第四十八話 獣人たちの秋探しと、豚汁と栗ご飯のぬくもり
ログハウスのペアガラス窓が、外気との温度差でうっすらと白く曇る季節になった。
森の木々はすっかり赤や黄色に染まりきり、冷たい風が吹くたびに乾いた落ち葉がカサカサと踊っている。
俺の異世界引きこもり拠点にも、本格的な秋の朝がやってきていた。
空気がぴんと張り詰め、吐く息がわずかに白く色づき始める早朝。
村の住人たちがまだ暖かい布団――通販で買った羽毛布団――の中でぬくぬくとまどろんでいる中、二つの影だけが、朝靄に包まれた静かな空き地で活動を始めていた。
狼獣人のロエンと、猫耳獣人のミリィである。
「……ミリィ。夜露で枝が滑る。あまり木の上ではしゃぐな」
プレハブ一号棟の前で冬野菜の土づくりをしていたロエンが、見張り台代わりの大木を見上げて声をかける。
「にゃはは! だいじょうぶ!」
枝の上から顔を出したミリィが、得意げに尻尾をぴんと立てた。
「わたしの肉球、ぜったいすべらないもん!」
言うが早いか、するすると幹を駆け下り、最後はふわりと軽い音を立ててロエンの隣へ着地する。
秋が深まるにつれ、獣人たちの毛並みも冬支度を始めていた。
ロエンの首元は以前にも増してふさふさになり、ミリィの尻尾は丸々と膨らんで、まるでタヌキそのものだ。
「……異常はないか」
「うん! けっかいの外も中も、しずか! むしの音しかしないよ!」
ミリィが胸を張って報告する。
「……そうか」
エルマの結界はほぼ完璧だ。
だが、ミリィの『匂いと音を感知する野生のレーダー』は、村の日常の平和を確認するための重要なルーティンになっていた。
結界の異常や、万が一のシステムの綻びを最も早く察知できるのは、案外この小さな猫獣人だったりする。
ロエンは無言で、ミリィの頭を大きな手でぽんぽんと撫でた。
「んにゃ……」
ミリィが喉の奥で小さく鳴く。
無口で強面なロエンだが、小さな同族にはとことん甘い。
父親というより、不器用な兄貴分といったところだろう。
「……さて。霜が降りる前に、大根へ囲いを――」
ロエンが再び土へ向き直ろうとした、その時だった。
ぴくっ。
ミリィのピンと立った猫耳が、北の森の方角へ微かに向いた。
同時に、小さな鼻がひくひくと朝の冷たい空気を嗅ぎ取る。
「……ロエン。におう」
「匂う? 魔物か?」
ロエンの雰囲気が一変する。
さっきまで鍬を握っていた農夫の姿は消え、歴戦の戦士の目になっていた。
「ううん、ちがう! 魔物じゃない!」
ミリィは鼻を上へ向け、もう一度すんすんと空気を吸った。
「なんか、甘くて、香ばしくて……でも、ちょっとチクチクするにおい!」
「チクチクする匂い……?」
ロエンも目を閉じる。
朝露。
湿った土。
落ち葉。
苔。
その奥に、確かに甘い香りが混じっていた。
「……確かに」
ロエンの鼻先がわずかに動く。
「……木の実か」
狼の鼻先がわずかに動く。
「しかも相当上等だ。糖をたっぷり蓄えた実の匂いがする」
「でしょ!?」
ミリィの目がきらっと輝いた。
「いこ、ロエン! コウタにおみやげ!」
「ガウッ!」
落ち葉の山から仔竜のポテトが飛び出してきた。
どうやら散歩中だったらしく、話を聞きつけるなり短い尻尾をぶんぶん振っている。
――コウタへの土産。
その一言に、ロエンの耳がぴくりと動いた。
安全な寝床。
温かい家。
そして、毎日信じられないほど美味い飯。
世話になりっぱなしでは、狼として落ち着かない。
「……よし」
ロエンは静かに頷いた。
「コウタたちが起きる前に、一仕事してこよう」
鍬を壁へ立て掛け、森へ向かって歩き出す。
「ポテト、お前も来るか」
「ガウッ!」
白い仔竜が元気よく駆け出した。
*
結界の境界線近く。
サク、サク、と落ち葉を踏む音が響く中、甘く香ばしい匂いは進むほどにはっきりしてきた。ポテトも鼻をふんふんと鳴らしながら、短い足で一生懸命についてきている。すでによだれが垂れそうだ。
