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第三十八話 空からの援護と、極彩色(スパイス)の焼肉定食

「……耐えろ、ガラン!」


 俺はログハウスのリビングで叫びながら、タブレットの画面を睨みつけ、コントローラーのスティックを限界まで倒した。


 画面の向こう、森の深部。


 一頭目の暴走牛――マッドブルを仕留めた勝利の余韻に浸る暇すらなく、さらに巨大な二頭目が、木々をへし折りながら一直線に突っ込んできている。


 しかも、ただの二頭目ではない。


 明らかに格が違う。


 体格は一頭目より二回りは大きく、四本のねじれた角は、もはや角というより、黒い岩を削り出した攻城兵器みたいだった。


 あれは親玉だ。


 もしくは、この辺りの森にいてはいけないレベルのボス個体である。


 距離は、すでに十数メートル。


 振り返って大斧を構え直そうとするガランの動きより、重戦車じみたマッドブルの突進が到達する方が早いのは、画面越しでも明らかだった。


 木の上にいるシルフィの矢は、ガランの体が射線を塞いでいて撃てない。


 右側面にいるロエンも、鍬を構えて飛び込むには距離が遠すぎる。


 つまり、この瞬間。


 ガランとマッドブルの間に割って入れるのは、上空でホバリングしている俺のドローンだけだった。


 キィィィィンッ!


 四つのプロペラが悲鳴みたいなモーター音を上げ、小型ドローンが空から急降下する。


 あまりに勢いよく降ろしたせいで、タブレットの映像が軽くぶれた。


 心なしか、俺の心拍数まで一緒に振動している気がする。


『おい、コウタ! 何をする気だ!』


 インカム越しに、シルフィの焦った声が響いた。


『まさか、その小さい鉄の鳥をぶつけて止める気じゃないだろうな!?』

「止められるわけないだろ! でも、あいつの目と耳を一瞬ぐちゃぐちゃにすることくらいはできる!」

『言い方が最悪だぞ!?』

「緊急時なんだよ!」


 俺はドローンの操縦アプリ画面に表示されている、特殊機能のボタンをタップした。


 それは元々、この機体が現代日本で野生動物を威嚇し、農地から追い払うために搭載していた機能だ。


 正直、こんな異世界の魔物にまで通用するかは賭けだった。


 だが今は、迷っている暇がない。


「俺にも、少しは戦わせてくれ!」


 ドローンが、マッドブルの鼻先わずか数メートルの位置まで降下した瞬間。


 ピピッ。


 機体底面に搭載された高出力の指向性スピーカーから、突如として――。


『ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!』


 空気そのものを切り裂くような、警察のサイレン級の最大音量。


 しかも、それだけでは終わらない。


 さらに上から、猟犬の猛烈な吠え声と、猛禽類の甲高い警告音を無理やり混ぜ込んだみたいな、不快感だけを純粋培養した電子音が、森中にぶちまけられた。


「ブモォォォッ!!??」


 静謐な森を支配していた二頭目のマッドブルが、頭上から突然叩き込まれた理解不能の轟音に、露骨に反応した。


 そりゃそうだ。


 俺だって森の中で、いきなりサイレンと獣の咆哮と謎の電子音を至近距離で浴びせられたら、全力で逃げる。


『な、なんだこの音はっ!?』


 インカム越しに、ガランが叫ぶ。


『コウタ、お前まで私たちを巻き添えにするな! 耳が痛い!』


 シルフィも文句を飛ばしてきた。


「悪い! でも今は耐えろ! 敵の方がもっと嫌なはずだ!」


 さらに俺は、アプリのライトボタンを連打した。


 ピカッ!


 ピカッ!


 ピカッ!


 ピカピカピカッ!!


 ドローン底面の強力なLEDフラッシュが、ストロボのように乱暴に点滅し、マッドブルの血走った目を真正面から焼くように照らす。


 音だけでも十分うるさいのに、そこへ高速点滅の光までぶち込まれたのだ。


 聴覚と視覚を同時に殴りつけられた巨獣は、一瞬、進路を見失った。


「ブモァァァァッ!!」


 マッドブルが苦しげに頭を振り、突進の軌道を大きく逸らす。


 前脚が地面を掻き、巨体がぐらりと傾いた。


 だが、数トンの体重と暴走機関車みたいな勢いは、いまさら急には止まらない。


 ズドォォォォンッ!!


