ぼんやり魔法使い
翌朝。
ヴィーゴとリーネアは、朝食を済ませるとフェルドドルフの冒険者ギルドへ向かっていた。
昨日は町に着いて宿を取り、食事をしただけだった。
今日は、ようやく冒険者らしい活動の始まりだ。
「まずはこの辺の依頼を見てみよう」
リーネアはギルドに入るなり、掲示板へ向かった。
壁一面に並べられた依頼書。
討伐。
採取。
護衛。
荷運び。
中には、町の外に出なくてもできる簡単な仕事まである。
「グリューネヴァルトのギルドより、ちょっと依頼の種類が多いかも」
「宿場町ですからね。旅人向けの依頼も多いんでしょう」
ヴィーゴも掲示板の前に立ち、依頼書を順番に眺めていく。
その隣では、リーネアがモンスターの情報を書いた紙を読んでいた。
「えーっと……」
指を動かしながら、一つずつ確認していく。
「ツノウサギ……」
「やっぱりいますね」
「しかも結構多いみたい」
リーネアは苦笑する。
「グリューネヴァルトの周りだけじゃないんだね」
「生息範囲が広いんでしょうね」
「そっかぁ」
ツノウサギ。
冒険者になってから何度も名前を聞き、そして自分自身でも何匹も狩ってきたモンスターだ。
以前は苦戦していた。
今では、すっかり馴染みの相手になっている。
「こっちは……」
リーネアが別の紙へ目を移す。
「グラスホーク?」
「聞いたことないですね」
ヴィーゴも横から覗き込む。
そこには、草原地帯に生息する大型の鳥型モンスターについて書かれていた。
「草原の上空を飛んで、獲物を見つけると急降下してくるみたい」
「なるほど」
「近接攻撃だけだと戦いにくそう」
リーネアが言うと、ヴィーゴは頷いた。
「そうですね。飛んでいる相手には、僕たちの攻撃は届きにくいです」
「やっぱり遠距離攻撃できる人、いたほうがいいね」
「ええ」
ヴィーゴは掲示板に並ぶ情報を見ながら、少し考える。
旅に出てから初めての町。
どんなモンスターがいるのか。
どんな素材が取れるのか。
どんな冒険者がいるのか。
これから先へ進むなら、知らなければならないことは多い。
そんな中、ふとリーネアが受付のほうへ視線を向けた。
「……ねえ」
「はい?」
「あの人」
リーネアが小さく指差す。
受付の前に、一人の女性が立っていた。
黒い髪は腰近くまで伸びている。
魔法使いがよく着ているローブを身にまとい、腰には小さなポーチ。
見たところ、冒険者なのだろう。
ただし――
「……」
彼女は、ぼーっとしていた。
受付嬢の前に立ったまま、微動だにしない。
視線はどこか遠くを見つめている。
受付嬢もその様子に気づいているらしく、少し困ったように笑っていた。
「ご用件をお伺いしてもよろしいですか?」
「……」
「えっと……?」
しばらくして、女性がゆっくり口を開いた。
「なんか、お腹すいたかも」
「……お食事をされたいんですか?」
「うん」
「では、その……クエストを受けに来たんじゃないですか?」
「あ」
女性は少しだけ目を見開いた。
「そうだった」
リーネアは思わず吹き出した。
「ふふっ」
「なんか、あの人すごいマイペースだね」
「そうですね……」
ヴィーゴも女性を見ながら呟く。
ただし、リーネアとは少し違うところを見ていた。
女性の周囲。
正確には、その身体から感じられる魔力の気配。
ヴィーゴは魔法使いではない。
それでも、ビキニアーマーの調整に魔法石を使うようになってから、魔力の流れについて多少は見るようになっていた。
そして、この距離でも分かる。
「あの人、魔力がかなり高そうですね」
「え?」
リーネアが振り返った。
「分かるの?」
「はっきりした量までは分かりませんけど……」
ヴィーゴは目を細める。
「僕でも分かるくらいですから、かなり高いと思います」
「この距離でも分かるくらいってこと?」
「はい」
「それって凄くない!?」
「凄いと思います」
二人でそんな話をしていると――
「魔法使いです」
「え?」
突然、目の前から声がした。
「……うわっ!」
リーネアが飛び退く。
さっきまで受付にいたはずの女性が、いつの間にか二人の目の前に立っていた。
「び、びっくりした……」
「すみません」
女性はあまり悪びれた様子もなく言った。
「魔法使いです」
「いや、そこはさっき聞いて――」
「シグネです」
「え?」
リーネアは目を丸くする。
女性――いや、シグネはぼんやりと二人を見ていた。
「シグネです」
「名前を教えてくれたの?」
「うん」
「そっか……」
なんだか妙な人だ。
リーネアはそう思った。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、その掴みどころのなさが妙に面白い。
