第四十九話 迫り来る冬の脅威(ブラックアウト)と、雷の箱(ポータブル電源)、そして極熱のおでん
秋が終わる。
それはつまり――
引きこもりにとって、一年で最も幸福な季節が始まるということだ。
外へ出なくていい理由が増える。
窓を閉め切っても誰も文句を言わない。
温かい飲み物を片手に、こたつへ潜り込み、ゲームでも漫画でも昼寝でも好きなだけ満喫できる。
まさしく、冬は引きこもりの黄金期である。
……そのはずだった。
朝。
ログハウスの扉を開けた瞬間、白い息がふわりと宙へ溶けた。
「うわっ、寒っ!」
思わず肩をすくめる。
ついこの前まで「秋だなぁ」と紅葉を眺めていた気がするのに、自然はこちらの都合なんて待ってくれない。
森はすっかり冬支度を終え、空気そのものが刺すように冷たい。
「これはもう、完全に冬だな……」
そう呟いた俺の横を、
もっふぁぁぁ――。
と、巨大な毛玉が通り過ぎた。
「……ん?」
一瞬、何かの魔物かと思った。
だが、その毛玉は足を止めると、いつもの無表情でこちらを振り返った。
「……なんだ」
ロエンだった。
いや、ロエンのはずだった。
秋の終わりから冬毛へ生え変わったらしく、首元から肩にかけての毛並みが、以前の一回りどころか二回りは膨らんでいる。
ただでさえ寡黙で威圧感のある狼獣人なのに、今の姿は完全に雪山を支配する大狼の主だった。
「……お前、なんかデカくなってない?」
「毛だ」
「いや、毛だけでそんなに存在感変わるか?」
「変わる」
「断言するな」
「冬毛だ」
「冬毛への信頼が厚すぎる」
一方。
「コウタ見てー!」
ミリィは自慢げに尻尾をぶんぶん振り回していた。
以前の倍はありそうな、ふわっふわでもっふもふの尻尾。
もはや尻尾というより、高級毛布である。
「……その尻尾、五万円くらいしそう」
「ごまんえん?」
「いや気にするな」
「えへへー!」
足元ではポテトが、
「キュシュッ!」
可愛らしいくしゃみと一緒に火花を散らした。
「お前、火竜なのに寒いのか」
「キュウ……」
本竜も納得していない顔で俺へくっついてくる。
暖を取る火竜の仔犬。
なんか色々おかしい。
……とはいえ。
獣人や火竜はまだいい。
問題は、人間組だった。
「……あ、あつい……いや寒い……? あれ……おかしいねぇ……体が、季節を判断できなくなってきたよ……」
昨夜、寒空のもとタープの下で寝落ちしたガランが、毛布を何重にも巻きつけた状態でぷるぷる震えていた。
見た目だけなら、完全に巨大なミノムシである。
「なんで外で寝たんだよ」
「焼き芋が……うまくてねぇ……」
「焼き芋に負けたのか」
「負けたねぇ……完敗だよ……」
「誇らしげに言うな」
その時だった。
ログハウスの少し先、結界門の方角から、ずる……ずる……と何かを引きずるような音が聞こえてきた。
「……寒さで思考がまとまりません……空間座標の演算にノイズが……補助計算式が……凍結……術式展開に……バグが……」
見れば、黒ローブの上から毛布を被ったエルマが、青白い顔でこちらへ戻ってくるところだった。
髪には霜がつき、丸眼鏡は白く曇り、手には分厚い観測記録用のノートを抱えている。
どう見ても、暖かい部屋で研究していた人間の姿ではない。
「お前、どこ行ってたんだ」
「結界の外縁部です……」
「は?」
「新しい結界式を思いついたので、忘れる前に外気温と風向きと魔力流速の観測を……」
「この寒さで?」
「この寒さだからこそ、正確な実地データが取れるのです……」
「命よりデータを優先するな」
「魔導士とは、そういう生き物です……」
「その生き物、冬に弱すぎない?」
エルマは反論しようとしたらしいが、口を開いた瞬間、
「へくちっ!」
小さなくしゃみをして、その場でぷるぷる震えた。
天才魔導士の威厳は、冬将軍の前では驚くほど脆かった。
「お前ら、外で粘るな。中へ入れ。いや入れというか、もう収容だ」
俺はガランとエルマ、ついでに足元で「キュシュッ!」とくしゃみをしていたポテトをリビングへ押し込んだ。
そしてエアコンのリモコンを手に取る。
「設定温度、二度上げるぞ」
ピッ。
――ブォォッ。
