フェルドドルフ
フェルドドルフを目指して歩き始めてから、数日が経った。
朝の街道を、二人と一匹が歩いている。
先頭でもなく、後ろでもなく、二人の間。
その中でも一番気ままなのが、ヴィーゴの肩に乗っている小さなモンスターだった。
「すっかり慣れちゃったね」
リーネアが手を伸ばす。
肩にちょこんと乗っていたイトネズミの頭を、指先でそっと撫でる。
イトネズミは嫌がる様子もなく、気持ちよさそうに目を細めた。
「もう最初からここにいたみたい」
「そうですね」
ヴィーゴも少し笑う。
「最初は食事につられてきただけだと思ったんですけど」
「今は?」
「完全に僕たちについてきてますね」
「ついて来ちゃったね」
「ええ」
ヴィーゴは肩に乗ったイトネズミをちらりと見る。
数日前、行商人たちと出会ったときには、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
食事を食べて満足したあと、自分の荷物へ潜り込み、そのまま眠ってしまった小さなモンスター。
翌朝になっても離れなかった。
追い払おうとしても嫌がるどころか、荷物の中に戻ってしまう。
それなら、と二人は結局そのまま連れていくことにした。
「それにしても、本当にヴィーゴが好きなんだね」
「僕というより、荷物が好きなんじゃないですか?」
「同じじゃない?」
「全然違いますよ」
ヴィーゴは苦笑する。
「イトネズミは糸とか布とか革が好きみたいですし。魔力を持った素材にも興味を示します。そういうものを多く持っている僕のリュックの中が、よほど居心地いいんでしょう」
「なるほどね」
リーネアは納得したように頷いた。
イトネズミは今もヴィーゴの肩で丸くなっている。
柔らかな毛が風に揺れる。
「でも、いつまでもイトネズミって呼ぶのもなんだよね」
ヴィーゴがふと呟いた。
「そうだね」
「名前をつけましょうか」
「えっ」
リーネアが目を輝かせる。
「名前つけるの?」
「一応、これからも一緒にいるならあったほうがいいでしょう」
ヴィーゴは少し考える。
イトネズミの特徴。
糸。
布。
革。
そして自分が仕立て屋であること。
「……ヌイ」
「ヌイ?」
「ええ」
ヴィーゴは肩のイトネズミを見る。
「糸と布が好きだから。それを縫うって意味で、ヌイ」
「ヌイ……」
リーネアはその名前を何度か口にしてみる。
「うん。かわいい」
「そうですか?」
「うん。すごく似合ってる」
リーネアがイトネズミの鼻先を指先でちょんと触れた。
「ヌイ」
「ぴゅい」
イトネズミが小さく鳴く。
「ほら!」
リーネアが嬉しそうに笑う。
「返事した!」
「偶然ですよ」
「絶対分かってるって」
「そういうものですかね……」
ヴィーゴは少しだけ頬を緩めた。
「じゃあ、今日からヌイですね」
「うん!」
それからしばらくの間、二人は黙々と歩いた。
街道はずっと森の中を通っている。
大きな街道だけあって道幅は広く、馬車が行き交えるようになっていたが、左右には途切れることなく木々が立ち並んでいる。
『境界の森』のように道を外れて深く入り込むわけではないため危険は少ないが、それでも見慣れない森の中を何日も歩き続けていると、グリューネヴァルトの近くとは違う空気を感じる。
時折、荷馬車とすれ違う。
旅人もいる。
フェルドドルフへ向かう者、反対方向からグリューネヴァルトへ向かう者。
グリューネヴァルト周辺よりも、明らかに旅人の数が多い。
リーネアはそんな景色を眺めながら、少しずつ足取りを速めていった。
「ねえ、フェルドドルフってどんな町なんだっけ?」
「それほど大きくない町だと聞いています」
ヴィーゴが答える。
「商隊が休憩や補給に立ち寄る宿場町ですね。必要最低限の宿や店があって、ここを通ってさらに南へ向かう人も多いそうです」
「グリューネヴァルトより小さい?」
「人口だけなら、かなり少ないはずです。グリューネヴァルトが五万人くらいですから」
ヴィーゴは前方を見ながら続けた。
「フェルドドルフは一万人くらいだったと思います」
「一万人かぁ」
リーネアは少し考える。
「それでも結構いるよね」
「僕たちにとっては十分大きな町でしょうね」
「楽しみ」
その言葉に、ヴィーゴは小さく笑った。
「僕もです」
