特訓開始!
スピアディアに敗れてから、数日。
グリューネヴァルトの外れにある、ちょっとした空き地。
「――というわけで!」
朝っぱらから、ヴィーゴが妙に張り切った声を上げていた。
「今日から特訓です!」
「……」
リーネアは無言でヴィーゴを見る。
その表情には、期待と不安が半分ずつ混ざっていた。
「本当にやるんだね……」
「やります」
「スピアディアに勝つために?」
「はい」
「私、そこまで弱かった?」
「先日の戦いを見る限り、まだまだ伸びしろがあります」
「言い方!」
リーネアは頬を膨らませた。
けれど、それ以上文句を言うことはしなかった。
スピアディアに挑んで、分かったことがある。
ビキニアーマーを着れば、確かに身体は動かしやすい。
以前より自分の力を引き出せる。
でも、それだけでは足りない。
もっと速く。
もっと強く。
もっと正確に動けるようにならなければならない。
「……やる」
リーネアは拳を握った。
「今度は、ちゃんと自分の力で勝てるようになりたい」
「その意気です」
ヴィーゴは満足そうに頷いた。
「では、まずは準備運動から始めましょう」
「普通に走ったり、身体を伸ばしたりするやつ?」
「もちろん、それもします」
「それも?」
嫌な予感がした。
ヴィーゴは空き地の横に置かれていた箱を開ける。
「今回の特訓用に、いくつか準備してきました」
「……何それ」
「マンドラゴラです」
「なんで!?」
箱の中には、細い根を身体のようにうねらせた植物が何本も入っていた。
葉のついた頭。
土まみれの根。
そして、見ているだけで嫌な予感しかしない姿。
「これ、引き抜いたら叫ぶやつでしょ!?」
「よく知っていますね」
「冒険者やって二年目だからね!」
マンドラゴラ。
土に埋まった状態から引き抜かれた瞬間、耳をつんざくような叫び声を上げる魔草である。
その声を至近距離で浴びると、身体より先に精神が削られる。
「今日はこれを使って腹筋をします」
「……どういうこと?」
「題して――」
ヴィーゴが地面を指した。
「『マンドラゴラ引き抜き腹筋』です」
「絶対嫌な予感しかしない!」
「内容は簡単です」
地面に埋めたマンドラゴラの前に、リーネアが仰向けになる。
「腹筋で起き上がるタイミングに合わせて、マンドラゴラを引き抜く」
「うん」
「そのまま叫ばれる前に、また埋める」
「うん?」
「そして寝る」
「……それを繰り返すの?」
「はい」
「なんで腹筋とマンドラゴラを組み合わせる必要があるの!?」
「身体能力と精神耐性を同時に鍛えられます」
ヴィーゴは真顔だった。
「理にかなっています」
「理って言えば何でも許されると思ってない?」
「では、始めましょう」
「話を聞いて!」
しかし。
数分後。
「……ふっ!」
リーネアが起き上がる。
両手をマンドラゴラへ伸ばす。
「ぬおおおっ!」
ズボッ!
引き抜いた瞬間。
『キィィィィィィィィィィィッ!!』
「――っ!」
耳をつんざく叫び声。
リーネアは歯を食いしばった。
「うるさっ!」
「戻してください!」
「分かってる!」
ズボッ!
埋める。
寝る。
起きる。
「オラァァァッ!」
ズボッ!
『キィィィィィッ!』
「オラァァァァッ!」
ズボッ!
