お祭りの日
グリューネヴァルトの街は、朝からいつもとは少し違う空気に包まれていた。
通りには色とりどりの旗が吊るされ、広場には簡素な飾りつけが施されている。
普段なら荷車や商人が行き交う大通りにも、今日は臨時の屋台が並んでいた。
秋の収穫を迎える前の恒例行事。
これから訪れる実りの季節が豊かなものになるよう祈る祭り――というのが表向きの目的だ。
もっとも。
「今年も楽しむぞー!」
「飲め飲め!」
「そこの串焼き、もう一本!」
街のあちこちから聞こえてくる声を聞けば、実際のところは祭りを楽しむことのほうが重要なのは明らかだった。
そんな賑やかな街の一角。
噴水の前で、リーネアは落ち着かない様子で立っていた。
「……まだかな」
周囲を見回す。
行き交う人々。
家族連れ。
友人同士。
恋人らしき二人組。
誰もが祭りを楽しみにしているようだった。
リーネアも、祭りそのものを楽しみにしている。
だが。
今日は少しだけ違う。
「……遅いなぁ」
また噴水の向こうを見る。
その姿は、普段の彼女とは少し違っていた。
今日はビキニアーマーではない。
ゆったりとしたワンピースを着ている。
動きやすさを重視した冒険者姿とは正反対の服装だ。
髪もいつもより少しだけ整えている。
もちろん、本人にとっては特別に気合いを入れたつもりはない。
祭りなのだから、せっかくなら少しくらい普段と違う服を着ようと思っただけだ。
……たぶん。
そもそも、こういう格好で誰かと出かけること自体が久しぶりだった。
リーネアは昨日のことを思い出していた。
◇ ◇ ◇
「このまま、もう少し強いところに行ってみない?」
工房で、リーネアが言った。
ホーンボアを倒してから数日。
二人は次の狩りについて話し合っていた。
「もう少し強いところ、というのは?」
「ホーンボアより強いモンスター」
リーネアは腕を組む。
「せっかく少し戦えるようになったんだし、もっと強くなりたい」
「気持ちは分かります」
ヴィーゴは頷いた。
「ですが、無理に危険度を上げる必要はありません」
「えー」
「まずはホーンボア戦で得た経験を身につけるべきです」
「でも、強い相手と戦ったほうが早く強くなれそうじゃない?」
「強さだけを追いかけると、いつか痛い目を見ますよ」
「……」
リーネアは頬を膨らませる。
「じゃあ、ヴィーゴはどうしたいの?」
「そうですね」
ヴィーゴは少し考えた。
「しばらくは境界の森で別の素材を探しつつ、ホーンボアをもう何度か狩るのが――」
「えーっ」
「安全性を考えると――」
「つまんない」
「つまらないと言われましても」
二人の意見は、なかなかまとまらなかった。
そんなときだった。
「あ」
リーネアが突然、声を上げた。
「明日、お祭りじゃん」
「……そういえば、そうでしたね」
グリューネヴァルトでは、毎年この時期に収穫祭が行われる。
街の人間なら、誰もが知っている行事だ。
リーネアは少しだけ黙った。
そして。
「……ねえ、ヴィーゴ」
「はい?」
「あのさ」
なぜか言いにくい。
昨日までなら、モンスター相手に剣を振るうほうがよっぽど気楽だった。
なのに。
たった一言が妙に難しい。
「明日……」
「はい」
「お祭り、一緒に行かない?」
言ってしまった。
リーネアは内心で少し身構えた。
だが。
「いいですね!」
ヴィーゴはあっさり頷いた。
「せっかくのお祭りですし、たまには狩り以外で街を回るのも楽しそうです」
「……ほんと?」
「もちろんです」
「じゃあ、決まり!」
その瞬間。
リーネアの胸が、ほんの少しだけ軽くなった。
◇ ◇ ◇
「……」
現在。
噴水の水音を聞きながら、リーネアは小さく息を吐いた。
「誘うって、こんなに緊張するものなのかな……」
そのとき。
「すみません、お待たせしました!」
聞き慣れた声がした。
振り向く。
「ヴィーゴ!」
「おはようございます」
ヴィーゴが駆け寄ってくる。
今日の服装は、いつもの冒険者姿とは違っていた。
片手剣もない。
盾もない。
革鎧もない。
代わりに、シンプルなシャツにベスト。
動きやすそうなズボン。
