第四十七話 昔の仲間と、名も無き村の極上の接待(霜降りのすき焼き)
真夏の焼けつくような暑さはいつの間にか姿を消し、森はすっかり秋色へ染まり始めていた。
冷たい風が木々を揺らし、落ち葉がさらさらと地面を転がる。
エルマの『絶対不可視の多重防衛結界』に守られた俺の村も、今日ばかりはどこかのんびりした空気に包まれている。
ロエンは畑で冬野菜の支度。
シルフィはハンモックで読書。
ミリィはポテトと落ち葉へ飛び込んではしゃいでいた。
俺はキャンプチェアでほうじ茶を飲みながら電子書籍を読む。
「静かだなぁ……」
異世界へ来て半年。
俺の理想とする、誰にも邪魔されない完璧な引きこもり生活は、ほぼ完成の域に達していた。
「……そこだぁっ! 喰らいなッ!」
プレハブ一号棟から、ガランの野太い大声が響き渡る。
「……そりゃっ! そこだ、甘いよ! だっははは! アタシの大剣の錆にしてやる!」
……前言撤回。
まったく静かではなかった。
……ただ一人を除いて。
開け放たれたプレハブの窓からは、ガランの豪快な笑い声と、コントローラーのボタンを乱打する激しい音がだだ漏れになっている。
最近のガランは、俺が通販で買ったオープンワールドRPG『モンスターギガハント』にどっぷりハマっていた。
巨大な魔物を狩り、武器を作り、さらに巨大な魔物を狩る。それだけのゲームなのに、なぜあそこまで本気で叫べるのか、未だに謎だ。
かつて命懸けでダンジョンへ潜っていた元Aランク冒険者は、今では安全な室内で狩りを楽しむ立派なインドアゲーマーである。
しかも異様に上手い。回避もコンボも、ゲーム歴十年になるこっちが置いていかれるレベルだ。
実戦で培った反射神経をボス戦に全投入するのはずるいと思う。
「……まあ、平和だな」
俺はほうじ茶のおかわりを淹れようと立ち上がった。
その時だった。
『ピンポーン♪ パンポーン♪』
リビングのテーブルに置いてある、結界の外と繋がるインターホンの親機が、軽快なメロディを奏でた。
「ん? トムじいか? 今日は来る予定じゃなかったはずだが」
俺は親機の『通話』ボタンを押し、液晶モニターを覗き込んだ。
だが、そこに映っていたのは見慣れた初老の商人ではなく――全身を鎧やローブで固めた、いかにも歴戦の猛者ですと全身で主張してくる三人組の男女だった。
『……おい。本当にこんな何もない森の木に張り付いている黒い箱が、あの噂の隠れ家の入り口なのか?』
『トムという商人を捕まえて酒場で締め上げて吐かせた場所だもの。間違いないはずよ。それに、微かだけど尋常じゃない魔力の壁を感じるわ』
『ガラン……本当にこんな場所にいるのか?』
モニター越しに聞こえてくる会話に、俺は思わず眉をひそめた。
おい。
トムじいを捕まえた?