 マッドブルの巨体は、ガランの真横をすれすれで通過し、そのまま奥にそびえていた巨木へと真正面から激突した。


 大樹がメキメキと悲鳴を上げて揺れ、大量の葉が豪雨みたいにばさばさと降り注ぐ。


 四本角のうち一本が、幹に深くめり込んだ。


 ボス個体の頭部が、ほんの一瞬だけ不格好に固定される。


「ガラン! 離れろ! まだ終わってない!」

『だっはははは! 最高の援護だねぇ、コウタ!!』


 ガランは笑いながらも、俺の指示通り横へ跳んだ。


 ギリギリだった。


 本当にギリギリだった。


 もしドローンの音と光が一秒遅れていたら、ガランは今ごろ、あの巨大な角に跳ね飛ばされていたかもしれない。


 俺は背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、ドローンを安全高度まで引き上げた。


 まだ機体は生きている。


 画面も映っている。


 だが、状況はまったく安全ではなかった。


『奴、まだ倒れてないぞ』


 ロエンの低い声が響く。


 画面の中で、親玉のマッドブルが、めり込んだ角を強引に引き抜いた。


 幹がごっそり削れ、木片が吹き飛ぶ。


 巨獣はふらついていた。


 だが、その目は死んでいない。


 むしろ怒りで血走り、こちらへの敵意が何倍にも膨れ上がっているように見えた。


『……まずいな』


 シルフィの声が冷えた。


『さっきより首を低く構えている。四本の角で喉元を守っている。あれでは急所を射抜きにくい』

『正面から行くには危険だねぇ。さっきの突進、受けたらアタシでも骨が何本か飛ぶよ』

『足も太い。関節以外は鍬が弾かれる』


 ロエンが短く言う。


 俺はタブレットの画面を睨んだ。


 親玉のマッドブルは、明らかに学習していた。


 ガランを警戒し、シルフィの射線を潰し、首を低くして急所を隠している。


 ただ暴れるだけの獣じゃない。


 野性の勘と経験で、こちらの攻め筋を潰している。


「……硬いな」


 俺は思わず呟いた。


 物理的にも。


 戦術的にも。


 守りが硬い。


 なら、その守りを緩めるしかない。


 幸い、さっきのドローンの音と光に、奴は確かに反応した。


 嫌がった。


 目を逸らした。


 首を上げた。


 なら、もう一度やれる。


 ただし、今度はもっと危険な距離で。


「ドローンで、あいつの防御姿勢を崩す」


『……コウタ』


 シルフィの声がわずかに低くなる。


『それは危険だ。その空飛ぶ目は、おそらく壊れるぞ』

「分かってる」

『索敵道具としては、極めて貴重だ』

「でも命より安い」

『……それは、そうだな』


 短い沈黙。


 その後、シルフィが静かに息を整える音が聞こえた。


『なら、私が必ず仕留める』

「頼む」


 俺は一気に指示を飛ばした。


「ガランは右斜め前で声を出せ。ただし接近するな。挑発だけだ。ロエンは左後脚の外側へ。奴の首が上がった瞬間、鍬で関節を叩いて姿勢を崩せ。シルフィは正面左上から首筋。ドローンが食われる直前が合図だ」

『了解』

『任せな!』

『承知した。鍬は入れる』


「ミリィ、画面の端を見てくれ。もし他に動く影が見えたら、すぐ教えろ」

「わ、わかった!」

「ポテトは……応援」

「ガウッ!」


 足元の火竜が、やけに真剣な顔で鳴いた。


 役割を与えられて満足したらしい。


「よし」


 俺は息を吸った。


「第二戦、決めるぞ」


 まず、ガランが右斜め前で大斧を木に叩きつけた。


 ガァンッ!!


