第四十五話 実りの秋と、悪魔の揚げ芋(ポテトチップス)
暴力的だった真夏の日差しは、いつの間にか鳴りを潜めていた。
村――ログハウス周辺を囲む森の木々は、少しずつ赤や黄色へ色づき始めている。
肌を撫でる風には、ひんやりとした涼しさが混じるようになった。
あれほど「世界を焼き殺す気か」と思わせてきた太陽も、今ではどこか丸くなり、木漏れ日も優しい。
夏の間、命の危険すら感じさせた迷いの森は、今やすっかり秋の顔をしていた。
引きこもり生活百五十日目。
季節は、秋。
エルマが構築した絶対不可視の多重防衛結界のおかげで、外界の脅威から完全に隔離された俺たちの引きこもり要塞は、初めての実りの季節を迎えていた。
「おおおっ……! これは見事だ!」
ガーデンハウス前の畑で、ロエンが感嘆の声を上げた。
夏毛から少しずつ冬毛へ生え変わりつつある狼獣人の毛皮が、秋風にふわりと揺れる。
そのロエンが土まみれの手で太いツルを引っ張ると、ズボッ、という気持ちのいい音と共に、赤紫色の巨大な芋がいくつも土の中から姿を現した。
「コウタ、見ろ。お前の国のサツマイモに似たこの芋……信じられないほど育っているぞ」
「うわ、でかっ。本当に栄養を限界まで吸い上げたみたいだな」
俺は畑の脇へしゃがみ込み、その芋を手に取った。
ずっしり重い。
春に植えた頃とは比べものにならない、いかにも“秋の成果です”と言わんばかりの存在感だった。
豊作の理由は、わりと分かりやすい。
まず、ロエンの農家としての執念。
次に、俺が《快適生活お取り寄せ》で持ち込んだ現代の農業知識。
動画サイトで一緒に学んだ堆肥の回し方や、バナナの皮を使った手作り肥料の知識。
そこへ、迷いの森の肥沃な土壌と濃い魔力。
さらに、自動水やりシステムと、エルマの結界による外敵遮断。
それらが全部かみ合った結果、畑は完全にバグった。
いや、バグったと言うとロエンに怒られそうだ。
ロエンの前では、奇跡の豊作と言っておこう。
「だっははは! 掘っても掘っても出てくるねぇ! これは気持ちいいよ!」
ガランが袖をまくり上げ、豪快に土を掘り返している。
こいつの筋力にかかれば、深く根を張った芋ですら、大根みたいな気軽さで引っこ抜かれていく。
ポン、ポン、と宙を舞った芋が、カゴへ吸い込まれていく光景は、もはや収穫というより怪力ショーだった。
「にゃはは! おっきい! こっちはちっちゃいのいっぱいついてる!」
「ガウッ!」
ミリィは泥だらけになりながら両手で土を掻き、見つけた小芋をポテトへ見せびらかしている。
ポテトも鼻先で芋をつつき、なんだか嬉しそうだ。
火竜の仔犬と獣人幼女が、芋で盛り上がっている。
平和だ。
平和の象徴として、かなり芋に寄っている気はするが。
「……土をいじるのは悪くないな。森の恵みを直接手で感じる」
今日は珍しく、シルフィもハンモックから降りてきていた。
長い銀髪を後ろで軽く束ね、手袋をして、畑の端で丁寧に土を払っている。
「エルフが畑仕事に目覚めたのか?」
「失礼な。私は元より自然と共に生きる種族だ」
「最近は漫画とポテチとコーラと共に生きてる印象の方が強いんだよな」
「それとこれとは別だ」
「便利な言葉だな、それ」
シルフィはそう言いながらも、器用な手つきで芋の周囲だけを丁寧に掘っていく。
傷をつけずに土だけをどかすあたり、妙に繊細だ。
ガランの“掘る”というより“暴く”に近い作業と対照的で、見ていてちょっと面白い。
全員が総出で、秋の収穫を楽しんでいる。
……いや、約一名を除いて。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ! も、もう無理です……! 私の華奢な腕力と、枯渇したスタミナでは……この大地へ深く根を下ろした魔物を引き剥がすことなど……っ!」
畑の端っこで、エルマが三つ目の芋を掘り出したところで力尽き、土の上へ突っ伏していた。
黒ローブは泥だらけ。
丸眼鏡はずり落ち、肩で息をしている。
どう見ても、収穫作業というより遭難である。
「お前、本当に体力ないな……」
「ち、違うんです……! 私は頭脳労働専門であって、決して怠惰なわけでは……!」
