第五十二話 白銀の出撃準備と、命の補給線、そして吹雪を越える救助隊
エルフ集落救出作戦、決行。
そうと決まれば、準備は早かった。
俺は空中へ《通販ウィンドウ》を展開し、救助に必要な物資を、ほとんど反射でカートへ放り込んでいく。
「ガラン! ロエン! お前らは前衛だ。まずはこれを着ろ!」
召喚したのは、極寒地作業用の《電熱ヒーター内蔵ベスト》。
続いて、防寒防水仕様の《スノーブーツ》。
さらに、新雪でも沈まず歩ける《アルミ製スノーシュー》。
現代日本が本気で雪国と戦った末に生み出した装備一式である。
「なんだい、この服!?」
ガランがベストへ腕を通した途端、目を丸くした。
「お、おい! 背中が熱い! 腹まで熱い! 温泉でも背負ってるみたいじゃないか!」
「スイッチ入れただけだからな」
「反則だよ、これ! 冬の冒険者が知ったら涙を流して拝むよ!」
「泣く暇があったら歩けるようになる装備だ」
隣でロエンも腕を回しながら、小さく頷く。
「体幹が冷えない。それだけで体力の消耗が大きく違う」
ベストの熱を確かめるように胸へ手を当てる。
「吹雪では、生き残れるかどうかすら左右する装備だ」
もう完全に農家ではなく、雪山救助隊の隊長みたいな顔だった。
「よし、次だ」
俺はすぐに検索欄へ指を滑らせる。
「大型レスキューソリ。人も荷物も運べるやつを出す」
光が弾け、強化プラスチック製の大型ソリが二台、雪の上へ姿を現した。
ガランが感心したように口笛を吹く。
「へぇ。馬がいなくても、人力でかなり積めそうだねぇ」
「ああ。だから使う」
俺はソリの縁をポンと叩いた。
「ここに村の物資を積めるだけ積む。ポータブル電源三台。セラミックファンヒーター、電気ケトル、毛布、カイロ、非常食、応急処置用品。とにかく、物理的に運べる物は全部だ」
「んん? でもさ、わざわざ重いもんをここから運ばなくてもいいんじゃないかい?」
ガランが首を傾げる。
「坊やの通販なら、足りない物はその場でポンと出せるんだろ?」
「出せる」
俺は頷いた。
「出せるからこそ、最初から全部を現地通販に頼るわけにはいかないんだ」
「どういうことだい?」
ガランの問いに、俺は通販ウィンドウの残りMP表示へ視線を落とした。
「……この村の冬対策で、かなり使ったんだよ」
大容量ポータブル電源。
ビニールハウス資材。
踏み込み温床。
防寒具。
暖房器具。
備蓄食料。
雪かき道具。
畑を守るための資材。
冬対策のためのインフラを作るために、ここ数日で俺は相当なMPを吐き出している。
もちろん、まだ残りはある。だが、無尽蔵とは言えない。
「現地に着いたら、何がどれだけ足りないか分からない。怪我人が多ければ医療用品が要る。家が潰れていればジャッキやシートが要る。凍えてる奴が想定より多ければ、暖房も毛布も追加になる」
俺はソリに積まれていく物資へ視線を戻した。
「だから、ここで用意できる現物は、できるだけ運ぶ。俺のMPは、現地で本当に想定外が起きた時にだけ切る最後の札だ」
「なるほどねぇ」
ガランが納得したように、にやりと笑う。
「便利だからこそ、使いどころを間違えちゃいけないってわけか」
「そういうことだ」
俺はロープを掴み、ソリの荷台を指差した。
「今回は、ただの救助じゃない」
ずっしりと重い荷物をソリへ固定しながら、俺は言った。
「現地へ、文明を運ぶ。できるだけ人力でな。俺のMPっていう、便利だけど底のある命綱を温存しながら」
「だっははは!」
ガランが豪快に笑い、大斧の代わりに物資の箱を軽々と担ぎ上げた。
「言い方は格好いいけど、要するに節約しながらの力仕事だねぇ!」
「そうだ」
俺は真顔で頷いた。
「引きこもりは無駄な外出も嫌いだが、無駄な消費も嫌いなんだよ」
そこからは全員が一斉に動いた。
フリーズドライ食品。
アルファ米。
インスタントスープ。
栄養補助食品。
毛布。
使い捨てカイロ。
保温ボトル。
応急処置用品。
替えの手袋。
予備の防寒具。
ありったけの防寒・食料・生活物資をソリへ積み込み、ロープで手際よく固定していく。
ロエンは積み上がった荷物の重心を確認し、すぐに配置を変えた。
「重い物は中央だ。片寄ると雪道で傾く」
「助かる」