温風が吹き出した瞬間、凍りついていた空気がゆっくりと溶け始めた。
張り詰めていた寒気が押し返され、室内は再び「人類が生活しても許される空間」へ戻っていく。
「はぁぁぁぁ……生き返るぅ……」
ガランは迷わずエアコンの吹き出し口の真正面へ陣取った。
毛布にくるまったまま、至福の表情を浮かべている。
ポテトも短い翼をいっぱいに広げ、
「ガウゥ~~……」
と、とろけたような声を漏らした。
「やっぱりコウタの家の『えあこん』は神の魔道具だねぇ……。冬の間ずっとこの下で暮らしたい……」
「うちに定住するな。俺の引きこもり生活の邪魔だ」
「でもここが一番暖かいんだよ」
「……しかし、これほど広範囲の空気を一瞬で温め続けるとは……」
毛布にくるまったエルマも、エアコンを見上げながら感嘆のため息を漏らした。
「やはり何度見ても異常です。火の精霊を何百体ほど酷使しているのですか? もし精霊に組合が存在したら、一日でストライキを起こす案件ですよ」
「その発想はなかった」
だが、俺の顔は晴れなかった。
手元のタブレットに表示されている『システム管理画面』を見つめながら、俺はじわりと嫌な汗をかいていた。
「……マズい」
思わず、声が漏れた。
タブレットの画面には、ログハウス屋根のソーラーパネル発電量と蓄電池の残量が表示されている。
その数字は――残り十五パーセント。
残量ゲージは警告色の赤へ染まり、小さく点滅していた。
「十五……本当に?」
俺は思わず見直す。
「昨日は二十六%あったよな……?」
寒くなったことで暖房の稼働時間が増えた。
日照時間も短くなり、発電量は落ちる。
つまり、
「消費が、発電を上回り始めてる……」
「どうした、コウタ」
屋根の柱に張ったハンモックから降りてきたシルフィが、俺の手元を覗き込んだ。
「妙な顔をしているぞ」
「妙にもなるさ。この村を動かしてる"魔力"……いや、電力の備蓄が底を突きかけてる」
「なっ……!?」
その一言で、リビングの空気が凍りついた。
「なんだって!?」
ガランが毛布ごと飛び起きる。
驚いたポテトが「ガゥッ!?」と転がった。
「じゃあゲームができなくなるのかい!?」
「第一声がそれか」
「アタシには死活問題なんだよ!」
「では……私の研究室の照明と補助演算機も……?」
エルマの顔も、見る見るうちに青ざめていく。
「止まる」
「研究効率が九割落ちます!」
「九割で済むのか」
「いえ、その前に私の心が折れます!」
「お前も十分重症だな」
俺は首を振った。
「このまま放置すると、かなりまずいことになる」
「まずいことってなに?」
ミリィが不安そうに首を傾げる。
「ああ」
俺はタブレットの赤い残量表示を見つめたまま、順番に告げた。
「まず、暖房が止まる」
全員が黙った。
「次に、冷蔵庫が止まる」
さらに沈黙。
「炊飯器も使えない。電子レンジも動かない。給湯器も止まる」
誰も口を開かない。
温かい飯。
温かい湯。
温かい部屋。
この村で当たり前になっていたものが、一斉に消える。
「そして本格的に雪が積もれば、屋根のソーラーパネルは発電できなくなる」
そこで一度、言葉を切る。
エアコンの温風だけが、やけに大きな音に聞こえた。
「つまり――」
全員が息を呑む。
「ブラックアウト。全電源喪失だ」
リビングに、重い静寂が落ちた。
今度は、誰も冗談を言わなかった。
ゲームができないとか、研究効率が落ちるとか、そういう話ではない。
この森の冬は、普通に人を殺しにくる。
「……それは、死を意味するな」
いつの間にかリビングへ入ってきていたロエンが、静かに言った。
「厳冬の森で熱源を失えば、凍死は時間の問題だ。俺たち獣人やポテトはまだ耐えられる。だが、コウタやエルマは一晩持つかどうか」
「さりげなく私を最弱扱いしないでください」
「事実だ」
「うっ……」
反論できず、エルマは毛布の中で小さくなる。
ミリィも不安そうに俺の服の裾を掴む。
「コウタ……おうち、まっくらになるの?」
「ならない」
俺は即答した。
「そのために、今から冬支度をする。」
引きこもりにとってライフラインの喪失は最大級の災害だ。
文明の恩恵を捨ててサバイバル生活?