「……この辺りだな。上だ、ミリィ」
「にゃっ!」
ミリィが近くの木へ飛びつき、するすると枝を登る。
そして、数秒後。
「ロエン、あった! すっごくいっぱいある! でも、トゲトゲだよ!」
「やはりな。あれは『鋼針栗』だ」
木の上を見上げたロエンが低く唸る。
そこには、普通の栗の三倍はあろうかという巨大なイガグリが、鈴なりに実っていた。
ただし、普通ではない。
そのイガは金属のような鈍い光沢を放ち、不用意に触れれば獣人の分厚い皮膚すら貫く。しかも落下する際、衝撃でイガを四方八方へ散弾銃のように爆散させるという、森でも屈指の凶悪な植物だ。
「……美味いのは間違いないが、収穫は命懸けになる代物だ」
「ええーっ!? じゃあ、たべられないの?」
「いや」
ロエンの目が、戦士のそれに変わる。
「獲る。コウタの恩に報いるためだ」
ロエンは腰の道具へ手をかけた。
「それに……俺には今、コウタから授かった『現代の神器』がある」
取り出したのは、コウタが「庭木の手入れに便利だから」とホムセンの通販で買ってくれた、現代日本の『超硬合金・ラチェット式剪定バサミ』。
そして、両手には『特殊防刃素材入り・極厚ガーデングローブ』が嵌められていた。
ファンタジーの鋼植物と、現代地球の園芸技術の対決である。
「ミリィ」
「うんっ!」
「作戦だ」
「おーっ!」
ロエンは腕を組み、戦場へ赴く将軍のような面持ちで森を見据えた。
「まず、お前が枝を揺らせ」
「うんうん!」
ミリィが真剣な顔で続きを待つ。
「以上だ」
「……おわり?」
「終わりだ」
「えぇぇぇぇっ!?」
ミリィが思わず両手を振り上げた。
「それ作戦じゃないよ! ただのおねがいだよ!」
「違う」
ロエンは静かに首を振る。
「作戦だ」
「どこが!?」
「揺らす役と受ける役を明確に分担している」
「それだけじゃん!」
「無駄がない」
「もっとあるでしょ!? 『みぎから回りこめ!』とか『あいずしたらとつげき〜!』とか!」
ミリィは両手でぶんぶん身振りを交えながら叫ぶ。
「なるほど」
ロエンは腕を組んだまま真剣に考え込み、
「では右から回り込み――」
「うん!」
「全力で揺らせ」
「変わってなーーい!!」
ぽかぽかぽか。
ミリィが頬を膨らませてロエンの腕を叩く。
ロエンは好きに叩かせながら、しばらく黙っていたが、不意にしゃがみ込み、ミリィと目線を合わせた。
「……ミリィ。よく聞け」
「むぅ?」
いつになく真剣な声だった。
「この鋼針栗は、並の者が近づけば揺らす前に爆ぜる」
「う、うん……」
「俺では枝まで辿り着く前に気配を悟られる」
「えっ」
「だが、お前なら違う」
ロエンは静かに言い切った。
「猫獣人だけが持つ、軽さ、しなやかさ、そして俊敏さ。お前だからこそ枝を揺らせる」
ミリィの耳がぴくりと立つ。
「……にゃっ!」
「この作戦は、お前がいなければ成立しない」
「……」
「お前だけに任せられる、最重要任務だ」
「さ……さいじゅうようにんむ……」
ミリィの瞳が、見る見るうちに輝き始めた。
「俺は落ちてきた栗を迎え撃つ」
ロエンは巨大な剪定ばさみを構える。
「お前は戦局を動かす最初の一手だ」
「……にゃふふ」
ミリィの口元がにやける。
「そんなにミリィがひつようなら、しかたないなぁ!」
さっきまでしょんぼり垂れていた尻尾が、ぴんっと真上へ立った。
「ぜったいしっぱいできないさいじゅうようにんむ!」
くるりと一回転し、
「ミリィ、いきまーす!!」
枝へ飛びついた。
ドサァァッ!!
頭上の巨大な栗が、一斉に降ってくる。
次の瞬間。
「来るぞ」
「ガウーッ!」
ドンッ!!
一つが空中で暴発し、無数の鋼の針がロエンへ向かって降り注ぐ。まさに全方位からの弾幕攻撃だ。
「……甘い」
ロエンは瞬き一つせず、防刃グローブを嵌めた両腕を交差させ、顔面への直撃を防いだ。
ガガガギィィィンッ!!
