初めての報酬
グリューネヴァルトの門をくぐった頃には、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
西の空から伸びた赤い光が、街の石壁を淡く照らしている。
「……つ、疲れたぁ……」
街へ入ってすぐ、リーネアが大きく伸びをした。
その声には、隠しきれない疲労がにじんでいる。
「お疲れさまです。今日は色々ありましたからね」
隣を歩くヴィーゴは、いつもと変わらない調子だった。
「色々どころじゃないよ! ツノウサギを三匹も仕留めて、そのあとミニワイバーンに襲われて、しかも最後は目を斬って逃げるとか……」
「結果的には無事でした」
「その『結果的には』が怖いんだけど!」
リーネアは思わずヴィーゴを睨んだ。
けれど、その表情には怒りというより、どこか楽しそうな色が混じっている。
少なくとも、今までの彼女ならこんな一日を経験した後は、もっと落ち込んでいただろう。
何しろ今日は、初めてだった。
自分の手でツノウサギを仕留めた。
それも一匹ではない。
三匹だ。
「……三匹、かぁ」
ぽつりと呟いて、リーネアは背中に担いだ袋を見る。
中には、今日仕留めたツノウサギが入っている。
「なんか……まだ信じられないな」
「何がです?」
「私が、本当に狩れたこと」
リーネアは手を握りしめる。
ミニワイバーンとの戦いで一時は恐怖に足がすくんだ。
それでも、最後にはヴィーゴの作戦を信じて動くことができた。
そして、その前にはずっと苦手だったツノウサギを倒している。
今まで何度挑んでも、うまくいかなかったことだ。
だからこそ、胸の奥からじわじわと湧いてくる嬉しさは、リーネア自身にも少し不思議だった。
「……早く報酬、もらいたいな」
「では、そのままギルドへ行きましょう」
「うん!」
途端にリーネアの足取りが軽くなる。
その様子を見て、ヴィーゴは小さく笑った。
街の中央にある冒険者ギルドは、今日もいつも通り賑わっていた。
依頼から帰ってきた冒険者たちが受付前で報告をしている。
酒場では、すでに一杯始めている者もいる。
奥のテーブルでは今日の戦果を自慢し合う男たちが大声で笑っていた。
「戻ってきたぞー!」
「今日の依頼、思ったより楽だったな!」
「嘘つけ! お前、途中で逃げただろ!」
そんな声が飛び交う中、リーネアとヴィーゴがギルドへ入っていく。
「……ん?」
「なんだ、あれ?」
何人かがリーネアの姿に気づいた。
普通の革鎧とは明らかに違う。
いや、違うどころではない。
冒険者の装備としては、かなり珍しい形をしている。
「ビキニアーマー……?」
「珍しいな」
「そんな装備、まだあったのか」
小さなどよめきが起こる。
しかし、それもほんの一瞬だった。
多くの冒険者はすぐに自分たちの話へ戻っていった。
「……あれ?」
リーネアがきょろきょろと周囲を見る。
「思ったより騒がれないね」
「皆さん、冒険者ですからね」
ヴィーゴは平然としている。
「自分と関係のない装備なんて、案外すぐに気にしなくなりますよ」
「そういうものなのかな」
「それに――」
ヴィーゴがリーネアを見る。
「今のあなたは、それを着て堂々と歩いていますから」
「……」
言われてみればそうだった。
初めてこの装備を見たとき、リーネアは恥ずかしさのあまり逃げ出しそうになった。
それなのに今は、視線を感じても以前ほど気にならない。
もちろん、恥ずかしくないわけではない。
だが、それ以上に。
今日はこの装備で戦った。
この装備を着て、自分はツノウサギを倒したのだ。
「……うん」
リーネアは胸を張った。
「じゃあ、堂々としてればいいよね」
「その意気です」
二人は納品受付へ向かった。
「おかえりなさい。依頼完了の受付ですね?」
受付嬢が笑顔で声をかける。
「はい!」
リーネアは元気よく返事をすると、背負っていた袋を受付台の上へ置いた。
どん、と鈍い音が響く。
「本日のツノウサギです!」
「……ツノウサギ三匹、ですね」
受付嬢は袋を受け取り、中身を確認していく。
毛皮の状態。
角の損傷。
肉の鮮度。
討伐証明として必要な部位。
冒険者ギルドでは、それらを確認して報酬額を決定する。
「うん。状態も良好ですね」
受付嬢は帳簿に何やら書き込み、顔を上げた。
「三匹で二万五千ディルになります」
「二万……五千……」
リーネアの目が丸くなる。
そして次の瞬間。
「やったぁぁぁぁっ!」
ギルド中に響き渡るような声が上がった。
「おお……」
「なんだなんだ?」
周囲の冒険者たちが一斉にこちらを見る。
だが、リーネアはそんなことお構いなしだった。
受付嬢から渡された硬貨を両手で包み込む。
「二万五千ディル……! 私が……私が自分で稼いだお金……!」
「おめでとうございます」
受付嬢が微笑む。