冗談じゃない。
俺は快適に怠惰でいたいのであって、苦労したいわけじゃない。
「本格的な冬が来る前に、この村を“冬仕様”へアップグレードする」
そう宣言し、俺はスキル《通販》のウィンドウを呼び出した。
「俺のMP(通販ポイント)を全部突っ込む。」
「おお……!」
エルマの眼鏡が輝く。
「コウタ様が本気です……! 引きこもり生活の危機にのみ発動する伝説の本気モードです!」
「そんな限定奥義みたいに言うな」
俺は『拠点通販 Lv.2』を開き、必要な物資を次々とカートへ放り込んでいく。
防寒用品。
予備電源。
発電設備。
配線。
断熱用品。
雪対策。
今回ばかりは、MPをケチる気はなかった。
「――購入」
次の瞬間。
ズズンッ!!
青白い魔法陣が空き地いっぱいに広がり、巨大な段ボール箱が次々と積み上がっていく。
異世界の朝にはあまりにも場違いな光景だが、この村ではもはや日常である。
「よし。ガラン、ロエン、開封を手伝ってくれ」
「あいよ!」
「了解した」
二人が手際よく段ボールを開けていく。
最初に姿を現したのは、黒く四角い、やたらと重厚感のある箱だった。
「……なんだい、こいつは?」
ガランがひょいと持ち上げて首を傾げる。
「小さいくせに、変にずっしり重いねぇ。表面には目玉みたいな板まで付いてるし……」
液晶ディスプレイを指差しながら、真顔で続けた。
「……持ち運び用の箱型魔物?」
「嫌すぎるだろ」
「でもコウタの故郷なら一匹くらいいそうじゃないかい?」
「俺の世界を何だと思ってる」
「こ、これは……!」
エルマが勢いよく駆け寄り、丸眼鏡を限界まで輝かせた。
「コウタ様、家の裏にある『ちくでんち』と似た性質を感じますが……この小ささは異常です! 内部に恐ろしいほど高密度の雷属性エネルギーが圧縮・封印されています……!」
興奮で肩を震わせながら箱へ両手を伸ばす。
「まさか……家を丸ごと動かすほどの莫大な雷を、片手で持ち運べるサイズにまで空間圧縮しているのですか!? 暴発すれば山が一つ消し飛びますよ!?」
「だからすぐ物騒な解釈をするな」
俺は箱を軽く叩いた。
「こいつは『大容量ポータブル電源』だ。家の蓄電池とは違って、外へ持ち出してどこでも家電が使える優れものだ」
「かみなりのはこ? おそともってけるの……!」
ミリィが目を丸くする。
匂いを嗅いでいたポテトも、雷という単語を聞いた途端に「キュッ!?」と飛び退いた。
「さわるとバチッてする?」
「普通はしない。したら返品案件だ」
「へんぴんあんけん?」
「気にするな」
俺はポータブル電源を指差した。
「しかも、中身はリン酸鉄リチウムイオン電池。エネルギー密度を高めつつ、安全性が高くて寿命も長い。何千回も充電と放電を繰り返せる優秀なやつだ」
「何千回も……」
エルマが呆然と呟く。
「あの巨大な蓄電池の機能をこのサイズに収め、何千回も酷使できるなんて……コウタ様の故郷の錬金術は、ついに神代魔法すら凌駕したのですね……」
「だから毎回スケールを盛るな」
シルフィが腕を組んで、呆れたようにため息をついた。
「で、コウタ。わざわざ持ち運べる電源を用意したということは、まさかお前、冬の森の中へ暖房器具でも持ち出して引きこもるつもりか?」
「……お前、俺の思考回路読みすぎじゃないか?」
「顔に書いてある」
「否定はしない。雪景色を見ながら外でコタツに入ってアイス食うのも、インドア派の夢だからな」
俺は苦笑しながら、別の段ボールへ手をかけた。
中から現れたのは、何枚もの分厚い黒い板だった。
「ロエン、ガラン。広げてくれ」
二人が持ち上げて広げると、黒い板は何倍もの大きさに展開し、陽の光を受けて鈍く輝いた。