「荷を崩せば、それだけで時間を失う」
淡々と言いながら、ロエンは毛布の束を押さえ、ロープを締め直す。
「救助では、余計な手間が命取りになる」
「本当に雪山救助隊みたいになってきたな、お前」
「雪と命が相手なら、似たようなものだ」
否定できなかった。
「エルマ、ミリィ!」
俺は振り返った。
「二人は留守番だ。結界の維持、暖房全開、それと受け入れ準備」
「受け入れ準備、ですか?」
「救助したエルフを、そのまま連れて帰る可能性が高い。エルマ、お前には受け入れに必要になりそうな物資の整理整頓と、パントリーにある備蓄の在庫確認を頼みたい」
「なるほど!」
エルマが勢いよく立ち上がる。
「結界、防寒、寝床、食事の確保に加えて、全在庫の正確なリスト化ですね! すべて万全に整えておきます!」
「頼んだ」
俺は念を押すように続けた。
「ただし、留守番中も物資の無駄遣いは厳禁な。現地で何が必要になるかわからない以上、俺のMPはできるだけ残しておきたい」
「了解です!」
エルマは丸眼鏡の奥の目を光らせた。
「既存設備と現在の備蓄品を最大活用し、通販依存度を最小限に抑えます! 整理整頓のついでに、消費カロリーと暖房効率の最適化プランも構築しておきますね!」
「急に優秀な助手みたいになったな」
「非常時ですので!」
その隣で、ミリィはポテトをぎゅっと胸に抱きしめたまま、不安そうに耳を伏せていた。
「……シルフィ……ぜったい、かえってきてね」
シルフィはしゃがみ込み、ミリィの頭を優しく撫でた。
「ああ。必ず帰る」
「……コウタも、かえってきて」
小さな声だった。
「ついでじゃないのか?」
「ついでじゃない!」
ミリィは顔を上げ、必死に首を振った。
抱きしめられたポテトまで一緒に揺れて、「ガウゥ……」と困ったように鳴く。
「シルフィも、コウタも、ガランも、ロエンも、みんなかえってきて」
「……ああ」
その一言に、少しだけ胸が詰まる。
「もちろん帰る。俺は家に帰ってこたつに入るまでが救助作戦だと思ってるからな」
「こたつまでが、さくせん?」
「そうだ」
「じゃあ、だいじょうぶだね!」
「こたつの信頼度が高すぎる」
俺は苦笑しながらエルマへ向き直る。
「あと、大人数が押しかけても慌てるなよ」
「もう十分パニックです!」
エルマが即答した。
「ですが!」
眼鏡をきらりと光らせる。
「パニック状態でも、作業はできます!」
「それはそれで怖い」
「全力で受け入れます!」
「よし」
ガランがソリのロープを肩へ担ぎ、にやりと笑った。
「坊や。最後のチャンスだよ」
「何が」
「逃げるなら今のうちさ」
「やめろ」
俺は真顔で返す。
「今、その誘惑が一番効く」
「おお、本当に効くんだねぇ」
「めちゃくちゃ効く」
「でも行くんだろ?」
「……行くさ」
肩を落としながら、防寒着のジッパーを首元まで引き上げる。
「本当はここで引きこもりたいけど……俺が行かないと、現場で通販できない」
観念したように息を吐く。
「しかも、MPに余裕があるわけじゃない。何を出すか、現場で見極めなきゃならない」
もう一度、ソリに積まれた物資を見る。
「だったら、行くしかないだろ」
ロエンが静かに頷く。
「今のお前はタダの引きこもりではない」
一拍置いて、続けた。
「何を生かし、何を温存し、何を切るかを決める者だ」
「なんか俺の責任重くないか」
「事実だ。そしてお前は、大勢の命の補給線そのものだ」
「責任が一段と重くなったんだけど!」
俺は天井を仰ぐ。
「今回は本当に俺が異世界転移したラノベの主人公みたいじゃないかよ……」
「うんうん、諦めな」
ガランが肩をすくめる。
「ゲームでもそうさ。『平穏に暮らしたい』って言う奴ほど、イベントフラグを踏み抜くもんさ」
「俺を歩くイベント発生装置みたいに言うな」
*
俺たちは防寒着に身を包み、二台のソリを引いて、吹雪の中の結界外へ飛び出した。
先頭はシルフィ。
その少し後ろで、ガランが主力のソリを引く。
ロエンはもう一台のソリを受け持ちながら、全員の足元と周囲の気配を見ていた。
そして俺は――何も引いていない。
いや、サボっているわけではない。
断じてない。
現地に着いた後、通販で物資を追加する役が、道中で体力を使い果たしたら本末転倒だからである。