普段より少しだけ身綺麗な格好だった。
「……なんか変な感じ」
「何がです?」
「ヴィーゴが武器を持ってない」
「今日は戦いに来たわけではありませんからね」
「そっか」
リーネアは改めてヴィーゴを見る。
そして、ヴィーゴもリーネアを見る。
「……」
「……」
なぜか妙な沈黙が生まれた。
ヴィーゴが先に口を開く。
「今日は、その――」
「うん?」
「ビキニアーマーの次に似合っていますよ」
「…………」
リーネアの顔が一瞬で赤くなった。
「な、なんでビキニアーマー基準なのよ!」
「僕にとって一番見慣れている装備ですから」
「そういう比較の仕方しないで!」
思わずツッコミを入れる。
ヴィーゴはきょとんとしていた。
「でも、本当に似合っています」
「……」
今度は、ちゃんと褒められている気がした。
「……ありがと」
小さく答える。
「では、行きましょうか」
「うん!」
二人は並んで歩き出した。
祭りの広場へ近づくにつれ、人の数が増えていく。
焼いた肉の香ばしい匂い。
甘い菓子の匂い。
香辛料の刺激的な香り。
楽器の音。
子供たちの笑い声。
「うわぁ……!」
リーネアの目が輝く。
「すごい人!」
「普段の三倍くらいはいそうですね」
「どこから行こう?」
「まずは――」
ヴィーゴが辺りを見る。
「食べ物にしましょう」
「賛成!」
二人は屋台の並ぶ通りへ向かった。
「これください!」
最初にリーネアが買ったのは、大きなパンにソーセージを挟んだ料理だった。
「ホットドッグですね」
「うん!」
受け取ったリーネアは、すぐにかぶりつく。
「んーっ!」
「美味しいですか?」
「すごく美味しい!」
口いっぱいに頬張りながら答える。
「祭りのときって、なんで屋台の食べ物って美味しいんだろ」
「雰囲気ではないでしょうか」
「そうかなぁ」
「それもありますが、普段より食べる量が増えるので――」
「理屈っぽい!」
「職人なので」
「それ、便利な言葉だね」
ヴィーゴもホットドッグを食べる。
「……美味しいですね」
「でしょ?」
そのまま二人は別の屋台へ移動した。
フライドポテト。
焼き串。
甘い菓子。
「リーネアさん、それ四つ目です」
「だって美味しいんだもん」
「食べすぎると夕食が入らなくなりますよ」
「夕食?」
リーネアが聞き返す。
「まだ決めてませんけど、このあと何か食べるでしょう?」
「……そうだね!」
リーネアは少し笑った。
「じゃあ、それまでにいっぱい動けばいいね!」
「そういう問題でしょうか」
二人の足は、自然と次の場所へ向かった。
祭りでは、露店だけでなくフリーマーケットも開かれていた。
古着。
食器。
装飾品。
古びた道具。
「……」
ヴィーゴの足が止まった。
「どうしたの?」
「素材があるかもしれません」
「やっぱりそこ?」
「もちろんです」
ヴィーゴは目を輝かせながら、店先に並ぶ物を一つ一つ確認していく。
「これは違う」
木箱の中を漁る。
「これも違う」
別の箱へ。
「あ」
小さな金属片を手に取った。
「これは……古い魔導具の部品ですね」
「分かるの?」
「形を見れば大体」
「すごい」
リーネアが覗き込む。
「使えるの?」
「状態が良ければ、何かの加工に使えるかもしれません」
「じゃあ買う?」
「値段次第ですね」
しばらく店主と交渉したあと、ヴィーゴは満足そうに品物を袋へしまった。
「掘り出し物、見つかった?」
「ええ」
「良かったね」
「祭りに来た甲斐がありました」
「そこなの?」
「重要です」
リーネアは笑った。
そんなヴィーゴを見ていると、不思議と楽しい。
普段、工房で装備を作っているときの真剣な顔とは違う。
素材を見つけたときだけ子供のように目を輝かせる。
そんな姿が妙に新鮮だった。
「次、あっち行ってみよう!」
「はい」
二人はさらに奥へ進む。
すると。
「金魚すくいだ!」
水を張った大きな桶の中で、色とりどりの金魚が泳いでいた。
「やってみる?」
リーネアがヴィーゴを見る。
「僕がですか?」
「うん」
「……いいでしょう、少し自信があります」
「その自信、どこから来るの?」