しかも「締め上げて吐かせた」って、ずいぶん物騒な導入だな、おい。
「ガラン! ちょっと来てくれ!」
俺がプレハブ一号棟へ向かって叫ぶと、プレハブからのっそりと、たっぱのでかい女戦士が出てきた。
首にタオルを掛け、片手にはゲームコントローラーを握ったままだった。
「なんだい坊や。今ボス戦だったんだけど」
誰が想像するだろう。
このだらしない格好の女が、かつて王国屈指のAランク冒険者だったとは。
「お前の知り合いっぽいやつらが来たみたいだぞ」
「どれどれ……ん?」
ガランがモニターを覗き込んだ瞬間、その目が大きく見開かれた。
「あっ……こいつら!」
「やっぱり知り合いか?」
「ああ、アタシが昔組んでたAランクパーティ『紅蓮の牙』の連中さ。リーダーで剣士のアルド、魔法使いのリナ、盗賊のザックだ」
「おお、元パーティメンバー」
「……なんでこいつらが、アタシの居場所を知ってるんだい」
ガランは腕を組み、露骨に顔をしかめた。
懐かしさがゼロではないのだろうが、それ以上に「面倒なのが来た」という感情が完全に勝っている顔だ。
「どうする? 居留守使って追い返すか?」
「いや……」
ガランは短く息を吐く。
「こいつら、一度狙った獲物は逃さない狩人タイプでね。無視したら結界の周りを一生ウロウロするよ」
「それはそれで最高に鬱陶しいな」
「だろ? だから中に入れて、ここでさっさと話をつけた方が早い」
俺はスマホアプリを操作し、結界の入り口を一時的に解除した。
モニターの中で、三人の目の前の空間がスーッと割れ、俺たちの村の光景が現れる。
『な……っ!? 空間が割れた!?』
『やっぱり高位の幻術結界……!』
『武器を抜け! 何が出てくるかわからんぞ!』
三人は警戒度マックスのまま、武器へ手をかけて結界の内側へ足を踏み入れてきた。
だが、そこで彼らを迎えたのは、魔王の居城でも禁忌の祭壇でもない。
綺麗に切り揃えられた木材のログハウス。
無機質で純白なプレハブ小屋。
太陽光をギラギラと反射するソーラーパネル。
のどかに揺れるハンモック。
物々しい構えのまま突入した三人は、その謎すぎる光景を前に、揃って「……あれ?」という間抜けな顔になった。
「よう。久しぶりじゃないか、アルド、リナ、ザック」
ガランが片手を上げると、三人の表情が驚愕から安堵、そして再び驚愕へと、ものすごい勢いで変化した。
「ガ、ガラン! 無事だったか!」
金髪の剣士――アルドが、目を見開いたまま駆け寄ってくる。
「街で妙な噂を聞いたんだ! 凄腕の女戦士が、森の奥で悪しき大魔導士の結界へ囚われ、奴隷のように働かされていると! 俺たちは、お前を救出しに来たんだ!」
「は?」
ガランがぽかんと口を開けた。
俺も思わず隣で真顔になった。
奴隷?
誰が?
この日中からゲーム三昧のニート女戦士がか?
どうやらトムじいから漏れた断片的な情報へ、
酒場の尾ひれ。
冒険者の妄想。
吟遊詩人の脚色。
この三つが見事に合体した結果、
『大賢者の魔窟へ囚われた悲劇の女戦士』
という、三流英雄譚が完成してしまったらしい。
伝言ゲームを三周くらいすると、情報とはここまで歪むものなのか。
「ま、待ちなアルド。奴隷ってなんだい。あたしはここで、自分の意志で暮らしてるんだよ」
「騙されないで、アルド! 見なさい、この異常な風景を!」
魔法使いのリナが、杖を震わせながら周囲を指差した。
彼女たちの目に映るのは、ファンタジー世界の常識から明らかに逸脱した光景の数々だ。
ウィーンと音を立てて回る空調服を着て畑を耕す狼獣人。
ポテトチップスをかじりながら漫画を読むエルフ。
落ち葉へダイブして火を吹く仔竜とおまけの猫獣人。
そして、寝癖のままあくびをしている黒ローブの魔導士。
……うん。
俺でも初見なら一目散に逃げる。住んでいる俺たちの感覚がどれだけ麻痺しても、外から見たときの絵面のヤバさは消えないらしい。