「こっちだよ、デカ牛! さっきの借りを返させてもらうよ!」


 親玉マッドブルの赤い目が、ぎろりとガランへ向く。


 だが動かない。


 さっきのような単純な突進はしてこない。


 首を低く構えたまま、角で喉元を守っている。


「賢いな、こいつ……!」


 俺は舌打ちしそうになった。


 その瞬間、ロエンが左後方へ回り込む。


 鍬を低く構え、いつでも関節へ叩き込める位置。


 シルフィは木上で弓を引き絞っている。


 あとは、首を上げさせるだけだ。


「行け、ドローン一号」


 俺はスティックを倒した。


 ドローンが急降下する。


 キィィィィンッ!


 小さな機体が、親玉マッドブルの正面へ躍り出た。


 警告ブザー。


 高輝度ライト。


 全開。


 ピピピピピピピピピピッ!!


 白い光が、巨獣の片目の前で激しく瞬く。


 ブモォォォォッ!!


 マッドブルの怒号が森を震わせた。


 奴は完全にドローンへ食いついた。


 首を上げる。


 四本角の守りが開く。


 喉元の装甲の隙間が、一瞬だけ見える。


「今だ!」


『承知』


 ロエンが鍬を振るった。


 重い刃が、左後脚の関節へ横から叩き込まれる。


 ゴギィンッ!


 畑を耕すはずの農具が、巨獣の姿勢を崩す楔になる。


 親玉マッドブルの巨体が、わずかに沈んだ。


『撃つ』


 シルフィの声。


 ヒュッ!


 一本目の矢が、首筋の柔らかい部分へ吸い込まれる。


 だが、親玉はそれでも沈まない。


 怒り狂ったマッドブルは首を振り回し、目の前のドローンを四本角で叩き落とそうとした。


「まだだ……!」


 俺はドローンをさらに近づけた。


 危険な距離。


 いや、もう完全に危険だ。


 画面いっぱいに、マッドブルの血走った目と巨大な角が映る。


 ミリィが息を呑む。


「コウタ……!」


「もう一回、顔を上げろ!」


 俺はブザーとライトを最大出力にした。


 ピピピピピピピピピピピピピッ!!


 真っ白な光が、巨獣の視界を焼く。


 ブモォォォォォォッ!!!


 マッドブルが、怒りで大きく首を振り上げた。


 その瞬間。


『これで、終わりだ』


 シルフィの二本目。


 風を纏った矢が、先ほど刺さった矢とほぼ同じ位置――今度はさらに深く、首筋の急所を貫いた。


 ブモ……ォ……。


 巨獣の声が、途中で途切れる。


 小山のような体がぐらりと傾いた。


 だが、その倒れる寸前。


 四本角の一本が、ドローンの機体をまともに弾いた。


 バキィッ!


 画面が激しく回転する。


 空。


 森。


 角。


 黒い体。


 地面。


 ノイズ。


 最後に、強い衝撃。


【映像信号が途絶しました】


 同時に、インカムの向こうで、巨大なものが地面へ倒れる音が響いた。


 ドォォォォンッ!!


 森の土が跳ね、枝葉がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立つ。


 そして、沈黙。


「……状況報告」


 俺はかすれた声で言った。


『対象、沈黙』


 シルフィの声が返ってきた。


『急所に入った。完全に止まっている』

『こっちは無事だよ。少し肝が冷えたけどねぇ』

『損耗なし。ただし、コウタの空飛ぶ目は損耗した』


 ロエンが冷静に報告する。


「そこを冷静に言うな。地味に刺さる」


 俺は椅子に深く背を預けた。


 手から力が抜ける。


 ミリィが隣で、ぱあっと顔を輝かせた。


「やった! みんな、かった!」

「ガウッ!」


 ポテトも尻尾をぶんぶん振る。


「……勝ったな」


 俺は大きく息を吐いた。


 安全圏からの後方支援。


 索敵。


 通信。


 指揮。


 そして、最後は空飛ぶ目の犠牲。


 完璧ではなかった。


 むしろ、想定外には弱かった。


 でも、ガランを救った。


 親玉の防御を崩した。


 仲間たちを無事に帰すための決定的な隙を作れた。


 それなら、十分だ。


     *


 夕方。


 討伐を終えた三人が、巨大なマッドブルの素材と肉の一部を持って村へ戻ってきた。


 二頭分すべてを運ぶのは不可能なので、使える部位だけを処理して、残りは森の生き物たちに任せるらしい。


 ガランは、帰ってくるなり俺の背中をばしんと叩いた。


「坊や! あの空飛ぶ目、たいしたもんだったよ! 一回目はアタシの命を救って、二回目は親玉の首を上げさせた。あれがなきゃ、今日は勝ってても誰かしら大怪我してたかもしれないねぇ!」