激しい火花が散る。
しかし、現代の科学力が結集された防刃グローブは、鋼の針を傷一つなく完全に弾き返した。
「(……なんという防御力だ! 鋼の針の豪雨を、涼しい顔で弾き返すとは!)」
ロエンは内心で戦慄した。
(コウタは言っていた……。『ホームセンターで買った』と)
つまり――
『ホムセン』という名の、伝説の園芸用品専門店。
(なるほど。日本という国では……ただの庭いじり(ガーデニング)でこれほどの致死の弾幕を想定せねばならないのか。あの国の『庭師』たちは、日々血で血を洗う生存競争を繰り広げる最強の戦闘民族に違いない!)
勝手な日本像がロエンの中で爆誕していたが、動きは止まらない。
弾幕を凌いだロエンが、大地を蹴って跳躍する。
右手には『ラチェット式剪定バサミ』。
「ハァッ!!」
ガチャンッ!!
剪定バサミが、硬度を誇るイガグリの中心部へ食い込む。
てこの原理を極限まで利用したギアの力が、力任せではなく『構造』で鋼の繊維を粉砕した。
爆散機構を失い、ぱかっと開いたイガの中から、艷やかな茶色の巨大な実だけを左手で抜き取る。
「ふっ……日本の庭師の道具(武器)、見事だ」
その直後、ポテトが短い首をいっぱいに伸ばし、落下してくる別の鋼針栗に向けて小さな炎の息を放った。
「ガウ!」
ゴォォッ!
炎に包まれた鋼のイガが、熱でポロポロと脆く崩れ落ちる。中からこぼれ落ちた実を、ポテトが器用に前足でキャッチした。
絶妙な火加減により、ほんのり焦げ目のついた「こんがり焼き栗」の完成である。
「ガウ♪」
ポテトはご機嫌に尻尾を振り、そのまま大きな口を開けて食べようとする。
「待て」
ロエンが首根っこをひょいと掴む。
「ガウ?」
「それはコウタへの土産だ」
「ガウゥ……」
ポテトはわかりやすくしょんぼりし、栗をカゴへコロンと入れた。
三秒後。
ロエンがハサミで別の栗を割っている隙に、ポテトがまた別の栗を焼く。
「ガウ♪」
「待て」
「ガウ……」
五秒後。
また焼く。
「待て」
「ガウ……」
十秒後。
ロエンが振り返る。
「待て、と――」
ポテトはもう口をもぐもぐさせていた。
「……」
「ガフッ!」
「食ったな」
「……ガウゥ?」
「否定しても無駄だ」
ロエンはしゃがみ込み、ポテトの口元を指差す。
「栗が付いている」
ポテトは一瞬だけ固まる。
そして何事もなかったように前足で口元をぬぐった。
「ガウッ!!」
「証拠隠滅まで覚えたか……」
それからは、完全にロエンとポテトの独壇場だった。
ロエンは降り注ぐ鋼の弾幕を防刃グローブで受け止め、剪定ばさみで次々と鋼針栗を無力化していく。
ポテトは援護射撃と称して炎を吐き、ロエンの目を盗んでは焼き栗を量産し、盗み食いする。
ミリィは木の上で「いっけー! さいじゅうようにんむー!」と枝を揺らし続ける。
もはや栗拾いではない。
前衛、遊撃、後方支援が完璧に機能した、ただの収穫作戦である。
……なお、戦果は背負い籠いっぱいの栗と、ポテトの丸く膨れた腹だった。
*
「お、ロエン、ミリィ。随分早起きだな。朝飯できてる……って、うおっ!?」
寝巻きにカーディガンという気の抜けた格好でログハウスから出てきた俺は、ロエンの背負っているカゴの中身を見て思わず声を上げた。
ソフトボールくらいありそうなツヤツヤの巨大栗が、山のように積まれていたのだ。
「コウタ! おみやげ! わたしとロエンとポテトで、もりでとってきたの!」
ミリィが尻尾をぶんぶん振り回す。
ポテトも自慢げに、少し焦げた栗を前足でコロコロと転がしている。
「……いつも美味いものを食わせてもらっている礼だ。激戦だったが、コウタの授けてくれた武具(園芸用品)のおかげで無傷で済んだ」
激戦? 武具?
ただ栗拾いに行っただけだよな?