「魔力を一切感じないのに、この異常な建造物の数々……!」
リナが言い切る。
「間違いないわ! 古代の精神支配魔法で、ここにいる者たちは思考を奪われているのよ!」
「ガラン、目を覚ませ!」
今度は盗賊のザックがダガーを抜いた。
「お前は誇り高き『紅蓮の牙』のメイン盾だろうが! 今、俺たちがその元凶を断ち切ってやる!」
三人の鋭い殺気を帯びた視線が、なぜか一直線に俺――ただの小市民的引きこもり――と、寝癖頭であくびをしているエルマへ向けられた。
「……え、俺?」
「……私ですか?」
エルマも寝ぼけ眼のまま、きょとんとして自分を指差している。
「いや待ってください、私ただ今起きたところなんですが!」
「黒ローブで寝癖って、黒幕としてだいぶ締まらないな」
俺がぼそりと呟くと、エルマがむっとした顔で抗議した。
「締まらないとはなんですか! 今の私は起き抜けなだけで、普段はもっと禁忌の大魔導士っぽい威厳があります!」
「自分で言うな」
「……おいおい、穏やかじゃないねぇ」
そこで、ガランが一歩前へ出た。
武器すら持っていない、ただのラフなTシャツ姿。
それなのに、彼女が前へ立った瞬間、場の空気がぴしっと張りつめる。
やっぱり、この女は本物の前衛だ。
「剣を収めな、アルド。アタシは正気だし、ここはアタシにとって最高の『家』なんだ。こいつらへ危害を加えるってんなら、かつての仲間といえど容赦はしないよ」
アルドが悔しそうに歯を食いしばる。
「ガラン……お前、そこまで……!」
「そこまでだよ」
リーダーのアルドは、しばらく葛藤した末、ようやく剣の切っ先を下ろした。
だが、その表情にはまだ焦りが残っている。
「だが、お前には戻ってきてもらわなければ困るんだ!」
「ん?」
「俺たちは今度、王国の勅命で北のゴバル平原に棲む『ワイバーン』の群れの討伐クエストを受けることになった! お前の大盾と豪快な斧がなければ、前衛が持たないんだ!」
「お願いよガラン!」
リナも必死に訴える。
「こんな森の奥でくすぶってるなんて、あなたの才能の無駄遣いよ! また一緒に、ダンジョンでヒリヒリするような冒険をしましょう!」
「そうだぜ!」
ザックも身を乗り出す。
「俺たち四人なら、凶悪なワイバーンだって落とせる! 昔みたいに、でっかい獲物を狩って、山分けして、酒場で朝まで騒ごうぜ!」
冒険者としての栄光。
かつての仲間との絆。
強敵との死闘。
普通なら、胸が熱くなる展開だろう。
ここで「行こう!」となってもおかしくない。
だが、ガランは腕を組み、ふーっと長いため息をついた。
「……悪いね。アタシはもう、そういう泥臭い冒険は引退したんだ」
「い、引退だと!?」
アルドが目を剥く。
「まだ三十前だろう!?」
「若いからこそ、快適な人生に早く気づけたのさ」
「なにその悟り方!?」
ガランは肩をすくめ、にやりと笑った。
「今はこっちの『冒険』で忙しくてね。ワイバーンよりずっと強いエンシェントドラゴンの討伐クエストが、あっちの世界でアタシを待ってるんだよ」
ガランが親指で背後を指差す。
プレハブ一号棟の窓から見える大型テレビの画面。そこには、さっきまで彼女が戦っていたゲームのボス――巨大な竜の威容が映し出されていた。
「な、なんだあの光る箱は!?」
アルドがぎょっとする。
「箱の中で、極彩色の小人が動いているぞ!?」
「やはり魂を封じられているんだわ!」
リナが叫ぶ。
「おい、そこの黒髪の男! お前が黒幕か!」
「なんで毎回俺なんだよ!?」
アルドが再び剣を抜き、俺の鼻先へ切っ先を向けてきた。
俺は思わず一歩下がる。
だが、それより早く、俺の優秀すぎる同居人たちが動いた。
「……俺の畑を踏み荒らす気なら、その腕、切り落とすぞ」
音もなく、ロエンが鍬を持ったままアルドの背後へ回り込んでいた。
低い声。