旅に出ると決めたとき。
南の町へ行って、知らない素材を見つけたい。
知らないモンスターとも戦ってみたい。
そして、できれば新しい仲間にも出会いたい。
そんな話をした。
フェルドドルフは、その最初の目的地だ。
やがて、森の向こう側が少しずつ明るくなってきた。
リーネアが目を細める。
「……あれ?」
木々の隙間から、遠くに開けた景色が見える。
森が終わりかけている。
その先には広い草原が広がり、その中に建物が集まっているのが見えた。
「もしかして」
ヴィーゴが足を止める。
「フェルドドルフですね」
「本当に?」
「ええ」
二人は顔を見合わせた。
「着いたー!」
リーネアが思わず声を上げる。
ヌイが驚いたようにヴィーゴの肩から顔を上げる。
「ぴゅい?」
「ごめんごめん」
リーネアは笑いながらヌイを見る。
「フェルドドルフが見えたから嬉しくて」
二人と一匹は、そのまま町へ向かって歩いていった。
フェルドドルフはグリューネヴァルトとはかなり印象が違っていた。
まず目についたのは、城壁がないことだ。
町の周囲には簡単な土塁が築かれ、さらに木の柵が設けられている。
それも、防壁というよりは町の境界を示すためのものに近い。
門も簡素だ。
それでも街道から入ってくる馬車や旅人を受け入れるには十分らしく、何人もの人が出入りしていた。
「本当に宿場町って感じだね」
リーネアがきょろきょろする。
「うん。でも、グリューネヴァルトと比べるとかなり静か」
街の中へ入っても、人は多すぎない。
商店が並んでいる場所はあるが、グリューネヴァルトほど大きな店や建物が立ち並んでいるわけではない。
旅人向けの食堂。
荷物を預かる店。
武器や簡単な道具を扱う店。
それから、街道を行き交う人たちが泊まる宿。
必要なものが必要な分だけ揃っている。
そんな町だった。
「ここは、ずっと住む町というより、通るための町なんでしょうね」
ヴィーゴが呟く。
「商隊も多そうですし」
「うん」
リーネアは道の先を見る。
大小さまざまな荷馬車が停まっている。
昨日出会った行商人たちのような人たちもいるのだろう。
「まず宿を探そうか」
「そうですね」
二人は町を歩き、いくつかの宿を見て回った。
大きな荷物を抱えた旅人が多い町だけあって、宿そのものは多い。
ただ、その多くは大部屋が中心だった。
一つの部屋に何台かベッドを並べ、複数の旅人が一緒に泊まる形式。
「こっちも大部屋かぁ」
リーネアが部屋を覗き込む。
「まあ、宿場町ですからね」
「安そうだけど……」
「僕たちの旅の荷物だと、他の人の荷物と一緒に置くのも少し不安です」
ヴィーゴはそう言ってから、別の宿を探した。
そして、町の少し奥で小さな宿を見つけた。
大部屋が中心ではあるものの、少し値段の高い個室も用意されているらしい。
「ここなら個室がありますね」
「本当?」
リーネアが宿の中を覗く。
「でも、ちょっと高いよ?」
「構いません」
「え?」
「リーネアも旅に慣れていないですし、毎晩知らない人たちと同じ部屋というのも落ち着かないでしょう」
「私は別に――」
「それに」
ヴィーゴは荷物を見た。
「修理道具も素材もあります。できれば不用意に人目に晒したくないですから」
「……そういうことなら」
リーネアも頷いた。
二人はその宿に泊まることにした。
鍵を受け取り、案内された部屋へ入る。
そこにはベッドが二つ。
小さな机。
椅子。
そして、荷物を置くための棚がある。
「……」
リーネアは部屋を見回した。
「広い」
「普通の宿ですよ」
「でも、ちゃんと私たち二人だけなんだ」
「そのほうが落ち着くでしょう」
ヴィーゴが荷物を下ろす。
ヌイはその振動で目を覚まし、ヴィーゴの肩から机の上へ飛び移った。
「ぴゅい」
「お疲れさま」
リーネアが頭を撫でる。
ヌイはその手に鼻を寄せたあと、今度はヴィーゴの荷物へ入ろうとする。
「また入るんですか?」
「ふふっ」
リーネアが笑う。
「やっぱりそこ好きなんだ」
「本当に素材が目当てなんでしょうね」
ヴィーゴは呆れながらも、荷物の中にヌイが入るスペースを少し作った。
その様子を眺めていたリーネアが、ふと思い出したように言う。
「ねえ」
「はい?」
「ご飯、どうする?」
ヴィーゴは窓の外を見た。