相変わらずこいつらは時々よくわからないことを言うが、このサイズの栗はスーパーでもお目にかかれない。むしろ売り場に並んだら別の意味で通報されるレベルだ。
「ありがとな。よし! せっかく極上の栗を獲ってきてもらったんだ。今日の昼飯は、秋の最強和食膳を作るぞ!」
俺の宣言に、プレハブから寝起きのガランが「飯だって!?」と顔を出し、シルフィも本を閉じてやって来た。耳の早さが、村の防衛結界より優秀かもしれない。
「栗か」
シルフィが大きな栗をつまみ上げる。
「味は絶品だが、皮を剥くのが地獄の木の実だな。私も昔、栗剥きのクエストで爪を三枚持っていかれたねぇ……。これほどの量を手で剥くとなると、指先が血塗れになるぞ」
「ああ。だからこそ、これの出番だ」
俺は空中に『通販ウィンドウ』を呼び出した。
栗料理において現代人が最も忌み嫌う作業――鬼皮と渋皮剥き。あれを解決する神アイテム。
「購入」
テーブルの上へ現れたのは、ハサミのような形をした奇妙なステンレス製の道具。
現代日本の主婦の味方、栗の皮むき専用バサミ『栗くり坊主』だ。
「見てろって」
巨大な栗を一つ手に取り、『栗くり坊主』のギザギザの刃を食い込ませ、もう片方の刃で、リンゴの皮のようにスルスル剥いていく。
カチャッ、カチャッ。
わずか数秒で、鬼皮も渋皮もまとめて消え、黄色くつややかな果肉だけが姿を現した。
「……なんだとっ!?」
一番驚いたのはロエンだった。
「あんなに張り付いて剥がしにくい栗の皮が……紙のように剥けていく……! なんという神具だ……! コウタ、貴様は我々を皮剥きの呪いから解放したのだ……!」
「大げさだな。これ、栗の皮を剥くためだけに作られた専用ツールだからな」
「……たかが木の実の皮を剥ぐためだけに、これほどの金属加工技術を注ぐのか。地球の職人たちは狂気だな」
「専用ツールへの評価が、毎回いちいち世界の真理に届くのやめろ」
ロエンが戦慄したような顔で『栗くり坊主』を受け取り、凄まじい集中力で次々と栗を裸にしていく。
先ほどの鋼の弾幕を平然と捌いていた男が、今は完全に栗剥き職人の顔をしている。
その横で、俺は今日の主役その二――汁物の準備に取りかかった。
「今日は、豚バラ肉と根菜たっぷりの『豚汁』を作るぞ」
「よし、勝った」
ガランが即答した。
何との勝負だったのかは、誰も聞かないことにした。
大きな鉄鍋へごま油を引き、鹿児島県産の黒豚バラ肉を投入する。
ジュワァァァァッ!!
豚の極上の脂が溶け出し、ごま油の香ばしさと混ざり合って、タープの下へ暴力的な香りが立ち込めた。
「おおおっ……!」
ガランが前のめりになる。
「なんだいこの匂いは! すでに丼飯が三杯いけるよ!」
「落ち着け、まだ序盤だ」
肉の色が変わったところで、乱切りにした大根、にんじん、里芋、ごぼうを投入。豚の脂をまとわせるように炒め、極上カツオ出汁をどばっと注ぎ込む。
グツグツ煮込んで根菜が柔らかくなったところで、最後に合わせ味噌を溶かし入れた。
ホワァァァァ……!