「屋根の黒い板と同じだな」
シルフィが目を細める。
「ああ。折りたたみ式の増設用ソーラーパネルだ」
俺は満足そうに頷く。
「これを空き地へ並べて、さっきのポータブル電源へ接続する。屋根が雪で埋まっても、こっちは地上だから雪かきも簡単だ」
「なるほど」
ロエンが腕を組んで深く頷いた。
「一つの発電源へ依存せず、複数に分散するのか。実に合理的だ」
「引きこもり要塞において、冗長化は正義だからな」
「言葉の意味は半分しかわからん」
ロエンは口元をわずかに緩める。
「だが、その思想は嫌いではない」
*
そこから先は、村総出の設営作業だった。
ロエンが最も安定する地面を見極め、ガランが怪力で重い箱を運び、シルフィが周囲を警戒しつつ細かい位置調整をする。
エルマは「配線の取り回しが芸術的です……」と謎の興奮を浮かべ、ミリィとポテトはケーブルを運びながら途中でそれにじゃれついてロエンに怒られていた。
「ミリィ、ポテト。噛むな」
「かんでないよ! ちょっとにおいかいだだけ!」
「ガウッ!」
「二人とも牙が当たっている」
「ばれた……」
「当たり前だ」
配線をつなぎ、主電源と接続し、各系統を確認する。
最後に俺がスイッチを入れると――
ピーッ。
軽い起動音と共に、タブレットの画面に表示された残量メーターが、みるみるうちに回復していった。
「おお……!」
「増えてる!」
「生き返った……!」
赤かった数字が、落ち着いた緑色へ変わっていく。
その瞬間、俺の中にあった「冬の停電死」という最悪のイメージが、ようやく薄れた。
「よし。これで電力の確保はかなり安定した」
俺は汗を拭って、大きく息を吐く。
「さらに、だ。大雪で森が封鎖されてトムじいが来られなくなっても困らないように、食料備蓄も固める」
「まだやるのかい!?」
ガランが笑う。
「やる。冬の引きこもりは準備で九割決まる」
続いて召喚したのは、大量の無洗米、小麦粉、乾燥パスタ、乾麺、レトルト食品、缶詰、乾物の山だった。
積み上がる箱。増えていく段ボール。もはや小さな商店の倉庫である。
「これらは真空パックや缶詰で長期保存が利く。ざっと計算して、全員が何もしなくても二百五十日間は生き延びられる量だ」
「に、二百五十日!?」
ガランが目を剥いた。
「一年の半分以上じゃないか! 王都の城の兵糧庫並みだよ!」
「言い過ぎでもないかもしれません……」
エルマが感動で震えていた。
「ここはもう単なる要塞ではありません。世界が滅びても私たちだけが生き残る『箱舟』です!」
「大げさだって」
「でもちょっとわかる」
シルフィが腕を組む。
「冬を越すための備えとしては、正気じゃないほど厚い」
「正気で引きこもってたらここまでやらないからな」
「……完璧だ」
ロエンも高く積まれた備蓄の山を見て、安堵の息を吐いた。
「これなら畑を休ませる間も焦らずに済む。春の準備に集中できる」
「だろ?」
「……お前は極限の怠惰を目的にしているが、結果的に非常に優秀な拠点運営をしている」
「褒められてるのかそれ」
「褒めている」
ミリィは、缶詰の山の前できらきらした目をしていた。
「これ、ぜんぶごはん?」
「そうだ」
「まいにちたべてもいい?」
「計画的にな」
「けいかくてきってなに?」
「お前にはまだ難しい概念だ」
「にゃーっ!」
よし。
電力よし。
備蓄よし。
外は寒い。
ならば次に必要なのは決まっている。
「インフラの冬支度は、ひとまず終わった」
俺は高く積まれた備蓄の山と、安定した緑色を保つ電力表示を見比べながら、深く、そして満足げに息を吐いた。
「電力よし、食料よし、断熱と予備電源も完璧だ。これで俺たちは、吹雪に閉ざされても余裕で生き残れる」