つまり俺は今、温存されているのだ。
さっき自分のことを「異世界転移したラノベの主人公みたいじゃないか」とか言った手前、あまりにも締まらない立ち位置だった。
主人公。
ただし荷物は持たない。
なぜなら、すぐ消耗するから。
……温存という言葉に、ここまで情けなさを感じる日が来るとは思わなかった。
「寒っ!!」
結界の外へ一歩出た瞬間、俺は叫んだ。
「やっぱ無理だろこれ! 引きこもりに許される寒さじゃない!」
「もう出た後だ。最短距離で進むぞ」
先頭のシルフィが、振り返らずに言う。
「せめて一回くらい同情しろよ!」
「同情しても暖かくはならない」
「正論が冷たい!」
結界の内側とは、まるで別世界だった。
視界が白い。
空も、地面も、木々も、全部が雪に呑まれている。
風が唸り、舞い上がった雪煙が顔へ叩きつけられ、数歩先の景色さえすぐに輪郭を失っていく。
普通に歩けば、五分で方向感覚を失う。
十分で足を取られ、十五分で心が折れる。
俺ならたぶん、その前に帰りたいと泣く。
「こっちだ」
シルフィが短く告げた。
彼女は先頭に立ち、風の精霊術で正面の吹雪をわずかに散らしながら進んでいる。
完全に吹雪を消せるわけではない。
だが、白一色だった視界に、かろうじて木の幹や地形の影が浮かび上がる。
そのわずかな情報を頼りに、シルフィは迷わず進路を選んでいた。
「右へ逸れる。正面は倒木が多い」
「見えるのか!?」
「見えているわけじゃない。森の気配が歪んでいる」
「説明されてもわからん!」
だが、シルフィの判断は正しかった。
進路を変えた直後、さっきまで向かおうとしていた方角で、雪に埋もれた大木の枝が、ぎしりと不気味な音を立てた。
あのまま進んでいたら、下手をすれば枝ごと雪崩れてきたかもしれない。
その後ろで、ガランが主力のソリを肩で引きながら一歩前へ出た。
「よし、道はシルフィが読む。なら、アタシはこじ開けるよ!」
スノーシューを履いた足で、ガランが深い雪へ踏み込む。
ざくっ。
膝近くまで沈む雪を、彼女は力任せに踏み固め、大斧の柄で邪魔な枝を払いながら進む。
背後のソリが雪を削り、ぎしぎしと重たい音を立てた。
「だっ……! はぁっ……!」
息を吐くたび、白い霧が弾ける。
「普通の靴だったら、とっくに足が埋まって終わってたね! 坊やの出した靴、かなりいいよ!」
「靴は良くても俺の体力は終わりそうだよ!」
猛吹雪の中の初めての行軍だ。
俺はソリも荷物も何も持っていないのに、すでに必死だった。
情けないが、事実である。
ガランは笑い飛ばす。
「まだ始まったばかりだよ、坊や!」
「その励ましが一番つらい!」
「大丈夫、大丈夫。倒れたらソリに積んで運んでやるさ」
「荷物扱いの保険をかけるな!」
前方で雪が深くなれば、ガランが体ごと突っ込んで道を作る。
倒れかかった枝が行く手を塞げば、大斧で叩き落とす。
雪の下から黒い影が動いた時には、彼女が一歩で前に出た。
「魔物かい?」
「違う。小動物だ」
シルフィが即答する。
「なら見逃す! 敵なら斬る!」
さすが元Aランク冒険者。
判断が早い。
怖いくらい早い。
一方、ロエンは無闇に前へ出なかった。
彼は補助のソリを引きながら、少し後ろから周囲を見渡し、雪の状態を確かめている。
風向き。
積雪の深さ。
木々のしなり。
ソリの沈み具合。
俺たちの息の上がり方。
その全部を、淡々と見ていた。
「止まれ」
ロエンが低く言った。
全員が足を止める。
「左は避ける。雪の下に沢がある」
「沢?」
俺にはただの雪原にしか見えない。
「音がする。水が生きている。踏み抜けば、足を濡らす」
ロエンは雪面を睨んだまま続けた。
「この気温で足を濡らせば、体力を一気に持っていかれる」
「怖っ……!」
言われなければ、普通に踏んでいた。
そして俺なら確実に終わっていた。
「右へ回る。ガラン、そこを踏み固めろ」
「任せな!」
ガランが主力ソリのロープを握り直し、雪へ踏み込んで道を作る。
ロエンがその後ろで補助ソリを引きながら、足場を確認し、危険な場所を避ける。
シルフィがさらに先で方角を読む。
俺はその後ろを、何も引かずに必死でついていく。
……役割分担、完璧すぎないか?
