初めての一匹
グリューネヴァルトの街は、朝の喧騒に包まれていた。
城壁に囲まれた街の中心部から、北西へ伸びる大通り。
荷車を引く商人。
市場へ向かう農家。
鍛冶屋へ素材を運ぶ職人。
そして、武器や防具を身につけた冒険者たち。
様々な人々が行き交っている。
「……やっぱり恥ずかしい」
その中を歩きながら、リーネアは小さく呟いた。
「そうですか?」
「そうだよ!」
隣を歩くヴィーゴは、いつもと変わらない様子だった。
対してリーネアは、何度も周囲を気にしている。
白銀のビキニアーマー。
工房で見た時よりも、太陽の下ではずっと目立つ。
露出の多さももちろんだが、装甲そのものが美しい。
腰や胸部に施された細かな装飾が光を反射するため、どうしても人目を引いてしまう。
「ほら、みんな見てる」
「いいじゃないですか」
「よくない!」
「似合っているからですよ」
「そういう問題じゃないの!」
リーネアが顔を赤くする。
その反応を見て、ヴィーゴは少し笑った。
「でも、さっきより歩き方が自然になりましたね」
「……まあ」
リーネアは軽く足を振ってみる。
確かに身体は軽い。
昨日までの革鎧とは比べ物にならない。
腰をひねっても、脚を上げても、装備が邪魔をしない。
それだけは認めざるを得なかった。
「だから余計に変な感じなんだよね」
「何がです?」
「鎧ってもっと重くて、動きにくいものだと思ってたから」
「それは鎧ではなく、設計が悪いだけです」
「……ヴィーゴって、本当に鎧の話になると容赦ないよね」
「当然です」
そんな会話をしているうちに、二人は街の北西側にある大きな城門へと到着した。
門の両脇には武装した兵士が立っている。
街の出入りを確認するためだ。
「お疲れ様です」
ヴィーゴが声を掛ける。
「ああ、お疲れ――」
門番の兵士が振り返る。
そして、
「……ん?」
視線がリーネアへ向かった。
数秒。
完全に固まる。
「……。」
「……。」
「……ビキニアーマー?」
「はい」
ヴィーゴが即答した。
「いや、見れば分かるが……」
兵士はリーネアを上から下まで眺めた。
そして困惑したように眉をひそめる。
「お嬢ちゃん、本当にそれで大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫……だと思います」
リーネアは少し自信なさげに答える。
「いや、俺もこの街で門番を数年やってるけどな」
兵士は腕を組んだ。
「ビキニアーマーを見たのは初めてだ」
「やっぱり……」
リーネアが小さく呟く。
ヴィーゴはむしろ嬉しそうだった。
「そうでしょう!」
「何でお前が誇らしげなんだよ」
「それだけ珍しいということです」
「いや、まあ……珍しいが」
兵士は苦笑する。
「昔、噂だけは聞いたことがある。南の国には、ビキニアーマーを専門に使う女戦士がいるとかなんとか」
「います」
「即答するな」
「世界各地に存在します」
「詳しいな……」
兵士は呆れたように首を振った。
「しかし、ここグリューネヴァルトじゃ、ビキニアーマーを着る冒険者なんて見たことないぞ」
「……そうなんですか?」
リーネアが尋ねる。
「ああ。女性冒険者自体は結構いるんだがな。みんな普通の革鎧や胸当て、魔法使いならローブだ」
兵士はヴィーゴを見る。
「お前さん、そんなにビキニアーマーが好きなのか?」
「好きというより、人生そのものです」
「重いな」
兵士が苦笑する。
「まあ、怪我だけはしないようにな、お嬢ちゃん」
「はい!」
リーネアが元気よく答える。
二人が門を通り過ぎようとしたところで、ヴィーゴがふと振り返った。
「でも、これからはきっと増えますよ」
「何が?」
「ビキニアーマーを着る女性冒険者です」
「……なんで?」
「そのうち分かります」
ヴィーゴはなぜか自信満々だった。
兵士は首を傾げる。
「まあ、そうなったら門番としては楽しいけどな」
「ですよね?」
「お前さん、何を期待してるんだ……」
そんなやり取りを背に、二人は街の外へ出た。
◇
城門を出てからしばらくは、街道沿いに家々が続いていた。
グリューネヴァルトは城壁都市ではあるものの、人々の暮らしは城壁の内側だけで完結しているわけではない。
薬草の採取依頼を受けたときも、野生動物の討伐をするときも、この街道を通って郊外へ向かうことが多い。
街道沿いには小さな食堂や宿屋、工房などが並び、そのさらに先には畑が広がっている。
街の外へ出たからといって、すぐに荒野になるわけではない。
グリューネヴァルト周辺は、人が暮らすための土地が自然にまとまった、穏やかな場所だった。
「今日はどの辺まで行くの?」
歩きながらリーネアが尋ねる。
「普段より少し奥です」
「やっぱり?」
リーネアは周囲を見渡した。
街道の両脇にはまだ民家が点在している。
その先には小さな畑が広がり、農作業をする人々の姿も見える。