「笑いながら言うな。心臓に悪い」

「だっははは! まあ、生きてるから笑えるのさ」


 ロエンも静かに頷いた。


「位置情報と通信があるだけで、森での戦いは別物になる。さらに、敵の防御を崩す囮にもなった。あれは強い」

「ドローンは壊れたけどな」

「必要な損耗だった」

「言い方が軍人なんだよなあ」

「農具も損耗した」


 ロエンが血と泥で汚れ、刃先が少し曲がった鍬を見せる。


「お前、それで親玉の足を崩したのか」

「鍬は、よく働いた」

「農具への敬意がすごい」

「畑を守った。十分だ」


 シルフィは、少しだけ悔しそうな顔で壊れたドローンの残骸を見下ろしていた。


「空飛ぶ目……惜しいな。これほどの索敵道具を失ったのは痛い」

「また注文すればいい」

「簡単に言うな」

「MPは痛いけど、命より安い」

「……それは、そうだな」


 その一言で、シルフィは珍しく素直に頷いた。


 俺は回収されたドローンの残骸を受け取り、そっとテーブルに置いた。


 プロペラは折れ、カメラ部分はひしゃげ、外装は泥だらけだ。


 初出撃で大破。


 だが、その役目は十分に果たした。


「初代ドローン一号、戦没だな」

「ガウ」


 ポテトが、残骸をくんくん嗅いだ。


「食うなよ」

「ガウゥ」

「だから食えないって」


 ミリィが小さく手を合わせる。


「どろーん、ありがと」

「そうだな。ありがとう、空飛ぶ目」


 俺は少しだけ真面目にそう言ってから、《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを開いた。


「……まあ、予備機は買うけど」

「感傷が短い」


 シルフィが呆れたように言う。


「引きこもり生活には、予備が大事なんだよ」


 今回よく分かった。


 ドローンは便利だ。


 だが、一機では足りない。


 予備バッテリーも必要。


 プロペラガードも必要。


 できれば監視用の固定カメラと、森の入り口付近に置く簡易センサーも欲しい。


 そして、司令室用にもう少し大きなモニターも欲しい。


「コウタ」


 シルフィがじっと俺を見る。


「今、また村が妙な方向に進化する顔をしている」

「失礼な。安全性を上げようとしているだけだ」

「その結果、森の戦略司令室が本格化するのだろう」

「……まあ、するかもしれない」

「やはりな」


 ガランが大笑いした。


「いいじゃないか! 坊やは前線に出ない方が役に立つって分かったんだ。なら、もっと司令官らしくすりゃいい!」

「褒めてるのか、それ」

「褒めてるよ!」

「微妙に傷つく褒め方だな」


 ロエンは畑の方を見て、短く言った。


「畑が守れるなら、悪くない」

「お前の基準は本当にぶれないな」

「当然だ」


 ミリィは目を輝かせている。


「コウタ、こんどはもっといっぱいそらとぶめよぶ?」

「必要ならな」

「そしたら、わたしもやりたい!」

「見るだけだぞ。操作はまだ早い」

「えー」

「ドローンを森に墜落させられたら困る」

「どろーん、かわいそう」

「そういうことだ」


 ポテトが「ガウッ」と鳴いた。


 おそらく、次のドローンも食べ物ではないか確認したいのだろう。


 俺は壊れたドローン一号を見下ろし、外の森へ視線を向けた。


 夏の夕方の光が、雨上がりの森を黄金色に染めている。


 マッドブルという脅威は去った。


 畑は守られた。


 仲間たちは無事に帰ってきた。


 そして俺のログハウスには、新たに“司令室”という役割が加わりつつある。


「……引きこもり生活って、家から出ない方が忙しいな」


 俺がぼやくと、シルフィが淡々と言った。


「それだけ、お前の家が重要になっているということだ」

「重いこと言うな」

「事実だ」

「最近その言葉、万能だと思ってないか?」