「説得力ゼロだよ」
ガランが笑う。
「三つで倒れるのは、さすがに弱すぎないかい?」
「ガランさんの基準で語らないでください! あなたは人型の重機です!」
「否定できないな」
「否定してください!」
俺は苦笑して、エルマへタープの方を指差した。
「無理しなくていいから、あっちで休んでろ」
「す、すみません……。あと、もし可能であれば冷たい麦茶と糖分を……」
「要求だけは元気だな」
エルマは這うようにして日陰へ避難していった。
結界の維持という最大級の仕事をしてもらっている以上、肉体労働まで期待するのは酷だろう。
あいつが畑で活躍する未来は、今のところまったく見えない。
「まあ、エルマには別の役割があるからな。こっちは俺たちでやろう」
「うむ」
ロエンが力強く頷く。
「農作業において大事なのは、向き不向きを見極めることだ」
「つまりエルマは不向き」
「極めてな」
「そこは断言するんだな」
俺もスコップを手に取り、ロエンに教わった通りに土を返していく。
秋風が気持ちいい。
汗ばむほどではなく、体を動かす心地よい疲労だけがじわりと残る。
引きこもり生活で鈍った体には、たまにこういう土の匂いを浴びるのも悪くなかった。
*
数時間後。
畑には、大量の赤紫の芋と、ゴツゴツした茶色い芋が、文字通り山のように積み上がっていた。
「……これだけあれば、冬を越すための食料としては十分すぎるな」
ロエンが満足げにカゴの山を見下ろす。
普段は感情をあまり表に出さない男だが、今の尻尾はかなり正直だった。
ゆっくり、しかし確実に揺れている。
「保存もしっかりしないとな」
俺は腕を組んだ。
「湿気を避けて保管すれば数か月は持つし、一部は干し芋にして長期保存食にするのもありだ」
「干し芋……」
ロエンの耳がぴくりと動く。
「芋を、さらに進化させるのか」
「言い方は物騒だけど、まあそうだな」
「やはりお前の知識は、土を裏切らんな」
「土からの信頼が重い」
「さて、力仕事の後は、お楽しみの味見の時間だ」
俺がそう宣言した瞬間、タープの下で死んでいたエルマががばっと起き上がった。
「あじみ!? コウタ様の新しい料理ですか!?」
「現金なやつだな」
「食に対しては誠実です!」
「言い切ったな……」
俺は《快適生活お取り寄せ》を開き、必要な道具をいくつか呼び出す。
まずは赤紫の芋をよく洗い、濡らした紙で包み、その上からアルミホイルでしっかり二重に包んだ。
「ポテト、かまどの火を弱火にしてくれ。今日はじっくりいくぞ」
「ガウッ!」
ポテトが控えめな火を吐き、かまどの炭が赤く熾る。
俺はその端へ、ホイル包みの芋を並べた。
「これは焼き芋だ。時間をかけて焼くことで、中のデンプンが糖へ変わって、めちゃくちゃ甘くなる」
「火を通すだけで甘くなるのかい?」
ガランが不思議そうに首を傾げる。
「なる。しかも驚くほどな」
「魔法でも使わないのに?」
「使わない。芋自身の力だ」
「へえ、芋ってやつは意外と奥が深いんだねぇ」
「……では、その甘くなるまでの待ち時間に、別の何かを?」
エルマが眼鏡を光らせる。
「察しがいいな」
「じゃんくですね!?」
「食いつき方が怖い」
俺は今度は茶色い芋を洗い、皮ごとスライサーで薄く削っていく。
シュッ、シュッ、と小気味よい音と共に、半透明の芋が次々積み上がる。
それを水へさらし、デンプンを落とし、キッチンペーパーでしっかり水気を取る。
「おいコウタ」
シルフィが、なぜかいつもより真剣な顔で近づいてきた。
「今、お前は何を作ろうとしている」
「分かるのか?」
「薄く切った芋。油。塩。……まさか」
「そのまさかだ」
俺はにやりと笑った。
「お前が日頃から“読書に必要な塩気”とか言って食っている、あれだ」
「……ポテチか」
「そう。今日は、市販品じゃない。ロエンの畑で採れた芋を使った、自家製ポテトチップスだ」
「……」
シルフィの耳が、ぴんと立った。
完全に本気の顔だった。
「コウタ」
「なんだ」
「失敗は許されない」
「プレッシャーのかけ方が重い!」
中華鍋へたっぷり張った油が、ふつふつと音を立てる。
そこへ薄切りの芋を投入した瞬間――。
ジュワァァァァッ!!