もう日はかなり傾いている。
「もう夕方ですね。少し町を見てから食事にしましょうか」
「うん!」
二人は部屋に荷物を置いたまま、町へ出た。
フェルドドルフの通りを歩いていると、昼間よりも人の姿が増えていた。
宿場町だけあって、仕事を終えた商人や旅人たちが店を探している。
やがて二人は、通りの一角にある酒場を見つけた。
扉を開けると、店内から賑やかな声が聞こえてくる。
二人も空いている席につき、料理を注文した。
しばらくして運ばれてきたのは、焼いた肉と野菜、それからパンとスープだった。
「いただきます!」
リーネアはさっそく料理に手をつける。
「……おいしい」
「よかったですね」
「フェルドドルフ、いい町かも」
「まだ宿と食事しか見てませんけどね」
「それでも大事だよ」
「まあ、それはそうです」
二人は食事をしながら、これからのことを話し始めた。
「明日はギルドに行きましょう」
ヴィーゴがスープを飲みながら言った。
「うん。まずはこの辺にどんなモンスターがいるか聞いてみたい」
「それから、依頼も確認したいですね」
「そうだね」
リーネアはパンをちぎりながら、少し考える。
「この辺りって、グリューネヴァルト周辺とは違うモンスターもいるのかな?」
「いると思います」
フェルドドルフの北側には森林地帯。
それ以外は広い草原。
グリューネヴァルトとは似ているようで、環境は少し違う。
「森と草原では、生息しているものも変わるでしょう。素材として使えるものも、たぶん違います」
「それは楽しみ」
「僕もです」
ヴィーゴの目が少し輝く。
新しい町。
新しい場所。
新しい素材。
それを思うだけで、職人としての好奇心が刺激されるのだろう。
「あとさ」
リーネアが続ける。
「一緒に冒険してくれる人も探したいよね」
「そうですね」
ヴィーゴも頷いた。
「特に、遠距離攻撃ができる人がいると助かります」
以前、スパークラビットを倒したあとにも話したこと。
二人とも近距離戦が中心だ。
ヴィーゴは盾と剣で支えることはできても、遠くの敵を安定して攻撃する手段はない。
リーネアも同じだ。
「この前のミニワイバーンみたいなのが相手だと、やっぱり苦しいからね」
「ええ」
ヴィーゴは少し考える。
「僕たちがこれから先へ進むなら、できることを増やしたほうがいい」
「じゃあ、明日はギルドでそういう人がいないか聞いてみよう」
「そうしましょう」
食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
二人は酒場を出て、宿へ向かう。
夜のフェルドドルフは、昼間よりも静かだった。
ところどころに灯りがともり、通りを歩く人も少なくなっている。
二人はゆっくり歩きながら、泊まっている宿へ戻った。
宿の部屋へ入ると、リーネアは靴を脱ぎ、ベッドの端に腰を下ろした。
「……」
そして、そのまま倒れ込む。
「ふわぁ……」
「疲れました?」
「うん。思ったより疲れてたみたい」
ここ数日、毎日長い時間を歩いた。
それも、帰る場所がない状態で。
これまでの日帰りの冒険とは、やはり違う。
リーネアは枕に顔を埋めながら、嬉しそうに笑った。
「でも今日はベッドだから、ゆっくり寝れそうだね」
「そうですね」
ヴィーゴも自分の荷物を片付けながら答える。
「明日はギルドに行って、情報を集めましょう」
「うん」
リーネアは目を閉じる。
「モンスターも見つけて、仲間も見つけて……」
「いっぺんに見つかるとは限りませんよ」
「分かってるって」
「ならいいんですけど」
部屋の隅では、ヌイがヴィーゴの荷物の中で丸くなっていた。
「ぴゅい……」
小さな寝息が聞こえる。
リーネアがそれを聞いて、くすっと笑った。
「おやすみ、ヌイ」
「まだ寝る時間じゃないですけどね」
「いいじゃん。私たちも寝ようよ」
「早いですよ」
「じゃあ、少しだけ横になる」
「……まあ、僕も今日は早めに休みますか」
二人はそれぞれのベッドへ横になった。
窓の外では、フェルドドルフの街道を行き交う人々の気配がまだ残っている。
遠くから荷車の車輪が転がる音が聞こえる。
知らない町。
知らない景色。
知らない人たち。
旅に出て最初に辿り着いた町で、明日から何が始まるのかはまだ分からない。