「つまり、もうガタガタ震えずに済むってことかい?」
ガランが、待ちきれないとばかりに目を輝かせてこちらを見る。
「ああ」
俺は力強く頷き、あえてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「だが、ただ生き延びるだけなら森の獣と同じだ。ここからはサバイバルじゃない。――『快適性』という名の、果てなき欲望の追求だ」
「おお! 待ってたよそれを!!」
ガランが本日一番の、腹の底から響くような元気な声を上げた。
「ようやく、できる男の顔から坊やらしく『どうしようもなく怠惰な顔』に切り替わったねぇ!」
「俺らしさの評価基準、底辺すぎない?」
「だが、安心感はある」
いつの間にか話を聞いていたロエンが、真顔で深く頷いた。
「お前が極限の怠惰を目論んでいる時、この村は最も安全になるからな」
「だからどういう信頼のされ方だよ」
俺はやれやれと肩をすくめ、全員をリビングの中央へと誘導した。
「というわけで、次に用意するのは冬の『最終防衛ライン』だ」
「最終、防衛ライン……?」
シルフィがピクリと眉をひそめ、エルマがビクッと肩を震わせた。
「ま、まさか……! 炎の精霊王を幽閉した超広域殲滅魔道具ですか!?」
「違う。もっとタチが悪い」
俺はわざと声を潜め、勿体ぶって告げた。
「外の寒さを完全に忘れさせ、人間の活動意欲を根本から奪い去り、一度捕まれば二度と立ち上がりたくなくなる……極めて危険な暖房器具だ」
「……恐ろしいな。精神に直接干渉し、闘争心を削ぐ罠か」
ロエンが腕を組み、ゴクリと喉を鳴らす。
「こわいやつ? たべられる?」
「食えないし、怖くはない。ただ、足を踏み入れたら最後、全ての戦意がとろけて消えるだけだ」
俺の言葉に、ガランすらゴクリと生唾を飲んだ。
だが、一人だけ騙されないエルフが、冷ややかな目を向けてくる。
「……おい、コウタ」
「なんだ」
「それ、本当に『防衛』なのか? 話を聞く限り、むしろ我々が全滅する未来しか見えないのだが」
「外の脅威から身を守るんじゃない。俺の『引きこもり生活』を守るという意味では、これ以上ない完璧な防衛陣地(要塞)だ」
「言葉遊びで自堕落を正当化するな」
*
冷え込みがさらに増した夕暮れ時。
俺は、電力が潤沢になったログハウスのリビング中央へ、冬の最強にして最凶の兵器を展開した。
「購入」
青白い光と共に現れたのは、リビングのかなりの面積を占める特大サイズの四角いテーブル。
その上には分厚くふかふかの布団が掛けられ、下には赤く光るヒーターが備え付けられている。
「……なんだい、この大きな机は?」
ガランが布団の端をつまむ。
「なぜ机が布団を被っているんだ?」
「これは『コタツ』だ」
俺は満面の笑みで言った。
「まあ騙されたと思って、靴を脱いで布団の中へ足を入れてみろ」
半信半疑のまま、ガラン、シルフィ、エルマ、ミリィ、ロエンがそれぞれコタツへ座る。
そして、おそるおそる足を入れた。
「…………」
瞬間。
五人の動きが、ぴたりと止まった。
「な、なんだいこれは……!」
最初に口を開いたのはガランだった。
「机の下が、信じられないくらい暖かい! 温泉に足だけ浸かってるみたいだよ! いや違う、もっと危険だ! この暖かさ、足から入って全身を内部から溶かしてくる!」
「危険って言いながら全然出る気ないな」
「出たくないから危険なんだよ!」
「……恐ろしい魔道具だ」
シルフィがいつもの涼しい顔を完全に崩し、頬を染めて天板へ突っ伏した。
「足元から伝わるこの柔らかな熱……。一度入れば二度と立ち上がりたくなくなる。私のエルフとしての矜持が、この四角い空間に吸い込まれていく……」