勢いよく泡が立ち、薄い芋が油の中で踊り始めた。
水分が飛び、色が変わり、やがてきつね色へ近づいていく。
「おおっ……なんだいその香ばしい匂いは!」
ガランが身を乗り出す。
「以前のフライドポテトとは違うな」
ロエンも真剣な顔だ。
「同じ芋でも、切り方一つで料理は別物になるんだよ」
俺は揚がった芋を網じゃくしですくい、大きなボウルへ入れた。
そこへ塩。
青のり。
そしてコンソメパウダー。
全体へまんべんなくまぶすように、ボウルを軽く振る。
サクサクと薄い芋同士が触れ合う乾いた音がする。
もう、音の時点でうまい。
「完成。自家製ポテトチップスだ」
山盛りのボウルをテーブル中央へ置く。
「地球のインドア派が愛してやまない、悪魔の揚げ芋だぞ」
真っ先に手を伸ばしたのは、やはりエルマだった。
一枚つまみ、恐る恐る口へ入れる。
パリッ。
「……ッ!!」
その音が響いた瞬間、エルマの体が雷に打たれたように硬直した。
「な、なんという軽快な食感……! 噛んだ瞬間にパリッと砕け、中から芋の香ばしさが広がる……! しかもこの表面の粉! 塩気だけではない、複雑で暴力的な旨味が舌へ突き刺さってきます!」
一枚。
また一枚。
エルマの手が止まらない。
「サクサク……! しょっぱい……! 旨味が濃い……! 危険です、これは危険です! 理性より先に指が動きます!!」
「言いながら食うな!」
「止まりません!!」
「だっははは! じゃあアタシも遠慮なく!」
ガランも数枚まとめて鷲掴みにし、口へ放り込む。
「んまい! なんだいこれ! 前のフライドポテトとは全然違うねぇ! この薄さと塩気、酒が欲しくなるよ!」
「酒はまだ出さない。昼間だ」
「コーラでもいいよ!」
「それは合う」
「サクサク! しょっぱい! いっぱいたべちゃう!」
ミリィもリスみたいに頬張り始めた。
「ミリィ、一気に食いすぎるなよ」
「むり!」
「その返事、だいたい食べ物の時だけ即答だな」
「……信じられん」
ロエンは一枚をじっくり観察しながら言った。
「あの土臭い芋が、ここまで軽やかな味になるとは。農業は深いな」
「農業というか調理の話だけどな」
「いや、土がここに至ったのだ」
「壮大にするな」
そして、シルフィ。
彼女は一枚を指先でつまみ、まるで神聖な儀式のような顔で口へ運んだ。
パリッ。
「……」
沈黙。
もう一枚。
パリッ。
さらに一枚。
パリッ。
「おい、感想は?」
「静かにしろ」
シルフィは真顔で言った。
「今、私はこの村の歴史が一段進んだ瞬間を味わっている」
「ポテチで大げさすぎるだろ」
「大げさではない」
四枚目を食べる。
「市販のポテチも良い。だがこれは、揚げたてだ。薄い衣のような油の香りがあり、芋の甘みがまだ生きている。そこへ塩とコンソメが刺さる。……これは危険だ」
「お前も危険判定か」
「危険だ。読書中に出されたら、一冊読む前に一皿消える」
「それはいつも通りだろ」
「いつもより速い」
「なお悪いわ」
秋の風の中、サクサク、パリパリという音が途切れない。
俺が揚げたポテトチップスは、恐るべき勢いで消えていった。
「よし、まだ芋はある。第二陣いくぞ」
「味は!?」
エルマが即反応する。
「塩、のり塩、コンソメ、ブラックペッパーだ」
「天才ですか!?」
「その評価、今日はやたら安いな」
「コウタ」
シルフィが真剣な顔で言った。
「のり塩を多めにしろ」
「好みを出すな」
「重要だ」
「ロエンみたいな言い方するな」
*
ポテトチップスの宴が一段落し、全員の指が油と塩でてかてかになった頃。
かまどの方から、今度はじわりと甘い匂いが漂ってきた。
「……そろそろ、こっちもいい頃合いだな」
俺は炭火の中から、ホイルに包まれた芋を取り出す。
隙間からはぷつぷつと蜜が吹き出し、焦げたカラメルみたいな濃い甘い香りが漏れていた。
「おおっ……! 今度は甘い匂いだ!」
ガランたちが一斉に顔を向ける。
「これが焼き芋の完成形だ」
俺は軍手をはめてホイルを剥がした。
中から現れたのは、皮が黒く焦げ、しかし割れ目から黄金色の果肉を覗かせた、熱々の焼き芋だった。
真ん中から、ぱかっと割る。
ホワァァァ……!