そして俺は、荷物を引かないかわりに、通販ウィンドウと残りMPを抱えた歩く補給線。
歩く補給線。
字面は格好いいのに、実態は「到着まで倒れるな係」である。
「コウタ、足元を見失うな」
ロエンが低く言う。
「雪の下に根がある。右足を少し外へ出せ」
「了解! っていうか俺、ほんと何で来てるんだっけ!」
「通販だ」
「知ってるけど! 知ってるけど言い方!」
その時だった。
ロエンの耳が、ぴくりと動いた。
「止まれ」
ロエンの声が、先ほどよりも低く沈んだ。
ガランが即座にソリのロープを雪の上へ落とし、大斧を構える。
シルフィも弓を手に取り、吹雪の向こうへ細く目を向けた。
「今度は何だよ……?」
俺は思わず声をひそめる。
「匂う」
ロエンが鼻を鳴らした。
「獣だ。だが、小動物ではない」
「魔物か?」
「ああ」
シルフィの声が硬くなる。
「大ねずみだ。しかも……かなり大きい」
「大ねずみって、使い魔の知らせにあった、集落の備蓄を食い荒らしたやつか?」
「おそらくな」
次の瞬間、前方の雪が不自然に盛り上がった。
ぼこっ。
ぼこぼこぼこっ。
白く平らだった雪面が、内側から押し上げられる。
何かが、雪の下を這っている。
いや、這っているというより、地面ごと持ち上げながら進んでいる。
「……おいおい」
俺の喉が勝手に鳴った。
雪の盛り上がりが、こちらへ向かってくる。
そして――。
「ヂュギィィィィィッ!!」
耳障りな鳴き声と共に、白い雪をぶち破って、巨大な影が飛び出した。
丸々と肥え太った、大ネズミだった。
「でっっっか!? あれ、本当にネズミ!?」
俺は思わず叫んだ。
普通のネズミなんてものじゃない。
ヒグマ、いや、それよりもでかい。
子どもの頃に動物園で見たシロクマを、無理やりネズミの形に押し込めたみたいな化け物だった。
灰色の毛皮には雪と氷が張りつき、脂で濡れたようにぎらついている。
ぎょろりとした赤い目が、吹雪の中で不気味に光った。
腹は異様なほど膨れ上がり、歩くたびに重そうに揺れる。
丸太みたいな尻尾を雪の上に引きずり、黄色く濁った前歯をガチガチと鳴らしていた。
しかも口元には、木の実や干し肉らしきものの欠片がべったりと張りついている。
食い散らかした直後の顔だった。
「うわ……あれ、完全に食ってるな」
「ああ」
シルフィの声が、静かに低くなった。
「集落の備蓄だ」
その一言で、空気が変わった。
ただの魔物ではない。
こいつは、シルフィの故郷から食料を奪った元凶だ。
子どもや老人が凍え、飢えながら震えている間に。
この魔物は、その命綱だった食料を腹いっぱい食らい、ここまで丸々と肥え太ったのだ。
「……許さん」
シルフィが小さく呟いた。
怒鳴ったわけではない。
声を荒げたわけでもない。
だが、その声は吹雪より冷たかった。
「ヂュルルルル……!」
大ネズミは鼻をひくつかせた。
赤い目が、俺たちではなく、背後のソリへ向く。
ポータブル電源。
毛布。
非常食。
インスタントスープ。
アルファ米。
応急処置用品。
救助用の物資が満載されたソリ。
それを見た瞬間、大ネズミの目が、ぎらりといやらしく光った。
「おい、まさか」
「狙いは荷だ」
ロエンが短く言う。
「集落の備蓄を食い尽くした後、今度は俺たちの物資を狙っている」
「最悪すぎるだろ!」
大ねずみが雪を蹴った。
巨体に似合わない速度で、一直線にソリへ突っ込んでくる。
「ガラン!」
「任せな!」
ガランが前に出た。
大斧の柄を横に構え、突進してきた大ねずみを真正面から受け止める。
どんっ!!