静かなのに、ぞっとするほど重い殺気。
「……コウタに剣を向ける者は、エルフの矢が許さん」
シルフィはすでに、リナの眉間へぴたりと矢の照準を定めている。
その目は微塵も笑っていない。
完全に獲物を仕留めるハンターの目だ。
「グルルルルル……ッ!」
ポテトまで、小さな口の奥にチロチロと高熱の炎をちらつかせながら唸っている。
さっきまで落ち葉に突っ込んで遊んでいた無邪気な仔犬が、一瞬で「火竜モード」に切り替わっていた。
「ヒッ……!?」
歴戦のAランク冒険者であるはずの三人が、次元の違う殺気へ一瞬で青ざめ、完全に硬直する。
「やめな、お前らじゃロエンとシルフィには逆立ちしたって勝てないよ」
ガランが呆れたように言った。
「それとポテトに火を吐かれたら、見た目以上に面倒だよ」
「まあまあ、ストップだ」
俺は慌ててパンパンと手を叩き、一触即発の空気をなだめる。
「ロエンもシルフィも、武器を下ろしてくれ。せっかく遠くの街からガランを心配して来てくれたんだ。ここで血を見るのは後味悪いだろ」
「……コウタがそう言うなら」
シルフィがゆっくり矢を下ろす。
「畑に被害が出ないなら従う」
ロエンも短く答え、鍬を引いた。
俺はやれやれと息を吐き、改めてアルドたちに向き直った。
「ちょうど昼飯時だし、食っていけよ。ガランの今の生活を見れば、洗脳なんかじゃないってすぐわかるさ」
「……飯だと? 毒でも盛る気か!」
ザックが身構える。
「だっははは! 騙されたと思って食ってみな!」
ガランが腹を抱えて笑う。
「アタシも最初はビビったけど、この男の出す飯に外れは絶対にないよ!」
「お前、説得の仕方が雑すぎるだろ」
「でも一番効くだろ?」
「否定はできない。実際こうやって今までだいたいの来客はうちの飯で陥落してるからな」
*
アルドたち三人は、警戒こそ解いていないものの、いつの間にかタープの下のテーブルへ並んで座らされていた。
……いや、「座らされた」という表現がこれ以上なく正しい。
ガランが半ば強引に椅子を引き、ザックの肩をぐいっと押して座らせ、アルドの剣をひょいと取り上げて壁へ立てかける。リナには「まあ座んな」と豪快に笑いかける。
元仲間だからこその遠慮のなさである。
「さて、秋にみんなで鍋を囲むなら――これしかないな」
俺は空中へ半透明の『通販ウィンドウ』を展開した。
野営の干し肉や保存食に慣れきった冒険者たちの胃袋を、一撃で陥落させる切り札。
現代日本が誇る最強クラスの鍋料理――すき焼きの出番だ。
青白い魔法陣が輝き、卓上カセットコンロと重厚な鉄鍋が現れる。
続いて、黒い高級トレイへ美しく並べられた『最高級・霜降り和牛』。
白ネギ、焼き豆腐、しらたき、春菊。
そして最後に、艶やかな殻をまとった新鮮な生卵。
「な……なんだ、その肉は……」
アルドの目が、一瞬で霜降り和牛へ釘付けになった。
赤身へ細やかに入り込んだ純白の脂。
まるで雪が降り積もったようなその美しさは、塩漬け肉や硬い魔物肉しか知らない彼らにとって、もはや芸術品だった。
「白い脂が……こんなに細かく……」
リナが思わず息を呑む。
「こんなお肉、王都の貴族街でも見たことない……」
「おいおい、本当に食える肉なんだろうな? 病気で白くなったとかじゃないだろうな?」
ザックが盗賊らしく疑いの目を向ける。
「失礼だな。最高級の黒毛和牛A5ランクだぞ。健康そのものだ。ただ値段だけは病気みたいに高い」
「そうそう」
ガランが待ちきれない様子で頷いた。
「坊やの国の牛肉はねぇ、歯がいらないくらい柔らかいんだよ」
「まあ見てろ」
俺はコンロへ火を入れ、熱した鍋へ牛脂を滑らせる。
じゅわっと溶けた脂が鉄鍋いっぱいに広がり、それだけで甘い香りが立ち上った。
白ネギを並べ、表面へ香ばしい焼き色を付ける。
そこへ主役の霜降り和牛を一枚ずつ丁寧に広げた。
――ジュワァァァァァッ!!