『キィィィィィッ!』
数十回。
やがて。
マンドラゴラの叫び声より。
「オラァァァァァァァッ!!」
リーネアのほうがうるさくなっていた。
「ぬおおおおおっ!」
『キィィィィィ……』
「オラァァァァッ!!」
『……』
「……?」
ヴィーゴが首を傾げた。
リーネアがまたマンドラゴラを引き抜く。
しかし。
叫び声がしない。
「……?」
見ると、
マンドラゴラが白目を剥いていた。
「……」
「……」
「気絶していますね」
「なんで!?」
「たぶん、リーネアさんの声のほうが大きすぎて」
「私のせい!?」
「精神耐性の訓練にはなっています」
「どういう意味よ!」
ともあれ。
第一の特訓は終わった。
リーネアは地面に大の字になっていた。
「……もう、声聞きたくない……」
目は完全に据わっている。
髪も少し乱れている。
そして、なぜかマンドラゴラのほうまでぐったりしていた。
「まだ一つ目です」
「……え?」
ヴィーゴが笑顔で立ち上がる。
「次に行きましょう」
「まだあるの!?」
「もちろんです」
◇
「というわけで、次は滝登りです!」
「帰っていい?」
「駄目です」
場所を移した二人がやってきたのは、森の中を流れる渓流だった。
その先には、かなり勢いのある滝がある。
「これ……本当に登るの?」
「はい」
「上から打たれる滝行じゃなくて?」
「下から泳いで登ります」
「……」
リーネアは滝を見上げる。
落ちてくる大量の水。
轟音。
岩肌。
どう考えても人間が登る場所ではない。
「行きます!」
「ちょっと待って!」
ヴィーゴの声が響く。
「水流に逆らって全身を使うことで、脚力と体幹、持久力を鍛えます」
「それは分かったけど……!」
「スピアディアの攻撃を避けるには、こうした全身の連動が重要です」
「……」
リーネアは滝を見上げた。
先日の敗北が頭をよぎる。
「……やる」
「その意気です」
水へ入る。
「冷たっ!」
足元から全身へ冷気が駆け上がる。
「頑張ってください」
「う……!」
リーネアが泳ぎ始める。
水流が強い。
前へ進もうとしても、身体が押し戻される。
「くっ……!」
一気に腕をかく。
脚を蹴る。
身体を前へ。
「進んでる!」
「その調子です!」
「もっと――!」
少しずつ。
本当に少しずつ。
滝を上へ進んでいく。
「よし!」
半分ほどまで来た。
「いける……!」
その瞬間だった。
「ん?」
上流から。
何かが流れてくる。
水に揉まれながら、ころころと近づいてくる赤い物体。
「……あれ何?」
ヴィーゴも目を凝らした。
「……スイカですね」
「なんで!?」
次の瞬間。
ゴンッ!
「ぶっ!」
リーネアの頭に直撃。
「うわぁぁぁっ!」
身体がバランスを崩す。
そのまま。
ざぶん!
滝を滑り落ちていく。
「リーネア!」
ヴィーゴが駆け寄る。
「……」
水面から顔を出したリーネアの目は、ぐるぐる回っていた。
「……スイカ……」
「大丈夫ですか?」
「なんで滝からスイカが流れてくるの……」
「知りません」
「……もう嫌」
リーネアが岩にしがみつく。
「今日は十分じゃない?」
「まだ二つ目です」
「鬼!」
「次があります」
「まだあるの!?」
◇
三つ目。
特訓場所に戻った二人。
リーネアの顔には疲労が色濃く表れていた。
「次は何?」
「回避能力を鍛えましょう」
ヴィーゴが地面から小石を一つ拾う。
「石投げです」
「……それだけ?」
「はい」
「それなら普通だね」
「最初は一つですから」
「最初は?」
「はい」
「……」
嫌な予感。
「では」
ヴィーゴが構える。
「いきます」
ヒュッ!
「えいっ!」
リーネアが避ける。
「もう一回」
ヒュッ!
「ほっ!」
避ける。
「いいですね」
ヒュッ!
ヒュッ!
「ちょっと!」
石が二つ。
三つ。
四つ。
「増えてない!?」
「増えています」
「だよね!」
ヴィーゴの投げる石が次々と飛んでくる。
リーネアは右へ。
左へ。
身体を低くする。
跳ぶ。
しゃがむ。
「うわっ!」
「もう少し低く」
「分かってる!」
さらに石が増える。
「今度は五つです」
「待って!」
ヒュッ!
ヒュッ!
ヒュッ!
ヒュッ!
ヒュッ!
「――っ!」
避ける。
避ける。
転がる。
飛ぶ。
それでも。
「痛っ!」
一個が肩に当たった。
「すみません」
「絶対すみませんと思ってないでしょ!」
「思っています」
「顔が楽しそうなんだけど!」
ヴィーゴは黙って石を拾う。
「では、次は十個です」
「十!?」
「はい」
「多すぎる!」
次の瞬間。
十個の石が一斉に飛んできた。
「うわああああっ!」
リーネアは全力で動いた。
右。
左。
前。
後ろ。
しゃがむ。
跳ぶ。
身体をひねる。
石と石の隙間を、身体が勝手にすり抜けていく。
だが。
「痛っ!」
肩。
「うっ!」
脚。
「いたぁっ!」
背中。
何個かは当たった。
それでも。
最初の頃より、明らかに避けられるようになっていた。
「……はぁ……はぁ……」
最後の石が地面に落ちる。
リーネアはその場にへたり込んだ。
全身あちこちに赤い跡がついている。
「……終わった?」
ヴィーゴがゆっくり歩いてくる。
「終わりですか?」
「……!」
リーネアの顔がぱっと明るくなる。
「終わり!?」
「はい」
「よかった……!」
リーネアがその場に崩れ落ちる。
「もう無理……」
しかし。
ヴィーゴはそのまま彼女の前を通り過ぎた。
「……?」
そして。
「さあ、最後の特訓ですよ」
「…………」
リーネアの笑顔が消えた。
「……最後?」
「はい」
「……まだあるの?」
「最後です」
「……何?」
ヴィーゴは優しく微笑んだ。
「剣技を磨きましょう」
リーネアの顔が引きつる。
「……どうやって?」
「これを使います」
ヴィーゴが運んできた木箱。
蓋を開ける。
「…………」
大量の野菜。
「まさか」
「そのまさかです」
「え?」
「野菜高速スライスです」
「……」
「ひたすら切ってください」
「……」
「より速く」
「……」
「より正確に」
「……」
「やりましょう」
「……はい」
もう逆らう気力もなかった。
リーネアは剣を抜く。
目の前には山のような野菜。
「これ全部?」
「全部です」
「……よし」
リーネアは深く息を吸った。
剣を構える。
「――オラァァァァァァァッ!!」
振り下ろす。
ズバッ!