「便利だからな」

「俺の通販みたいに言うな」


 こうして、俺の引きこもり村には、またひとつ現代文明の目が加わることになった。


 森の戦略司令室。


 名前だけ聞くと、やたら物騒だ。


 だが、その目的はただ一つ。


 俺が外に出ずに、みんなと畑と、快適な生活を守ること。


 そのためなら、多少物騒な名前でも、まあ許容範囲だろう。


 たぶん。


 そして、戦いが終わったなら、次に必要なのは決まっている。


 勝者の食事だ。


 しかも相手は、巨大な牛系魔物。


 もう、やることは一つしかない。


「よし」


 俺は気持ちを切り替え、《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを開いた。


「今夜は焼肉定食だ」


「おおっ!」


 ガランの目が一瞬で輝く。


「坊やの作る肉料理! 期待してるよ!」

「おにく! いっぱい!」

「ガウガウッ!」


 ミリィとポテトまで即座に反応する。


 シルフィは肩をすくめた。


「エルフは肉ばかり食うのは好まんが……まあ、お前の料理なら少しは期待してやってもいい」

「その言い方で期待してないこと、一回もないよな」

「うるさい」


 ロエンは曲がった鍬を肩に担ぎ直し、静かに頷いた。


「肉もいいが、野菜も焼け」

「もちろんだ。お前の玉ねぎとピーマンも使う」

「なら、悪くない」

「お前、本当に畑基準だな」


 空飛ぶ目の戦没を悼みつつ。


 俺たちは、今夜の勝利の食卓へ向けて動き出した。


     *


 その日の夕暮れ。


 村の空き地には、ガランとロエンが解体して持ち帰ってきた新鮮なマッドブルの肉が、文字通り小山のように積まれていた。


「コウタ! おにく! おにく、いっぱいたべる!」


 昼間は拠点でおとなしく留守番してくれていたミリィが、真っ赤な肉の山を前にして、尻尾をちぎれそうな勢いでぶんぶん振っている。


 目が完全に獣のそれだ。


 いや、獣人だから間違ってはいないんだけど。


「ガウガウッ!」


 ポテトまで、自分が倒した獲物でもないくせに「俺の戦果だ」と言わんばかりに胸を張り、ミリィの周りをぴょこぴょこと跳ね回っていた。


「お前は何もしてないだろ」

「ガウッ!」

「反論の勢いだけは一人前だな」

「ポテトもがんばってた!」

「どこで?」

「おうえん!」

「……まあ、応援は大事か」


 俺は生活通販Lv.2の恩恵であるセット購入機能を使い、今夜の宴のための完璧な陣容を呼び出した。


「よし、これが本日の調理器具だ」


 青白い魔法陣から現れたのは、炭火焼き用の大型バーベキューコンロと、どっしり分厚い鋳鉄製の焼肉用鉄板。


 さらに、直火で米を炊くための三合炊き土鍋を二つ。


 そして無洗米。


 マッドブルの肉を焼くための炭も、火力と香りが安定している高級な備長炭を取り寄せた。


「……相変わらず、お前の宴会準備だけは抜かりがないな」


 シルフィが呆れたように言う。


「戦いに出ないぶん、飯で貢献するんだよ」

「いや、今日は普通に出てないだけで、だいぶ貢献してただろ」


 ガランが笑う。


「まあ、それとこれとは別だ。支援の質と飯の質は、いくら高くても困らない」

「言ってることは正しいのが腹立つねぇ」


「ガウッ!」

「おうポテト、出番だ。ここの炭に火をつけてくれ」


 ポテトが得意げに胸を張り、コンロの縁に前足をかける。


 そして。


「ぶぇっくしょい!」


 くしゃみ混じりの可愛らしい火炎ブレスが、炭の山へぼふっと噴きつけられた。


 次の瞬間、備長炭の芯に赤い火が宿り、パチパチと乾いた音を立てて勢いよく燃え始める。


「よしよし、偉いぞ」

「ガウゥ〜♪」

「褒められると露骨に機嫌良くなるな、こいつ」