「最近お前、だいたい新しい文明に負けてるな」
「コウタの出すものが悪い」
「それは理不尽だ」
「にゃあぁぁ……あったかーい……」
ミリィは完全に野生を失っていた。
コタツの中でとろけ、毛玉みたいに丸まっている。
ポテトに至っては、一番熱源に近いヒーターの真下へ潜り込み、完全に液状化して「キュルルル……」と喉を鳴らしていた。
「コウタ様!」
エルマが震える声を上げる。
「この『こたつ』という結界、あまりにも危険です! 暖かさと心地よさが、人の活動意欲を根本から根絶やしにします! 私、もう一生ここから出られません!」
「一生は困る。風呂の時くらいは出てくれ」
「その時だけ誰か抱えていってください……」
「ダメ人間の完成が早すぎる」
「……コウタ」
ロエンすらも、肩まで布団を引き上げながら低く言った。
「お前の故郷の人間は、冬を越すためにこのような甘美な罠を自ら作り出したのか」
「ああ」
「恐ろしい種族だな」
「否定できない」
「だろ? さらにトドメだ」
俺はダメ押しとして、全員へふわふわのマイクロファイバー素材で作られた『着る毛布』を配った。
フード付き。全面的に堕落を支援する設計である。
「これを着たままコタツへ入れば、上半身の寒さも完全防御だ」
「待ちな」
ガランが着る毛布を羽織りながら、真顔で言った。
「これ、つまり……人間を二度と戦えなくする装備じゃないかい?」
「正しい」
「なんて恐ろしい兵器だ……!」
言いつつ、ガランは一番最初にフードまで被ってぬくぬくしていた。
着る毛布を羽織り、コタツへ沈み込んだ異世界人たち。
もはやそこに、元Aランク冒険者の戦士も、誇り高きエルフも、天才魔導士もいない。
いるのはただ、極限まで堕落したインドア派集団だけだ。
「よし」
俺は、コタツに沈み込んだ一同を見渡して満足げに頷いた。
ガランはフード付きの着る毛布に包まれ、完全に戦意を失っている。
シルフィは天板へ頬を預けたまま、エルフとしての誇りと睡魔の間で敗北寸前。
エルマは「これは精神支配系の結界です……」などと呟きながら、誰よりも深く布団へ潜っている。
ミリィは丸くなり、ポテトはコタツの中から鼻先だけを出して、ぬくぬくと喉を鳴らしていた。
もはやここにいるのは、歴戦の戦士でも、誇り高きエルフでも、天才魔導士でもない。
冬の魔道具に魂を売った、ただのぬくぬく集団である。
「これで防寒は完成だ」
俺は宣言した。
「外がどれだけ寒かろうと、このリビングだけは冬に屈しない」
「屈してるのは私たちの方では……?」
シルフィがかすれた声で言う。
「細かいことは気にするな」
俺はさらに《通販ウィンドウ》を開いた。
「そして、ぬくぬく空間が完成したなら、次に必要なものはひとつ」
「飯!」
ガランが即座に反応した。
「ごはん!」
ミリィも顔を上げる。
「温かい食事ですね!」
エルマの眼鏡がきらりと光った。
「ガウッ!」
コタツの中から、ポテトの顔がひょこっと飛び出す。
どうやら食欲は、文明のぬくもりと怠惰にも勝るらしい。
「そうだ」
俺は満面の笑みで頷いた。
「この最強のぬくぬく要塞で食う、最高の冬飯を始めるぞ」
*
俺は、ポータブル電源から延長コードを引っ張り、コタツの中央へ『卓上IHクッキングヒーター』を設置した。
そして、その上へ特大の土鍋をどんっと載せる。
「冬の鍋料理、その最高峰……『おでん』だ」
蓋へ手をかける。
全員の視線が集中する。異世界人たちは、いまだ「おでん」が何かを知らない。だからこそ、この瞬間のインパクトは大きい。
ぱかっ。
ホワァァァァァァ……!!