一瞬で野菜が切れる。
「……」
リーネア自身も驚いた。
「もう一回!」
ズバッ!
ズバッ!
ズバッ!
剣が走るたび、野菜が次々と薄切りになっていく。
目では追えないほど速い。
ヴィーゴは隣で鍋を持ちながら、それらを次々と回収していく。
「いいですね」
「まだ!」
ズバッ!
「速い!」
「もっと!」
ズバッ!
ズバッ!
ズバッ!
これまでの特訓で疲れ切っていたはずなのに。
腕は動いた。
脚も動いた。
身体が自然に剣の軌道を選んでいく。
避ける。
動く。
踏み込む。
切る。
それらすべてが少しずつ繋がっていた。
「……」
ヴィーゴは感心したように見つめる。
「かなり良くなっています」
「まだまだ!」
リーネアは止まらない。
一本。
二本。
十本。
山積みだった野菜が、見る見るうちに鍋へ吸い込まれていく。
そして――。
「……これで最後!」
ズバッ!
最後の野菜が切れた。
森に静寂が戻る。
「……」
リーネアは剣を下ろした。
「……終わった?」
「はい」
ヴィーゴが笑った。
「特訓完了です」
「……」
その言葉を聞いた瞬間。
「……やったぁ……」
リーネアは力なく呟き、その場にしゃがみ込んだ。
「少し休んでください」
「うん……」
二人は工房へ戻った。
ソファへ座ったリーネアは、そのまま背もたれに身体を預ける。
全身が重い。
肩も脚も痛い。
頭もぼんやりする。
「今日……何したんだろ、私……」
「色々しましたね」
「マンドラゴラ……」
「はい」
「滝登り……」
「石投げ……」
「野菜……」
リーネアは目を閉じた。
「……もう動きたくない」
「そうでしょうね」
しばらくして、
キッチンのほうから、いい匂いが漂ってきた。
「……?」
リーネアが鼻を動かす。
「ヴィーゴ?」
「お待たせしました」
ヴィーゴが鍋を持ってやってきた。
「本日の夕食です」
鍋の中には、先ほどリーネアが必死に切った野菜がたっぷり入っている。
「名付けて――」
ヴィーゴが微笑む。
「特訓スライス野菜スープです」
「……!」
リーネアの目が開いた。
「食べていいの?」
「もちろんです」
「……いただきます」
スプーンを手に取る。
一口。
「……」
温かいスープが身体に染み込んでいく。
野菜の甘み。
程よい塩気。
疲れた身体に、驚くほど美味しく感じられた。
「……美味しい」
「それは良かった」
「めちゃくちゃ美味しい」
もう一口。
さらにもう一口。
「今日、こんなに頑張ったんだから……美味しく感じるに決まってるよね」
「そうかもしれません」
ヴィーゴは笑った。
「でも、実際に美味しく作ったのは料理をした僕です」
「そこは譲らないんだ」
「職人なので」
「はいはい」
リーネアは笑った。
スープをもう一口飲む。
身体の痛みが、少しずつ遠くなる。
今日の特訓は、滅茶苦茶だった。
マンドラゴラに叫ばれ。
滝を登り。
スイカに頭をぶつけ。
石を投げつけられ。
最後には野菜を切りまくった。
それでも。
「……ヴィーゴ」
「はい?」
「明日もやる?」
ヴィーゴが少し驚いた顔をする。
「もちろんです」
「そっか」
リーネアは笑った。
「じゃあ、もっと強くならなきゃね」
スピアディアに負けた悔しさは、まだ消えていない。
けれど。
今は、それを力に変える方法が少しだけ分かる気がした。
一日では強くならない。
少しずつ。
一つずつ。
自分の身体と向き合っていく。
そうすれば、いつか。
ヴィーゴの隣で胸を張って戦える日が来る。
「……そのときは」
リーネアはスープを飲みながら呟いた。
「今度こそ、スピアディアに勝つからね」
「期待しています」
二人は顔を見合わせる。
そして。
また笑った。
特訓初日。
リーネアは確実に一歩。
強くなるための道を歩み始めていた。