 俺は土鍋に米と水をセットし、別のかまどへ乗せた。


 蓋をして火にかける。


 しばらくすれば、この中で白米がふっくら炊き上がる。


 そう思っただけで腹が鳴りそうだった。


 そして、主役である肉の準備に取りかかる。


「さあ、お前ら。今日の狩りの大成功と、俺たちの無傷の帰還を祝して、現代日本の黄金の液体を解禁するぞ」


 俺がテーブルのど真ん中に、どんっと置いたのは、スーパーの調味料売り場で見慣れたあの瓶だった。


 本格・焼肉のタレ。


 中辛。


 果実の甘み入り。


「なんだい、それは?」


 ガランが瓶を覗き込み、思わず喉を鳴らす。


「妙にどろりとした黒い液体だが……またあのマヨネーズみたいな、悪魔の調味料の類かい?」

「悪魔ではあるな。主に米を無限に食わせる方向で」

「怖いこと言うじゃないか」

「でもおいしそう」


 ミリィはもう完全に期待の目だ。


「まあ見てろ。ロエン、そのマッドブルの肉の、一番柔らかそうな赤身と脂身が混ざったところを薄くスライスしてくれ」

「承知した」


 ロエンの鋭い爪が閃き、分厚いブロック肉があっという間に見事な焼肉用スライスへと変わっていく。


 繊維を見極めて切っているのか、分厚すぎず薄すぎず、火を通せば一番うまいだろうという絶妙な厚みだ。


「お前、包丁いらずにもほどがあるな」

「爪は便利だ」

「農具も使えて爪も使えるの、だいぶ万能だな」

「畑仕事に必要だからな」

「その理屈で押し通せる範囲を超えてるんだよなあ」


 俺は十分に熱した鋳鉄の鉄板へ、通販で買った牛脂をこすりつけた。


 白い脂がじゅっと溶け、表面に艶のある油膜を作る。


 そこへ、切りたてのマッドブル肉を一枚、二枚、三枚と並べていく。


 ジュワァァァァッ!!


 肉が鉄板に触れた瞬間、食欲を理性ごと殴り飛ばすような音が弾けた。


 赤い肉の表面がみるみる色づき、脂が小さな泡となって弾ける。


 炭火の熱で立ちのぼる煙と一緒に、香ばしくて野性的な匂いが空き地いっぱいに広がっていった。


「おおおお……っ!」


 ガランの腹が、ぐぅぅぅっと分かりやすく鳴る。


「この焼ける音! この匂い! 胃袋が、早く食わせろと悲鳴を上げているよ!」

「コウタ! まだ!? まだたべられない!?」


 ミリィも、鉄板の手前でぴょこぴょこ跳ねていた。


「待て待て、焼肉は焦らされる時間込みでうまいんだよ」

「そんな文化いらない! はやく!」

「気持ちは分かるけどな!」


 片面にしっかり焼き色が付き、表面にじわっと肉汁が浮いてきたところで、俺はトングで肉を裏返した。


 反対側は、さっと火を通すだけ。


 焼きすぎれば固くなる。


 だが、早すぎても旨味が閉じない。


 焼肉には、たった数秒の神様が住んでいる。


「よし、焼けたぞ」


 俺は小皿に取り分けた焼肉のタレを、四人の前へ順に置いた。


「このタレに、たっぷり潜らせてから食ってみろ。遠慮はするな。むしろ遠慮すると負ける」

「どういう理屈だい」

「うまいものの前では、遠慮したやつから損をする」

「それは分かる!」


 最初に動いたのは、味の分析役が板についてきたロエンだった。


 彼はすっかり使い方を覚えた箸で熱々の肉をつかみ、黒褐色のタレへ沈める。


 軽くふう、と息を吹きかけてから口へ運び――。


「……っ!!」


 咀嚼した、その瞬間。


 狼獣人の耳が、弾かれたようにぴんと天を指した。


「な……なんだ、この複雑怪奇な味わいは……!」


 ロエンが信じられないものでも見たような顔で、小皿のタレを凝視する。


「醤油の深い塩気とコクを基盤に、果実の強烈な甘み、ニンニクとゴマの暴力的なまでの風味が、完璧な比率で凝縮されている……! これが、あのマッドブルの野性味あふれる赤身肉を、極上のご馳走へと一瞬で昇華させている……!」