白い湯気と共に、暴力的なまでに甘い香りが爆発した。
中はぱさついていない。
ねっとり、しっとり、まるで黄金色のクリームみたいに艶めいている。
「な……っ!?」
エルマがごくりと喉を鳴らす。
「芋から……こんな、ケーキみたいな甘い匂いが……!」
「ただじっくり焼いただけだ。熱いうちに食え」
俺は半分に割った焼き芋を、エルマとミリィへ渡した。
エルマは恐る恐るかぶりつく。
「……ッ!!???」
次の瞬間、眼鏡の奥の瞳が限界まで見開かれた。
「あま……っ! あまああああああい!!」
エルマが焼き芋を握りしめたまま天を仰ぐ。
「なんですかこの甘さは! 蜂蜜みたいなのに、もっと奥深くて、ねっとりしていて、舌の上でとろける……! これが本当に、さっきまで泥だらけだったあの芋なのですか!?」
「あふっ、ほふっ、あまーい!」
ミリィも熱さと戦いながら、夢中で頬張る。
口の周りは、すでに黄色い芋だらけだ。
「だっははは! すごいねぇ! 砂糖も使ってないのにこんなに甘いなんて、魔法みたいだ!」
ガランも豪快にかじりつく。
「……秋の味覚の王だな」
ロエンが静かに頷いた。
「土の力が、すべてこの甘さへ変わっている」
「今日のロエン、感想がいちいち詩的だな」
「芋がそうさせる」
「芋の力か……」
「……悔しいが認めよう」
シルフィも小さく息を吐く。
「森の果実より、この熱い芋の方が心が満たされる」
「お前、結構気に入ったな」
「否定はしない」
「素直でよろしい」
しょっぱいポテトチップスの後に、強烈に甘い焼き芋。
塩気と甘味の無限ループ。
これは現代日本でも秋に人を駄目にする危険な罠だが、異世界人たちも例外ではなかった。
「コウタ様……」
エルマが蕩けきった顔で呟く。
「私、今なら結界をもう一枚重ねられる気がします」
「やめろ。糖分でテンション上がってるだけだ」
「では寝る前にもう一本……」
「食いすぎだ」
「でも甘いです……」
「知ってる」
足元では、ポテトが自分用に取り分けた、味付けなしの蒸かし芋を嬉しそうに食べていた。
「ガウゥ♪」
「お前、名前の通り本当に芋が好きだな」
「ガウッ!」
「そこは否定しないんだな」
*
夕暮れ時。
空は高く澄み、燃えるような秋の夕焼けが森を赤く染め上げていた。
「……ふう、食った食った。腹がはち切れそうだよ」
ガランがキャンプチェアへ深くもたれかかり、ぽんぽんと腹を叩く。
「コウタ様……私、もう動けません……」
エルマは芝生へ大の字になっていた。
「このまま芋と一緒に土へ還っても悔いはありません……」
「還るな。お前は結界のメンテがあるだろ」
「現実が鋭いです……」
「大事だからな」
俺は苦笑しながら、冷たい麦茶で喉を潤した。
ロエンの畑で採れた大量の作物。
トムじいとの物流ルートで確保できている塩や油や調味料。
エルマの結界による絶対防衛。
そして、俺の通販スキルがもたらす調理道具と現代知識。
俺の引きこもり生活は、季節が秋へ移っても少しも揺らがず、むしろますます盤石になっていた。
「……いい秋になりそうだな」
小さく呟いて、赤く染まった空を見上げる。
一人で静かに暮らすために建てたログハウスだったはずなのに、今ではこのやかましくて、食い意地の張った仲間たちと過ごす時間が、何より心地いい。
サクサクのポテトチップス。
ねっとり甘い焼き芋。
土の匂い。
秋の風。
そして、結界の内側に満ちる、誰にも邪魔されない笑い声。
実りの秋の豊かさを胸いっぱいに抱きながら、俺たちの安全で怠惰な引きこもり生活は、今日も静かな夜の森へ溶け込んでいくのだった。