「ありがとうございます!」
リーネアは笑顔で何度も頭を下げた。
これまでクエストを失敗して、むしろお金を減らしてきた。
罰金を払って、装備を修理して、食事代を工面して。
冒険者として活動しているのに、手元にはほとんど何も残らなかった。
そんな彼女が。
今日、初めて自分の力で報酬を手に入れた。
「……すごい」
思わず呟く。
「これで、ご飯を食べて……少し貯金して……」
「では」
隣から淡々とした声がした。
「さっそく装備代を払ってもらいましょうか」
「…………え?」
リーネアの動きが止まった。
「装備代です」
ヴィーゴは真顔だった。
「ビキニアーマー一式、製作費込みで――四十八回分割払いでいいですよ」
「…………」
沈黙。
ギルドの喧騒まで、ほんの一瞬遠のいたように感じられた。
「…………は?」
リーネアの顔が引きつる。
「よ、四十八回?」
「はい」
「聞いてないんだけど!?」
「今、言いました」
「今聞いたよ!」
「つまり、今回初めて聞いたということですね」
「そうじゃなくて!」
リーネアは勢いよくヴィーゴの胸元を掴んだ。
「私、あの装備タダで貸してもらってるんじゃなかったの!?」
「タダとは一言も言っていません」
「言ってないけど、そういう雰囲気だったじゃん!」
「雰囲気で契約を結ぶのは危険ですよ」
「契約なんてしてないよ!」
「では、口約束ということで」
「それもしてない!」
リーネアは掴んでいた手を離し、頭を抱えた。
「じゃあ、いくらなの?」
「そうですね……」
ヴィーゴは顎に手を当て、真剣な顔で考え始めた。
「素材費、加工費、設計費、調整費、それから僕の貴重な時間を加えると……」
「加えると?」
「四十八回分割払いで」
「またそれ!?」
「月々なら、そうですね。二万ディルほどで」
「それ、ほとんど毎月の報酬が消えるじゃん!」
「冒険者として稼げば問題ありません」
「今日初めて稼いだばかりなんだけど!」
「では、初回特典として五百ディル引きにしましょう」
「焼け石に水だよ!」
ギルドの受付前で、リーネアの声が響き渡る。
周囲の冒険者たちが、ちらちらとこちらを見始めた。
「そもそも、そんな高い装備なら最初に説明してよ!」
「説明しようとは思っていました」
「いつ?」
「今です」
「遅い!」
「しかし、リーネアさんは装備の性能を十分に確認してからの方が、納得して支払えるかと」
「納得できるわけないでしょ!」
リーネアは頭を抱えたまま、ヴィーゴを睨みつける。
「じゃあ返す!」
「それは困ります」
「なんで!?」
「あなたに着てもらいたいので」
「…………」
リーネアの動きが止まった。
「……は?」
「非常によく似合っていますし」
「…………」
「性能も十分に発揮されています」
「…………」
「しかも今日、実戦データもかなり取れました。改良の参考になります」
ヴィーゴはいたって真剣だった。
冗談なのか本気なのか、微妙に判別しづらい表情である。
「……つまり」
リーネアが恐る恐る聞く。
「私に着せて、戦ってもらった方が、ヴィーゴさんにも得ってこと?」
「その通りです」
「じゃあ、私が払う必要ないんじゃない?」
「それとこれとは別問題です」
「別じゃないよ!」
「装備の使用料という考え方もあります」
「増えた!」
「素材を持ち帰っていただければ、そこから差し引くことも可能です」
「最初からそう言ってよ!」
「ですが、素材の価値は種類や状態によって変わりますので、正確な金額は――」
「もういい!」
リーネアは両手を上げた。
「分かった。分かったから、今日はもうお金の話をしないで!」
「しかし、支払い計画は早めに決めておいた方が――」
「しない!」
「では、明日にしますか?」
「明日もしない!」
「では明後日――」
「しばらくしない!」
ヴィーゴは少し考えた。
「……分かりました。では、しばらく保留ということで」
「本当に分かってる?」
「はい。支払いについては、今後の素材採集の成果を見てから改めて相談しましょう」
「それ、結局払うってことだよね?」
「可能性はあります」
「可能性なんだ……」
リーネアはぐったりと肩を落とした。
初めて手にした報酬の喜びが、すっかり薄れてしまっている。
そんな彼女を見て、ヴィーゴはしばらく黙っていた。
やがて、ふっと表情を緩める。
「……冗談です」
「…………え?」
「そのビキニアーマーは、しばらく無料で貸しておきますよ」
「…………」
リーネアは瞬きをした。
「……今の、全部?」
「はい」
「四十八回払いも?」
「冗談です」
「月々二万ディルも?」
「冗談です」
「初回特典の五百ディル引きも?」
「それも冗談です」
「素材の使用料とか、支払い計画とかも?」
「はい」
リーネアは無言でヴィーゴを見つめた。
そして。
「……もう!」