ヴィーゴはそんなシグネを見ながら尋ねた。
「シグネさんは、かなり魔力が高そうに見受けられますが……強い魔法使いなんですか?」
シグネは少し考えた。
「うーん」
首を傾げる。
「たぶん?」
「たぶん……ですか?」
「たぶん、強いと思う」
「思う?」
「魔法は大きいの、出せるから」
ヴィーゴとリーネアが顔を見合わせる。
大きい魔法。
それだけ聞けば十分気になる。
しかもヴィーゴは、さっきから感じている。
この女性の魔力は普通ではない。
「これから僕たち、ツノウサギを狩りに行くんです」
ヴィーゴが言った。
「よかったら、一緒に行きませんか?」
シグネは少し考えた。
「ツノウサギ?」
「はい」
「……行く」
「即答だね」
リーネアが笑う。
「うん」
「じゃあ決まりですね」
三人はそのままギルドを出ることになった。
街の外へ出て、草原へ向かう。
フェルドドルフは北側に森林地帯が広がり、それ以外は草原が続いている。
ツノウサギも、この周辺の草原には普通に生息しているらしい。
しばらく歩いたところで、リーネアが足を止めた。
「あ」
少し離れた場所で、草が動いている。
「いるね」
ヴィーゴも視線を向ける。
「ツノウサギです」
「どこ?」
シグネがぼんやりと聞く。
「ほら、あそこ」
リーネアが指差す。
草むらから、ひょこんと小さな角が見えた。
ヴィーゴが警戒しながら周囲を確認する。
「一匹ですね」
「じゃあ――」
シグネが前に出た。
「私の魔法、見せるね」
「え?」
リーネアが目を丸くする。
「今?」
「うん」
シグネは何の気負いもなく片手を前へ伸ばした。
周囲の空気が、わずかに震える。
ヴィーゴの表情が変わる。
「……!」
膨れ上がる魔力。
さっきまで静かだった草原に、熱の気配が生まれた。
シグネの手の前に、赤い光が集まっていく。
最初は小さな火種だった。
それが見る間に大きくなる。
炎の塊。
拳ほど。
頭ほど。
さらに膨らみ――
「ファイアボール」
ぽん。
妙に気の抜けた声とともに、巨大な火球が飛んだ。
「え?」
リーネアが目を見開いた。
火球は一直線にツノウサギへ向かい――
直撃した。
次の瞬間。
ドォンッ!!
大きな爆発音が草原に響き渡る。
「うわっ!」
リーネアが腕で顔を庇う。
ヴィーゴも身体を低くする。
爆風が草を大きくなびかせていく。
土煙が舞い上がり、炎が一瞬だけ周囲を照らした。
そして。
静かになった。
「……」
リーネアが恐る恐る顔を上げる。
煙が少しずつ晴れていく。
その先にいたのは――
丸焦げになったツノウサギだった。
「……」
リーネアは言葉を失った。
「……」
ヴィーゴも黙っている。
あれほど苦戦したこともあったツノウサギが、今は見る影もない。
リーネアはゆっくりとシグネへ振り向いた。
「すごいじゃん!」
思わず声が大きくなる。
「一発で倒しちゃった!」
「……」
シグネは返事をしなかった。
立ったまま、ぼーっとしている。
「シグネ?」
「……」
「どうしたの?」
シグネは少しだけ身体を揺らした。
そして――
「……もう魔力ない」
その場に、ぺたんと座り込んだ。
「ええっ!?」
リーネアが慌てて駆け寄る。
「もう!?」
「うん」
シグネは草の上に座ったまま、ぼんやり空を見上げる。
「使い切った」
「いやいや、使い切ったって……」
ヴィーゴも近づき、シグネの様子を確認する。
顔色は悪くない。
意識もはっきりしている。
けれど、魔力がほとんど残っていないのは、こちらから見ても分かるほどだった。
「なるほど……」
ヴィーゴは、先ほどの魔法を思い返す。
あれだけの威力。
あれだけの大きさ。
一匹のツノウサギを倒すには、明らかに過剰とも言える魔力。
それだけのものを、一度の魔法で全部使ってしまった。
「すごいけど……」
リーネアがシグネを見る。
「大丈夫なの?」
「大丈夫」
「本当に?」
「たぶん」
「また、たぶん!?」
シグネはきょとんとした顔でリーネアを見た。
「お腹すいた」
「そこ!?」
思わず叫んだリーネアの声が、草原に響く。
ヴィーゴはそんな二人を見ながら、小さく息を吐いた。
強大な魔力。
凄まじい火力。
けれど、それと同時に――
一度の魔法で魔力をほとんど使い切ってしまう。
そして、どこか掴みどころのない性格。
ヴィーゴは改めてシグネを見る。
どうやら、自分たちの旅に加わるかもしれないのは、かなり変わった魔法使いらしい。
そんなことを考えながら、ふと隣を見る。
リーネアはすでにシグネへ向かってしゃがみ込んでいた。
「ほら。帰るよ」
「うん」
「歩ける?」
「たぶん」
「だから、その『たぶん』やめてって!」
草原に、リーネアの声がまた響いた。