猛烈な白い湯気と共に、カツオと昆布の極上出汁の香りが、一気にリビングを支配した。
コタツで温まって緩んだ体へ、今度は暴力的な食欲の香りが直撃する。
反則だ。作ってる俺ですら腹が鳴る。
「おおおっ……!」
コタツから出られないガランが、首だけをぐいっと伸ばす。
「なんだいこの匂いは! カツオの出汁に、色んな肉や野菜の旨味が混ざって……胃袋が痙攣しそうだよ!」
「まあな。おでんにはロエンの畑で採れた大根をメインに、こんにゃく、ちくわ、ゆで卵、牛すじ串、そして餅入り巾着が入ってる」
俺は菜箸で、出汁をたっぷり吸い込んで飴色に染まった分厚い大根をつまみ上げた。
「まずはこれから食ってみろ。そして、この黄色い『からし』をほんの少しだけつけるのが大人の作法だ」
「……」
まずはロエン。自分の育てた大根を、箸で静かに割る。
すっ。
あまりにも軽く箸が入ったものだから、ロエンの眉がぴくりと動いた。そしてそのまま、大根を口へ運ぶ。
「……ッ!!」
狼耳が、ぴんと立ち上がった。
「……なんという柔らかさだ」
低く抑えた声の中に、確かな衝撃が混じる。
「箸が何の抵抗もなく沈んだ。だが、形は崩れない。……そして口に入れた瞬間、大根の繊維から熱く深い出汁の旨味が滝のように溢れ出してくる。大根の甘みと、出汁の塩気が完璧に融合している……!」
「だろ?」
「……俺の大根が、ここまで化けるとは」
育てた野菜が最高の料理になる瞬間、農家は弱い。
「おいしい!」
ミリィも大根へ食らいつく。
「おだいこん、とろとろ! おくちのなかで、じゅわーってなくなる! あついけどおいしい! あつい! でもたべる!」
「それを世間では猫舌と言う」
「ねこだけどねこじた!」
「そのまんまだな」
「だっははは! アタシはこの肉の串をもらうよ!」
ガランが牛すじ串を豪快に引き抜いた。
「んまァァァァァァァァイ!!」
即、絶叫。
「なんだいこれ! 肉の硬い筋がゼラチンみたいにトロトロじゃないか! 噛むたび牛の濃厚な旨味と出汁が混ざる! これだけで酒が無限に飲めるよ!!」
「ガウッ、ガウッ!」
ポテトもからしのついていない牛すじ串をもらい、夢中でハフハフと噛みちぎりながら、幸せそうに小さな炎をプクッと吐いた。
その横で、案の定エルマがやらかした。
「ひぃぃぃっ!!」
涙目で飛び上がる。
「か、からい! 痛い! 鼻の奥を雷の魔法で直接撃ち抜かれたような激痛がぁぁっ!!」
「だから少しだけって言っただろ!」
俺は慌てて水を渡した。どうやらエルマは、からしをマヨネーズか何かと勘違いして大根へ山盛り乗せたらしい。
ゴクゴクと水を飲み干したエルマが、涙目で俺を睨む。
「コ、コウタ様の嘘つき……! こんなの毒薬と同じです……!」
「いやお前の量がおかしいんだって」
「ですが……」
エルマは悔しそうに、もう一口大根を見つめた。
「このツンとした痛みの後に、出汁の甘さが際立って……悔しいですが、もう一口、からしをつけたくなります……!」
「学習したのかしてないのか微妙だな」
「刺激と旨味の奴隷ですから」
「自分で言うな」
「……この『たまご』も素晴らしいな」
シルフィが、出汁で茶色く染まったゆで卵を上品に半分へ割る。
黄身へ出汁を絡ませ、そのまま静かに口へ運んだ。
「黄身のほくほくした食感を、おでんの汁が見事に補っている。濃厚なコクが口の中へ広がっていく。……そしてこの巾着のようなものは?」
「餅入り巾着だ。油揚げの中に餅が入ってる」
「餅?」
シルフィが半信半疑でかじる。
次の瞬間、中からトロトロに溶けた白い餅が、びよーんと長く伸びた。
「な……っ!?」
シルフィが目を見開く。
「なんだこの、奇妙に伸びる白い物体は!? スライムか!?」
「スライムだったら食わせてない」
「だが、この挙動はかなり怪しいぞ」
「それは米を潰して練った『餅』だよ。熱いうちに食え」
「……む」
恐る恐るもう一口。
「……美味いな」
すぐに評価が反転した。
「油揚げに染みた出汁と、この餅の粘り気と甘み……。腹持ちもいい。おでんという鍋の宝箱の中で、堂々と主役を張れる存在だ」
「鍋の宝箱って表現、ちょっと好きだな」