二人分の道具を受け取り、しゃがみ込む。
「じゃあ、競争ね!」
「分かりました」
リーネアが狙いを定める。
「……えい!」
ポイが水に入る。
金魚が逃げる。
「あっ!」
紙が破れた。
「うそぉ……」
リーネアが肩を落とす。
「難しいね、これ」
「貸してください」
ヴィーゴがポイを持つ。
リーネアは半信半疑で隣に座った。
「ヴィーゴ、こういうの得意なの?」
「昔、工房の近くで祭りがあったときによくやっていました」
「へぇ」
ヴィーゴは桶をじっと見る。
泳ぐ金魚。
水の流れ。
進行方向。
距離。
そして。
すっ。
一匹。
「え?」
リーネアが目を丸くする。
ヴィーゴは落ち着いて、二匹目。
さらに三匹目。
「ちょっと待って!」
リーネアが身を乗り出した。
「なんでそんな取れるの!?」
「金魚の動きには一定の癖があります」
「またそれ!?」
「水面近くを泳ぐ個体を狙って、進行方向にポイを置いておけば――」
四匹目。
「取れた……」
「五匹目」
「また!?」
いつの間にか、ヴィーゴの前には金魚が何匹も泳ぐ小さな袋ができていた。
「……」
リーネアは唖然とする。
「ヴィーゴって、金魚すくいの才能あったんだ……」
「職人は観察が重要ですから」
「金魚すくいまで職人技なの?」
「意外と応用が利きますよ」
「どこに応用するのよ!」
二人で大笑いした。
その後も祭りを歩き回った。
射的をやって。
輪投げに挑戦して。
大道芸を見物して。
広場の中央で演奏される音楽に耳を傾けた。
気づけば、昼だった時間はもう過ぎている。
太陽が少しずつ西へ傾いている。
「……楽しいな」
リーネアがぽつりと呟いた。
「そうですね」
ヴィーゴも頷く。
けれど。
リーネアが見ていたのは、祭りの景色だけではなかった。
隣を歩くヴィーゴ。
笑っているヴィーゴ。
金魚すくいで妙に真剣になっていたヴィーゴ。
素材を見つけて嬉しそうにしていたヴィーゴ。
冒険のときとは違う顔を、今日はたくさん見た。
「……」
なんだろう。
少しだけ胸が温かい。
ヴィーゴといると、楽しい。
そんな当たり前のことが、今日は妙に強く感じられた。
「どうしました?」
「え?」
突然声をかけられ、リーネアは我に返る。
「何か考え事をしていましたか?」
「う、ううん!」
慌てて首を振る。
「ただ……」
「はい」
「今日は来てよかったなって思って」
ヴィーゴが笑う。
「僕もです」
「……そっか」
リーネアは前を向いた。
なぜだか、顔が少し熱い気がする。
「……変なの」
「何がです?」
「なんでもない!」
もうすぐ夜だった。
空はオレンジ色から少しずつ紫色へ変わり始めている。
屋台には明かりが灯り、人々の賑わいはさらに増していった。
「もうこんな時間か」
ヴィーゴが空を見上げる。
「早かったね」
「ええ」
少し名残惜しい。
リーネアも同じ気持ちだった。
そのとき。
「あ」
ヴィーゴが何か思い出したように声を上げた。
「そういえば」
「なに?」
「ホーンボアを狩ったとき、お祝いをしていませんでしたね」
「……あ」
確かにそうだった。
ホーンボアを倒した日は、そのまま解体して街へ戻っただけ。
結局、二人でゆっくり食事をすることはなかった。
「せっかくですし」
ヴィーゴが周囲を見る。
「どこかのお店で食事をしませんか?」
「いいね!」
リーネアはすぐに頷いた。
「お祭りの屋台もいっぱい食べたけど、お店のご飯も食べたい!」
「では、探しましょう」
「うん!」
二人は並んで歩き始めた。
夕暮れに染まるグリューネヴァルト。
祭りの灯りが、少しずつ夜の街を彩っていく。
「どのお店にしようか」
「せっかくですから、ホーンボアを扱っている店も――」
「それ、やっぱり素材じゃなくて食べるほう?」
「もちろん食べるほうです」
「ほんとかなぁ」
笑いながら、二人は通りを進んでいく。
今日という一日が終わってしまうことを、リーネアは少しだけ惜しいと思っていた。
けれど、その隣にはヴィーゴがいる。
だから。
もう少しだけ、この時間を楽しめそうな気がした。
二人は、夜の街に並ぶ店を探しながら歩いていった。