「相変わらず食レポだけ急に饒舌だなお前」

「うまいものの前では、沈黙は損だ」

「名言っぽいこと言ったな」


「だっははは! 講釈はいいからアタシも食うよ!」


 ガランも肉をタレにたっぷり絡め、大口を開けて放り込んだ。


 次の瞬間、目を見開き、肩を震わせる。


「う……うまい! うますぎるよ、これ!」


 ガランが歓喜の声を上げた。


「肉そのものの味も最高だが、このタレのパンチ力が凄まじい! 噛むたびに肉汁とタレがぶつかり合って、口の中が旨味の乱闘騒ぎじゃないか!」

「乱闘騒ぎって表現、だいぶガランっぽいな」

「上品な例えなんかしてられないくらいうまいんだよ!」


「あまい! からい! おにく、すっごくやわらかい!」


 ミリィも、顔の端っこにタレをべったりつけながら夢中で肉を頬張っている。


 猫舌のはずなのに、熱さを気にする様子がほとんどない。


 美味いものに対する執念が、本能を上回っているな、こいつ。


「ミリィ、口の横」

「ん?」

「タレ」

「あとでなめる!」

「合理的だけど行儀は悪いな!」


 そこへ、もう一つのかまどから、ぱぁぁぁっと白い湯気が噴き上がった。


 土鍋ご飯の完成だ。


 俺は慎重に蓋を開ける。


 もくもくと立ちのぼる湯気の奥で、真珠みたいに艶めく炊きたての白米が姿を現した。


 米粒は一つ一つが立ち、ほんのり甘い香りが焼肉の匂いに混ざって、食卓の破壊力をさらに一段引き上げる。


「おお……」


 ガランが本気で感動した声を漏らす。


「白いのに、やけに強そうな飯だねぇ」

「表現が独特すぎるだろ」

「でもつよそう」


 ミリィが頷く。


「なんとなく分かるのが悔しいな……」


 俺は炊きたての銀シャリを深めの木椀にこんもりと盛った。


「さあ、真の焼肉定食の完成形はここからだ。タレをたっぷりつけた肉を、この白い飯の上にバウンドさせて、タレを少し移して、そのまま飯ごとかっこめ」

「ばうんど?」

「つまり、こうだ」


 見本として、俺は一枚、焼きたての肉をタレにくぐらせ、白飯の上で軽く跳ねさせる。


 肉汁とタレが、白い米の上にじわっと染みる。


 そのまま一緒に口へ放り込む。


「……うん。優勝」

「なにそれずるい!」

「見本役だからな!」


 ガランが真似するように、タレ付きの肉をご飯へ乗せ、そのまま白米ごとかき込んだ。


「…………ッ!!」


 ガランの動きが完全に止まった。


 目が大きく見開かれ、その端にはうっすら涙まで滲んでいる。


「この甘辛いタレが染みた飯……! それを肉の脂と一緒に食う……!」


 ガランの声が震える。


「これだけで飯が無限に、本当に無限に食える! 肉、タレ、飯! この黄金ループ、一生止まらないねぇ!!」

「だろ?」

「坊や、これ考えたやつは英雄だよ!」

「日本の調味料メーカーに伝えてやりたいな……」


 ガランは猛烈な勢いで箸を動かし、あっという間に一杯目のご飯を平らげてしまった。


「おかわり!」

「はやっ!」

「まだ肉もある! 飯もいる!」

「胃袋の判断が正しすぎる」


「……エルフの味覚には、少々下品で味が濃すぎるが」


 シルフィはいつものように文句から入った。


 だがその手は、すでに肉をタレへしっかり沈めている。


 さらにご飯の上へ乗せ、上品ぶった所作のまま、しかし妙に速いペースで食べ進めていた。


「だが、このニンニクと果実の甘みの重なり方は、一種の芸術だ。野蛮と繊細が、ぎりぎりの均衡で共存している」

「褒めてるのかけなしてるのか、相変わらず分かりにくいな」

「褒めている。……コウタ、私の小皿のタレが足りなくなった。それと、飯のおかわりを頼む」

