旅立ちの日
グリューネヴァルトの城門近くにある広場。
朝の空気は少し冷たく、秋の終わりを思わせる風が街路を吹き抜けていた。
そんな広場の一角に、二人の冒険者が立っている。
「……これで全部かな」
リーネアが自分の荷物を確認する。
着替え。
食料。
水筒。
野営道具。
冒険者として必要になる最低限の道具。
背中には、それらを詰め込んだ大きな荷物。
「たぶん大丈夫」
「忘れ物がないなら、そろそろ行けますね」
そう答えたヴィーゴは、リーネアよりさらに大きな荷物を背負っていた。
いや。
大きいというだけではない。
背中の鞄は厚みがあり、腰にはいくつもの小袋が吊るされている。
さらに、その横には細長い工具入れまで固定されていた。
「……ねえ」
「はい?」
「重くないの?」
リーネアがヴィーゴの背中を見る。
大きな鞄が一つ。
その周囲にも、細かな荷物がいくつも取り付けられている。
「少し重いですね」
「少し?」
「まあ、持てないほどではありません」
ヴィーゴは平然としている。
だが、どう見てもリーネアの荷物の倍近くある。
「なんでそんなに多いの?」
「旅に必要なものだけなら、ここまで多くはなりません」
「じゃあ何が入ってるの?」
「通常の旅道具に加えて、装備の補修用素材と道具です」
「補修用?」
「はい」
ヴィーゴは背中の荷物を軽く叩く。
「まず、予備の革があります」
「革?」
「ベルトや留め具が壊れることがありますから」
次に腰の小袋を指す。
「こっちは鋲や小さな金具。こちらには糸と針。それから革を加工するための道具です」
「そんな細かいものまで?」
「旅先で毎回、鍛冶屋や仕立て屋が見つかるとは限りませんから」
ヴィーゴは腰につけた工具入れを軽く叩いた。
「小型の金槌、やすり、穴を開けるための道具。それから簡単な研磨用品もあります」
「……本当に職人なんだね」
「今さらですか?」
「だって、普通の冒険者ならそんなに持ち歩かないでしょ」
「僕の場合は装備そのものが仕事道具ですから」
ヴィーゴは少し得意げに答える。
「ビキニアーマーはもちろん、あなたの剣や僕の装備も、旅をしていれば傷みます」
「そりゃそうか」
「金属部品が少し歪んだ程度なら、その場で直せます。革が裂ければ縫えます。留め具が壊れれば交換できます」
「……」
「それに、旅先で珍しい素材を見つけたら、その場で状態を確認したり、最低限の加工をしたりすることもできます」
ヴィーゴにとっては、どれも当たり前のことらしい。
だが、リーネアからすれば、背中の大きな荷物が急に職人の工房を丸ごと持ち歩いているように思えてきた。
「なるほど……」
リーネアは納得して頷いた。
「だから大荷物なんだ」
「そういうことです」
「でも」
リーネアは少し先の未来を想像した。
「新しい素材が増えていったら、そのうちヴィーゴの荷物、もっとすごいことになるんじゃない?」
「……」
ヴィーゴが黙る。
「そうなりますね」
「やっぱり!」
リーネアは笑った。
「じゃあ、収納魔法が使える人を仲間にしようよ!」
「それは良いですね」
「でしょ?」
「旅を続けるなら、収納魔法を使える人がいると非常に助かります」
「じゃあ決まり!」
「ただし」
ヴィーゴが人差し指を立てる。
「収納魔法は誰でも使えるわけではありません」
「そうなの?」
「かなり高い魔力量が必要です」
「なるほど……」
「使える人間自体が少ないので、簡単に見つかるとは思えません」
「じゃあ、見つけたら絶対スカウトしよう」
「それも旅の目標の一つにしておきましょう」
「うん!」
リーネアは笑った。
「目標、一個増えたね」
「はい」
ヴィーゴも笑う。
二人は荷物を背負い直す。
いよいよだった。
今日。
二人はグリューネヴァルトを出る。
旅に出る。
そう決めてから一か月。
準備を進める間にも、何度も「本当に出るんだ」と話した。
けれど今になってみると。
妙に現実感がない。
「……行こうか」
「はい」
二人は並んで城門へ向かって歩き出した。
広場を抜ける。
いつもの通りを歩く。
見慣れた店。
見慣れた建物。
何度も通った道。
「なんか変な感じ」
リーネアがぽつりと言う。
「何がです?」
「この道、何回歩いたんだろうって」
「数えたことはありませんね」
「私も」
リーネアは少し笑った。
「初めてヴィーゴの工房に行ったときも、ここ通ったよね」
「そうでしたね」
「最初はさ」
リーネアは思い出しながら話す。
「工房の中にビキニアーマーがいっぱい並んでて、本当にびっくりした」
「かなり嫌がっていましたね」
「そりゃそうでしょ!」
リーネアが笑う。
「それなのに今じゃ」
腰の装備を軽く叩く。
「これ、かなり気に入ってる」
「最初に聞いたときは驚きました」
「私だって驚いてるよ」
「そうですか?」
「うん」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「でも、これがなかったら、たぶん今の私はいないから」
「……」
「ツノウサギも狩れなかったし」
「最初の一匹は大きかったですね」
「ミニワイバーンにも襲われた」
「あれは本当に予定外でした」
「ホーンボアにも勝った」
「最初は連携がうまくいきませんでしたね」
「スピアディアには一回負けて」
「そのあと、かなり鍛えました」
「マンドラゴラ……」
「はい」
「滝登り……」
「はい」
「石投げ……」
「はい」
「……思い出すだけで疲れる」
「でも、そのおかげで勝てました」
