる可能性があります」
「相棒……」
「あなたが強くなってくれれば、もっと遠くへ行ける」
「もっといろんなモンスターを狩れる」
「はい」
「もっと珍しい素材も手に入る」
「はい」
そして。
「いつか、最高のビキニアーマーを完成させる」
「そうです」
リーネアは少しだけ笑った。
「じゃあ、頑張らないとね」
「はい」
「私も」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
自分が強くなることが、ただ自分のためだけではない。
ヴィーゴの夢にもつながっている。
そう考えると、不思議と嬉しかった。
「でも……」
リーネアが少しだけ首を傾げる。
「私が最高のビキニアーマー戦士になったら、ヴィーゴは満足?」
「満足というより――」
ヴィーゴは少し考えた。
「嬉しいと思います」
「そっか」
リーネアは笑った。
「じゃあ、頑張ってみようかな」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人はもう一度グラスを合わせた。
カン。
小さな音が鳴る。
祭りの夜。
賑やかな店の片隅で。
二人は新しい約束を交わした。
リーネアはまだ知らない。
胸の奥に生まれた、この小さな温かさが何なのか。
それはまだ、恋と呼ぶには早い感情だった。
ただ。
この人の夢を、一緒に追いかけたい。
その思いだけが、確かにそこにあった。
そしてヴィーゴもまた。
まだ知らない。
自分の夢を追う旅の途中で出会った一人の少女が、いつの日か、その夢そのものを変えていくことを。
祭りの夜は、静かに更けていった。