温かいコタツの魔力で下半身を完全に支配されながら、熱々で極上のおでんを頬張る。
窓の外では冬の風が木々を揺らし、森の奥から冷たい気配が忍び寄っている。
だが、このリビングだけは別世界だ。
暖かく、明るく、そして幸せな匂いに満ちている。
「……あー、たまらん」
俺は自分の取り皿から、大根、卵、牛すじを順番に食べ、最後に出汁をすすった。
染みる。冬の入り口に立った体へ、これ以上ないくらい素直に染みる。おでんって、食べる暖房だなとしみじみ思う。
「コウタ様」
エルマが真顔で言った。
「この鍋、永久に維持できませんか?」
「できるわけないだろ」
「結界の一部として常設を……」
「おでん結界は聞いたことない」
「でも、この平和を守るには必要です!」
「理論が雑すぎる」
「だが気持ちはわかる」
ロエンが珍しく賛同した。
「これは冬の士気を著しく上げる」
「お前まで何言ってるんだ」
「現に上がっている」
おでんの鍋がかなり空になった頃には、全員すっかりコタツと出汁の奴隷になっていた。
「……まだ終わりじゃないぞ」
俺は鍋の残り出汁を見て、にやりと笑った。
「この極上出汁、最後までしゃぶり尽くす」
「まさか……!」
ガランが目を輝かせる。
「ああ。〆だ」
俺はうどんを投入した。
ぐつぐつと煮え、出汁を吸い、艶やかになっていく麺。
すでに鍋を十分味わった後なのに、香りだけでまた腹が空くから恐ろしい。
「ずるい……」
シルフィがぽつりと言う。
「なにがだ」
「おでんの時点で完成していたのに、そこからさらにうどんで締めるなど、勝ちを重ねすぎだ」
「文明の力だな」
「その一言で片づけるな」
全員でうどんまで平らげた頃には、もはや誰一人としてコタツから出る気力を残していなかった。
「……ふう。食った食った……」
ガランが着る毛布に包まったまま、天板へ突っ伏す。
「もう、アタシの人生にこれ以上の幸福はないよ……。寒くて、あったかくて、うまい……。最高じゃないか……」
「幸福の前じゃ人は単純になるんだな」
「……コウタ様……結界のメンテナンスは……明日にします……」
エルマも眼鏡を外し、完全にとろんとした顔で沈んでいく。
「からしで脳が刺激され、おでんで浄化され、こたつで堕落しました……おやすみなさい……」
「変な進化を遂げるな」
「にゃあぁ……コウタ、あったかいね……」
ミリィは俺の膝へ頭を乗せ、丸くなっていた。ポテトもすっかり満腹になったのか、ミリィの横で「キュ……」と鳴いて、静かな寝息を立て始めている。
シルフィは壁へ寄りかかりながら静かに目を閉じ、ロエンもまた、腕を組んだままコタツへ半分埋まり、うっすらと目を伏せていた。普段なら誰よりも警戒を解かなそうな男まで、この空間の前では無力らしい。
リビングに灯るのは、コタツヒーターの微かな赤い光と、ポータブル電源の液晶が放つ青いインジケーターだけ。
静かで、暖かくて、そして妙に安心する光景だった。
俺はちらりと表示を確認する。
バッテリー残量――『100%』。
それだけじゃない。
備蓄――二百五十日分。
結界――たぶん盤石。
コタツ――最強。
おでん――完売。
「……よし。これで、今年の冬は完璧だな」
小さく呟き、俺も着る毛布のフードを深く被る。
そしてそのまま、コタツの温もりへ全身を委ねた。
どんなに厳しい雪が降ろうと。どんな魔物が森を徘徊しようと。
俺が『通販スキル』で作り上げたこの要塞は、俺と、この騒がしくも大切な仲間たちを、絶対に安全に、そして最高に怠惰に守り抜いてくれるはずだ。
静かに忍び寄る冬の足音も、今の俺たちにとってはただのBGMでしかない。
むしろ歓迎しよう。寒ければ寒いほど、コタツもおでんも輝くのだから。
……まあ、問題があるとすれば一つだけ。
この冬、たぶん誰も、以前よりまともに働かなくなる。
「坊や……」
半分眠っていたガランが、もごもごと呟いた。
「なんだ?」
「明日も……おでん、あるかい……?」
「出汁足せば、たぶんな」
「……最高だね……」
その一言を最後に、リビングは静かな寝息へ包まれた。
外は冬。
中は天国。
引きこもりにとって、これ以上の勝利はなかった。