極上の脂が一斉に溶け出し、肉の焼ける音が秋空へ響き渡る。
甘く濃厚な香りが一気に広がり、タープの下を支配した。
「お、おお……!」
ザックが思わず身を乗り出す。
「匂いだけで腹が鳴る……!」
「わかる! これ、匂いだけでご飯三杯いけるやつよ!」
リナがテーブルを叩いた。
肉へほどよく焼き色がついたところで、俺は醤油、砂糖、酒で作った特製の割り下を豪快に流し込む。
グツグツグツ……。
鍋の中で煮立つ甘辛い香り。
醤油の香ばしさ。
砂糖の深い甘み。
牛脂の濃厚な旨味。
すべてが混ざり合い、理性を直接殴ってくるような凶悪な匂いへ変わっていく。
「くっ……!」
アルドが苦しげに顔をしかめた。
「この匂い……反則だろ……」
「飯に反則も何もないだろ」
「あるわよ!」
リナまで額へ汗を浮かべていた。
「こんなの抗えるわけないじゃない!」
「よし。次は野菜を入れる。その間に器へ卵を割って溶いてくれ」
「生卵ですって!?」
リナが素っ頓狂な声を上げた。
「鳥の卵を生で食べるなんて、お腹を壊すに決まってるじゃない!」
「まあ、この世界ならそう思うよな」
俺は苦笑する。
「でも安心しろ。俺の国じゃ安全に生で食べられるよう管理されてる。すき焼きは、この卵があって初めて完成する料理なんだ」
「完成……?」
リナは信じられないものを見るような顔になった。
「生卵を完成品の一部にする料理なんて、聞いたこともないわ……」
その横で、ガランは慣れた手つきで卵を割り、箸でシャカシャカとかき混ぜる。
「ほら、こうだよ」
「でも……」
「アタシを信じな。昔、一緒に命を預け合った仲じゃないか」
「飯で使うセリフじゃないだろ、それ」
ようやくアルドたちも恐る恐る卵を溶き始めた。
やがて肉も野菜も、割り下をたっぷり吸って美しい飴色へ染まる。
「よし、食べ頃だ」
俺は霜降り和牛を一枚、アルドの器へ取り分けた。
「卵へくぐらせて食ってみろ」
アルドはぎこちなく箸を握る。
熱々の肉を黄金色の卵へたっぷり絡めると、意を決して口へ運んだ。
「…………」
一瞬の沈黙。
次の瞬間だった。
「……ッ!!?」
アルドの目が限界まで見開かれた。
箸が手から滑り落ち、乾いた音を立てる。
「アルド!?」
リナが立ち上がる。
「やっぱり毒が――」
「違う……!」
アルドは震える声で首を振った。
「柔らかい……」
両手で顔を覆い、肩を震わせる。
「噛まなくても肉が溶ける……。牛肉の旨味と甘辛いタレが一気に押し寄せたところへ、生卵が全部を包み込んで……うまい……! なんだこれは……!」
落とした箸を拾うより早く、二枚目の肉へ飛びつく。
その姿を見たリナも耐えきれなくなった。
肉を卵へくぐらせ、一口。
「――なによこれぇぇぇぇっ!!」
悲鳴が森へ響く。
「おいしい! 甘い! しょっぱい! 卵がとろとろ! ネギまでおいしい! 豆腐にまで肉の旨味が染みてる!」
「脇役まで主役になる。それがすき焼きだ」
「恐ろしい料理ね!」
その横で、ザックはすでに別の真理へ到達していた。
「白飯だ!」
どんぶりを掲げて叫ぶ。
「この肉を白飯へワンバウンドさせると止まらねぇ!」
「お前、到達が早すぎるだろ」
「盗賊だからな。一番うまい食い方を見つける嗅覚には自信がある」