この辺りまでは、彼女も何度も来たことがある。
「ツノウサギなら、街に近いところでも見つかるけど」
「人の多い場所では、警戒心の強い個体はすぐ逃げてしまいますからね」
「なるほど」
「それに、俺が欲しい素材を採れる場所も、もう少し先なんです」
「ああ、そっちが本命だったね」
今回のクエストは、リーネアにとってはツノウサギ討伐。
ヴィーゴにとっては、そのついでに素材を採取することが目的だった。
リーネアが昨日聞いた話では、ビキニアーマーの製作には通常の鉄だけでなく、魔力を帯びた鉱石や野生動物の素材なども使うらしい。
「それにしても……」
リーネアは隣を歩くヴィーゴをちらりと見る。
「普段、街の中で仕事してるヴィーゴが、こんなところまで来るんだね」
「素材の採取も職人の仕事ですから」
「へえ」
「自分で使う素材くらい、自分で見ておきたいんです」
二人はさらに歩く。
やがて畑が途切れ、視界いっぱいに緑が広がった。
グリューネヴァルト北西部の草原だ。
風が吹くたび、青々とした草が波のように揺れている。
街に近い場所は人の往来が多いため、草は足首ほどの高さしかない。
遠くまで見渡せる、開けた場所だ。
ところどころに冒険者や狩人の姿もある。
薬草を探している者。
草の根元を調べている者。
簡単な罠を仕掛けている狩人。
グリューネヴァルトでは、見慣れた光景だった。
「こんにちはー!」
リーネアが手を振ると、薬草を採取していた冒険者が手を振り返した。
「平和だね」
「ええ」
「本当にここにモンスターいるの?」
「いますよ」
「でも全然そんな感じしない」
「モンスターといっても、ツノウサギは野生動物ですから」
ヴィーゴは歩きながら説明する。
「人間に襲いかかることが目的の生き物ではありません。縄張りに入ったものを敵と判断して攻撃するだけです」
「知ってるよ」
リーネアは少しむっとした。
「私だって二年目の冒険者なんだから」
「失礼しました」
「ツノウサギのことくらい知ってるって」
彼女は胸を張る。
「草原や森にいる。体長は六十センチくらい。角は二十センチから三十センチくらい。普段は草を食べてて、危険を感じたら角を向けて突っ込んでくる」
「完璧ですね」
「でしょ?」
「では、なぜ三回とも失敗したんでしょう」
「……それは聞かないで」
リーネアは顔をしかめた。
それから二人は、人の少ない草原の奥へ向かって歩き続けた。
街道から離れるにつれ、草の高さも増していく。
やがて草はリーネアの足首を越え、ふくらはぎ近くまで伸び始めた。
風が吹くと、遠くまで草原が波打つ。
人影もほとんどない。
「この辺ならいそうですね」
「うん」
リーネアは周囲を見回した。
「……あ」
その時だった。
少し離れた草むらが揺れた。
「ヴィーゴ」
「はい」
「あそこ」
草の間から、一匹の動物が顔を出す。
大きな後ろ脚。
丸みを帯びた身体。
そして額から伸びた一本の角。
「ツノウサギです」
ヴィーゴが小さく呟いた。
リーネアの表情が固まった。
「……。」
心臓が、どくんと鳴った。
思い出す。
一回目。
突進してきたツノウサギを正面から受け止めようとして、吹き飛ばされた。
二回目。
避けようとして足を取られ、地面に転がった。
三回目。
もう少しで仕留められると思った瞬間、別の個体に横から突っ込まれた。
角が怖い。
あの速度が怖い。
「……ヴィーゴ」
「はい」
「やっぱり、ちょっと怖い」
ヴィーゴは答えなかった。
ただ、リーネアの姿をじっと見る。
そして、彼女が着ている白銀の装備へ視線を落とした。
「リーネアさん」
「うん」
「今までと何が違いますか?」
「……装備?」
「それだけですか?」
リーネアは自分の身体を見る。
軽い。
腰が動く。
脚も自由だ。
腕を振っても装備が引っかからない。
「……身体が、すごく軽い」
「そうです」
「でも……」
「怖いなら、怖いままで構いません」
ヴィーゴは静かに言った。
「無理に勇気を出す必要もありません」
「……。」
「ただ、一つだけ信じてください」
「何を?」
「俺が作った、この装備を」
ヴィーゴはビキニアーマーへ手を添える。
「そして、あなた自身を」
「私を……?」
「あなたは三回失敗しています。でも、三回ともツノウサギに殺されてはいない」
「それは……」
「逃げ切って、生きて戻ってきた」
ヴィーゴは笑う。
「それだけの身体能力があるということです」
リーネアは黙って自分の手を握った。
怖い。
でも、確かに、いつもとは違う。
「……やってみる」
「はい」
「今度は逃げない」
リーネアが前へ出る。
ツノウサギがこちらを向いた。
耳がぴんと立つ。
そして、
地面を蹴った。
「来る!」
猛烈な勢いで突進してくる。
以前なら、ここで慌てていた。
だが、
リーネアは横へ跳んだ。
シュッ!