大豆の発酵した深い旨味、出汁の香り、豚肉の脂の甘さ。
それらが一気に溶け合い、村じゅうへ広がっていく。
「にゃあぁぁ……! すっごくいいにおい! おなかすいたー!」
ミリィが鍋の周りをそわそわ歩き回る。
横の土鍋では、剥きたての大栗を、塩と昆布出汁でふっくらと炊き上げた『栗ご飯』が、ふつふつと湯気を立てていた。
ほくほくと甘い香りが漂うたび、ポテトは小さな鼻をひくひくと鳴らしながら土鍋の周りをぐるぐる回る。尻尾は高速でぶんぶん振られ、今にも飛びつきそうな勢いだ。
「よし、炊き上がったぞ! 秋の最強定食、完成だ!」
*
全員の箸が、一斉に伸びた。
まずは主役の栗ご飯。
ロエンは大粒の栗と、昆布出汁をたっぷり吸った白飯を一緒に口へ運ぶ。
ほくっ。
「……ッ!」
その瞬間、狼耳がぴんっと真上へ立った。
「……なんという甘さだ。ほのかな塩気と昆布の旨味が、栗本来の甘味をここまで引き立てるとは……」
「おいしいー!」
ミリィも夢中で頬張る。
「ガウッ! ガウガウッ!」
ポテトも、冷ましてもらった素焼き肉と栗を交互にはふはふ頬張り、あまりの美味しさに口の端からぷすっと小さな火を漏らした。
「そして……この汁だ!」
ガランは待ちきれないように豚汁をすすった。
「んんんんんッ……!」
一拍置いて、
「んまァァァァァァいッ!!」
椀を掲げたまま天を仰ぐ。
「豚の旨味が野菜へ染みて、野菜の甘味が出汁へ溶けて、それを味噌が全部まとめ上げてる! 五臓六腑って本当にあったんだねぇ!」
「……エルフの森の澄み切ったスープより、この豚汁の濁りの方が尊い気がしてきた」
シルフィもごぼうを咀嚼しながら、悟りを開いたような顔で呟く。
「お前、それエルフ族の総意として言って大丈夫なのか」
「個人の見解だ。だが、撤回する気はない」
「コウタ様ぁぁぁ……!」
そこへプレハブの扉が勢いよく開いた。
徹夜明けで髪をぼさぼさにしたエルマが、匂いだけを頼りにふらふらと現れる。
完全にゾンビである。
彼女は吸い寄せられるように豚汁へ飛びつき、一口すすった。
「あぁぁぁ……!」
顔色がみるみる良くなっていく。
「灰色だった脳みそに色が戻っていきますぅぅ……!」
「脳の色で体調を表現するな」
「この汁、水筒に入れて常備したいです!」
「塩分で別の病気になるから却下」
「研究室に点滴設備を――」
「なおさら却下」
俺も豚汁をすすり、栗ご飯を頬張る。
黒豚の脂の甘さ。
ほろりと崩れる大根。
ほくほくとした栗。
「……ああ」
思わず息が漏れた。
「これは、胃袋に染みるな」
秋の冷えた空気だからこそ、この一杯がたまらない。
湯気に目を細めていると、
「……コウタ」
隣のロエンが静かに俺を呼んだ。
空になった椀を両手で包み込み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺とミリィは、獣人というだけで迫害され、森を彷徨っていた。あの頃は、生き延びるだけで精一杯だった」
ミリィも箸を止め、小さくロエンの袖を握る。
「だが今は違う」
ロエンは真っ直ぐ俺を見た。
「誰にも怯えず、安全な家で、仲間と笑いながら腹いっぱい飯を食える」
深く頭を下げる。
「……コウタ。本当に感謝している。この恩は、一生かけて返そう」
足元では、満腹になったポテトがロエンのブーツへ身体を預け、気持ち良さそうに喉を鳴らしている。
タープの下に、静かな空気が流れた。
俺は照れくさく頭を掻く。
「いや、そんな改まって礼なんて――」
――ドォンッ!!
テーブルが震えた。
「坊やァァァァ!!」
「うおっ!?」
ガランが勢いよく立ち上がっていた。
「栗ご飯おかわり!! 豚汁も大盛り!!」
「今それ言う!?」
「感動したから腹が減った!」
「理屈が意味分からん!」
「感動と食欲は別腹だからね!」
「その別腹、何個あるんだよ!」
すると俺の目の前へ、すっと茶碗が差し出された。
見ると、さっきまで感謝の言葉を口にしていたロエンだった。
「……俺も、大盛りで頼む」
「お前もかよ!」
「コウタへの恩は決して忘れない」
「うん」
「だが、腹は減る」
「名言っぽく言うな!」
「わたしもおかわりー!!」
「ガウッ!」
「私も追加で頼む」
「はいはい、全員分あるから落ち着け!」
俺は笑いながら土鍋の蓋を開ける。
ふわりと立ち上る栗ご飯の甘い香り。
それだけで、みんなの目が輝いた。
秋風がタープを揺らし、豚汁の湯気がゆっくり空へ溶けていく。
笑い声と、美味い飯。
この異世界で一番温かい場所は、きっとこの家だったと思う。
――なお、翌朝。
ロエンが真顔で、
「鋼針栗は、まだ七割残っている」
と言い出した。
「……え?」
「第二次収穫作戦を開始する」
「待て。昨日ので終わりじゃなかったのか?」
「冬は長い」
その一言で全員が黙った。
結局その日も、俺たちは再び命懸けの栗拾い――もとい、ロエンの中では『対鋼針栗掃討戦・第二次作戦』へ駆り出されることになるのだった。