鈍い衝撃音が雪の森に響いた。
「ぐっ……重いねぇ!」
ガランの足元が雪に沈む。
スノーシューがぎしりと軋み、踏み固めた雪が割れる。
だが、ガランは退かなかった。
「食いすぎだよ、この丸太ネズミ!」
「ヂュギィィッ!」
大ねずみが鋭い前歯を剥き出しにする。
その歯は、干し肉どころか木箱ごと噛み砕けそうな太さだった。
「ガラン、右へ流せ!」
ロエンが叫んだ。
「正面で受けるな。体重差で沈む」
「了解!」
ガランは力任せに押し返すのではなく、斧の柄を滑らせるように角度を変えた。
大ねずみの巨体が横へ流れ、雪を巻き上げながら転がる。
そこへ、シルフィの矢が飛んだ。
「風よ」
短い詠唱。
放たれた矢が風をまとい、大ねずみの前脚を正確に射抜く。
「ヂィッ!?」
「足を止める。仕留めろ」
「任せな!」
ガランが大斧を振り上げる。
だが、大ねずみは転がった勢いのまま雪へ潜った。
「潜った!?」
「雪の下を来る!」
ロエンが耳を伏せ、雪面を睨む。
ぼこっ。
ぼこぼこっ。
雪の盛り上がりが、まっすぐこちらへ向かってくる。
俺の方へ。
「いやいやいやいや! なんでこっち!?」
「物資とお前を狙っている」
ロエンが即座に補助ソリの前へ出る。
「俺!? 俺、食っても栄養ないぞ!?」
「通販の匂いでもするんじゃないかい!」
ガランが笑いながらも走る。
「そんな匂いあってたまるか!」
雪が俺の足元で爆ぜた。
「ヂュギャッ!」
巨大な口が、雪の下から突き上がる。
「うおおおおっ!?」
俺は反射的に後ろへ転んだ。
情けなく尻もちをついた直後、目の前を巨大な前歯がかすめていく。
死ぬ。
これは普通に死ぬ。
「コウタ!」
シルフィの矢が飛ぶ。
ロエンが横から飛び込み、大ねずみの首筋へ鍬――ではなく、持ってきていた鉈を叩き込む。
だが、肥え太った脂肪と分厚い毛皮が衝撃を吸収した。
「浅い」
ロエンが低く呟く。
「こいつ、食い過ぎで脂肪が鎧になっている」
「嫌な強化形態だな!」
大ねずみが体を震わせ、雪と氷を撒き散らす。
その巨体が再びソリへ向いた。
「まずい。物資をやられる」
ロエンが低く言う。
「坊や! 何か出せるかい!?」
「何かって何だよ!」
「足止めできる物だ!」
足止め。
足止め。
ネズミ。
巨大。
雪道。
物資を守る。
俺は震える指で《通販ウィンドウ》を開いた。
「くそっ、MP節約って言ってるそばからこれかよ!」
だが、ここで物資を食われたら節約どころではない。
救助作戦そのものが終わる。
「使うべき時に使わない節約は、ただのケチだ!」
俺は検索欄へ叫ぶように入力した。
「業務用、粘着、害獣捕獲!」
光が弾ける。
現れたのは、黒く分厚い板状の粘着トラップ。
しかも家庭用ではない。
倉庫や工場で使うような、業務用の特大サイズである。
「うわ、なんだいその黒い板!?」
「ネズミ対策の文明だ!」
「そんなもので止まるのか?」
「普通のネズミならな! こいつが普通かどうかは知らん!」
俺は粘着トラップを雪の上へ並べた。
さらに、防水シートを広げ、その上にトラップを固定する。
「ガラン! こっちへ誘導!」
「了解!」
ガランが大斧の背で雪を叩き、大ねずみの注意を引く。
「ほらほら、こっちだよ! 食い意地だけで太ったデカネズミ!」