ツノウサギの角が、すぐ横を通り抜ける。
「速い……!」
けれど、避けられた。
それだけでリーネアは驚いた。
「今の、私……」
ツノウサギが振り返る。
再び地面を蹴る。
「二回目!」
リーネアは今度も横へ跳んだ。
さっきより速く。
身体が軽い。
足が思った通りに動く。
ツノウサギの突進が空を切る。
「いける!」
リーネアは振り返った。
腰を落とす。
剣を構える。
ツノウサギが再び向きを変える。
「来い!」
三度目の突進。
今度は逃げない。
真正面から――。
直前で身体をひねる。
ツノウサギが横を通過する。
その瞬間。
リーネアの剣が閃いた。
鈍い手応え。
ツノウサギが草むらへ転がった。
「……。」
動かない。
「……倒した?」
リーネアが恐る恐る近づく。
ツノウサギは完全に動かなくなっていた。
「倒した……」
数秒の沈黙。
「倒したぁぁぁぁぁっ!」
リーネアが拳を突き上げた。
「やった! やったよヴィーゴ!」
「はい!」
ヴィーゴも思わず声を上げる。
「おめでとうございます!」
「私、ツノウサギ倒した!」
「素晴らしいです!」
「初めて!」
リーネアは倒れたツノウサギを見つめる。
今まで何度挑んでも倒せなかった相手。
それを、自分の力で仕留めた。
もちろんヴィーゴの装備がなければ、ここまで動けなかっただろう。
けれど、最後に剣を振ったのは自分だ。
「……私にも、できた」
その言葉には、今までとは違う自信があった。
ヴィーゴは倒れたツノウサギを見る。
そして、その横に立つリーネアを見る。
胸の奥が熱くなる。
(やっぱり、この人だ)
自分の作ったビキニアーマーが、初めて実戦で役に立った。
それも、ただ防御しただけではない。
装着者の身体能力を引き出し、戦い方そのものを変えた。
職人として、これほど嬉しいことはない。
「ヴィーゴ」
「はい」
「もう一匹、探そう!」
「もちろんです」
二人は再び草原を歩き始めた。
その後は驚くほど順調だった。
二匹目。
三匹目。
どちらもリーネアは冷静に突進を避け、隙を見て攻撃した。
以前なら力任せに受け止めようとしていた攻撃を、今は身体を滑らせるようにかわしている。
「三匹目!」
リーネアが笑顔で叫ぶ。
「あと二匹ですね」
「うん!」
夕方になる頃には、二人の袋には三匹のツノウサギが入っていた。
残り二匹を探すこともできた。
だが、日が傾き始めている。
「今日はここまでにしましょう」
「そうだね」
二人は街へ戻ることにした。
草原を歩く。
西の空が赤く染まっていく。
「今日は成功だったね」
「ええ」
「明日もやろうかな」
「その前に装備の点検をさせてください」
「職人魂だねえ」
リーネアが笑う。
その時だった。
地面に大きな影が落ちた。
「……?」
リーネアが空を見上げる。
「何?」
ヴィーゴも足を止めた。
雲の間を、一瞬何かが横切った。
大きい。
鳥ではない。
「……ヴィーゴ?」
「動かないで」
ヴィーゴの声が低くなる。
上空を見つめる。
そして、その姿がもう一度現れた。
翼。
鋭い爪。
長い尾。
そして、こちらを睨みつける獣の瞳。
「ミニワイバーン……」
ヴィーゴが呟いた。
リーネアの表情が強張る。
体長は二メートルほど。
巨大な竜ではない。
しかし、冒険者にとっては十分に危険な生き物だ。
鋭い爪と牙。
高所からの急襲。
地上でも羽ばたきによって一気に距離を詰めてくる。
普段は比較的おとなしい。
だが――。
「……巣が近い」
ヴィーゴが周囲を見る。
そこでようやく気付いた。
二人が歩いていた方向。
草原の奥。
大きな岩場の向こう。
そこから、ミニワイバーンがこちらを警戒している。
「まずい」
「どうするの?」
「刺激しないで、ゆっくり離れ――」
言い終わる前に。
ミニワイバーンが翼を大きく広げた。
風圧で草原が大きく揺れる。
リーネアが息を呑む。
「ヴィーゴ……」
「はい」
「これって……」
ミニワイバーンの鋭い瞳が、二人を捉えた。
「ツノウサギより……強いよね?」
「比べるまでもありません」
夕暮れの草原に、巨大な影が落ちる。
ついさっきまで初めての勝利に喜んでいた二人は――。
自分たちが、ミニワイバーンの巣のすぐ近くまで入り込んでしまっていたことに、ようやく気付いた。
そして、
ミニワイバーンが、翼を羽ばたかせた。
――続く。