「それ盗賊じゃなくて食いしん坊の才能だ」
ザックはすでに、肉・卵・白飯の永久機関を完成させていた。
「コウタ様ぁ! 糖分が脳へ直接補給されますぅ!」
エルマは目を輝かせながら肉をさらい、
「おにく、あまーい!」
ミリィは満面の笑み。
「ガウッ! ガウガウッ!」
ポテトも味付け前の肉を頬張り、尻尾を千切れそうなくらい振っている。
かつて王国屈指と謳われたAランクパーティ『紅蓮の牙』は、冒険者としての矜持も、洗脳への疑いも、俺への警戒心もすべて忘れ去り、現代日本が誇る悪魔の鍋――すき焼きへ完全降伏していた。
「坊や! 肉追加だ、肉!」
ガランが皿を突き出す。
「和牛! 和牛を寄越しな!」
「お前は少し食う速度を落とせ。鍋が空になる」
「無理!」
ガランは即答した。
「こんな肉、食いだめしなきゃ損だ!」
「潔すぎるな……」
俺は苦笑しながら、再び通販ウィンドウを開く。
「わかった。今日は魔力が尽きるまで食わせてやる!」
*
一時間後。
鉄鍋の中身は、〆のうどんまできれいさっぱり消え去っていた。
腹がはち切れそうになるまで食べ尽くしたアルドたちは、タープの下で完全に戦意を失っている。
「……ふう」
ガランが冷えた麦茶を一口飲み、満足げに笑った。
「どうだい? アタシがここに残った理由、少しはわかっただろう?」
アルドは膨れた腹をさすりながら、深く、深いため息をついた。
「……ああ。完敗だ」
「認めるの早いな」
「こんなのを食わされたら、認めるしかない」
アルドは遠い目をした。
「お前が洗脳なんかされてないことは、嫌ってほどわかった。毎日こんな飯が食えて、安全に暮らせて、あの光る箱みたいな娯楽まである。……泥水すすって命懸けで冒険する理由なんて、どこにもない」
「だろ?」
ガランがにやりと笑う。
「だからワイバーン討伐はあんたたちに任せた。アタシはこのスローライフを満喫させてもらうよ」
その瞬間だった。
盗賊のザックが勢いよく頭を下げる。
「頼む、兄ちゃん! ……いや、大賢者様! 俺もこの村に住ませてくれ!」
「えっ」
思わず素で声が漏れる。
「荷物持ちでも畑仕事でも何でもやる! 毎日この『すきやき』が食えるなら、Aランク冒険者なんて喜んで辞める!」
「私も!」
リナまで身を乗り出した。
「魔法で火起こしでも、お湯沸かしでも、洗濯でも、何でもするわ! 薪割りだってやる! だからこの夢みたいな生活に混ぜて!」
「お前ら……冒険者の誇りはどうした」
アルドが呆れる。
するとザックが肩をすくめた。
「リーダー。あんただって同じ顔してるぜ」
「うっ」
「もっと旨い飯が食いたいって顔だ」
「……図星か」
「だっははは!」
ガランが腹を抱えて笑う。
「ダメダメ! ここはアタシの特等席だ! これ以上食い扶持が増えたら、アタシの肉が減っちまう!」
「理由が食い気全開すぎる」
俺が言うと、
「もちろんさ!」
ガランは胸を張った。
「清々しいな……」
その迷いのない笑顔を見て、アルドたちもとうとう苦笑した。
「……わかった」
アルドが肩の力を抜く。
「お前が幸せなら、それでいい」
「お前の分まで、俺たちがワイバーンを倒してくるさ」
「ああ。期待してるよ、リーダー」
ガランは軽く手を振った。
「死ぬんじゃないよ」