「ヂュギィィィッ!」
「効いてる! 悪口が効いてる!」
「食い物の恨みはこっちにもあるんだよ!」
大ねずみが怒りに任せて突進する。
「シルフィ!」
「わかっている」
シルフィが風の精霊術で吹雪を裂き、進路を一瞬だけ明ける。
大ねずみは視界が開けた方向へ、そのまま突っ込んだ。
そして。
べちゃっ。
嫌な音を立てて、前脚が粘着トラップに沈んだ。
「ヂュッ!?」
巨体が前につんのめる。
後ろ脚も滑り、腹が黒い粘着面にべたりと貼りついた。
「止まった!」
「今だ!」
ロエンが叫ぶ。
「ガラン、頭を押さえろ! シルフィ、脚を!」
「おう!」
ガランが飛び込み、大斧の柄で大ねずみの首元を押さえ込む。
シルフィの矢が連続で放たれ、前脚と後脚の動きを封じた。
ロエンが横へ回り込み、雪の下の足場を見極めながら低く踏み込む。
「終わりだ」
その一撃は派手ではなかった。
だが、正確だった。
ロエンの刃が、大ねずみの急所を深く断った。
「ヂュ、ギ……」
大ねずみの巨体が、雪の上でびくりと震える。
そして、動かなくなった。
「……倒した、のか?」
俺は尻もちをついたまま呟いた。
「ああ」
シルフィが弓を下ろす。
「終わった」
ガランが大きく息を吐き、大斧を肩に担いだ。
「だっははは! いやぁ、よく太ったネズミだったねぇ!」
「笑い事か!? 俺、今かなり食われかけたんだけど!?」
「だから守っただろ?」
「そうだけど!」
ロエンは倒れた大ねずみを見下ろし、静かに言った。
「こいつの腹は膨れすぎている。集落の備蓄を相当食っているな」
「……」
シルフィの表情が曇る。
大ねずみの口元に付いた干し肉の欠片。
腹の膨れ具合。
そして、集落からのSOS。
それらが意味することは、ひとつだった。
「こいつが食った分だけ、集落の者たちは飢えた」
シルフィの声は静かだった。
静かすぎて、かえって痛かった。
「急ぐぞ」
俺は立ち上がり、雪を払った。
「こいつがここにいるってことは、集落はもう近い。しかも、備蓄は本当に尽きてる可能性が高い」
「ああ」
ロエンが頷く。
「戦闘で時間を使った。休憩は短くする」
「コウタは?」
「……大丈夫だ」
正直、大丈夫ではない。
足は震えているし、心臓はまだバクバクしている。
だが、ここで俺が「帰りたい」と言ったら、さすがに人として終わる。
「今のトラップでMPも少し減った。これ以上無駄にはできない」
「無駄ではない」
ロエンが即座に言った。
「物資を守った。お前を守った。必要な消費だ」
「……そう言われると、ちょっと救われるな」
ガランがにやりと笑う。
「それに、坊やの黒い板がなかったら、あの丸々ネズミはもっと暴れてたよ」
「文明の勝利ってことでいいのか?」
「今回は粘着の勝利だねぇ」
「なんか締まらないな……」
シルフィが白い吹雪の向こうを見据える。
「こっちだ。最短で行く」
それからさらに進むことしばらく。
風の向こうに、巨大な影が見え始めた。
最初は山かと思った。
だが違う。
雪と氷をまといながらも、天へ向かって枝を広げる、巨大な神樹。
その根元に、エルフの集落はあった。
「……着いた」
シルフィがかすれた声で呟く。
一時間後。
俺たちは、巨大な神樹の根元に作られたエルフの集落へたどり着いた。