頬を膨らませ、ヴィーゴの肩を軽く叩いた。
「悪い冗談!」
「すみません」
「本当にびっくりしたんだからね! せっかく初めて報酬をもらったのに、全部持っていかれるかと思った!」
「それは申し訳ありません」
そう言いながらも、ヴィーゴの口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「でも、本当にしばらくは無料で構いません」
「……なんで?」
「あなたには才能があります」
その言葉に、リーネアは少し驚いた。
「今日の戦いを見て、確信しました」
ヴィーゴは真っ直ぐに彼女を見る。
「この装備を使えば、もっと強くなれる」
「……」
「そして、強くなってもらえれば、僕としてもありがたい」
ヴィーゴは少しだけ肩をすくめた。
「あなたには、これからも素材集めに付き合ってもらいたいですから」
「なるほど……」
リーネアは納得したように頷く。
「じゃあ、お互いに得ってことか」
「そういうことです」
しばらく二人は顔を見合わせる。
そして。
「……じゃあ、これからもよろしくね」
リーネアが笑った。
「こちらこそ」
ヴィーゴも笑う。
ほんの少しだけ。
二人の間の空気が変わった。
最初は、奇妙な装備を押しつけてくる変な仕立て屋だった。
今では、一緒に冒険をして、背中を預けることのできる相手だ。
まだ「仲間」と呼ぶには早い。
それでも。
少なくともリーネアにとって、ヴィーゴはもう見知らぬ他人ではなかった。
「それじゃあ、今日はもう帰ろうか」
「そうですね。もう日も暮れています」
「うん。さすがに疲れたぁ……」
リーネアは大きく息を吐く。
今日一日だけで、何日分もの出来事が詰まっていたような気がした。
「今後のことは、明日にしましょう」
「賛成」
「明日、改めて今後の依頼や素材集めについて話します」
「わかった」
二人はギルドを後にした。
街の通りを歩きながら、リーネアは何度も今日の報酬を確認していた。
「二万五千ディル……」
硬貨を見て、また笑う。
「……私、本当に稼いだんだ」
その呟きは、今までになく嬉しそうだった。
やがて、二人はそれぞれの帰路につく。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
「おやすみ!」
「おやすみなさい」
別れたあと、リーネアは自分の家へ向かった。
玄関の扉を開け、靴を脱ぐ。
そのまま荷物を置くと、ようやく全身から力が抜けた。
「……つかれたぁ……」
最低限の片付けだけを済ませ、リーネアは浴室へ向かった。
服を脱ぐのももどかしく、身につけていたビキニアーマーを外す。白銀の装甲には、ミニワイバーンの爪が擦った跡がいくつか残っていた。身体に傷はない。それでも、あの鋭い爪がすぐそばを通り過ぎた感覚は、まだ肌に残っているようだった。
シャワーをひねる。
最初に落ちてきた湯は少しぬるく、やがて温度が上がるにつれて、冷え切っていた身体をゆっくりと包み込んでいった。
「……あったかい……」
思わず声が漏れる。
肩から背中へ、そこから腕や脚へと湯が流れていく。張りつめていた筋肉が少しずつほぐれ、重かった身体から力が抜けていった。
髪を濡らし、顔を覆っていた汗や土埃を洗い流す。指先で髪を梳くたび、今日一日の疲れまで一緒に流れていくような気がした。
けれど、目を閉じると、戦いの光景が浮かんでくる。
ツノウサギ。
ミニワイバーン。
急降下してくる爪。
耳元を切り裂いた風の音。
そして、ヴィーゴの作戦。
あのとき彼がいなければ、どうなっていたか分からない。
リーネアはシャワーの下で、両手を胸元に当てた。鼓動はもう落ち着いている。それでも、あの場で感じた恐怖だけは、まだ完全には消えていなかった。
そんな彼女に、ヴィーゴは言った。
『あなたには才能があります』
「……才能、か」
リーネアは小さく笑った。
湯が頬を伝い、顎から落ちていく。
これまで何度も失敗してきた。
自分には冒険者としての才能がないのではないか。
そんなことを考えたこともある。
けれど今日。
ほんの少しだけ、自分を信じてもいいような気がした。
シャワーを止めると、浴室に急に静けさが戻ってくる。リーネアはしばらくその場に立ったまま、温まった身体から立ち上る湯気をぼんやりと眺めていた。
「……明日も頑張ろう」
そう呟いてから、風呂を上がる。
身体を拭き、寝間着に着替えたリーネアは、そのまま布団へ倒れ込む。
柔らかな布団に沈み込んだ瞬間、眠気が一気に押し寄せてきた。
「……ヴィーゴのやつ、明日は何を言ってくるんだろ」
ぼんやりとそんなことを考えながら。
リーネアは、初めて自分で稼いだ二万五千ディルのことを思い浮かべる。
そして――。
そのまま、あっという間に眠りへ落ちていった。