「その台詞、お前にだけは言われたくない!」
笑いが広がる中、俺は通販で買っておいたカップ麺と板チョコを袋いっぱいに詰めて渡した。
「道中の非常食にしてくれ。お湯を入れるだけで食えるからな」
「か、かたじけない……」
アルドがやけに神妙な顔で頭を下げる。
「大賢者殿のご恩、一生忘れません」
「いや、大げさだって」
「でも、この村を作ったのはあなたなんでしょう?」
リナが真顔で言う。
「結界、家、飯、娯楽……全部あなたが用意してるんでしょう?」
「そう言われると照れるな……」
「コウタ様!」
エルマが勢いよく手を挙げた。
「その『かっぷめん』、私も食べてみたいです! 前にいただいた『かっぷやきそば』も、とても美味しかったので……研究で夜遅くなったときの夜食にぴったりだと思うんです!」
「なるほど。確かにカップ麺も夜食向きだからな」
「はい! あとで作り方を教えてください!」
「はいはい。あとで一緒に作るか」
「やったぁ!」
結界のゲートを開く。
アルドたちは何度も何度も名残惜しそうに振り返りながら、秋の森へ帰っていった。
見えない空間の扉が閉じると、村には再び完璧な静寂が戻る。
「……ふう。騒がしい連中だったねぇ」
ガランが肩をすくめ、俺を振り返った。
「坊や、悪いね。アタシの昔の仲間のせいで、気を遣わせちまって」
「いいってことよ」
俺は空になったすき焼き鍋を片付けながら肩をすくめる。
「それに……ガランが昔の仲間より、この村を選んでくれたのは、ちょっと嬉しかったしな」
一瞬だけ、ガランが目を丸くする。
次の瞬間――
「……ったく」
照れ隠しみたいに笑うと、
バンッ!
遠慮なく俺の背中を叩いた。
「いってぇ!」
「当たり前だろ!」
ガランは豪快に笑う。
「うまい飯があって、面白いゲームがあって、一緒に笑える仲間がいる。そんな場所を捨てる理由なんて、どこにもないじゃないか」
「依存先が多いな」
「いいじゃないか! 人生なんて、快適なほうが勝ちさ!」
ガランはぐっと拳を握る。
「さて! 現実の因縁にも一区切りついたし、次はゲームのボスをぶっ倒してくる!」
「戻るの早っ」
「画面の向こうの古代龍がアタシを待ってるんだよ!」
「結局ゲームしたいだけじゃねえか」
「その通り!」
ガランは満面の笑みでプレハブ一号棟へ駆けていく。
ほどなくして、
「おらぁ! 古代龍だろうが容赦しないよ! 大人しく剣のサビになりな!」
そんな威勢のいい声が村中に響いた。
……切り替えが早い。
でも、だからこそ彼女はここへ馴染めたのかもしれない。
秋の澄んだ空の下。
ロエンは残った食材を丁寧に片付け、シルフィは「割り下と春菊の相性は実に理にかなっている」と妙に真面目な感想を口にする。
エルマはカップ麺を心待ちにし、ミリィはポテトを抱きしめながら、
「おにく、おいしかったね」
と話しかける。
「ガウ」
ポテトは短く返事をすると、お腹を見せてごろんと転がる。
結界に守られたこの名もなき村は、もう俺一人の引きこもり要塞じゃない。
ここは、それぞれが笑って帰ってこられる場所。
誰かにとっての――帰る家になっていた。
……とはいえ。
住人をこれ以上増やすつもりはない。
すき焼きの肉は、取り合いになるくらいが一番うまいんだから。