「はいはい。すげえ素直な追加注文ありがとう」

「うるさい」


「ロエン、ほら。お前が畑で育てた玉ねぎとピーマンも一緒に焼けよ」


 俺は野菜皿を指した。


「このタレで焼いた野菜も、肉に負けないくらい美味いからな」

「……ああ」


 ロエンが真剣な顔で頷く。


「俺の野菜が、このタレと交わることでどう変化するか、確認させてもらおう」

「お前、その姿勢だけ見ると完全に研究者なんだよな」


 薄く切った玉ねぎとピーマンを鉄板に乗せる。


 じゅうっと水分が飛び、表面がこんがり焼ける。


 そこへタレを少し垂らした瞬間、砂糖と醤油と果汁が焦げる甘辛い香りが、肉とはまた違う方向から鼻を殴ってきた。


「うわ、これは反則だ……」


 自分でやっておいて、俺が一番腹を空かせている気がする。


 ロエンが焼けた玉ねぎを食べ、珍しく目を見開いた。


「……甘い」

「だろ?」

「肉の脂と違い、これは野菜自身の水分と甘みが前面に出る。そこへタレの塩気と香ばしさが加わって……危険だ」

「危険?」

「箸が止まらん」

「それは危険だな」


 炭火の爆ぜる音。


 鉄板で肉と野菜が焼ける音。


 タレの焦げる匂い。


 そして、獲物を無傷で仕留めた達成感と、仲間たちが美味い飯に夢中になっている姿。


 俺も自分の分の肉を焼き、たっぷりタレへくぐらせ、白飯と一緒にかき込んだ。


 口の中いっぱいに広がる、ジャンクで暴力的な旨味。


 そこへ炊きたてご飯の優しい甘さが重なって、全体を受け止める。


「……たまんねえな」


 思わず漏れた本音に、ガランが大きく笑う。


「だっははは! 作ってる本人が一番幸せそうな顔してるじゃないか!」

「料理人の特権だよ」

「つまみ食いも多いけどね」


 シルフィがぼそっと刺してくる。


「うるさい。味見だ」

「さっきから三回くらい本気食いしてたぞ」

「味見だって言ってるだろ」


 足元では、ポテトが焼いて味付けしていない肉の切れ端をもらい、満足げに尻尾を振っていた。


「ガウッ!」

「お前はタレなしな。ニンニク入ってるから」

「ガウゥ……」

「不満そうにするな。安全第一だ」


 ポテトは少しだけ不服そうだったが、素焼き肉をもう一切れもらうと、すぐに機嫌を直した。


 分かりやすい。


 空飛ぶ目――ドローンによる索敵。


 現代の通信機による連携。


 そして、現代の調味料――焼肉のタレによる胃袋の完全制圧。


 ログハウスの涼しい部屋から一歩も出ずに、俺の引きこもり生活の防衛力とQOLは、今日もまた一段、どうかしている方向へ進化している。


 敵は空から探す。


 味方とはインカムでつながる。


 戦いが終わったら、肉を焼いて白飯で締める。


 もはや引きこもりというより、快適性に特化した異世界軍師である。


「坊や! 次の肉が焼けたよ! 早く食わないとアタシが全部食っちまうよ!」

「ずるい! わたしもたべる!」

「ガウッ!」


「おい、俺の分も残しとけよ!」


 俺は笑いながら、焼肉の争奪戦へと参戦した。


 戦場に出なくても。


 武器を握らなくても。


 俺には俺の戦い方がある。


 そして、この場所を誰より楽しむ方法も、ちゃんとある。


 騒がしくて、頼もしくて、腹が減ると急に理性が怪しくなる異世界人たちに囲まれながら。


 俺の理想の引きこもり生活は、今日も濃厚な焼肉のタレの匂いと、炊きたての飯の湯気と、うるさい笑い声に包まれて、幸せな方向へ更けていくのだった。

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