リーネアは足を止めかけて、少しだけヴィーゴを見る。
「うん」
それから、また歩き出す。
「今思うと、結構いろんなことがあったね」
「数か月しか経っていないとは思えません」
「それくらい色々あったってことかな」
「そうですね」
しばらく歩くと、城門が見えてきた。
朝の時間帯ということもあり、門の前には何人かの旅人や商人が並んでいる。
その脇では、いつものように門番が立っていた。
「おや」
門番が二人に気づく。
「……お前たちか」
「おはようございます」
ヴィーゴが軽く頭を下げる。
「おはよう」
リーネアも笑って挨拶した。
門番は二人の荷物を眺める。
「ずいぶん大荷物だな」
「今日から旅に出るんです」
リーネアが答える。
「ほう」
門番は目を丸くした。
「旅か」
「うん」
「そうか……」
門番は少し黙ってから、ニヤリと笑った。
「それじゃあ、街にキャラの濃い冒険者がいなくなって、俺も寂しくなるなぁ」
「誰がキャラ濃いのよ!」
リーネアが即座に噛みつく。
「いや、お前だろ」
「なんで私!?」
門番はヴィーゴを見る。
「……こっちもこっちで相当濃いけどな」
「僕ですか?」
「ビキニアーマー専門の仕立て屋なんて、何年ここに勤めてもそうそう見ないぞ」
「職人として誇りを持っています」
「そこなんだよなぁ」
門番が笑う。
リーネアもつられて笑った。
「でも」
門番が少し真面目な顔になる。
「気をつけて行けよ」
「うん」
「外の世界じゃ、ここみたいに勝手知ったる場所ばかりじゃない」
「分かってます」
ヴィーゴも頷く。
「無理はしません」
「それが一番だ」
門番は二人の背中を軽く叩く。
「帰ってきたら、また顔を見せてくれ」
「もちろん!」
「はい」
二人は笑って門をくぐった。
街の外へ出る。
そこでリーネアは一度だけ振り返った。
グリューネヴァルト。
自分が二年近く暮らしてきた街。
そして、ヴィーゴと出会ってから何度も歩いた場所。
見慣れた城壁。
いつも通った通り。
何度も帰ってきた門。
「……行っちゃうんだね」
「はい」
「なんか、ちょっと寂しい」
ヴィーゴは街を振り返る。
「僕もです」
「でも」
リーネアは前を見る。
「楽しみでもある」
「僕もですよ」
「それで」
リーネアが振り向く。
「結局、どこに向かうの?」
「ああ」
ヴィーゴは少し考える。
「まずは南へ向かおうと思っています」
「南?」
「はい」
「何かあるの?」
「南のほうには、大きな街があると聞いています」
「へえ」
「それから、その先には海があるらしいです」
「……海?」
リーネアが立ち止まった。
「海って、あの海?」
「たぶん、リーネアさんが想像している海です」
「見たことあるの?」
「僕もありません」
「私もない!」
リーネアの目が一気に輝く。
「海、見てみたい!」
「僕もです」
「魚とかいるのかな」
「いるでしょうね」
「どんなモンスターがいるんだろう」
「海にしかいない素材もありそうです」
「やっぱりそっちなんだ」
「もちろんです」
「ふふっ」
リーネアは笑った。
「海まで結構遠いんでしょ?」
「はい。かなり」
「じゃあ、そこへ行くまでにも色んな街に寄れそうだね」
「そうなりますね」
「知らない街に行って」
リーネアは指折り数えていく。
「知らない人に会って」
「はい」
「知らないモンスターと戦って」
「はい」
「新しい仲間を探して」
「はい」
「収納魔法が使える人を見つけて」
「そこはかなり重要ですね」
「で、海を見る!」
「その前に、まず次の街ですね」
ヴィーゴが笑う。
「まずは『フェルドドルフ』へ向かいましょう」
「フェルドドルフ?」
「ここから数日歩いた先にある街です」
「どんなところ?」
「大きな街道沿いにある街だと聞いています」
ヴィーゴは進む先を指差した。
「途中で森を抜けることになります」
「じゃあモンスターに気をつけないと」
「もちろんです」
「境界の森みたいな感じ?」
「少し違います」
ヴィーゴは首を振る。
「僕たちが今まで狩りで入っていた森は、人があまり入らない場所も多かったでしょう?」
「うん」
「でも、フェルドドルフへ向かう道は隊商も通ります」
「なるほど」
「人の往来があるので、道そのものは比較的安全です」
「モンスターも寄ってきにくいの?」
「人の気配が多い場所を嫌う種類もいますからね」
「じゃあ、そこまで警戒しなくてもいいか」
「もちろん油断は禁物です」
「分かってるって」
リーネアは胸を張った。
「もう、前みたいに無茶しないから」
「前みたいに、というのがどの程度を指しているのかが問題ですが」
「大丈夫だよ」
リーネアは笑う。
「今度はちゃんと二人で考えて動くから」
「……そうですね」
ヴィーゴも頷いた。
目の前には、見知らぬ道が伸びている。
これまで歩いたことのない道。
知らない場所。
知らない人々。
そして、まだ見たことのないモンスターや素材。
「行こう」
リーネアが言った。
「フェルドドルフへ」
「はい」
ヴィーゴが歩き出す。
リーネアも、その隣へ並ぶ。
二人の背後には、グリューネヴァルト。
そして前には、まだ何も知らない世界が広がっている。
「ねえ、ヴィーゴ」
「はい?」
「海って、どのくらい大きいのかな」
「僕にも分かりません」
「楽しみだね」
「ええ」
二人は歩く。
南へ。
遠くにある海を目指して。
まずは、数日先の街――フェルドドルフへ。
新しい旅が、今始まった。
(第一章・完)




